――――アイツは……里悠は俺のオンナだ
蒼斗先輩が放った爆弾発言は、一日にしてこの学校内で知らない者はいないほどに瞬く間に広がった。
そりゃそうだろう。
あれほどの容姿を持っていながら今まで一度も浮いた話がなかったのに、突然、名前も知らない地味な一年生が “桜坂蒼斗のオンナ” として浮上したのだ。 無理もない。
右を見ても左を見ても、朝から夕方までその話題で持ちきり。
後ろ指をさされたり、時には教室にまでやってきて私をわざわざ見に来る人もいたりして。
きっとみんな私が蒼斗先輩と付き合っているんだって思ってる。
本当はそうじゃないのに。 ただのマスコットってだけなのに。
なんだって急にこんな事になったんだ……。
先輩のあの言葉もまだ自分の中で整理出来ていないのに、更に追い討ちをかけるようにこんな事態が起こってしまうなんて。
蒼斗先輩の考えていることがわからない。
ここ最近の先輩の変化や言動に全くついていけてない。
この噂についても朝一番に理恵ちゃんから聞かされて、慌ててコッソリと先輩に電話を入れたのに、返ってきた反応は意外なもので――――。
『―――― あぁ、俺とおまえが付き合ってるって噂だろ? 知ってるよ。だから何?』
「え……だから何って……」
『別に騒ぐほどの事でもねえだろ。ま、こんなに早く噂がまわるとは思ってなかったけどな? さすが、口軽新田……言いふらしてるみたいだな』
と、先輩はまるでこの状況を楽しんでいるように、クククッ。と、おかしそうに笑う。
その様子に意表をつかれた私は、どう反応していいのかわからなくなっていた。
『で? 用件はそれだけ?』
「それだけって……それだけですけど、でもこんな噂が広まったら……」
『別にいいんじゃね? 言いたいヤツには言わしとけば』
「でっ、でもっ!!」
『あのさぁ、一つ聞くけど……俺が言ったケジメの意味、おまえまだわかってねえだろ』
「え……それは……はぁ、まあ……」
『はぁ、まあって、気の抜けたような声出しやがって。ったく、おまえの鈍さは筋金入りだな……呆れてものも言えねえわ』
「そんなぁ」
『まあ、それは近いうちにハッキリとわからせてやるから、とりあえずおまえは誰かに俺と付き合ってるのかって聞かれたら、そうだって言っときゃいいんだよ。あと、首筋についてるモンも俺からつけられたんだって言え』
いいな? と、耳に届いたときには既に電話は切られていた。
いつも勝手で強引なのはわかっているしもう慣れっこだけど、これには少し面食らった。
付き合ってるって言っときゃいいって、そんな簡単に言われても、はい、わかりました。って、素直に呑み込めるものじゃない。
だって私は先輩のマスコットであって、決して先輩のオンナじゃないもん。
それが大前提として常に私の頭の中にあるから、どうしてもこの状況を呑み込めなかった。
そもそも最初にそう言ったのも、この関係がバレないようにと細心の注意を払わせたのも他でもない先輩だったのに……。
だけど、先輩が言えと言った以上、私はそうだと言うしかない。
先輩の言葉は絶対で、逆らえないものだから。
一体なにがどうなってるんだろう。
色んな噂が飛び交う中、一番この話題に乗れていなかったのは他でもないこの私だったと思う。
「まったく。里悠も酷いわよね。桜坂先輩とのこと、ずっと私に隠していたなんて」
「いや……それは、その……スイマセン」
「でも、これで納得が出来たわ。里悠が変わったワケ。そりゃ、あんな素敵な先輩と付き合いはじめたんだから綺麗にもなるわよねぇ?」
「なははは……」
「その首筋の絆創膏の下に隠れてるものもアレでしょ? キスマーク。先輩につけられたんだ? 結構派手につけられたわね。はみ出してるわよ?」
「え? あっ、あぁ〜……うん……」
「やん、もう! ラブラブじゃな〜い♪ そっかぁ。里悠も遂にオンナになったのねぇ。はあぁ、あの何にも知らなかった里悠が……うんうん、素敵素敵! でも桜坂先輩って、そんなに独占欲強いんだ? 里悠ってば愛されてるじゃな〜い」
「え……独占欲?」
「そうよ? それは独占欲のア・カ・シ。このオンナは俺のものだって主張したいのよ、オトコって。他の男に取られないように目立つところにわざわざつけたりしてね。そのはみ出してる部分の色からすると、相当強い力で吸われちゃったのねぇ」
よっぽど独占欲が強いのかしら? と、楽しそうに笑う理恵ちゃんの様子を、私はなんとなくボーっと眺めていた。
独占欲って……先輩が私に対して?
このオンナは俺のものだって主張したいだなんて、先輩に限ってそんな事はあり得ないと思うんだけど。
でも、実際に私の首筋には先輩の存在を主張するようにキスマークがハッキリと残っている。
しかも普通サイズの絆創膏では隠し切れないほどの大きさで。
昨日家に帰ってそれをお風呂の鏡で発見たとき、心臓が飛び出るくらいにびっくりした。
なんだ、この赤黒いアザは?! ……と。
首筋に鎖骨、そして胸のあたりに点々と存在する幾つかの赤黒いアザ。
それが先輩がつけた “キスマーク” だと気づいたのは、数時間後の布団の中だった。
これはマズイとそれを隠すために首筋に絆創膏を貼ってみたけれど、全てを隠すことは出来ずに若干はみ出してしまって。
この事をみんなから突っ込まれたらどうやって誤魔化そうかと必死で考えていたのに、先輩は自分につけられたんだと言えと言う。
キスマークをつけることに理恵ちゃんの言う意味が含まれているのだとしたら、本当に先輩はそんな主張をしようとしているのだろうか。
私は先輩のオンナだと。他のひとに取られないように予防線を張って?
そんな、まさか……
「それにしても、すごいわ里悠! あの桜坂先輩と付き合うなんて。ホント、理想的な彼氏だものね」
「う、うん〜……」
「背が高くて頭もよくて、もちろん顔だって申し分なし。あれほどカッコイイのに浮いた話が一つもないなんて、すっごく硬派だと思うのよね。きっと、先輩なら浮気とかしないと思う。私が言うんだから間違いなし! いいオトコ捕まえたねぇ、里悠!!」
実はエロエロ大魔王で、結構、変態さん入ってますけどね……
卒倒しちゃいそうな放送禁止用語も平気で言っちゃうし、何人もの女の人と関係を持ってたし。
この学校で見せる姿とは正反対に、かな〜り遊び人なオトコのヒト。
これを知ったら理恵ちゃん、絶対こんなに絶賛しないだろうなぁ。
「いい、里悠? ぜ〜ったいに先輩を離しちゃダメよ! あんな素敵なひとと滅多にめぐり合えないんだから」
「あ〜……ぅん」
「なによぉ。そんな力の抜けるような声出してぇ。だ〜いじょうぶ! 周りの反応なら気にせず放っておいたらいいのよ。何かあったら先輩がきっと助けてくれるし、私だって協力してあげるから。あなたは先輩への愛を貫き通せばいいの!! いいわね?」
「う、うん……ありがと……」
ちょっぴり複雑な気分だった。
この話題から一人取り残されている……そんな感じで。
本来なら先輩と付き合ってるって噂だけでも手放しで喜ぶべきことなのに、どうしても私にはそれを受け入れることが出来なかった。
もしかしたら私自身、マスコットという存在に拘りすぎていたのかもしれない。
瞬く間に広まった噂や周囲の変化に戸惑い、今日一日、人目を避けるように過ごしやっと迎えた放課後。
一刻も早くこの場から立ち去りたくて急いで帰り支度をしていると、同じクラスの女の子が遠慮がちに私に声をかけてきた。
「ね、ねぇ。里悠……」
「あ、はい。なに?」
「あのね、里悠のこと呼んでくれって……」
「え、誰が?」
「その……桜坂先輩が」
「え゛っ?!」
あっ、蒼斗先輩っ?!
今日の私は先輩に関して異常に敏感になっているらしい。
その名前を聞いただけで心臓が高鳴り、姿を確認した途端、驚きのあまり持っていたペンケースを床に落としてしまった。
カシャッと軽い音と共に、ものの見事に中身が飛び出し辺りに散乱する。
それにも反応出来ないくらいに固まっていると、呆れたようにため息を漏らしながら先輩が私の元へと歩み寄ってきた。
周囲の視線などお構いなしに堂々たる風情で。
「なにやってんだよ、里悠」
そう言いながら、先輩が落ちたペンを拾いはじめる。
ようやく脳の伝達機能が働きだした私は、カッと瞬く間に頬が赤くなるのがわかった。
「え……わぁっ! せっ、せんぱい!! 先輩こそ、ななっ、なにやってるんですかっ。ひっ、拾います。自分で拾いますからっ!!」
「ククッ。なに動揺してんの? なにやってるって、おまえを迎えに来たに決まってるだろ?」
「なっ、なんでっ!?」
「は? なんでって、一緒に帰るから。他に理由ある?」
いやいやいやいや、意味がわかりませんって。
一緒に帰るにしても、どうしてわざわざ私の教室にまで迎えに来るのか。
しかも、しかも! 私のこと、里悠って名前で呼んでるしぃ〜っ!!
「早く用意しろよ。じゃないと二人の時間がなくなるぞ?」
「ふっ、ふたっ……」
二人の時間ってなに?!
なんでこんなこと急にしてるのっ??!
みんなまだ教室にいるんですよ? わかってます??
「あっ、あぁぁあのっ、せんぱい? あおっ……あ、やっ……ささっ、さくっ、ざか先輩?!」
「ぶはっ! テンパって噛んでるし。別にいつも通り名前で呼べばいいだろ? って言うか、このカバンだけ? 持って帰るの」
「え……そそっ、そうですけど……」
「そ。じゃ、もういいな。それ持って行くぞ」
「えっ、えっ? えぇぇっ?!」
先輩は拾い終わったペンケースを私のカバンにしまうと、そのまま私の手をとって歩き出す。
私はと言うと、何がなにやらわからないままに、自分のカバンを引っ掴んで先輩についていくだけで精一杯だった。
「あはははっ! おまえテンパりすぎ……噛むわどもるわでなに喋ってっかわかんねぇし。ククッ。面白ぇ」
学校から少し離れた場所まで歩いたところで、先輩がそう言っておかしそうに笑い始める。
だけど私は一向に笑える気分にはなれなかった。
そりゃそんな反応になるでしょうよ。
まだ頭の整理が出来ていないのに、突然、先輩が教室にまで迎えにきて、みんなのいる前で堂々と手を繋いだんだから。
おまけに二人の時間とかわけのわからないことを言い出すし、 “里悠” なんて堂々とみんなの前で名前を呼んじゃうし。
そんな状態で冷静に対処出来るほうがおかしいと思う。
なんなんだ、一体。
今も手を繋いだままだし、離す気配もない。
初めて繋いでもらえた手の感触に感動するどころか困惑しっぱなしだ。
どういうつもりだろう、蒼斗先輩。
「あっ、あの……先輩?」
「あ? なに」
「手……繋いだまま……なんですけど」
「だから?」
「だからその……繋いだままでいいのかなと……」
「良くなかったらとっくに離してるけど?」
それは繋いだままでいいってこと?
こんな、まるで恋人みたいに繋いだままで?
益々わからない。先輩の意図していることがなんなのか。
「あの……なにかあったんですか? 先輩、なんかおかしいですよ。急にこんなこと……」
「別に? おまえに忠告するよりも、このほうがよっぽど手っ取り早かったって気づいただけ。まあ、多少予定は狂ったけれど、ひとまずこれで里悠は俺のオンナだって知れ渡っただろうし、そうそう手を出してくるやつはいねえだろ。なんせ俺が相手だからな?」
なんて、先輩は満足そうにニヤリと笑う。
うわぁ……なんて自信過剰な発言なんでしょう。
まあ、確かに。先輩に勝負を挑むひとなんていないでしょうけれど、自分で言っちゃうところがすごいですよね。
でもなんで先輩はそこまでして。あぁ、そうか。やっとわかった。もしかして私が……
「あの……すいません。こうなったのって、私のせいですよね?」
「は? なんだよ、急に……」
「いや、その……もしかして、私が先輩の忠告を守れなかったせいで、仕方なく俺のオンナだなんて言ってくれたのかなぁって」
「はぁ? バカかおまえ。仕方なくで俺のオンナなんて公言するかよ」
「え……じゃあ、どうして」
「どうして? どうしてって聞かれる意味がわかんねえ。普通に考えれば行き着く答えは一つしかねえだろ。もうちょっと柔軟な頭を持てよ」
「柔軟な頭って言われても……思いつく理由がそれしかないですもん」
「はぁ、もう。面倒くせえオンナだなぁ、おまえは。素直にそのまんまの意味で取っときゃいいだろ?」
「素直にって、先輩と私が付き合ってるって言うことをですか?」
「ああ」
「先輩のオンナだってことも?」
「あぁ、そうだよ」
「でも、私は先輩のマスコットですよ?」
「…………」
その言葉に先輩は一旦立ち止まり、呆れたように大きなため息を一つ吐き出す。
それから少しだけ体をこちらに向けると、手を繋いでいないほうの手でいきなり私の頬をウニ〜ッと摘み上げた。
「いっ、いひゃい……」
「だから、そこはあとでハッキリとわからせてやるって言っただろうが。これ以上グダグダ言いやがったらこの場で犯すぞ」
ひぃぃぃっ! なんたる暴言!!
犯すってあなた……本当にあり得そうだから怖いんですけどぉっ!!!
「ったく。なんでわかんねえかな。普通こういう展開になれば少しは期待するもんじゃねえの? って……そっか、おまえには無理な話か。俺がそう仕込んだんだもんな、従順なマスコットになるように。おまえはずっとそれを頑なに守っているだけ。バカ正直に、俺のために……」
先輩は頬を摘んでいた指を離し、その場所を包み込むように手を添えなおすと、暫く何とも言えない複雑な表情で私を見つめる。
それからゆっくりと顔を近づけてきて、一つ、私の唇に軽くキスをした。
「……せん……ぱい?」
「なあ、里悠。俺のこと、好きか?」
「え……はい、好きです」
「どれくらい?」
「どれくらい? う〜ん……いっぱい、いっぱい。表現できないくらい大好きです!」
「こんな俺でも?」
「どんな先輩でも、です!」
その言葉を聞いて先輩はまた暫く私の顔を見つめてから、フッと柔らかい笑みを漏らす。
そしてボソッと独り言のように呟いた。
「……おまえにはマジ参るよ。この俺が堕ちるなんてな」
「え? ひゃっ」
オチル?
先輩の言った意味がイマイチよくわからなくて首を傾げていると、突然後頭部を抱え込まれてギュッとそのまま抱きしめられる。
突然のことにすぐに反応出来なかった私は、先輩の腕の中でただ目を瞬かせるだけだった。
「今日で最後だ」
「え?」
「ようやく最後の一人と連絡が取れたから、これからそいつに会いに行ってケジメをつける」
「え……じゃあ、私はいないほうが……」
「一緒に来ればいい。俺がどれだけ本気か、おまえに見せてやるから」
「……え?」
本気って……?
え、どういう意味?
「俺の気持ちもその時一緒に言う。だから、もう少しだけ待ってろ……まだ、今の俺には気持ちを言う資格がねえんだ」
先輩は最後にキュッと腕に力を入れて抱きしめてから、再び私の手を取って歩きだす。
なんだか妙に胸が高鳴っていた。
俺の気持ちを言うって
その資格がまだないって?
もしかして先輩……
ううん、そんなはずはない。
でもなに? この胸の高鳴りは……
H21.3.26 仕上げ
さて。お話もようやく佳境に入ってきたでしょうか(笑)
なんかもう、蒼斗も素直に気持ちを言っちゃえばいいのになぁと思いながら、
得意の遠まわし系でまたもや攻めてしまいました(^_^;)
なんとなくこの展開多いよなぁなんて思ったんですが、
またそこを悩みだすと書けなくなっちゃうんで……みなさんもどうか目を瞑ってやってくださいね。
一応、お題はこのお話の最後まで伏せることにします。
まあどのお題を使うかお気づきの方も中にはいらっしゃるでしょうけれど。
ひとまず、続きがめっちゃ気になるねんけど〜〜っ! と、悶々としていただけたら管理人が喜びます(笑)