新婦控え室 −戸田 美菜 様−
もう、ここ1週間ほどマトモに眠れていない気がする。 今日、この日を迎えるのが待ち遠しくて、待ち遠しくて。 昨日なんて、お肌の調子とかにも影響が出るから、絶対早く寝なきゃ!って思ってたんだけど、やっぱり全然眠れなかった。 化粧のノリとか悪いかもしれない… 美菜は、自分の周りを忙しそうに動き回る係員たちに気を遣いながら、視線を目の前の鏡に移す。 「今日の花嫁さんは、ホントに可愛らしいわ。お肌とかのキメも細かくて、化粧のノリもバッチリ♪ ヘアメイク担当の係員が、美菜の様子に気付いてか、そんな言葉と共にニッコリと鏡越しに微笑んでくる。 「そっ、そんなっ…惚れ直すだなんて…」 美菜は、その言葉に頬を赤く染めながら、肩をすくめて大袈裟なほどに首を振る。 その美菜の可愛らしい仕草に係員は思わず、ぷっと噴出し、彼女の両肩にポンと手を置いた。 「クスクス。ホントよ?今日は貴方が主役なんだから、堂々と胸張って、『私が一番!』って思わなくちゃ。本当に凄く綺麗。だから自信持って?」 「そんな…自信なんて…」 …ないです。と、美菜の口から零れる前に、別の係員が声をかけてきた。 「さぁ。ヘアスタイルもメイクもバッチリ決まったところで、仕上げにかかりましょうか」
ここの式場は、1日に限定2組しか挙式をあげないスタイル。 厳かな式場の雰囲気と美味しい料理と、このスタイルが気に入ってここで式を挙げることに決めた2人。 2組限定のスタイルとあって、午前に1組、午後にもう一組の挙式が行われる。 午前で挙式を押さえた美菜たちの他に、当然のことながら挙式をあげるカップルは無く、係員たちは、今日は付きっ切りで美菜たちに対応してくれていた。 段取りや打ち合わせなど、事細かに丁寧に対応してくれるこの場所に決めてよかったね、と、昨日の晩に修吾と電話で話していたところだ。
美菜は係員の指示に従い、ペチコートをはいて、真っ白なウエディングドレスを身に纏う。 グッとウエストラインが締まって気持ちまでが引き締まったかのよう。 そうこうしている間にも、刻々と挙式までの時間が迫っているワケで、自ずと美菜の鼓動が高ぶる。 はぁ…どうしよう。すごい緊張してきたぁぁ… ふぅぅ。と、震える息を吐く美菜に、係員は、クスクス。と、小さく笑いながら、さっさっ、と、掌でドレスの裾を整えていく。 「クスクス。緊張されてます?」 「もっ…すごい。緊張しすぎて、口から心臓が出てきそうです…」 「うふふ。大抵の花嫁さんはそう仰いますね。でも、そんなに緊張されなくても大丈夫ですよ?何かあれば私たちがフォローしますし、来て下さる方たちもお2人を祝福しに来てくださるんだから。何があっても大丈夫!今日は楽しみましょう」 「そう…ですよね…」 何があっても… 私の場合、本当にありそうだから怖いんですが… 美菜は、一抹の不安を抱きつつ、ふぅ。と、もう一度息を吐いた。 「さて。ドレスも着終わりましたし、もう一度その椅子に座っていただけますか?ベールをお着けいたしますね」 「あ、はい」 係員のフォローを受けながら、美菜は、もう一度大きな鏡の前の椅子に腰をおろす。 やはり自分のドレス姿を目の当たりにすると、自然に口から感嘆のため息が洩れる。 馬子にも衣装…とは、こういう事を言うのだろうか。 「ね?すっごく素敵な花嫁さんでしょう?」 先ほどのヘアメイク担当の係員が、再度美菜の背後に立ち、そう言ってニッコリ笑いながら軽くセットを整え、頭にベールを着ける作業に取り掛かる。 美菜は、それにどう答えていいものやら、曖昧に照れ笑いを浮かべた。
「うふふっ。はい!ヘアメイクもドレスもバッチリ!!どう?」 「わぁ!ありがとうございます。なんか…自分じゃないみたいに可愛く仕上げてもらって」 「それはモトがいいからよ?じゃなきゃこんなにバッチリ決まらないもの。今日は、すごくやりがいがあったわ。私の担当させてもらった花嫁さんの中でも一番の力作♪うん。すっごく素敵」 「そっ、そんな、そんな。あ、ありがとうございます」 係員の言葉に気恥ずかしさも混じって、頬を染めながら照れ笑いを浮かべる。 と、ちょうどそこへ、トントン。と、控え室のドアを叩く音が部屋に響いた。 はい。と、そのヘアスタイル担当の係員が返事をすると、また別の従業員が、ひょっこりと顔を出す。 「新婦さまのご準備はいかがですか?」 「ご覧の通り。もう、バッチリですよ♪」 係員は美菜を振り返り、そんな言葉と共にウインクをしてみせる。 また更に美菜は頬を染めて、恥ずかしそうに肩をすくめた。 「わぁ。すっごく素敵!!うふふ。新郎さまがね、先ほどから外でお待ちなんですよ。もう、入っていただいても構いませんよね?」 「えぇ、もちろん。……楽しみね、新郎さんの反応」 最後は美菜にだけ聞こえるようにコッソリと囁くと、いたずらっ子のように、ニコッと笑った。 新郎さんの反応… 先ほどまでの、胸の高鳴りとはまた異なった鼓動が、美菜の胸を、トクットクッ。と、打つ。 この姿を見て、修吾君は何て言ってくれるだろう。 どんな反応をしてくれるのかな…
隣にいた係員が、美菜の元を離れると同じくして、ドアの向こう側からゆっくりと姿を見せる、本日のもう一人の主役である修吾。 真っ白なタキシードに身を包み、今日は普段とは違う髪型に弄っているせいか、更に精悍さを漂わせている。 カッコいい… ほわぁ。というため息と共に、この言葉しか美菜の頭には浮かばなかった。 いや、しかし。この姿を見たもの全てが納得させられるこの言葉。 その容姿はどこかの貴公子さながらで、誰もがうっとりとため息を漏らすほど。 今日のこの挙式の担当をする女性従業員たちが、全員ハイテンションだったのは言うまでも無い。 暫しの間その姿に見惚れていた美菜は、ドア付近で立ったまま修吾が無言であることに気付くのが遅れてしまった。 「あ…の。修吾…クン?」 美菜は黙り込んでいる修吾に、この自分の姿に幻滅でもされてしまったのだろうか、と、不安を覚え、窺うように小声で問いかける。 修吾はそれに、ハッと、我に返ったように優しく微笑むと、そのまま美菜の元へと足を運んだ。
美菜にとって今日が待ち望んでいた日であったように、修吾にとっても待ちに待ったこの日。 修吾らしからず、彼もここ数日は自分の異様なほどの胸の高ぶりを感じずにはいられなかった。 昨日なんて特に…。 逸る気持ちを抑えて自分の準備を済ませ、ドアの袖で美菜の支度が整うまでを待つ。 美菜の衣装選びには、必ずと言っていいほどついていって、最終まで一緒になって悩んで悩んで決めた彼女のウエディングドレス。 仮の衣装合わせの時でさえ、顔の綻びを抑えることができなかった。 だから今日、この晴れ舞台の日に、正式に花嫁として見る美菜の姿に、自分はどこまで自制を保っていられるか…正直不安なところでもあった。 暫く待ったところで、従業員の手によって開かれた控え室のドア。 そこに足を踏み入れた途端、ほのかに甘いアロマの香りが修吾の鼻を、ふわっと、くすぐる。 そして、窓から差し込む明るい陽の光に目を細めつつ、視界に映った美菜の姿に、一瞬にして言葉を奪われた。 真っ白な純白のウエディングドレスで身を包み、窓から差し込む優しい光のヴェールに包まれて、普段とは少し違う化粧、普段とは違った髪形の美菜がいる。 暫くの間、その姿に見入っていた修吾は、美菜の声に現実へ引き戻された。 不安そうな表情で自分を見上げる美菜の様子に、思わず笑みが洩れてくる。 きっと俺が何も言わずに立ってるもんだから、不安になってるんだろうな…。 修吾は、あえてすぐに返事はせずに、微笑んだまま美菜に歩み寄る。 美菜の視線は近づいてくる修吾を追い、表情は不安そうなまま変わらない。 修吾が美菜の元にたどり着いた辺りで、従業員から遠慮がちに声がかかった。 「新郎さま…もう暫くいたしましたらチャペルへと行っていただき、簡単な段取りを説明させていただきます。お時間が参りましたらお声をかけさせていただきますね。何かございましたら外の者に声をかけてください」 「わかりました。ありがとうございます」 修吾は、従業員全員がドアの向こうへと姿を消すのを見届けてから美菜に向き直り、ふっと笑みを漏らして、彼女の隣りに置かれた椅子に腰掛ける。 「美菜…とうとう来ちゃったね、今日」 「ん…」 「緊張してる?」 そう囁き、腕を伸ばして美菜の頬を指の背で撫でると、彼女がフッと目を閉じる。 「もぉ、すっごく…」 「そっか。俺と一緒だね」 「クスクス。修吾君も緊張してるの?」 「もー。バックバク。口から心臓が出てきそう…」 美菜の不安が入り混じったそれとは少し違うけれど、こう言ったほうが彼女も安心するだろうと思って、修吾はそう少しおどけてみせる。 「あははっ!私と同じこと言ってる。クスクス…そっか。修吾君も緊張してるんだ?なんか…ちょっと安心」 「クスクス。安心した?俺も…美菜の笑顔が見れて安心した」 「…へ?」 修吾の言葉の意味がすぐに理解できずに、美菜はきょとんと可愛らしく首を傾げた。 先ほどの修吾の様子に、美菜が自身の姿に不安を抱いてしまったのは、彼女の表情で彼にはすぐに分かった。 だから、すぐにでも自分の言葉で安心させてやりたかったけれど… 誰かのいる場所で言うのではなく、2人きりの時に言いたかった言葉――――
「美菜…綺麗だよ。ホントに…凄く綺麗」
「修吾く…ん」 頬に手を添えたまま、真っ直ぐに美菜と視線を交わし、そう微笑み囁く。 それまで不安そうだった美菜の表情が、瞬く間に嬉しそうな表情に変わる。 いつだってそうだった。修吾からの言葉は美菜にとって、絶対的な威力を放つ。 誰に言われるよりも、何倍も、何十倍も、何千倍にも… それでもどこか不安は残るわけで。 「ホントに?おかしくない??」 なんて、ついつい口から漏れてしまう。 「クスクス。自信ないの?」 「自信なんて全然ないよぉ。修吾君なんてバッチリ着こなしちゃってるのに、なんか私はドレスに着せられてるって感じで…」 「そう?俺はここに入った途端、見惚れちゃったけど?」 「え…見惚れてくれたの?」 あの沈黙の時間はそういうことだったのか、と、やっと美菜も理解すると、思わず嬉しくて顔から笑みがこぼれる。 「当たり前でしょ?目の前にこんな綺麗な花嫁が現れたら誰だって見惚れるよ。なんか…みんなの前に出したくない気分」 スッと笑顔を引っ込めて、急に真顔でそんな事を言う修吾に戸惑ってしまう。 美菜は、修吾からの熱い視線に頬を紅く染め、照れ隠しにポンポンと軽く彼の腕を叩く。 「そっ、そんな。大袈裟だよ…」 「本気だけど?このまま2人きりで挙式をあげたくなった」 2人きりでって…ご招待しているみんなはもう集まってくれてるのに? どこまで本気なんだろう。 相変わらず、真顔でそんなことを言ってくるもんだから、美菜はどこまで本気と取っていいのかわからなくなる。 「そんな今更…いっぱいご招待してるのに…」 「あははっ!まあ…今からじゃそれは無理なのは分かってるけどね」 「もー。真顔で言うから本気かと思ってびっくりしたでしょ?」 「だから、本気は本気だって」 いや、だから…
「でも、美菜はこのドレスに決めて正解だったね。すごくよく似合ってる」 修吾は改めて美菜のドレス姿に視線を通し、満足げにニッコリと微笑む。 「えへへ。すっごく迷ったもんね?あのマーメイド調のドレスも捨てがたかったんだけど… 「うん、正解。確かに、あのマーメイドのドレスも凄く似合ってたけどね。美菜の雰囲気は、こんなふわふわっとしたドレスの方が似合ってるよ」 最終的に残ったドレスの候補が、今着ているふわふわとレースがふんだんにあしらわれたドレスと、もう一つ、タイトなマーメイド調の少し大人びたドレス。 どちらも着てみれば美菜によく似合っていたけれど、修吾の最終的な意見でこのウエディングドレスに決定した。 女の子なら、一生に一度は着てみたい、純白のウエディングドレス。 美菜は、それに袖を通すだけでもご満悦なので、結局のところ、修吾が気に入ってくれたドレスを着ることが一番の悦びでもあったりする。 美菜は、ニコニコと笑みを浮かべながら、そのレースがふんだんにあしらわれたドレスに視線を滑らせる。 「あれ?美菜、つけ睫毛とかしてる?」 「え?あ、うん。なんかね、係員の人から、涙腺ゆるい?って聞かれたから、はい。って答えたら、じゃあ、パンダ目になっちゃうと大変だからつけ睫毛にしようねって」 「あははっ!そっか。確かに…式の間中、美菜は泣いてそうだもんね?」 「むぅぅ。そんなことは……」 ……あるかもしれない。 「でも、つけ睫毛にするだけでも随分と表情が違ってくるんだね?」 「そうかなぁ。でも、自分でも凄く違和感があるよ?」 「そうなの?」 「うん。だって、こうして前を見てるだけでも、睫毛の黒いのが見えてるんだもん。なんか… 「確かに。…クスクス。瞬きしたら風がきそう」 修吾の言葉に、美菜は、彼の方に体を寄せて、細かく瞬きをしながら、風いく?と、笑うと、お!来る来る。と、彼もまた、体を寄せて笑いながら返してくる。 そうして僅かながらも2人で和やかな時間を過ごしていると、コンコン。と、ドアを叩く音が部屋に響き、僅かに開かれた隙間から、声だけが2人の耳に届いた。
「新郎さま、新婦さま。そろそろお時間でございます。ご準備はいかがでしょうか?」
「はい。大丈夫ですよ。このまま彼女と一緒に出たらいいですか?」 修吾は、スッと体を元の位置に戻し、ドアの向こうの従業員へと返事を返す。 「はい、それで結構ですよ。新婦さまは、ドレスで大変足元が見づらくなっておりますので、新郎さま…しっかりとサポートをしてあげてくださいね」 「クスクス。サポートですね?大丈夫ですよ、慣れてますから」 そう、少し意地悪く微笑みながら、返事はドアの向こうに返し、顔は美菜に向けた。 ………うぐぐ。何も言い返せない。 美菜は可愛らしく、プクッと少し頬を膨らませた。
「じゃあ、美菜…行こうか」 先に修吾が立ち上がり、そう言って美菜に手を差し出す。 「はい…」 少しはにかみながら、美菜は差し出された彼の手に自分の手をそっと重ね、修吾に助けられながら立ち上がる。 修吾は、美菜の事を気遣いながら、ゆっくりゆっくりと歩を進めた。 彼女が躓いて転んでしまわないように…いつものように、いや、いつも以上に、キュッと美菜の手を握り締めながら。
ちょうどドアの少し手前で修吾は足を止めると、スッと美菜の手を引き体を抱き寄せる。 「ひゃっ!?しゅっ…修吾君??」
やっぱり、最大限の自制心を働かせても、美菜に触れたい衝動は抑えきれない。 誓いのキスまでもうあとほんの少し… だけど、せめてこれくらいなら………きっと許される、よね?
「愛してるよ…美菜。誓いのキスまで唇はオアズケだから…」
そう言って、軽く美菜の頬に唇を寄せると、チュッと音を立ててキスを落とした――――。
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