僕にとって、この世はわからないことだらけだった。
おとなたちが「しちゃいけません」と止める「危険なこと」……
それをしたらいったいどうなってしまうのか、なぜいけないのか、
誰も具体的に教えてくれない。
「猫の足をはさみで切ったらどうなるの?」
「ハムスターにお醤油を飲ませたらなぜいけないの?」
こまかな疑問を投げかけても、大人はみんな

気味の悪い子供だ、おそろしい子供だ、と顔をゆがめるばかり。
仕方が無いから僕は自分で試してみるしかなくて、でも、そうすると
またよけいにしかられるのだった。
僕は、こそこそと隠れて僕の疑問を解決するしかなかった。 


僕の興味の対象が人間にかわるまで、そう時間はかからなかった。
……だけど、これまでと同じように「実験」をしてみることは許されない。
さすがに僕にもわかっていた。
欲求は日に日に募っていくばかりだというのに、どうすることもできない。
いつか僕は皆の言うような「人殺し」になってしまうのではないか、
そんな不安が頭を離れなかった。


「わたしでよければ、好きなように使ってくれていいよ」
そう言ってくれたのは、幼なじみのなずなだった。
僕の、たったひとりの友達。
たったひとり僕を気味悪がらない女の子。
家族のいないなずなは、身体ひとつで僕のもとへお嫁にやってきた。

……でも、これは彼女の本心だろうか?
心を許したら大人たちがやってきて、僕を病院にでも入れてしまう
つもりなのではないだろうか。
疑いを拭えない僕の前で、なずなは
自らの指を噛み切ってみせた。
「…指切り。信じて、
 わたしはあなたを裏切らないよ」

−そうか。これが、ゆびきり。
なるほど、こうなってしまうのか。
だから小指をからめる
今の形になったんだね。

骨の露出したなずなの薬指は、
そのままエンゲージリングの
かわりになった。

薬箱の底で古い体温計を見つけた。
そういえば昔のドラマなんかで
水銀を飲ませて声をつぶす、
なんてあったな。本当かな。

僕はなずなに水銀を飲んでもらった。
口腔の粘膜がひどく爛れ、
なずなのきれいな歌は二度と
聞けなくなってしまった。
……ああ。ほんとうだったのか。
目を火傷したらどうなるのかな。
軽く尋ねてみたら、なずなは
やってみせてくれた。

「あなたの顔、いつでも
 思い出せるから。だからいいの。
 ほかのきたない、いやなもの、
 見なくてよくなるから。」


ひどくかすれた聞き取りにくい声で
彼女はそう言った。
僕は彼女に似合う外国製の義眼を取り寄せた。
似合うよ、と言うとなずなはとても喜んでくれた。


手足を切り落としたらどんなふうになるのかな。
この疑問にも妻は答えてくれた。
「左手だけ残しておいてね。
 誓いをかわした大切な指があるから」
妻は思うように移動が
できなくなった。
けれど彼女は、最近いつも笑っている。
どこへ行くにも僕の助けが
いることが嬉しいのだ、という。

そして、それからすぐに
なずなが妊娠していることがわかった。
家から一歩も出られず、
誰とも会えないなずな。
正真正銘僕の子供だ。
わずかな迷いもなく断言できる夫は
少ないのではないだろうか。
僕は、なんて幸せ者なんだろう。
鼓膜に熱湯を注ぐことさえ
彼女は許してくれた。

いちど、何故僕に身を捧げてくれるのかと
尋ねたことがある。

あなたが誰かほかの人を傷つけて、
そのため罰されるようなことになれば
とても悲しい。
わたしならなんでも喜んで
受けられるから−−−

そう答え、
相変わらず妻は微笑っていてくれた。
赤ちゃんが産まれるとき、もしも
出口が塞がれていたら
どうなるのだろう?
その答えを、妻は
身をもって示してくれた。

それでもちゃんと、
産まれるときになれば
産まれてくるのだ。

妻によく似た
色白のかわいらしい男の子だった。

そんな僕らの生活は
ある日 ふっつりと終わりを迎えた。

ネットで見た
「死のネックレス」という
リンチが、どうしても僕は
気になっていた。
犠牲者の写真に憤りを感じたものの
いったいどういうふうに燃えるのか
そのことに対する好奇心のほうが
勝ってしまったのだ。
妻はいつものようにみずから
タイヤに首を入れたが、
ふと僕に囁いた。

「ありがとう、さよなら。
 愛してる」

それは、予感だったのだろうか。

炎に包まれて絶命したなずなを、僕は呆然と見下ろしていた。

……そうか。
死んでしまったら、もう二度と会えない。
なにもしてあげられない。
彼女のすべてが終わってしまった。


そうか、そうなんだ。
だから、「死」につながるすべての危険な事を大人たちは止めたんだ。
それがどんなに些細な可能性であっても。
愛するものを無くしたくないから、その前に止めるんだ。

ねえ、なずな。……君はひとつだけ間違っていたよ。

君を迎えてから、僕は君以外のひとになんて触れたくもなかったのに。


愛していたんだよ。誰にもわかってもらえないかもしれないけど。
だけど、ああ。どんなに愛していても、もうなにもできない。


知りたがりの愚かな子供には、何もかも遅すぎた。



……また、春が来る。
今年も坊やとふたりでささやかなお花見をしよう。

なずなを埋めた庭の桜にはたくさんのつぼみが季節を待っている。


ぼうや、君のお母さんはね、
とても奇麗で、優しくて……
お父さんのことを、誰よりも愛してくれていたんだよ。


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