ある日のこと、私が自室でのんびりしている時だ。突然変に大きなノックが数回鳴った。ドアノブを捻った先には、クラッシュマンが立っていた。
「おはよう、クラッシュ」
 挨拶代わりに差し出された両腕の先は、他の仲間と変わらない人間のような手になっていた。以前交わした約束を覚えていたのだろう。わざわざ見せにに来てくれたらしい。
「ハンドパーツ」
「本当! ワイリー博士に作ってもらえたんだね!」
 私を見ながら、全く表情を変えないクラッシュマン。だけど、そんな事にはもう慣れてしまった。私は構わず、よかったねと笑いかけた。
「お願いがある」
「うん?」
「体を触らせてくれ」
 また突拍子もない事を言い出したクラッシュマンに、私は微笑んだまま言葉も発せない。
「ハンドパーツに触覚があるんだ。ワイリー博士の体も触らせてもらったし、色んなものを触って情報を集めたい」
「……な、なるほど。他の皆は? もしかして触らせてもらったの?」
「もう触らせてもらった」
 こっくりと頷くクラッシュマン。一時は脳内自分百人会議が開催されかけたが、それも束の間、皆の様子がありありと浮かんで思わず苦笑した。
 きっとワイリー博士なんかは我が子の興味を受け、嬉しそうに情報収集させただろうし、他のDWNやピピ達も同じように触らせてあげたのだろう。何名かは嫌がって喧嘩をしたかもしれないが。そう考えれば微笑ましい事である。
「この前みたいに壊して迷惑かけたくないんだ」
 確かに両手がドリルという事もあり、お皿や部品などを壊してしまう事が多々あった。だが、それは不可抗力とも言えなくない。破壊活動に向いている体で違う事をしようとする方が難しいと言えよう。
「駄目か?」
「――うん、いいよ」
(やましい気持ちがないんだからいい! ……という事にしておこう。でもやっぱ恥ずかしいな)
 私はどうしたらいいか分からず、とりあえずその場で両腕を広げてみる。
「服が邪魔だ」
「え? ぬ、脱いだ方がいいの?」
「ワイリー博士とは人間だからな。その点でロボットとは違う。確実性を増す為と、得られる情報が多い方が俺は嬉しい」
 一見、裸になって触らせろ、という要求を丁寧に言っているだけに聞こえるが、あのクラッシュマンだ。そう言うからには下心など一切なく本当にそうなのだろう。真面目な表情をして言われてしまうと、断り辛い。
「し、下着はつけててもいいかな?」
「できれば外し」
「恥ずかしいの」
 私は視線を逸らして一人で肩を抱く。そのうちにクラッシュマンは瞼を閉じてしまった。何を考えているのか、全く読めない。羞恥心のデータでも検索しているのだろか?
「無理矢理にするつもりはないし、痛くないようにする。嫌ならそれでいい」
 会話だけ聞けば違う行為にも繋がりかねないが、いやらしく感じないのはクラッシュマン相手だからかもしれない。
 大げさに衣擦れの音を立てながらゆっくり洋服を脱ぐ私と、それを見つめるクラッシュマン。もう一人常識人が居れば止めてくれたかもしれないが、今は丁度皆出払っているらしい。運よく誰かが来る事もない。肌が外気に触れると、体が震えた。
 急速に熱くなっていく顔を冷ますように、やけくそ気味に洋服を放り投げる。と、先ほどと同様に両手を広げ部屋の奥へと手招きした。
「っ、はい」
 そして再び両手を広げ、無意識に瞼を閉じる。
(何にも考えなきゃ大丈夫だ、うん。変に反応するから変になるんだ。あれ? 私今下着だけで両手広げてるんだよね。むしろ全裸の方が変じゃないじゃん。変に恥ずかしがるから……あれ? 私が変なの? 変が変なの? もう訳が分からなくなってきた)
 私の頭が頭痛で痛い、そんな状態になり始めたちょうどその時。クラッシュマンの手が肩に触れた。唐突な冷たさに、体が跳ねる。
 這わされる指はおそるおそるといった感じで行き来する。迷っているのだろうか。触るか触らないかの距離で肩から胴体、腰へと手のひらが移動しているように感じた。冷たさも手伝って、ぎこちなさを鮮明にさせる。そうなってくると、温度差以外の原因でも背筋がぞくぞくしてしまい、私の顔は火が出そうなくらい熱くなった。耐え切れなくなって、いっそ鷲掴みでもしてくれ、と口を開く。
「も、もうちょっとちゃんと触らないと……っ、分からないんじゃ、ない?」
 上ずってしまう声をなんとか抑えながらクラッシュマンを促す。
「そうか?」
「うん」
 一旦離れたと思ったら、今度は肩口に確かな感触がした。先ほどとは違い、今度はしっかりと手のひらで覆われている。そのうちに肌が慣れたのか、それとも熱が伝わったのか、冷たさもさほど気にならなくなってきた。
「温かい」
「う、うん」
 今度は肩から腕にかけて形を確かめるように、ぎゅっ、ぎゅっ、と握りながらマッサージのようなストロークが繰り返される。けれど、やはり動きはたどたどしい。肩から胴体に作業が移った時点で、急に恥ずかしくなってきてしまった。
「熱い」
「気に、しないで……!」
 戸惑いながらも、どうにか笑ってみせる。
「っ、……!」
「胸、触ってもいい?」
 ここで私は初めて目を開いた。頭の中で想像していた無表情なクラッシュマンと違い、酷く真剣な瞳と目が合う。
「うん」
 答えて再び目を閉じ、唇を真一文字に結んだ。
(もうここまで来たら突っ走るしかない)
 鎖骨のあたりから二つの手のひらが降りてくる。肩が跳ねる。肌が粟立つ。
「心臓……ちょっと早い」
「びっくりしたから」
「何で」
「私も分からない。けど、心臓って人間の急所でしょ? だからだと思う」
 本当は、この一連の行為が恥ずかしいからです、と言いたかったが、いやらしいと感じているのは自分だけかもしれないと思うと、本当の事が言えなかった。何の外連味もなく真直ぐに行動するクラッシュマン相手に、勝手に羞恥心を抱き、あまつさえおかしな感情が湧き始めている事が汚らしいように思えて、何やら言い知れない気分になる。
(人間ってなんだか嫌な生き物だ)
「く、クラッシュもコアの部分はあまり触られたくないよね? 壊れちゃうから。防衛反応っていうか、あの、……」
 じっと見つめられたかと思えば、ふいに抱きしめられた。しかし力加減が分からないのか、今にも絞め殺す勢いだ。
「いだだだだだ痛い痛い苦しい!」
 叫べば即座に腕が緩められた。
「ごめん」
「大丈夫。力加減が間違っちゃっただけだよね? は、はは……」
 嘘がばれた為の粛清か、はたまた天罰か、私は乾いた笑いを漏らす。だが、クラッシュマンはお構いなしのようで、目の前の感触を確かめるようにまた腕を回してきた。独特のツヤをもつオレンジ色が目の前一杯に広がる。
「人間って――女って柔らかい。丸い。優しい」
 優しい、という形容詞がクラッシュマンの口から飛び出すとは思っていなかった。
「……優しい?」
「間違えば死ぬかもしれない部分をオレの興味の為に触らせてくれたんだ。ワイリー博士もそうだった……。優しい以外に表現する言葉がオレの中では見つからない」
(そこまで考えてなかった……いい方向に捉えてくれてるからいいものの、私って――汚い)
 されるがままだった私も、自らの意思で厚い装甲に腕を回す。そして一呼吸置いてから離れると、ごめんねと呟いた。


後日談。

「この前定期メンテの時に皆でデータ交換したんだが、お前クラッシュと何かしたか? その話題で持ちきりなのに、クラッシュが何にも言わねーんだ」
「へっ?」
 しましたと言わんばかりに声を上ずり、笑顔も引きつる。が、話をする事が最重要なのか、クイックマンは普段との微々たる差に気付いていない。
「ブロックかかってて解析できない部分もあったんだけどよ。の項目が増えてて、身長、」
 そこで我に返って大声を上げた。が、クイックマンは尚も話し続ける。
「わー!」
「体重は、」
「わー!」
「スリーサイズは、」
「駄目ー!!!!!」
「っていう謎のデータが増えてたんだ。身長ぐらいは視覚情報から算出できるんだけどな。他は視覚情報だけだと難しいものもあるんだよなー。何でか分かんねーや。お、もうすぐ二時だから俺は行くぜ。じゃあな」
 音もなく現れ、疾風のように去っていくのは正に彼らしいとも言えるが、今ばかりはクイックマンの性格に救われたと思ってもいいだろう。
「それにしたって……うん、まあいいや……」

 私はそれから数日間、羞恥心という言葉の意味を考えた。そして考えて考えて考えた末に知恵熱を出し、倒れた。そうしたらクラッシュマンがハンドパーツに花を一輪大事そうに持ってきてくれて、知恵熱を出した理由やら、自分の汚さやらにまた申し訳なくなった。
 そしてまたごめんなさい、と聞こえないように言ったのは内緒である。

(おわり)

menu