ある女が一人、建物と建物の間の薄暗い隙間に身を潜ませていた。女が息を潜ませているこの敷地内には暗殺者ばかりがうろついている。用意周到に置かれた防衛システムをかいくぐり、敷地内に入ってこれたのも相当に運がよかったが、この危険な檻のような中で、誰一人として女が存在を気づかれずにいれるのは、運がいいだけではなく、女自身の能力が高い事も示していた。 一つ一つを確実に行わなければ、と女は気を張り詰めながら息を吸い込んで上を見上げる。建物の一部であろう暗めのベージュと、空のスカイブルーが女の網膜に嫌でも焼きついた。これからしようとしている事とは不似合いな、いい天気だ、女はそう思った。そしてまばたきを何度かすると、顔を前に向けて奥歯を噛み締めた。 女の任務は至極簡単、単純明快なものだった。『ヴァリアーのアジトを爆破、もしくは壊滅的なダメージを与える事』たったのこれだけ。しかしながら、これだけのことが如何に危険難易度の高いことか、イタリアにいるマフィアだけならず、世界中居るマフィア、ギャングもよく知っていることだろう。まともな神経を持っていれば、この任務の内容を聞いただけで即座に断るはずだ。だが、彼女自身も所属していたファミリーは、それを承知で任務を課した。矮小なマフィア故、後がなかったのだ。 愛用の携帯ハンドガンを小さく構えながら、女は頭の中で与えられた任務の復唱をする。 『ヴァリアーの敷地内に潜入が成功したら、隙を見て小型爆弾を設置。もし不可能ならば、なるべく火の手が上がりやすい場所にまとめて小型爆弾を設置すること。重要な書類や、その他ボンゴレの有益な情報がある場合は重点的にそこを破壊、持ち帰れるものならば奪取すること。大人数ではかえって難易度が高くなってしまう為、自分一人のみの単独行動を心がける。失敗は死を意味する』 女はそこまで確認し終えると内ポケットに片手を忍ばせて、小さなボタン程の黒い塊を取り出した。先ほど上方に見えた通路が破壊されれば甚大なダメージといかないまでも、相手が不利になるのは明らかだ。それに、自分が逃げる時にいくらか役に立つ。 思い立った女があたりの様子をうかがおうと、建物の影からほんの少し顔を出した時だった。 「やぁ、こんにちは、僕はマーモン。今いいかな? 別にこれでお金をどうこうというわけじゃないけど、あまりにも面白すぎるからちょっとここで吐き出したくって。何が面白いかって、ちょっと待って。今から説明するから。 君らも知ってる通り僕らヴァリアーは戦闘力の高い二つ名を持った幹部が七人居るだろ? で、そこに最近秘書が入ったんだけど、ボスがやたらとそ子の事気に入ってるみたいなんだよね。で、その子、あ、名前って言うんだけどね。はというと、どうやらレヴィの事が好きみたいなんだよね。レヴィはレヴィでボスに気に入られることに凄く執着してるから、凄いもんだよ。 ボスがスクアーロを殴る。それをレヴィが嫉妬の眼差しで見てる。そのレヴィをが遠くから見ている。そんなが気に入らないのかボスがスクアーロに八つ当たりをする。レヴィがボスに構われているスクアーロにまたも嫉妬の視線を投げかける。嫉妬の炎に燃えるレヴィをが恍惚の瞳で見ている。最初に戻る。エンドレス。 ここ最近ずっとこんな感じさ。それが終わるまで他の残された人間は傍観するしかないんだ。迷惑な話だよ。でも見てて楽しいと思ってる僕も趣味悪いのかもしれないけどね。 昨日なんか本当に危なかったよ。一連の流れを二時間ほど繰り返した時だ。流石にスクアーロがボッコボコになっちゃってさ、が止めに入ったんだ。けど、ボスが『お前も殴られたいのか』なんて言い出しちゃって。女を殴ろうとするなんて普段ボスがやらないことだから皆びっくりしてたんだけど、レヴィが『ボ、ボス……! オレを殴ってくれ!』とかボスに駆け寄って、それに続いても『いいえ私が!』なんてお互いが言い合いになっちゃってさ。もうずっと『オレが!』『私が!』『オレが!』『私が!』って。 おかげで怒ったボスがいつものコオオォォォォってやつでスクアーロを吹き飛ばしてスクアーロが病院行きだよ。壁も書類もその他もろもろ大破しちゃったからヴァリアーほぼ総出で事後処理。今もやってるところさ。 全く毎日毎日よくやるよね。見てて飽きないし面白いんだけど。……ああ、すっきりした。 で、君は一体誰なんだい?」 突如として表れた赤ん坊が言葉のマシンガンを浴びせ終わる前に、その目の前で片膝をついて身をかがめていた女は、何か太い紐のようなもので縛り上げられていた。腕に、足に、体に、首に。のけぞりながら首元に絡み付いているものを女が手で引き離そうとすると、それは水風船のようにぶよぶよと不思議な弾力を女の手のひらに返してきた。しかしぶよぶよとした柔らかさに反して、ぎゅうぎゅうと締め上げてくる部分は、お世辞にも平気な顔をしていられるものではない。女はなんとか後ずさりしながら自分の体の自由を奪うそれを首をふりふり確認する。女の視線の先には、およそ見たことのないような、てらてらと七色の不気味な輝きを放つ気持ちの悪いものが、何重にも絡み合いながら自分の体に巻きついている姿があった。何だこれは、そう女がそう思う間もなく、見たことのない気持ちの悪いものは体を締め上げてどんどんと体を上に引っ張りあげていく。恐い、やばい、と恐怖と焦りが入り混じった苦しさの中で、女は手の中のものをぼとりと地面に落とす。息もうまく吸い込めなくなって、意識が朦朧としてくる。 ややあって、その足が地面から離れる頃には、巨大ミミズのようなものに体を縛られたまま空中で意識を手放し、もうぴくりともしない女の姿があった。 「やれやれ、ねずみをこんなとこまで入れるなんて、護衛は何をしてるのかな」 女を乱暴に地面に下ろしながら悪態をつくその顔からは、不気味な鈍い輝きを放つ触手がいくつも伸びている。 「あーあ、これはボスに報酬を貰わないとやってられないよ」 そう言って女をずるずると引きずりながら歩く赤ん坊の向こう側では、雲ひとつない真っ青な空が広がっていた。 (END) |