「写真」 カーテンも閉まった深夜の部屋に、何憚るものが有るだろうか。もし有るとすればそれは、所謂良心というものなのかもしれない。制止も出来ない貧弱なものだが、チクチクと痛みを生む位には頑張っている。いっそ毎晩の悪癖を捨てさせる程の力が有れば良いのに。 セナはこう思いながらも、胸の疼きに結局負けると、今日も布団の中で一枚の写真を掴んだ。最初は寧ろ心地良く、微笑が零れる行為だったのに、今では布団に入る際につい溜息を吐いてしまう様な悪徳となったこと。そしてやらないでいることがもう難しいこと。それを今日も始める。 机の中にこっそり隠していた写真を手にして、まずは胸に押し当てる。パジャマの布地越しにも、体の熱は伝わってくる。本来持つべきではない感情が、また膨らんでいることを再確認出来た。そして、手を今度は顔にまで上げると、写真の中にいる自分の、隣の顔に、桜色の唇を近付ける。皮肉なもので、その瞬間味わう無機質さにのみ、ぼおっとした頭は冷やされるのだ。 「また今日もやっちゃった……」 俗に言う小鳥のそれの様な軽い口付けによって、生まれるのは少しの幸せと多くの後悔。好きな人を、例えそれが偽物だとしても、抱き締めてキス出来るのは嬉しいことだし、とても大切な親友を、非常識な恋によって汚すのは悲しいことだった。 セナはじっと写真を見る。そして、しばし写真を顔から近付けたり遠ざけたりして躊躇った後、もう一回触れると、直ぐに布団から抜け出して写真を仕舞い込んだ。これ以上見続けていたら、最後の一線を超えてしまいそうだった。 それだけはいけない、とセナは欲望を覚えた一週間前から毎日、自分を戒めている。最初はちょっとした心の弾みで始めた、写真へのキスが、罪として意識され始めたのも同じ時だった。若い精神はいつまでも恋と友情との未分化状態を許してくれず、肉欲という明確な意識で以て、セナの感情を恋愛とした。その結果が普通ではない片思いに、自分自身を責める今の状況である。 それでも、まだ肉欲を形にしていないだけまだマシだった。セナはどんなに下腹部が熱を持っても、想像したり写真を使ったりはしたくなかった。何せ今ですら、時々恥ずかしくなって視線を逸らしてしまうことがあるのだ。まして欲望の対象として形にしてしまったら、恐らく自分は彼を見られないだろう。 だから、キスをしたら急いで片付けてしまう。そうでないと膨らんだ欲望がセナの僅かな良心すら叩きのめしてしまう。 自分が恨めしかった。どうして、ただ単に好きなだけでは駄目だったのだろうか。仲良く一緒にいたいと願うだけなら、恐らく自分の望みは叶っていたのに。それとは別種の親しさを求めてしまったばっかりに、急に相手と会いたくなって、何度も携帯電話のアドレスを見たり、相手からの雑談のメールを何度も見てしまう。その癖いざ翌朝一緒に学校へ行くと、自分の感情が申し訳なくてつい口籠もってしまいさえする。それで心配されると、その時は純粋にすまなく思っていたのに、その日の夜には良かったこととして思い起こされる。 「……駄目だ」 セナはそう呟くと、今日も昨晩と同じ結果であったことに無力感を感じながら、布団から這い出る。横になっても考えるのは相手のことばかりで、身体の疲れに応じて頭も眠らせられないのは、悩みの所為も有るが、共寝するものが無いのも一因だった。先程の写真だ。枕の下に敷いて、復横になる。これもいつものことだった。一度写真を敷いてしまったら、もう相手との夢を逃したくなくて、一旦仕舞っては出してしまう。 現実で会えないから夢で会いたい、なんて可愛いものではない。現実でも、あと数時間もすれば、朝から元気な声で自分の名を呼んでくれるだろう。自分が願うのは、もっと欲張りで、汚れた夢。二人恋人となって一緒に遊び、最後にキスして貰うという夢だ。まだ見てはいないが、見たいし、見たくない。さぞかし熱いキスだろうなと期待してしまっていると同時に、その次を思う自分が嫌だからだった。 「モン太」 皮膚の下では、思いが渦巻いて、つい口から名前が零れる。最後の一線を支えるのも、もう難しかった。 平成十九年丁亥三月十二日公開 |