もう一つの贈り物



 夏場は烏の行水で済ませていた風呂も、師走の中頃ともなれば寒さも募り、少しは湯舟の中で温まりたくなる。そこで気の向くままに伸びをすれば、冷え疲れた体も解れ、ゆったりとした気持ちになる。そうしてぼんやりするまま、広くは無い天井を見ていると、モン太は不意に悩みが有る事を思い出した。忙しさや寒さにかまけてついつい忘れてしまうとは言え、一月位前からの、決して小さくは無い悩み。セナへの誕生日プレゼントを何にするかを、また考え出したのだ。
 そもそも男が高校生ともなれば、他人に物を贈るなどと云う事は滅多に無い、とモン太は思っている。ただこれがセナの誕生日ともなれば話は別で、一概にそうとも決められない。なにせ好いた惚れたの仲になっているのだ。やはり好きな相手には何か贈りたいし、ましてそれが両想いの恋人なら尚更である。
「恋人かぁ」
恋に恋するとまでは行かずとも、年相応かはたまた今時にしてはやや初心なのか、その響きは六分の照れに四分の意気と、言葉自体を楽しんでいる。
 しかし改めて口にしてみると、どうも意識してしまう。告白したのはセナで、まだモン太が自分に芽生えていたものに気付かないうちに、腹を括ったのか少なくとも外見上はあっさりして見える様に、言ってきた。そこで話が通じた時に、セナが逆に戸惑いながらも頬に落とした口付けは、今も唯一の好きの意味の裏付けとして、モン太の記憶に残っている。
「……そういや、あれ一回きりか」
された場所に触れてみる。あの後顔を合わせ続けるのが耐えられず、家に帰ってしまい、それ以降言葉こそ時折はただの仲良しを超えたものを交わすとしても、それだけだった。
「あん時さっさとこっちからいっちまえばなー」
安楽にしていると気も大きくなるもので、その時の自分を今更の如く悔しがる。秋の夜にセナの家で想いを告げられた時は、到底モン太にその様な余裕が有る筈も無く、翌日悶々として調子の出ない所を、目聡いヒル魔に察せられて青くなった事は、都合良く記憶の奥底にしまいこまれてしまったらしい。
「今からでも取り返さねえと」
では一体付き合っている者同士がやる事と言えば、と考えてみると、改めて思い付く事は意外と無い。何処かへ行くのはこの時期無理だし、家の中で出来て、且つ好きな者同士でしかやらない事。春を思う時期であれば、欲望は人並みに有り、そうすると身体に触れる方へ考えが行くのは止むを得ない。しかも気が大きくなっているだけに、ただの口付けだけでは済まなくなってきている。風呂場から上がる頃には、やる気マックス、と得意の台詞も揚々と、色々と決意も固まっていた。

 しかし一晩寝て登校する段になり、早朝の冷気に吹かれてみると、どうにも気恥ずかしすぎる。果たして言えるのかと言えば、誘う所かそもそもそんな行為を共にすると想像しただけで口が動かない。まだ、唇同士の重ね合いですら胸を動かし意が揺れる関係なのだ。
「……なあ、セナ」
「何?」
「お前、誕生日に何が欲しい」
そして結局は、セナに訊いてしまう。モン太としては聞かずに突然あげたかったのだが、思いついた案は無理で、他に良い案も出ず、日もそう無いときては、直接当たるしかない。
「え?」
「だから、お前の誕生日。もうすぐだろ」
寒さでほんのり鼻頭が赤いセナの顔が、不思議そうにモン太を見る。その反応こそ不思議だとばかりに言葉を継がれ、漸く合点がいくと即座に、なんでもいいよ、と返した。
「それは無しだろ」
「でも、別に思いつかないし」
それに、と前を向き直して、嬉しそうに言い続ける。
「家族とまもり姉ちゃん以外から貰うの、初めてだから」
くれるなら何でもいいよと、その言葉が本当に嬉しそうであるからこそ、却ってモン太の心には、外風の寒さとは正反対の、熱いものがぐっと湧き上がる。
「いいから、帰りには教えろよ」
強い語調で締めてしまい、後は今日の練習はどんなものかなどと、些か強引に話を変えたのは、その寂しい記憶から早く離れたいからだった。

 当日、小早川家に招かれたモン太は、夕食の席に混じると、先に上がっていてと言われ、一足先にセナの自室に引っ込んでいた。夕方一旦居た際に置いていた荷物から、あの日帰り道で頼まれた品物を取り出す。思ってもいなかった答にえっ、と驚かれて、慌てて取り消しかけたのを、押し留めて決めた贈り物。
「――これだけってのもな」
しかし幾ら希望の品とは言え、どうにも晴れやかではなく、希望なのだからと思っても、寂しい。
「まさか気を使ったとか……?」
疑問の形ではあるものの、実際は疑いも強く、違うものも添えられればと、今更ながらに悩んでしまう。すると思い浮かぶのは、前に風呂でついつい浮かんでしまった決意で、一晩経って冷気に吹かれれば覚めてしまったものが、今復た今度は疑惑の熱で蘇ってくる。
 ふと名前を呼ばれ、ぐるぐると巡る思考から戻ると、ビニール袋を前に難しい顔のモン太を、何があったのかと見ていたセナが、そこにいた。
「ど、どうしたの?」
「いや、なんでもない、なんでも」
それならいいけど、と向かい合わせに座るセナに、モン太は今更考えてもしょうがない、と頭を切り替えて、贈り物を取り出す。ただ疑いは消しきれず、これでいいのか、とは聞いてしまう。
「お前も好きだとは限らないし」
 そこにあるのは、モン太が好きなCDだった。好きと言うだけあって、幾度と無く聴いたのであろう、既に歌
詞カードもボロボロで、全体がくたびれている。だがセナはそんな事を気にする様子も無く、にこにことしてありがとう、と受け取ると、机に置く。
「知ってるか?」
「名前ぐらいは」
趣味が合う訳でもない、名前程度しか知らない歌手のCDなのに、セナの機嫌はとても良い。贈り物は気持ちが大事と言うと雖も、そう上機嫌にされては寧ろ申し訳なくなってしまう。
「やっぱ新品の方が良かっただろ」
その気持ちのままに、モン太は何気なく言う。
 しかし帰ってきたのは予想外に強い、いや、と云う言葉だった。
「遠慮すんなって」
「してないよ」
セナは言葉の断固とした調子に相応しい目付きで、じっと向かい合う顔を見ている。
「モン太がずっと持ってたってのが大事なんだ」
「……それ、どういう意味だよ」
「一緒に居られる気がするから」
意味を尋ねるのには勇気が要るが、理由を答えるのには更なる勇気が入用で、それを言われる方はまたまた勇気を動員しなければならない。そしてモン太が、仮にも好きな者からの言葉の凄さに反応出来ないでいると、セナは踏ん切りがついて勢いに乗ったのか、澱みもせずにきっぱり言い放つ。
「モン太が好きでずっと聴いてたやつなら、それを聴いてれば、会えない時でも一緒みたいだから、これがいい」
恥ずかしがるのも頭になく、今はもう思いを一気に述べてしまえと、言葉は続く。
「それに、僕が一番のCDを持ってれば、それを聴きにもっと家へ来るだろうし」
 言い終わると、もうどうしていいやら、黙ったまま視線だけを相手に注ぐ。しかしその沈黙は長くは続かず、モン太は何の前触れも無く唇と唇を重ねた。一気に言いたい事を口にしたセナは、ぼんやりと受けるがままで、乾燥と緊張とで暑く且つざらついていた感触が離れてから、漸く驚いた風に目を大きくした。
「何恥ずかしい事言ってんだよ」
「モン太こそ、何やってるの」
「…もう一個、誕生日プレゼント」
「えぇっ?」
その驚きの一声に、モン太の顔はさあっと赤くなると、いいだろ、と自棄気味に言い捨てる。固よりしようと決めていた訳では無いのに、セナの言葉に浮かされて、ついやってしまったのだ。今になって、やはり恥ずかしくてしょうがない。
「別に、ふ、普通だろ。お前だって……」
「僕もそうだけど、そうだけど」
セナはセナで、どうしようもない理由を言ってしまい、同じ様に混乱してしまっている。二人とも互いの言葉がそのまま刺さる気持ちで、居たたまれずに終には何も言えなくなってしまった。

 だからと言ってずっと黙っている訳にもいかず、特にモン太がそうしていられなかった。
「俺は、お前とその……色々したいからな。キスだって何だって」
だから今日もしたんだと、敢えて傷口も晒す勢いで、セナに告げる。
「僕だって、モン太と一緒にいて、それで……」
そう来られると返さずにはおれず、そして返すからには、セナの言葉にも力が入っている。
「じゃあ、お前の家に来て、それで色々すりゃいいんだな、うん」
人間、混乱を過ぎると妙なやる気と言うか、一種開き直りの様な気分が出てくるもので、モン太はやる気マックス、と似つかわしいのか似つかわしくないのか、元気な決め台詞を吐くし、セナはセナで、うんうんと、はっきり頷いていた。
 「そしたら、まずはとりあえず、もう一回な」
その言葉に、今度はセナの方から唇を寄せると、再び熱と熱とを重ね合わせた。相変わらず緊張は甚だしかったが、前とは違って、相手の味を感じた気がした。





平成十八年丙戌三月二十九日公開