むかし 山あいの村に 子どもとその母親がふたりで暮らしていました
その年村はひでりといくさのため 大変なききんにみまわれました

母親は じぶんの食事をへらしても 子どもに食べさせてやっていました
けれど 育ち盛りのからだにはとうてい足りず
子どもはいつもおなかをへらしていました

 

母親は日に日に衰弱し とうとう起き上がることもできなくなってしまいました

飢えと渇きに耐えかねた子どもは もうろうとした頭で乳が出はせぬかと
横たわる母親の乳房をくわえました

あまい脂肪の香りとやわらかな感触は しだいしだいに子どもを惑わせ
そこにあるものが 家畜の屍体であるのか 絶えた母の身体であるのかすら
わからなくなって

 

…いつしか 子どもは 目の前の肉を 噛みちぎっていました

まだあたたかな母の血を 子どもは無我夢中ですすりました
それは この上もない美味に思えました

次から次へと 肉片を咀嚼し 飲み込み
さらなる飢えを満たそうと 素手で腹を裂いたとき

 

子どもの目に写ったものは 真っ赤にふくれた丸い臓物
はじめ子どもはそれを 
熟したざくろの実のようだと感じました

しかし その中にあったものは たわわな果肉と種子ではなく

 

生まれるまえの おとうとでした

 

その瞬間
子どものなかで なにかが壊れるおそろしげな音が響きました

 


それから数年
ゆたかな実りを取り戻した村は 山から降りてくる「鬼」の存在におびやかされていました

いつからか 山の洞穴には 
人を喰らう鬼が住み着きはじめたのです

鬼は 母親の肉を食って以来
普通の食べ物を受け付けない体になっていました
無理にくちにいれれば 貴重な白いまま粒でさえ
もどしてしまうのです

はじめは墓場から掘り起こした死体を食べ
やがて 村々からさらった人間の肉を食べ

しかし 鬼の空腹は
いくら食ってもおさまることはありませんでした

思いあぐねた村の長は 贄を差し出すことに決めました
選ばれたのは とあるまずしい家の末娘でした

娘の身体には 血のにおいで鬼を喚ぶために
たくさんの傷がつけられました

 

夜半になり 村に降りて来た鬼は さっそく娘を見つけました
ぼうぼうに伸びた髪と爪に  ちぎれた襤褸をまとった いかにも恐ろしい姿で
鬼は 流れる娘の血を舐めました

けれども娘は 今までえじきとなった者たちのようには 悲鳴をあげませんでした

 

ちらと覗いた鬼の瞳は 悲しげで おびえきった 少年のものでしたから

鬼は娘を洞穴に連れ帰りましたが 
けっして食い殺しはしませんでした

娘の姿を見ていると 母親と暮らしていた
幸せな日々を思い出し
荒ぶった心が落ち着きました

鬼は ときおり襲いくる 狂おしいまでの飢えを
やむをえず満たすときだけ
娘の一部を食べました

生きて行くのにさしつかえないと思われるところを
ほんのすこしづつ

まずは足の指
片方の目玉
それから、耳たぶを

共に暮らしはじめて月日が経つうち
娘は 鬼の子を身籠りました

ふくらんだ腹を不思議そうに眺める鬼に
娘は このなかに赤子がいるのだと
優しく説きました

その途端
鬼の中に あの日の光景が鮮明によみがえって来ました

つややかに濡れて光る 石榴の実を
母の子宮を自らの爪で引き裂いた
生々しい感触を

 

 

 

おっ母。  ---俺には、おっ母をもういちど喰うことなんかできやしねえ。

 

鬼は それ以上 娘を傷つけることができなくなりました

身を焦がす激しい飢餓から逃れるために選んだ道は 以前のように 死体をあさることでした

鬼は 娘に黙って山を降りて行きました

 

 

…鬼を出迎えたのは 一発の銃声でした

 

 

かつて鬼に喰われた娘の父親が放った弾丸は 鬼の胸を貫いていました

 

鬼は 死力を振り絞り 山へ入って行きました
ごぶごぶと喉元に沸き上がる生臭い血は むかし飲んだ母親の血が
時を経て もどってきたかのようでした

這いつくばるように洞穴へ帰って来ると
娘は我を忘れ 鬼を抱き締めました

鬼は娘に 自分が死んだらその肉を食べてくれと
懇願しました

救われることなど望んでいない
ただ 冷たい闇の底で 独りになるのが恐いのだと

 

きっとそうする、と誓うと 鬼は心底うれしげな
無邪気でさえある笑みをうかべて
そのまま 動かなくなりました

 

 

娘は 約束のとおり 何日もかかって
鬼の死体を腹中におさめました 

 

それから
仕留めた鬼を探しに 村の人間が山へやってきましたが
鬼の姿も 娘の姿も 見当たりませんでした

 

ただ、遠く離れた山で
美しい三本指の女鬼を見たという者がありました

それは ひとつだけの瞳に 深い憂いとやさしげな光をたたえ
かならず 子どもをつれて現われるそうです

 

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