「子供」 セナの唇がモン太の唇に触れるか触れないかの所で止まると、じれったいのだろう、モン太の方からそのまま重ねてしまい、ほんの少しだけ高い身長が、ピクン、と揺れる。しかし一旦触れると今度はこちらの欲求が止まらなくなり、激しく息をするように吸い付けば、却ってモン太の方が酸素を求めて顔を逸らす。 「ごめん…」 「いや、俺こそ…」 休日の夕方、無人の教室内では、蛍光灯の光の下に二人の恥じらいがはっきりと表れて、照れ笑いの頬には赤い色がうっすらと浮かんでいた。 モン太が教室に行きたがったのは、土曜日の練習が終わり、帰り支度が終わった時だった。月曜日までに提出のプリントを昨日忘れたと言って、黒木達が揶揄う声をあしらいつつ、セナとの歩みを校門にではなく校舎に向けたのだ。 部活の生徒の為に扉は開けられていて、人気のない校舎へは簡単に入ることが出来る。入学して数ヶ月、こんなにも人のいない泥門高校は初めてかもしれない。喋り声が鉄筋コンクリートの壁に反射して、自分達二人だけの世界に思える。他の運動部ももう練習を止め、音を立てる者のない空間では、それが満更空想とも言い切れない。 普段なら例えモン太がいようとも、他のクラスに入るのには僅かとは言え抵抗を感じていたセナとて、この空気では流石にあっさりとモン太と一緒に教室へ入る。少々乱れた机の列の右端、一番後ろがモン太の席だった。五十音順で雷門では、どうしたって後になる。 「モン太のクラスはまだ席替えしてないんだ」 「おー。お前んトコはもうしたのか?」 「ちょっと前に」 「俺はして欲しくねーな」 「ここなら寝れるよね」 「まあ俺ならチョーク投げられてもキャッチマックスだけどな!」 机の中から既に汚い折り目が何本も付いたプリントを引っ張り出したモン太が、お得意の台詞を言いながら格好を付ける姿は、自信満々で微笑ましくて、つい笑顔になってしまう。 その笑いが収まるのと、モン太が普通の顔に戻るのとは、ほぼ同時だった。そうして生まれる一瞬の隙が、急にセナのもう一つの顔を刺激する。誰もいない空間は、まだ告白してからそう時間が経っていない二人にとって、最適な場所であった。下校時間まではまだ少しだけ余裕があるから、教師や警備員が来る気遣いもない。 「え…っと」 「どうした、セナ」 「目、閉じて」 唐突な申し出は、しかし内心似たようなことを思っていたのであろうか、モン太にも直ぐに意図が掴めるもので、雑談を出そうとしていた舌を引っ込め、静かに目を閉じた。 慣れない心と逸る心が混じり合った高校生には、キスは一つの目標でもあり、また出発点でもある。何度してもその度に心臓は動きを強めてしまうが、最近では顔はしっかりと見られるようになった。セナには、じっと見られる視線が熱くてしょうがない。しかし自分の視線もまた、モン太に同じ感情を与えていることを知っているだけに、逸らすことは出来ない。 先に動いたのはモン太だった。ぎゅっと手を握ると、ぐっとセナに身を寄せる。思わず押された形になったセナは、ドアにもたれ掛かってモン太を受け入れる。自分よりも大きくて、鍛えられている掌は、包み込むようにして自分の右手に密着し、汗が生温い。唇の感触自体は一瞬だったが、感触はじわりと残って、それがなお握られる手と共振し、セナの気持ちを揺さぶる。二回続けてキスしたのは、初めてだった。 「帰ろうぜ!」 通学鞄をもう片方の手でひっ掴んだモン太は、今度こそ視線に耐えられず、セナの瞳が真っ直ぐ自分を向くのを無視して、廊下に飛び出てしまう。半歩遅れる形になるセナは、何も言えずに従うしかなかった。ボール以上にしっかりと掴まれた手が、少々痛かった。 平成十八年丙戌八月二十一日公開 |