私のお兄ちゃんはとても強い。どれくらいかと言われると、鉄筋コンクリートの壁のど真ん中に、人知を超えた大きな穴を開けるくらいだ。以前アサルトライフルを持った人が二十人程突っ込んできた時も、お兄ちゃんは文字通り、全てを灰にした。とにかく凄く凄く強いので、人間という有機生命体に分類されている事が不思議なくらいだ。
 その上、凄く恐い。目つきでがとっても悪いのを始め、頬や額に傷跡があるせいで、妙な迫力がある。眉間の皺が消えている姿なんて、私は一度も見たことがない。正装していても、大体はネクタイがゆるんでいる。どう見てもいい人ではなく、悪そうなもの全部が全部、一ヶ所に凝縮されているものだから、柄が悪いっていうレベルじゃない。これで人並みの愛想があればまだいいのに、無愛想だから余計に酷い。口を開けばゴミだのカスだの、口まで悪いから、期待を裏切らない悪い人なのだ。
 そんなお兄ちゃんと私だけれど、一応兄妹をしている。兄妹と言っても、血が繋がっているわけじゃない。お互いの親の連れ子だとか、そういうんでもない。私は拾われたのだ。お兄ちゃんと、私の言うところの父親という人に。


 初めて会った時も、お兄ちゃんは酷く機嫌が悪いようで、とても恐い顔をしていた。その時の私はまだ小さくて、自分が今どんな状況なのかも分かっていなかった。『君のお兄さんになる人だよ』そう、おとうさんからお兄ちゃんを紹介された。あの通り、恐そうな人だったから、私はおとうさんの陰に隠れたまま、おとうさんのスラックスをぎゅっと掴んでいた。

「なんだコイツは」
「お前の妹になる子だよ」

 私がびくびくしていている間にも、二人は何か話していたけれど、話の内容なんて全くわからなかった。覚えている事といったら、お兄ちゃんの後ろにぴったりくっついて恐い顔をしていた何人かの男の人に、やたらと豪奢な造りの部屋や家具やらおとうさんの背中。それからお兄ちゃんの不機嫌そうな顔だ。

「は、はじめまして。あの、その、」
「うるせぇよ」
「……ごめんなさい」
「チッ、お前もジジィの仲間か」
「……?」
「消えろ。目障りだ」
 お兄ちゃんは私の事をぎろりと睨んだり、しきりに舌打ちをしていた。極めつけに自分の横にあった壁を勢いよく蹴り飛ばしてスーツの人達に壁に押さえつけられていた。初めての顔合わせがそんなものだったせいか、恐いという記憶だけがやたらと鮮明に残っている。
「お茶でも飲もう。こうして会話をするのも久しぶりだろう」
 おとうさんが寂しそうに笑いかけた時も、お兄ちゃんは恐い顔をしていた。

 私はわけが分からないままおとうさんに手を引かれ、大きな部屋に入った。そして、部屋の中のふかふかの大きなソファに三人で座った。私の隣にはおとうさんがいて、私の斜め前にはお兄ちゃんが座っていた。二人はその時も何かを話していたけれど、あまりいい雰囲気ではなかった気がする。二人とも真面目な顔をしていて、全く状況の飲み込めない私は、まるで蚊帳の外だった。私はひたすらにお菓子を食べ、飲み物を何度もおかわりをした。二人の間に入ろうとも思わなかったし、何よりどうすればいいか分からなかった。そうして気付いた時には、おとうさんもスーツ姿の男の人もおらず、お兄ちゃんと私、二人きりで部屋の中向かい合っていた。
 二人っきりにされて、やっぱり何を話したらいいか分からなかった私は、ただひたすらにお菓子を食べていた。お兄ちゃんが恐くて顔も見れなかったから、お兄ちゃんの足と、テーブルの上だけを見ていた。
「チッ」
 お兄ちゃんはそんな私に痺れを切らしたのか、舌打ちをした。びっくりして見上げた私が次に見たものは、お兄ちゃんの足に潰されたお菓子だった。紅茶はカップごとこぼれて、テーブルの上に広がっていた。私は恐くなって泣いた。そうしたらお兄ちゃんは「泣くな」と言いながら、舌打ちをもう一度した。お兄ちゃんの一言で泣いたらいけないと思った私は、我慢して、我慢して、我慢した末に、過呼吸になった。
 メイドさんに紙袋を貰う私の横では、おとうさんとスーツの男の人に囲まれながらお兄ちゃんが怒られていた。お兄ちゃんは恐かったけれど、過呼吸になったのは私のせいで、異変に気付いたお兄ちゃんは、ちゃんとおとうさんを呼びに行ったのに。
「あの人がお兄ちゃんになるのは嫌かい?」
「っ……っい、いや……」
「どうしてだい?」
「こ、こわい、か、ら」
「という事だよザンザス」
「……」
「お前が恐がらせたんだ。ちゃんと謝りなさい」
「ち、ちが、うの」
「ん? 何が違うんだい?」
「泣いたのは、わた、しが、悪い、の」
「うるせぇよ」
「ザンザス」
「フン」

 お兄ちゃんは最後まで謝らなかった。


 後々聞いた話だけれど、お兄ちゃんは、おとうさんを殺そうとして、その上、組織の乗っ取りを図ったのだそうだ。だから、あの時両手を拘束されて、更に監視まで付いていたらしい。私はびっくりするより前に、納得してしまったのだけれど、何より凄いのはお兄ちゃんを許したおとうさんだと思う。懐が深いだとか、そんなもんじゃなさ過ぎる。案の定、周りに色々な文句を言われていたらしいのを振り切って、おとうさんは『自分の責任だ』とだけ言って、お兄ちゃんの更生と人間性を育む教育の一環にと、私をあてがったのだ。
 これだけだと、おとうさんが悪い父親に見えるかもしれない。けれど私は、おとうさんが悪い人だとは決して思わない。おとうさんはおとうさんなりに私の事を愛してくれているのは感じる。ただ、優しい人だけれど、自分から直接手を下すのが苦手なんだと思う。良くも悪くも傍観者という立場でしか居られない人なのだ。

 そんなこんなで私とお兄ちゃんは一応形の上で家族という事になった。


 お兄ちゃんの周りには面白い人が沢山居た。スクアーロさんはうるさいけれど、基本的に優しい人。お兄ちゃんに酷い事ばっかりされる苦労性。皆の緩衝材でもある。ベルフェゴールさんは恐い人。前髪で目を隠しているし、自分勝手だし、事あるごとにナイフを投げてくる。たまに遊んでくれるけど、やっぱり恐い。ルッスーリアさんは男の方なんだけど、心は女性。だからとっても話が合う。レヴィさんは恐い顔をしているけれど、真面目で誠実な人。何に対しても一所懸命だから、凄く好感が持てる。
 どうしてこんなに面白くていい人達が、お兄ちゃんの周りに集まるのか考えた事がある。だってお兄ちゃんは乱暴だし恐いし、自分勝手だし。私だったら、兄妹でなければずっと近くに居たいとは思わない。だから、皆にお兄ちゃんの事を聞いてみた。
「僕は仕事に見合った報酬を提供してくれるからさ」
「むぅ……俺はボスが尊敬に足る素晴らしい方だからだ」
「はぁ!? 目ぇ腐ってんじゃねぇのかぁ? あいつが尊敬に足るって人格の持ち主かよぉ!」
「スクアーロ、今の発言、後でボスに報告しておくよ」
「あぁ゛!?」
「ちょっとソコ、止めなさい! ボスはね、素直じゃないのよね〜……そこがいいんだけどね〜」
「そーそー。なんだかんだでオレら付き合い長いし。そこのスクアーロなんか特にね」
「な゛っ……! オレは腐れ縁だぁ」
「むっ」
「睨んでんじゃねぇぞぉ!!」
 私が考えるより、皆お兄ちゃんの事を特別視をしているみたいだ。よくわからないけれど、お兄ちゃんに対して、皆悪い感情は持っていない。つまり、お兄ちゃんのワガママには、皆も目をつぶっている。むしろ一枚噛んでいるわけだ。
 お兄ちゃんが好き勝手できるのはひとえに皆のお陰でもある。


「おかえりなさい」
「ああ」
 こうして当たり前のように出迎えが出来るようになってから、どのくらい経ったんだろう。今では隣を歩く事も出来るし、普通に会話も出来る。時間の流れとは面白いもので、お兄ちゃんの印象は、恐い人から不器用な人に変わった。不器用というのは仕事に関してじゃなくて、人との接し方だ。
 元の性格はあの通りなのだけれど、特に好きな人には辛く当たる。スクアーロさんなんかにはそれこそ虐待なんじゃないかというぐらい強く当たる。始めこそ不思議で仕方なかったのだけれど、二人の付き合いの長さを見ていれば、納得がいった。照れ隠しというのもあるかもしれないし、きっとそれがお兄ちゃんの素なんだと思う。レヴィさんにだって、ベルフェゴールさんにだって言葉は冷たいけど、分かりやすいぐらいに他とは態度が違う。見えない所で手を差し伸べているのだ。
 おとうさんとお兄ちゃんは、そういう所でとってもよく似ている。やっぱり親子なのだと思う。

 不器用で、柄が悪くて壊し屋で――。その上無愛想のマフィアなお兄ちゃん。たまに見せる笑顔が優しい事も知ってる。私はお兄ちゃんの事が大好きだ。

(END)

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