普段は静かなはずの廊下へと漏れ出す音。よくよく聞けばベースにバスドラムにと、多彩な音――もとい曲がどこからともなく流れてくる。
「気になるなぁ」
 私は音の流れに逆らって震源地へと向かって行く。
 音楽が好きな人、じゃなくてロボットは誰か居ただろうか? 音楽から関連付けて浮かびあがるものは、どれもしっくり来ない。落ち着く答えも出ずに宙ぶらりんのまま辿り着いた先は誰かの個室の前。人数が多くて把握しきれていないが、多分ここはサードナンバーズのうちの誰かの部屋だろう。
 それにしても、壁一枚隔てているというのに音の圧力がバリバリ伝わってくる。
 少し注意をしようとドアを開けると、とてつもない音の洪水が襲ってきた。
「爆音……」
 思わず手の平を耳に当てた。ドラムの音に合わせて、お腹の中心が一緒に振動する程だ。意識せずとも眉間に皺が寄ってしまう。室内は実にシンプルで、安全にスリープモードに入るためのカプセルに、大きなスピーカーが一組。後はほぼまっさらな空間を大きな音が支配している。
「ねえ! ねえ!」
 こちらの事などお構い無しに音と一緒に併走し、くるくる回り、不思議なステップを踏む影に声をかける。が、生半可な音では、周りの爆音に負けてしまって自分ですら声を出しているかどうかも不安になってくる。
「タッ、プ、マ、ンんんんー!」
 あらん限りの声をあげてはみたが、タップマンに聞こえているかは定かではない。圧力のせいか、先ほどから耳に当てている手の平など薄っぺらい紙と同じだ。眉間から出血するのも時間の問題だろう。

「あ」
 ふと、こちらを見たタップマンと目が合った。タップマンは笑い回りながら、私は眉間に皺を増やしながら距離を縮めていく。
「手ぇ出ーして」
 なにがしかのリズムに乗るタップマンに流され手を差し出すと、そのまま引っ張られた。
「わっ!」
 倒れる前に受け止められ、今度は軽く突き飛ばされる。それでも手はしっかり繋いだまま。唐突に始まった事も原因だが、それ以上に動く視点に目が回りそうだ。
「ひっ! ふっ! はっ!」
「何それー」
「こっ、とばっ!」
 喋れない事を伝えたくても、動きの波が許さない。言葉通り、私はタップマンに振り回されている。
「し、ぬ……!」
「イエーイ」
 高速で変わる景色の中に、時たま楽しそうなタップマンが見える。ぐるぐる、ぐるぐる。押されて、引かれて、回されて、しまいには上に放り投げられた。
「うわああああ!」
 床に激突する前にタップマンに受け止められる。そのまま優しく床に降ろされたが、腰が抜けてしまったのか、私はうまく立てない。
「よっと。終わっちゃったねぇ」
 内臓された曲が終わってしまったのだろうか。スピーカーもだんまりを決め込み、先ほどとは打って変わって室内は静寂に包まれている。淋しそうに呟くタップマンとは対照的に私は床に膝をついてぜーぜー言っていた。それでも指先は繋がっているものだから、まるで主にかしづく従者のようである。

 そのうちに穏やかなリズムが室内に精彩を加え始めた。聞いたことのあるようなリズムに私が思案を巡らせていると、タップマンが口を開いた。
「ワルツも嫌いじゃないよ」
 へたり込む私の手を握り直し、もう片方の手を差し延べる。つられて手を取れば、ウインクをされた。出来れば休ませて欲しいが、タップマンの表情を見たら、そうも言ってられない。
「私ステップとか知らないよ」
「大丈夫大丈夫。言う通りに足動かしてみて」
 言葉が終わる前にタップマンが動き出す。
「いち、に、さん。いち、に、さん」
 いち、の部分に比重を置くように、リズムを取る。いつの間にか背中に回されている手に支えられながら足を動かしてみる。
「前、前、後ろ、右、右、左。そうそう。基本はそんな感じ」
「わ、何か踊ってる気がする」
「気がするんじゃなくて、踊ってるの」
 タップマンにリードされながら、部屋の中を行ったり来たりする。相変わらず音量は凄まじいけれど、何故だか先ほどより気にならない。曲が盛り上がればタップマンもそれとなく大きく動くので、自分も大きく動ける。
「楽しい」
「本当?」
「うん!」
 軽い会話だけで、後は言わずとも、顔を見ればお互い楽しんでいるのがよく分かった。少し慣れない三つ打ちのリズムは体が付いていかないが、タップマンのリードがうまいせいだろうか? それも気にならない。ジェットコースターのように気分が高揚する。

 盛り上がって一気に曲が終わりを告げると、少し物足りない気がしてしまった。それはそれで残念な事だけれど、今はそれだけに頭がいっぱいになってはいけない。ミイラ取りがミイラになってはいけないのだ。
「踊るのって楽しいね」
「うん。は筋がいいからきっとすぐ覚えるよ。一人で踊るのも楽しいけど、二人でってのも悪くないね〜。今度また相手してね」
「うん。でも曲のボリュームはもうちょっと小さくしようね。私耳が壊れちゃうかと思った」
「え? あれぐらいじゃないと踊ってるって感じしないじゃん?」
 流れに流されて本題に入った所で、結局の回答である。
「うーん……、でも駄目! 皆に迷惑かかっちゃうから。外から来た時も凄い音がしてたんだよ?」
「うん、……分かった」
 至極残念そうに俯くタップマンから目を背けながら、こんな言葉が口をついて出てしまった。
「二人で踊る時なら、少しの間なら、いいよ」
「え? 本当? いいの?」
「え、ええっと……私の了承を得たならね」
「じゃあ今度は朝まで踊ろう! 楽しいよ!」
「朝まで!? それはちょっと……」
「えー? 楽しいよ?」
 困ったように笑うタップマンにほだされて、後日地獄を見たのは、また別の話。

(おしまい)

menu