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神子
激しく吹きつける吹雪が、視界を真っ白に染め上げていた。 耳元にはただごうごうと唸る風の音。狂おしく舞い落ちる雪に、前を行く王子の足跡は瞬 く間に消されてしまう。僕はただ必死に目をあけて、彼の背中を見失わないように歩を進める。 ……けれど、いつの間にか随分距離は開いてしまって。 「あっ……」 雪に足をとられてぐらりとバランスを崩す。すると王子は素早く駆け戻ってきて、倒れ掛 かる僕の身体を抱きとめてくれた。 「大丈夫か」 「……ありがとう」 逞しい腕の感触に身を委ねながら僕は頷いた。 「もうすぐ祠に着く……それまで、少し辛抱してくれ」 「うん」 王子の肩を借りて歩きながら、僕はそっとお腹に手をあてた。厚手の服を何枚も重ねた うえに毛皮のコートをまとっても寒さは肌の下に忍び込んでくる。 僕は我慢できるけれど……しかしそんな心配はいらないというように、僕の手は力強く 押し返された。よかった、と僕はほほえむ。 やっぱり、あなたは王子の血を引く子供だものね。
八ヶ月を過ぎて、僕のお腹は目だって大きくなっていた。でっぱりの位置も少し 下がって、いっときの胸苦しさもだいぶなくなっている。 僕のお腹に子供が宿ってから、王子はおどろくほど優しくなった。お腹が冷えないよう に高価な着物をそろえてくれ、少しでも僕の具合がよくないときは行軍を中断して薬草を 煮てもくれた。僕は正直、はじめのうちはその豹変に戸惑っていた。 ……どうしてこんなに優しくしてくれるんだろう?油断させておいて、なにかひどいこと をされるんじゃないだろうか。だけどやっぱり嬉しかったから、すぐに理由なんてどうでも よくなってしまった。 (王子は、自分の家族が欲しかったのかな) 僕は漠然とそんなふうに考えていた。妾腹に生まれ、政治のためいいように利用され続け てきた彼。王子のまわりには本当の肉親らしい人は誰もいなかった。だから愛してあげら れる存在が、ただ欲しかっただけなのかもしれない。それなら僕も過去のことは忘れて、 せいいっぱい彼とこの子を愛してあげよう。僕はひっそりそう誓った。 思えばあれだけの辱めを受けてなお、何故こんな気持ちになれるのか自分でも不思議 だった。赤ん坊を宿すなんて、『王子』としての自分をまるきり否定するに他ならない。 だけど今の僕はなぜかとてもおちついた気持ちになっていたのだ。もしかして、これが母 性本能というものなのだろうか。だとすればおかしなものだ、両性具有者の僕がそんな心 持ちになるなんて。……やはり王子がさんざん言ったように、僕はただ出来損ないの女に すぎなかったのだろうか。
一年中雪に閉ざされたロンダルキアにはごく僅かな期間を除いて太陽は昇らない。年間 を通して荒れ狂う吹雪と極寒とが支配する、まさに死の大地だった。それでもこの地に住 んでいる人達がいることに僕は驚きを禁じえなかった。 下界と切り離されるような長い長い洞窟を抜け、雪原を歩いたすえに僕らは祠に辿りつ いた。祠といってもかなり大きなもので、サマルトリア城下にある聖堂よりも立派な大天 井には壮大な壁画が描かれている。 「うわあ……」 壁画に見とれていると、王子が僕を呼んだ。 「こっちへ来て服を乾かせ」 「あ、うん」 広々とした祠のまん中ではかがり火が焚かれ、誰もいない堂内をあたたかく照らし出していた。 「身体の具合はどうだ」 「ありがとう、だいじょうぶだよ。僕も赤ちゃんも」 「そうか」 王子は僕の言葉にかすかに微笑んだ。思えば、彼がこんな表情を見せてくれるように なったのも僕の妊娠を境にしてのことだった。 「ねえ、ここはいったい何なの?こんな場所に祠があるなんて、どうして知っていたの」 思えば目印もろくにない雪原を、彼はまるで何かに導かれるようにまっすぐここを目指し て進んでいたのだ。 「……ここは……ロンダルキアの民が、神への祈りを捧げるための場所だ」 「えっ……」 僕はもう一度天井をふり仰いだ。神々しいばかりの天地創造図は巧みな技法により、雲の 上にまで続いているように見える。それは実に見事な絵画だった。 「だって……おかしいよ、この地に住む人達は邪悪な異教の神をあがめているって……」 少なくとも僕は幼い頃からずっとそう言い聞かされてきた。ゆえにこの地は不浄で、他の 領土と交流することも殆どないという。 「邪教か……」 何故か王子はくっくっと喉の奥で小さな笑い声をたてた。 「なにが可笑しいんだよ」 「……自らの教えにそぐわぬものは須く邪悪なもの――それがお前達の教義なのだろう。 その是非は如何にあろうとも」 「ど……どういう意味?」 「来い」 王子は僕の手をひいて階段を降りて行く。祠の地下にはさらに広い空間が広がっていた。 壁に彫り込まれたレミーラの呪詞により、そこは蛍火のような幻想的なあかりで満たされ ていた。 「これが、彼等の神だ」 王子は祭壇に聳える巨大な像を指して言った。 「な……」 ――それは、見るからに邪悪な姿をしていた。びっしりと全身に生えた荒い鱗。六本の腕。 ある種の爬虫類に似た口は大きく裂けて尖った牙がずらりと覗いている。背中には巨大な 蝙蝠の羽を背負って。 「や……やっぱり、邪神を崇拝しているんじゃないか」 僕は思わずそうつぶやいた。『神』の姿はまるきり聖書に出てくる悪魔そのものだったからだ。 「そう、お前たちにはそう見えるだろうな――だが、彼等の教えではこの姿にもきちんと 意味がある。神シドーは新たな創造のために破壊を行う。そのとき穢れ果てた衆生の 罪を一身に背負ってこのような姿になるのだ」 「衆生の……罪……?」 「傲慢、貪欲、淫乱、怠惰……人々の犯す罪の全てを、神は身に受ける」 ……破壊の神、シドー……ならばこの姿が恐ろしければ恐ろしいほど、人という存在は 罪深いのか。 「だけど、ズィータ様……あなたは、何故そんなに詳しいんだ?」 僕はふと疑問に思った。先ほどから王子はマスタードラゴンの教えを信奉する者たちを まるで他人ごとのように話している。自分もローレシア王家の者であるというのに。 「……………………………………」 王子は無言で僕をぐいと抱き寄せた。 「あ……?」 襟元から差し入れられた指が直に素肌を這う。 「……トンヌラ、そこに寝ろ」 「えっ……」 「今ここで、お前を抱く」 「王子……でも……」 「早く脱げ」 逆らえる調子ではなかった。もし彼を怒らせて乱暴でもされたら、お腹の子がどうなるか 分からない。僕はしかたなく身につけたものを脱いでいった。 「お願い、あんまり激しくしないでね……あかちゃんが居るんだよ……」 控えめに、けれど切実に訴える。安定期に入ったとはいえ、子供のことを考えると本当は 拒みたかった。王子の手の平が僕の腹部を撫で回す。胎児の発育状態を確めるように。 急に育った胎児の重さに耐え切れず、僕のお腹の皮膚には赤い亀裂が何本も走っている。 これはお腹が小さくなってもずっと残るに違いない。 ぐちゅり。 充血した陰唇を押し広げられる。 「んんッ!!??」 何の愛撫もなく、彼はいきなり僕の中に入ってきた。 「ああッ!!!いやぁ!ちんぽ太い!!太いよおッ!!!!」 久しぶりだからだろうか、王子の肉棒は以前にも増して猛々しく、まるで熱した鉄の柱を 押し込まれているような感じさえした。 「うぐぅうう!!お、奥まで突いちゃ駄目エ!!!」 僕の訴えなどまるで耳に届いていないように、王子は荒々しい動きを繰り返す。あさまし い僕の性器はそれに反応して、ねばっこい愛液を分泌させていた。王子が男根を突き入れ るたび、骨盤に当たってきしむ。ぼこり、ぼこり、と僕のお腹に小さな膨らみが現れては 消えた。 「やめてえぇ!!!赤ちゃんが子宮の中で苦しがってるよ!!んあぁぁっっ!!!」 子宮口をこじあけようとするかのように、ごつごつと亀頭が当たってくる。羊水の中で ちいさな胎児が逃げ場を求めて暴れるのが手にとるようにわかった。 「あ、赤ちゃんが死んじゃう!!あなたの赤ちゃんなんだよっ!!お願いだから、ちんぽ 抜いてェっ!!!アヒイィィィッッッ!!!」 僕は必死になって叫んだ。苦しい。苦しい。お腹の中でもがく胎児が皮膚を突き破って 出てきてしまいそうだ。けれど同時に僕は狂おしいほどの快感をもおぼえていた。僕の ペニスは痛いほどに勃起し、王子の腹を擦っている。……こんな状況なのに。 (ごめんね、赤ちゃん……いやらしいおかあさんを、どうか許して………) 自分が情けなくて、心の中で何度も何度も赤ちゃんに謝る。涙にかすんだ目を王子に向け て、僕ははっと息をのんだ。その瞳が――まるで竜のように、縦長に収縮していたのだ。 人のものとは思えない金色の光を放ちながら。 『輪廻を束む死者の王よ……幾億の御霊を纏いし神よ、竜の末たる我が身を導とし―― 現世に降誕せよ』 王子は恍惚とした表情でそう繰り返していた。僕は本能的な不安にかられ、かすかに残る 意識の中で呪文を唱えた。 『天を支える神の御柱、其の恩恵は広大無辺なり――我が手に参れ、雷!!』 『ギラ』の雷撃をまともに受けて、一瞬王子がよろける。僕は力のかぎり彼を突き飛ばし、 這いずって逃げ出した。僕の膣からはだらしなく粘液があふれ、腰がぬけて立ち上がるこ とができない。 「貴様ッ…………!!!!」 瞬間的に立ち直った王子は恐ろしい形相で僕に追いすがった。頬を拳で殴りつけられ、 僕の身体は壁に叩きつけられる。とっさに両手で庇ったためお腹は無事だったが、かわり に背骨をいやというほど柱に打ち付けた。あまりの痛みに息がつまる。口の中には、鉄錆 の味がしていた。どうやら歯が折れてしまったらしい。王子はうずくまる僕の髪をつかん でねじり上げた。 「お前は大人しく股を開いていればいいんだ」 これ以上なにかしたら本当に赤ちゃんを殺されてしまう。僕はぼろぼろと涙を流しながら 頷いた。 王子は僕を壁に押し付け、乱暴な挿出を再開させた。僕は淫らに尻を振り、意識的に膣を 締め上げて王子の射精を促す。快感に酔う余裕などない。もう、少しでも早く終わらせて もらいたかった。 僕は涙にかすんだ瞳で、秘部を出入する肉棒をまるで他人ごとのように眺めていた。 王子の剛棒が半ば引き抜かれるたび陰唇がめくれ、泡立つ愛液が床にしたたる。僕の意志 とは関係なしに、身体は悦んでいるらしかった。 腰の肉を打ち付けられるときは、僕はお腹のちからを出来るだけ抜いて子宮に少しでも衝 撃がいかないようにがんばった。 (赤ちゃん、もう少しだけ我慢して) 王子はぐりぐりと亀頭を子宮口にすりつけ、内部を犯そうとしているかのようだった。 『神よ……現し身に降りられい!!』 王子は高く叫び、僕の産道に勢い良く精を放った。 「うっっ、ああぁぁぁああああーーーー!!!!」 熱い迸りをうけて、同時に僕も絶頂に達していた。膣穴とペニスから、同時に激しく潮を 噴出させながら。 ゆっくり意識がもどってくると、王子が僕の股間を拭き清めているところだった。膣を ぬぐう布は何度取り替えてもどろどろの白濁液と愛液ですぐにぐっしょり濡れてしまう。 僕はゆっくりとお腹に手をやった。とん、とん、と変わらぬ反応があった。よかった、 赤ちゃんは無事だ。それが分かって、思わず涙が滲み出てくる。 (ごめんね赤ちゃん、こわかったよね。びっくりしたよね) 僕はおなかを撫でながら赤ちゃんに心の中で語りかけた。頬には薬草の染みた絆創膏が 貼り付けられている。 「……乱暴して悪かったな」 僕が目覚めたのに気付くと、王子はそう言って謝った。僕は何も答えられなかった。彼の 本心がまた分からなくなる。王子はいったい僕と赤ちゃんのことをどう考えているんだろ う。心底大事に思ってくれているのだろうか、それともこの優しげな顔はただの仮面なの だろうか。 「俺の母親は、ロンダルキア王家にたったひとり生まれた姫だったんだ」 唐突に王子が語り出す。混乱した頭で、それが先刻の問に対する答えと気付くまでは すこし時間がかかった。 「親父は国交再開を求めてやってきた母を拉致同然にして城に引き入れ、暴力をもって 己のものにした。外交の話はそれっきりで、祖父たちは失意のうちにこの世を去った」 「………………………………」 信じられない気分だった。あの温和そうなローレシア王がそんなことを? 「みんなそうだ。『ロトの勇者』とその一族は――外面ばかりを取り繕い、その実腸は 腐りきった奴らばかり」 僕の心を読んだかのように、王子は続けた。 「何故ロンダルキアの民がこんな場所で生きねばならないか、その理由を知っているか」 「………………いいえ」 「そうだろうな」 ――そして王子は三王家の者には決して語られない歴史の真実を僕に語って聞かせた。 ローラ姫の産んだ子供は三人ではなく、四人居たのだ。……いちばん初めに生まれた長男 は――竜王の種だった。考えればそれは極く当たり前のことだったかもしれない。攫われ た姫は幾度となく竜王の閨に連れ込まれたのだから。 『ロトの勇者』はその子供の存在を決して認めようとせず繰り返し堕胎を迫ったが、姫は 頑なにそれを拒んだという。 僕には彼女の気持ちが少しわかるような気がした。僕のような身体のものが言うのはおか しいが、女は自分の意志で妊娠を拒むことはできない。見も知らぬ罪人にさえ、犯され精 を注ぎ込まれれば孕んでしまう生き物なのだ。でも、おなかに宿った子には何の罪もない。 ……きっとこんな感情は「女」にしか理解できないだろう。 ロトの勇者もそうだった。生まれた子供は人と変わらぬ姿をしていたが、彼はその児を ひたすらに疎んじた。ことにその後自分の子供達が産まれるに及んでは。 やがて子らが成人するに至り、ロトの勇者は彼らに領土を分け与えた。長子である竜の児 は劣悪な北の台地に追い遣られ、その存在自体を歴史から抹消された。 次男の国につけられた名――『ローレシア』は、あたかもローラの児の一人目は次男で あると主張しているようだった。……それじゃあズィータ様は、ローレシア王子であると ともにロンダルキア王家の血をも引いているのか。そしてロンダルキアの血には、竜の血 が混ざっている―― 「トンヌラ、教えてやろうか?シドーを産んだ大地母神ラーミアはただひとりで諸々の 神々を産み落とした……つまりは、両性具有の神だったんだ」 「……え………………?」 どきりとする。 「……ロンダルキアの者にとってふたなりは神聖な存在であり、女神の分身なのさ」 王子はそう言いながら僕にふわりと毛皮のマントをまとわせた。恭しくさえある仕草で。 ……神聖な存在?そんなことを言われたのははじめてだ。この身体は隠されるべきもの、 恥ずかしいもの――ずっとそう思って生きてきたのに。 もしも、と僕は考える。もしもロンダルキアの地に僕の居場所があるのなら……無理を して手柄を立て、城に戻らなくてもいいのだろうか………。 「一異教徒に過ぎない神官に、我らの神を冒涜させるのは我慢ならない」 僕はためらいながらも頷いた。ハーゴンは大神殿でシドー神召喚の儀式を行おうとして いる。ロンダルキア王家の血を引く王子にとって、それは許されがたい涜神行為だろう。 「分かったよ……奴を止めるんだよね」 僕はそう答えて、王子の袖をきゅっとつかんだ。『もしも』だなんて、僕も馬鹿だな。 ……どんな手柄を立てたって、お腹に赤ちゃんのいる僕が王子として城に戻れる筈がない のに。 「僕は、もう帰れない……ハーゴンを倒したら……その、王子の…………」 言いよどむ僕の唇を、王子は自分の唇で塞いだ。 「ン……」 熱い舌が僕の口内を蹂躙し、唾液が喉に流れ込んでくる。頭がぼうっとして、腰のあたり と乳首が疼いてたまらない。さっきふいてもらったばかりなのに、僕の下着は再びあふれ だす愛液でぐっしょり濡れてしまった。 「皆まで言うな、分かってるさ。妃に迎えてやるとも」 妃。『王子』である僕には耐え難い侮辱であるはずの言葉だ。以前の僕ならば、躍起に なって否定していたに違いない。だけど僕は王子のひとことに身体がとろけそうな幸福感 を味わっていた。 「……毎日チンポハメて、何人もガキを孕ませてやるよ」 「……あっ…………」 王子はにやりと淫蕩に笑って耳元にささやく。それだけで、勃起したペニスの先から じゅわりと汁がにじみ出てしまう。そんな自分が厭だったけれど、仕方ない。王子のせい だ。彼が僕をこんなふうにしてしまったんだから……。淫らな僕を諌めるように、赤ちゃ んがまたお腹を蹴った。
ところが、目の前に現れた建物は 生まれ故郷のお城、そっくりそのままだったのです
「どういう……ことなの………………?」 僕は息をのんでお城の切妻を見上げた。吹雪のなかに、懐かしい壁の紋章とからみつく ツタが見える。こんなはずない。どうして、こんなところにサマルトリア城が…… 王子は無言のまま先に立って城内へ足を踏み入れた。僕も彼に続き、懐かしい門をくぐる。 門番の兵士、大臣……外つ国よりの訪問者たち……城内を行き来する人々の姿も、そっく りそのままだ。そして―― 「ルル………」 懐かしい許嫁の姿がそこにあった。可憐なドレスに身を包み、あどけなさを過分に残した 僕の義妹……。その無垢な美しさに、僕は顔を伏せた。こんなに汚れてしまった僕が、 彼女につりあうはずもない。 (ルル、ごめん……) ふっと彼女が顔をあげ、僕に微笑みかけた。 ああ――君は、こんな僕を許してくれるのかい?受け容れてくれるのかい? 僕は期待に打ち震えながら、腕を差し伸べた。 しかし、僕の手は……彼女の身体をすり抜けてしまったのだ。 「えっ!?」 僕は驚いてあたりを見回した。気付けば大臣も兵たちにも、僕らの姿は目に見えていない 様子だった。ズィータ様の胸のあたりを、白い鳩が擦り抜けて飛び去っていく。 これは……幻なのか? 『ピピン、義兄さまのご沙汰は依然聞こえませんの?』 ルルが微笑みかけた相手は親衛隊長の青年、ピピンだった。ルルはいかにも親しげに ピピンにもたれかかり、その様子はまるで睦言を交わす恋人たちのようだった。 『ええ、旅人の泉を出て以来、まるで消息は知れませぬ』 それを聞いたルルは――なんてことだろう。認めたくない。だけど…… ルルは、さも嬉しそうに笑ったのだ。 『やはり、亡くなったのかしら』 上等なドレスを贈られたときのように。大好きな果物を頬張るときのように。ルルはあく まで無邪気に、あくまで嬉しげに……………………笑ったのだ。 『女よりも大きな乳房をして……あんな気味の悪い片羽者に嫁ぐなんて、真っ平でした もの。お父様に感謝をしなければいけませんわね』 『殿下の存在はサマルトリア王家の恥、つねにそう仰っておられましたからな』 ……嘘だ。父上が、ピピンが、ルルが、そんなことを…… 「うそだ…………………うそだよっ……」 僕は耳を塞ぐ。けれど彼らの話し声は頭の中へ直接流れ込んでくるのだ。 『ねえピピン、これでやっと貴方と婚礼の式を挙げられますのね』 「やめてよっ……!!こんなの………………嘘だっ!!!」 僕の叫びと同時に、何かが砕け散る衝撃音が響いた。同時に風景が揺らぎ、ふっと消え うせる。 「あ………………?」 僕はこわごわと顔をあげる。と、視界にうつる景色はまるきり違うものに変わっていた。 広々とした天井の荒れ果てた見知らぬ建物……壁や柱には邪悪なけだものの彫刻が施されている、 異教の神殿だ。王子が剣を構えて立っている。その足元には砕け散った紫水晶 の欠片が散らばっていた。 「下らねえまやかしに踊らされるんじゃねぇよ」 王子は吐き捨てるように言ってのけた。 「今のは……まぼろし、なのか……?」 僕の問に答えるかのように、こつりと固い靴音が響いた。 「……素晴らしい、なんと強固な精神でしょう。精霊の守りなしに幻を打ち破るとは」 「ハーゴンッ………!!!」 その男を見て、僕は思わず叫んでいた。マリア様を魔物に襲わせた神官だった。 「ですが、今ご覧になられたものは事実ですよ。貴方の可憐な許嫁は親衛隊長と関係を 結び、貴方の死を望んでいる」 「だ………黙……れ……!!」 「その膨らんだ腹で妻を娶られるおつもりか?出来損ないの姫君よ」 「黙れ、黙れぇっ!!!!」 ……突然、僕の唇はズィータ様に塞がれた。 「ンむっ……」 いやだ。恥ずかしい。他人が見ているのに何を考えているんだ。 ……そう言いたいのに、腰から力が抜けてしまう。 「挑発に乗るな、馬鹿野郎」 神官も、さすがに毒気を抜かれたような目で僕たちを見ていたが―― 「なるほど……噂に違わぬ方だ、ズィータ殿下は」 肩をすくめて笑う。王子は表情を変えなかった。 「それでは私も、この台詞を言わせてもらいましょうか? ……『我と手を組まば、世界の半分を与えよう』」 「……………………………………」 「如何ですか?貴方の曽祖父が口にした言葉ですよ」 僕も昔語に聞いたことがあった。それは、かつて竜王がロトの勇者に対して持ち掛けた 取引きだ。 「…………………………クッ。ハハハハハハハハハハハッ!!!!」 それに対して、王子は……さも可笑しいというように、笑い出したのだ。 「な………………?」 そんな反応を想像だにしていなかったのか、ハーゴンが戸惑ったように彼を見やる。 「貴様……本当にシドーを喚び出せると思っているのか?」 「何だと……?」 「面白い。やってみろよ」 嘲り笑いを浮かべながら剣の切っ先をつきつける。対照的にハーゴンの表情からは笑いの 影が掻き消えた。 ムーンブルグの街を襲わせたのは確かに彼……邪神の降臨につれて地上へ現れた魔物達の 仕業だった筈だ。なのに王子のふてぶてしいまでの冷静さはどうしたことなのだろう。 彼の言葉を侮辱と感じたに違いない神官は懐から暗紫色の呪石を取り出し、頭上にかかげ た。 「飢えたる闇の子よ――今すぐ地上に降り、この者を喰らいつくすがよい!!」 呪石の表面が血の色に輝く。しかしそれはほんの一瞬のことで、神官の声は大広間に 空しく響くだけだった。 「………………!?な………」 明らかに狼狽しながらふたたび呪石をかざす。 「気が済んだか?」 剣の切っ先を神官に向けたまま、ズィータは哀れみさえ交えた笑いで見下ろす。 「く………何故………何故だ!!!何故!!!???」 ハーゴンは血走った目を見開き――やがてその視線が僕の上で止まった。 「………………まさかズィータ王子、貴様は……なんと罪深い事を………」 (――!?) 「罪深い?ハッ、お前の口からそんな言葉が出るか」 そして――王子の剣が音も無く神官の胸元に突き立った。 ハーゴンは己の身に何が起きたか判らぬように目を見開き、二三度身を痙攣させた。 あまりに静かな、あまりに呆気ない幕引き。神官は断末魔の声すらあげず床にくずおれた。 「神に見放された神官など――ただの人間、か。くだらねえ」 王子はハーゴンのマントで剣についた血のくもりをぬぐい、何事もなかったように屍骸に 背を向けた。 「帰るぞ」 「………あ、あの、ズィータ様………………」 『罪深い』。その意味を問おうとして僕はぐっと言葉をのみこんだ。きっと僕にとって そんなことは知らない方が幸せにちがいない。 僕は王子の手を握り、あとをついていく。彼の真意がどうであろうと、今はこのぬくもり に身を委ねよう。
そして ともに旅をした王女様は 王子様の花嫁になりました
僕もズィータ様もローレシアに帰ることはなかった。 雪に閉ざされ、痩せた大地のロンダルキア。それでも民達は懸命に生きている。 城の者たちは僕達を大変な歓迎をもって迎えてくれた。正統な王家の血筋と、女神の化身 として。 ロンダルキアの伝統である黒絹のドレスをまとって、僕はズィータ様と婚礼の式を挙げた。 互いの指先を噛み切り血を分かち合うことで共に生きる証とする。昔の僕だったら邪悪な 儀式と感じたかもしれない。だけど……少し塩辛い王子の血は彼の命の味がして、僕は ドレスの下で密かに勃起していた。
そして、僕はふたごの赤ちゃんを産んだ。 赤ちゃんたちの顔を見たとき、ようやく僕は神官の残した言葉の意味を知った。 ひとりはズィータ様によく似た輝くように美しい男の子だった。 もうひとりは――あのとき祠の地下で見た、そして今も部屋の柱に刻み込まれているこの 国の神シドーそのものの姿をしていたのだ。 六本の腕。灰色でうろこのような肌。裂けた口。背中の皮膚から飛び出した骨はちょうど 翼のような形をしていた。 そうか。 あのときズィータ様は己の身を媒介に、神の子を僕に身篭らせたのだ。いくら神官が呼び 出そうとしてもシドーが現れるわけはなかった。すでにその身は僕の胎内に顕現していた のだから。 ズィータ様はこのためだけに僕を………いや、止そう。そんなことはどうだっていい。 「シドー」はしわがれた声で泣きながら手足をうごめかせている。蒼褪めた表情のままと まどう侍女を無視して、僕は赤ちゃんたちを抱き上げた。 ………ああ。おんなじだ。 どちらの子もせいいっぱいの産声をあげて、あたたかい体をしている。生きている。 ズィータ様が産屋に入ってきた。僕が「シドー」を見せると、彼は赤ちゃんの頬をかわり ばんこに撫でてくれた。 ぶっきらぼうな手つきだったけど、それが僕には何よりもうれしい。
神様のことなんてどうだっていいんだ。僕もこの子も「できそこない」なんかじゃない。 ここには僕を受け容れてくれる人が居る。……ここが僕のいられる場所だから。
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