〜 恋の罠 〜 今日も昼前から和希が大学からの友人でもあり、自分の彼女、柳瀬麗香の兄でもある柳瀬秀と一緒に経営しているCafeは目が回る程の忙しさだった。 ようやく昼食時を過ぎた辺りから落ち着き始め、自分達も遅めの昼食を取る事が出来る。 秀とバイトを先に休憩に入らせて、交代で自分と残りのバイトが休憩に入る。 ……ようやくメシが食える。 2階の休憩室に上がり、はぁ。とため息一つ。 麗香が自分の為にと今朝作ってくれた弁当箱を一旦広げ、暫くの沈黙の後また閉じる。 あのヤロー。また弁当にグラタン入れやがって……夜もグラタン、昼もグラタン。俺をグラタン攻めで殺すか!! 帰ったら、懇々と説教してやる。 和希は箸を握り締め、とりあえずその弁当に口を付けることにした。 麗香は和希と付き合い始めてから、何かに付けてマンションへやってきては泊まって帰る。 最近ではそれが当たり前のようになってきて、半ば同棲のような暮らしになっていた。 自分としては年下の女なんて許容範囲外だと思ってたのに、気が付けば結構……いや、カナリ惚れてる自分がいて。 それを認めるのも、アイツ…麗香に悟られるのも嫌でいつも素気無い態度で接してしまう。 それが麗香の恋心に余計に火をつけているという事など知りもせずに。 和希が、グラタンを先に食うべきか、最後に食うべきかと悩んでいると、カンカンカンッ。と、階段を叩くヒールの音が聞こえてきたかと思ったら、バンッ!と勢いよくドアが開き満面の笑みを浮かべた麗香が和希の前に立つ。 「きゃー、グッドタイミング♪私の愛情たぁっぷりのお弁当、今から食べるんだ!ね、ね、おいしい?」 和希はグラタンに箸を突っ込んだ状態で、そのまま行動を止める。 「まだ食ってねぇっつぅの。」 「や〜ん、もう。早く食べてよ!今日のグラタンは綺麗にできたのよ?お弁当バージョン。可愛いでしょー。」 「可愛いとかいう問題の前に。お前さ……いい加減グラタンばっかり作るの止めろって言ってんだろ。他のレパートリーを増やせよ!毎回毎回、バカの一つ覚えみたいにグラタンばっかり作りやがって。冷凍庫にも山ほどグラタンが冷凍されてるっつうのに、俺の家の冷凍庫をグラタンで埋め尽くす気かよ、お前は!!」 「だって、和希さん家のオーブンと私。相性が悪いみたいでいっつも上手く焼けないんだもん。悔しいじゃない。和希さんが美味しいって言ってくれるまで、練習練習♪」 コイツだけは………。 俺が美味しいって言うまで作り続ける気かよ…勘弁してくれよ。 和希はグラタンから箸を抜き、別の煮物に手をつけようとして、ふとある事に気が付く。 「お前、今日は何の用事だ。」 いつもよりえらく気合の入った化粧に、大人の雰囲気を醸し出させる少し肌の露出度が高めの、どちらかと言うとカクテルドレス系の服。 女子大に入ってからの麗香は高校の時よりも更に大人っぽく綺麗に成長していた。 時折見せる色っぽい表情に、和希でさえも暫く見惚れてしまう時がある。 「ん?そりゃ、和希さんに会いに!……って言うのが一番だけど。今日は、男の子とデートなの♪」 「……………はぁ?!」 ニッコリと微笑みながら、耳を疑いたくなるような言葉を吐き出す麗香に、和希の眉が訝しげに寄る。 「クスクス。今、すんごい気になってるでしょ。私がデートって言ったから。」 その自信ありげな麗香の表情に若干のムカツキを覚えながら、今言われた事が当たってるだけに自分に対してもムカツキを覚える。 クソッ。見透かされてんじゃねぇか。 でもここはあくまでも平静さを装い、何でも無い風に煮物を口の中へ運ぶ。 「別に?デートすんなら勝手に行きゃあいいんじゃねぇの?」 「ん、もぅ。和希さんは相変わらず素直じゃないんだから。誰とだ、とか行くな。とか言ってくれないの?」 そんなの俺のガラじゃねぇし。 「お前が行きたいって思うんだったら行けばいいだろ。誰と行こうが何しようが俺には関係の無い事だ。」 なんて、心にも無い事が和希の口からついて出る。 「ふーん、そうなんだ。和希さんはそう思ってるんだ。」 少しつまらなさそうに呟きながらも、どこかその表情は挑戦的で。 ………何だよ、その目は。 「何が言いたいんだよ。」 「別に?これから会う相手の男の子って私と同じ歳なんだけど、和希さんに負けずと劣らず、結構ハンサムで背も高くって頭もよくって、私に超優しい人だって言っても和希さんは関係ないって思うわけね?」 「……………………あぁ。」 「クスクス。長い沈黙。ねぇ、本当にそう思ってるの?」 「っるせぇな。メシ食ってんだからさっさと行くんなら行けよ!メシぐらいゆっくり食わせろ。」 「ホントにもう、和希さんて素直じゃないんだから!顔に書いてあるのよ?麗香、行くなーっ!って。」 「書いてねぇ!」 麗香の言葉に思わず自分の顔に手をやりそうになるから、悲しい。 「じゃぁ、このCafeに一緒に来てるんだけど、引き止めるならその子と一緒に出て行くまでだからね?引き止めなかったら知らないからねー。その子の方に、ふらふら〜っと行っちゃうかもだよ?」 「行くんなら行けば?その方が清々する。」 「やん、もう。それは冗談なのにぃ!和希さんのバカ!!もぉ、知らない。」 麗香は、ぷくっと頬を膨らませて踵を返すと、再びヒールを鳴らしながら階段を下りて行った。 引き止めたくても俺の性格上それが出来ないから仕方ねぇだろ!! 心の中でそう叫びながら、食べ始めたばかりのお弁当も食べる気が失せて蓋を閉じる。 クソッ。カッコよくて背が高くて?おまけに超優しいってか? そっちに行くなら行けばいいじゃねぇか。こんな冷たい俺なんか止めて。そしたら俺は……………。 …………俺は? 和希は大きなため息を付くと、机の上にある蓋の閉じられた弁当箱をそのままに部屋を出てゆっくりと階段を下りて行く。 階段を下りてすぐのところにある厨房に入って行くと、そこから見渡せる店内へと視線を動かす。 ちょうど入り口付近の席に麗香の姿を見つけ、向かい側に座るヤツに視線を向ける。 まぁ、確かに。男の俺から見てもいい男……だな。 麗香の前に座る男はちょっと雰囲気が秀に似てて、甘いマスクの持ち主。 楽しそうに笑いながら話をする2人見て、若干胸のムカツキを覚える。 そんな感情のまま、じっと厨房のカウンター窓からその様子を伺っていると、後ろからクスクス。と小さく笑う声が聞こえてきた。 「なんだよ、和希。そんなに気になるんだったらあの場に行けば?」 「秀……うるせぇよ。別に、俺は麗香を見てるわけじゃねぇ。客の入り具合を見てるだけだ。」 「ぶははっ!そうなんだー。けど、ヤケに表情が険しいんですけど?」 兄妹揃って人の心を見透かしたように言いやがって。 「俺は元々こういう顔の造りなんだ!つまらねぇ事言ってんじゃねぇよ。」 「おぉ、怖っ!血管ブチブチ浮かび上がってんぞー。そんな顔で店に出るなよ?お客さんが引いちゃうから。」 人の神経を逆撫でするような事をコイツは……。 文句の一つでも言ってやろうと、口を開いた所で目の前の秀が店内に視線を向けて、ニヤリと口元を上げる。 「あっ!あいつら店を出て行っちまうぞ?このままでいいわけー?」 「……………クソッ。」 和希は小さく言葉を吐き捨てると、店内にいる2人に視線を向けながら、厨房を出る。 仲良さそうにレジの前に立ち、会計を済ませた麗香の腕を掴んで、和希は無言のまま店の奥へと引っ張っていく。 その様子を楽しそうに見ている秀がいるとも知らずに。 「和希さん?」 2階へ繋がる階段の踊り場の影まで麗香を連れてくると、掴んでいた手をすっと離す。 「麗香……本気で行く気か?」 「それって、行って欲しくないって事?ね、そうなの?和希さん。」 和希の言葉を受けて、麗香の表情が俄かにぱっと輝く。 「俺は行くのかって聞いてるんだ。」 「私は行って欲しくないの?って聞いてるの!ねぇ、どっち?」 ………はぁ、もう。 「…………行かなくていい。」 ボソッと低く呟く和希の声。 それだけでも十分に効果を発揮し、麗香の顔から満面の笑みが漏れる。 ……が、これだけでは済まさないのが柳瀬麗香。 麗香は両手を和希の胸に当てて、和希を見上げると、ポツリと呟く。 「本当は『行くな。』って言葉が聞きたかったんだけど、和希さんだから許しちゃう。だから、行くなって気持ちを込めてキスして?」 「はぁ?」 「じゃないと、彼と一緒に出かけちゃう。」 和希にとっては『行かなくていい。』という言葉を発するだけでも至難の業なのに、それに追い討ちをかけるように麗香はニッコリと笑う。 「調子に乗ってんじゃねぇぞ、麗香。」 「行っちゃうよ?」 可愛らしく首を傾げながらそう呟く麗香に対して、和希の口から大袈裟と言う程のため息が漏れる。 ……そして。 和希は麗香の頭の横を通って後ろの壁に手をつけ、ゆっくりと彼女の唇に自分の唇を重ねる。 次第にキスが深くなり、気が付けばお互いに貪るようなキスに変わっていた。 触れ心地の良い麗香の唇に吸い寄せられるようにキスを繰り返し、舌を絡め取る。 いつの間にか麗香の腕が和希の首の後ろにまわり、和希も壁についていた手で彼女の体を強く抱きしめ、お互いを求め合うように激しくキスを交わしていた。 ゆっくりと唇を離し、腕の中に麗香の体を納めると、彼女は嬉しそうに和希を見上げる。 「和希さん、すごく嬉しい。」 「何がだよ。」 「だっていっつも素気無い態度だから、和希さんの気持ちが見えてるようで見えないんだもん。お兄ちゃんは大丈夫だって太鼓判押してくれるんだけど、ちょっと不安だったの。でも、今のキスですっごく気持ちが伝わってきた。」 「そりゃ、よかったな。」 「………と、言う訳で。出かけてくるね!」 「はぁ?!おまっ……何言ってるんだよ。行かないんじゃねぇのかよ。」 「んー。和希さんが引き止めてくれるのは嬉しいんだけど、行かない訳にもいかないのよねぇ。だって、従姉妹の結婚式だし?」 「従姉妹?」 今の和希にはさっぱりこの状況が掴めない。 その様子を見て、クスッと小さく笑うと、麗香は続ける。 「そ。従姉妹の結婚式。で、店の外で待ってるさっきの男の子は私の従兄弟、親戚ね。お兄ちゃんがお店が忙しい時期だから彼と私が従兄弟の代表で式に出るのよ。だからね、間違ってもあの子に行く事はないのよー。」 「てめぇ……俺を騙しやがったな。」 「あん。人聞きの悪い……騙すって、私は和希さんの気持ちを確かめたかっただけよ。ほら、嘘も方便って言うじゃない?」 えへっ。と笑う麗香には、悪びれる様子など微塵も無く。 「このクソガキ……って事は、何か。秀も最初から分かってて?」 「うん。だって、この提案を持ち出したのがお兄ちゃんだもん。私が、和希さんが何考えてるか分かりにくいー。って言ったら、こうすれば分かるんじゃない?って。」 この兄妹だけは………どこまで人を弄んだら気が済むんだ!! 和希が言葉を失っていると、麗香はちゅっと彼の頬に軽くキスをしてニッコリと笑いかける。 「和希さん、大好き♪」 俺は大嫌いだ。 「結婚式が終わったら、マンションに帰るから待っててね。」 誰が待つか、帰ってくんな。 「鍵掛けといてやる。」 「合鍵持ってるも〜ん。」 「チェーンも掛ける。」 「和希さんは、そんな酷い事しないもん。私の帰りを今か今かと首を長くして待っててくれるもんねー?」 ………ムカツク。 その通りになりそうな自分にも………ムカツク。 じゃぁ、行ってきま〜す♪と、足取り軽く結婚式へと向かう麗香の後ろ姿を見ながら、またしても、いとも簡単に麗香の罠にかかってしまった自分が情けなくなる和希だった。 |