―――――――― 幸福と"また明日"





 夕日が沈みかけた薄暗い校舎。
 カーテンの隙間から差し込むオレンジ色は、床の一部を同じ色に染め上げて、もうすぐ真っ暗になろうとしていた。
 夏休みの最中である校舎の中には殆ど人影もなく、つけっぱなしの空調の風で、重いカーテンが僅かに動くだけ。
 だがその中に混じる、異質な空気があった。
「ちょ……っ、も、やめ……」
「やだ、やめない」
 思いカーテンの引かれた図書室の中、乾いた空気の中に混じる濡れた音が、慣れているはずなのにひどく耳に響く。
 入り口から決して見えない位置に立ったまま、後ろから抱きすくめられて脚を割り開かれて服の中に手を入れられてまさぐられるのに、慣れてしまった自分が―――。


 嫌だ、というのが本日のお仕事の設定。
 吾桑貴裕25歳。ゲイビデオ専門のAV男優で、売れっ子。
 本日のお仕事は、なんだか最近やたらと多くなっている『学園モノ』で、貴裕の役柄は先生。そして相変わらず、やられる側。
 そしてお相手はと言えば。
「あ、あ……ンッ……く、やだ、いつも……ちがっ」
「違わないよ? 先生いっつもココするとイっちゃうから押さえてるだけ」
 くすくすと耳打ちしながら囁いてくる男。浅生浩隆。
 苗字が同じで、ひと文字入れ替えれば同じ響きの名前の彼だ。
 BLブームの波とやらに乗るんだと、貴裕の所属する事務所の所長は意気揚々と企画を打ち立てた。
 曰く、女性にウケるAV製作。
 とかなんとか言うわけのわからない企画のおかげで、貴裕はありもしない三流以下の演技をするハメになっているのだが、相手役のおかげで本日は気が散ってしかたがない。
(……ちくしょ、も、やだ頭沸きそう)
 はぁ、と吐き出す息が熱い。
 演技ではなく本気で頭が煮えくり返りそうで、仕事だと言う事を忘れそうで悔しい。
 そんな状態になってしまうのは、今こうして貴裕の体をいいように扱っている浩隆が、仕事だけでなく私生活面においてもパートナーだからだ。
 それは友人と言う意味ではなく、今現在こうしているのと全く同じ意味の、つまりは恋人という奴だ。
(おまけに制服、だし……っ)
 先生役に対して、浩隆は生徒だった。
 何かのアニメのような、えんじ色をしたブレザーを着た浩隆を見た瞬間、学生だった頃の彼を思い出して息を呑んだのは、絶対に教えたくない。
「ね、センセ。今日いつもよりすごいね?」
「な、にが……っ!」
 それは台本に記された台詞ではなかった。
 もともとあってなきが如しのストーリーで、絡みのシーンの台詞も適当なものだったから、アドリブが入るのは当たり前の事なのだろうが、それはないだろうと思う。
(ぜったい、わざとだ)
 その『いつも』がいつの事を示しているかは、貴裕にしかわからない。ふたりの関係は殆ど口外していないから、多分今この場所に居るスタッフたちにはわからない言葉遊び。
「ひ…ぁっ!」
 ズボンの中、ぎゅっと根元を締め付けながらぐりぐりと先端をいじられる。
 どろりと溢れたものが、いつもより早い反応を示している事など自分でもわかっているのだ。だから余計、浩隆の言葉がいやだ。
「すごいよ、いっぱい出て、ぐちゃぐちゃだ。淫乱だね?」
「……っあ! い、やだ! やだ!」
 かぶりを振って嫌だと叫ぶ貴裕の声にかぶさるように笑い声がする。
 そして耳朶を噛み、その中を舐めた後、浩隆は貴裕だけに聞こえるように耳打ちしてくる。
(ほんとに今日は敏感)
 くすくすと笑いながら耳朶に噛み付いた男は、楽しそうに告げた後に首筋に噛み付いてきた。
「……いっ……あ!」
「ねえ、センセ。気持ちいいだろ?」
「あ、ああっ……ん、く……やだ、いやだっ」
「やじゃなくて。ほら、ちゃんと言わないとやめちゃうよ?」
 ねえどうしたいの、と低い声で問い掛けながら浩隆は、ひとつふたつ外しただけだった貴裕のシャツのボタンをゆっくりと外しはじめる。
 ねえ、ほらと囁きながら、震える貴裕を戒めて、ゆっくりとボタンをはずしてわざとらしく胸の上を掠るようにてのひらを動かして。
「……んん! ン……きも、ちい……あッ!」
「よくできました。こっち向いて」
 するりと簡単に手を離して、息の荒くなっている貴裕を簡単に振り向かせる。
 そうして『いつも』と同じように浩隆は笑ってみせるから性質が悪い。
 仕事の時は仕事らしくしろと言っているのに、どうしてこう、言う事を聞かないのだか。
「……センセ、好きだよ」
「んン……」
 唇を舐めて、キスをしかけてくる浩隆の背中に腕を回した。
(……この野郎、遊ぶなって言ってるのに)
 今の浩隆は絶対に遊んでるに決まっている。いつもと同じようにして、隆弘が困るのを見て楽しんでいる。
(……まじめに、しろ。ばか)
 そんな意味を込めて、後ろに回した手に力を込める。
 握力だけは自慢で、その全てをこめて抱き寄せるフリをして思いっきり力を込めてやれば、口の中を舐めていた舌がぎくりと強張る。
 うっすらと目を開いた浩隆が咎めるように見てくるから、睨み返してやる。真面目にやれ、とメッセージをこめた視線は多分正しく伝わったと思う。
 ごめんなさいという表情をしたから、大人しく貴裕は目を閉じた。
「センセ、どこ触って欲しいのか言って?」
「ど、こって…なに」
「俺に、何して欲しいのかちゃんと言ってくれなきゃわからないよ」
 ねえ、ほらどこと問われて貴裕は口を噤む。
 浩隆のその台詞は台本にあったものだ。そして貴裕のその反応も同じく。
 その後はまあありがちで。
「ねえ、ほら言いなよ」
「うぁっ!?」
 ボタンを外されたシャツの合間に手を入れられて、肌をなぞるように触れながら半分だけ脱がされる。そうして現れた色の違う場所を抓られて、貴裕は悲鳴を上げ、それでも口を噤む。
「強情だね。そんなに俺とするの、いや?」
「い、やだ……やだ」
 首を振りながらそう告げて、だが本心では別の事を考えている。
(……はやく終わりたい。終わって、ちゃんと)
 こんな仕事ではなく、ちゃんと。そんな事を考えている自分こそ馬鹿なのだろうと貴裕は思う。
 そして多分貴裕の思考など浩隆はお見通しで、だから彼は笑うのだ。
「ねえ、嫌ならなんでココ、勃ってんの?」
「ひぁッ!」
「すごいよね、指一本触っただけでこんなだし」
「ひ…あああっ、やだ……や、いぁッ…!」
 ほんとに淫乱。と笑いながら中にぐちゃりと音を立てて大きな手で包まれ擦られた。勝手に腰が揺れて、それでも貴裕の意識はどこか冷静な部分がある。多分それは反射なのだろう。
(……くそ、カメラ邪魔)
 カメラがあると反射的に頭の中の一部を切り離す癖がついてしまっている。
 浩隆以外の相手ではそうそう起きない事だが、意識が飛んでしまっては困るから、そんな癖がついた。
「は……ぁっ……んん!」
 ああもう、ちゃんとしたい。ちゃんとしたい。
 そんな風に思うのに、カメラが邪魔で集中しているのに集中できない。
「やだやだ言ってると苛めるよ? センセ」
「んんん…! あ、あ、あ」
「喘いでるばっかじゃなくて、なんか言いなよ」
「……っくそ、この」
「強姦魔とか言ったって無駄だよ? 最初にいいって言ったの、先生だから」
 ああそういやそんな設定だったか、と貴裕は思う。
 半ば飛びかけて、だが寸でのところで留まっている意識は微妙に仕事の設定を忘れかけていて、だが浩隆の言葉で思い出した。
(こういうところはソツがないというか)
 結局まじめにできてないのは自分か、と息を吐き出して、貴裕は言わなければならない台詞を口にする。
「……おま……なんか、キラ、イだ……ッ……アッ!」
 その言葉を口にした途端、ぎゅうっと脚の間を握り締められて貴裕は喉を仰け反らせた。
 一瞬痛みを堪えるような顔をした浩隆は、瞬きをするほどの間に表情を変えて、笑ってみせる。
「そうだね、キライだね」
 だからもっとしてあげる、と笑った貴裕は、床に膝をついて貴裕の体に舌を這わせて、ゆっくりと降りていく。
「ひ……ぁ……」
 浩隆、と名前を呼びそうになって唇を噛んだ。
 箍が外れてしまいそうなのは自分だと知っているから、貴裕は必至だった。必至にならなければ、飛んでしまいそうで嫌だ。
「センセ、これ好きだよね?」
「……あ」
「ねえほら、好きだって言いなよ」
 開いたファスナー、その布地を広げながら浩隆は笑っている。どうする、という目つきはよく知っている。
 はぁ、と息を吐き出しながら送った自分の視線は、多分どろどろに溶けそうなものだと言う自覚もあって、だから。
「……好きだ」
 ぽろりと、本音が出てしまった。
(あ……くそ、しまった)
 言った瞬間、後悔する。
 本当ならここは首を振らなければいけないのに、ついつい本音が。
「んん。センセ今日は素直だね」
「……ッ!」
 あーあ、やっちゃった、と小学生が友達の失敗を笑うような表情で浩隆は笑っている。カメラに映らないから表情だけはやりたい放題で、だが声だけは恐ろしいぐらいに腰にくる。
「じゃあ、もっと言おうか」
「え……あ……?」
「ここ、どうして欲しい? 好きならどうしたいの」
 にやにやと笑いながら、わざとらしく音をたてて脇腹に口付けてくる。ひくりと震えながら、今度はちゃんといやだと言えば、よくできましたと言うような目で浩隆は笑って続ける。
「ほら、言わないと何もしてあげないよ? して欲しいの、センセだろ」
「……んっ、ぁ」
 腰に腕を巻きつけて、広げられたズボンの合間の下着をほんの少し下ろされる。
 熱を持ったそこが空気に触れて冷たく、息を呑みながら貴裕は目を閉じた。
「ほら、こんなにすごいのに、言わないの?」
「あ、あ……い、いや」
「いやじゃなくて。ほら、センセ早く。やめちゃうよ?」
「い、いや……いや、早く。はや……く」
「だから何?」
「そ、そこ……そこして」
 首を振りながら、それでも口をついて出るのは肯定の言葉だ。
 もうさっきからずっとされたくてたまらないから、浩隆の頭を撫でて頬を辿り、その唇を指先でなぞる。
「し、して……ここ、これで、中」
 その口の中で、何かされたくてたまらなくなっている場所をあやして欲しかった。勝手に揺れそうになる腰を必至にとどめて、涙目で見る自分の顔は、きっともう快楽に負けてどろどろだ。
「……もうちょっと言って欲しいんだけど、まあ、あとでいっか。してあげる」
「あァ!」
 ぬるりと覆いかぶさってきた口腔に、ゆっくりと入り込んでいく瞬間たまらずに悲鳴を上げた。目を見開いて見上げた天井を見て、変なところに染みがあるなあとぼんやりと考えながら、小さく声を上げて力の入らない膝でなんとか立つ。
「は……あ、あ……や……そこ」
「ん? どうしたいの」
「あッ……」
 口からするりと抜き取られ、触れた空気を冷たく感じる。
 どうしようもなく卑猥な事をしてほしくて、たまらない。
「ここ……もっと」
「もっと、なに?」
「な、めて」
「うん、それから?」
「ここ、だけじゃ……いやだ」
 浅く開いたそこだけではなくて、もっとちゃんと触って欲しいと訴えて、息を吐き出せば声が返ってくる。
「センセ、やっぱ淫乱だね。もっとしてあげるから、ここ座って?」
 言われなくとももう立っていられず、ずるずると本棚に背中を預けながら座り込む。
 下着とズボンを中途半端に脱がされて、顔を埋めたそこをきつく吸い上げられる。
「……っ!」
 両手で口を塞げば、その代わりと言うように体が大きく跳ね上がった。
 慣れ親しんだ行為であるはずなのに、場所や状況が違うだけでこんなに感じ方に差が出るものだろうか。
「……ふっ……ァ」
「ほんとに強情だよね。したいことしてあげるからちゃんと言って?」
 じゃないと本当に苛めるよと、脅迫にならない脅迫をされて脳が溶けそうだと思った。
 もう撮影の事など忘れて強請り倒してしまいたい。好きな事を好きなだけされて、満足したい。それなのに、そうできない自分が憎いというか、真面目というか。
(……あぁもう、家帰ったら押し倒してやる)
 それでもう一度仕切りなおしをして、今度こそ本当にやりたい事をするのだと決意した貴裕は、ふっと細く目を開けて浩隆を見る。
 口淫を続ける浩隆の様子を見た後唇を舐めて息を吐き出し、軽く髪を梳いた後に、お決まりの台詞を告げる。
「いれて……っ」
 吐き出した息は熱く溶けそうで、もうだめだと縋るような目をすれば、笑った浩隆が顔を上げる。
 よくできました。そう言って笑った浩隆は、貴裕の脚から衣服を取り去って広げさせて、自分はズボンのファスナーを下ろしただけの状態でその強張りをおしつけてくる。
「……あ……ァ!」
 あとはもう、貴裕は声を上げているだけでいい。
 自分がどうすれば1番『良く』見えるかなどとは考えずとも、体の方が先にそれをしてくれる。
 なかなかできる事じゃないのだと事務所の所長は褒めてくれたりもしたが、それもどうなんだろうかと思いながら揺さぶられていれば、それを咎めるように体の奥に突き立てられて喉を仰け反らせる。
「は……ぁ、んっ」
 ひろたか、と名前を呼ばないように気をつけながら、貴裕は目を閉じて腕を伸ばし、その肩を掴んで声を上げた。
「も、っと……もっと……あっ」
「センセ、すごくいいよ。いい……ほら、いっぱいしてあげるから、ねぇ、きもちいい?」
「んんっ……や、いい……すごっ」
「いきそうだよね? もっとしてあげるから、ほら、いっぱい」
「あっあっあっ!」
「ねえ、俺の事スキって言ってよ。嘘でいいからさ、ほら」
「い、やぁっ……や、んんぁ! いく、いくっ」
 スキって言わなきゃだめだよと言われて、演技だとわかっていても逆らえずに「すき、すき」と何度も呟いた。
 かわいいねと笑われて、何がかわいいだと半ば本気で思いながら涙目で睨みつけた瞬間、1番好きな場所を擦り上げられて悲鳴を上げながら貴裕は吐精した。
「……はっ、はぁ……んん」
 服をたくしあげた腹の上に飛び散った白い液体が気持ち悪いと思っても、もう動けずに貴裕は息を呑む。
 ゆっくりと抜き取られていく浩隆の感触に震えながらきつく目を閉じて耐えていれば、その様子を見てにやりと笑った浩隆あほんの一瞬だけ、わざと腰を揺らしたおかげで思わず悲鳴を上げそうになった。
「……っ!?」
「センセ、よかったよ」
 くすくすと笑いながら、文句を言うよりも早く台詞を言われた。
 そのまま文句を続けるわけにもいかず、もうしょうがないと諦めた貴裕は、ぱたりと床に手を落とした後に、台詞を続けた。
「……ああそう」
「連れないなぁ……俺センセの事ダイスキなのに」
「そうか。そうかもな」
「ひどいな、信じてないね」
「信じろって言う方が無理だろ……ばかだな」
「うん。それでも、スキだよ」
 覚悟しなね、と不敵に浩隆は笑い、そこでそのシーンの撮影は終了した。



「やー今日もイイ感じだったわぁー、素敵よ。タカちゃん」
 んーまっ、と頬に熱烈な『ちっす』をかましてくれたのは、どうやら終了間際にやってきたらし所長だった。
 オネエ言葉で喋るのだが、外見はどう見てもやり手のビジネスマン。
 真っ黒な、漆黒の髪は特に整えられていないが清潔な印象で、かけている黒ブチの目がねのおかげでそう見える。
 真面目そう、というのが第一印象だったのだが、そんなものは彼と話をしてみた瞬間に吹き飛んだ。それもこれも。
「今のよかったわぁー。相変わらずヒロちゃん相手だとイイ顔するわねェ。アタシもうちょっとで勃っちゃいそうだったワ」
 こんな事を言うお人なもので。
「……その顔でそう言う事言うのはどうなんですか」
「やーねぇ、今更でしょうそんなの。今度アタシ相手にやりましょうよ、ねえ」
「やですよ。あんたが勃っても俺が無理です」
「あらそうなの? 残念」
「……ところで、何で今日はカメラ二台もあるんですか」
 ちっとも残念そうにしていない所長に向かって何か言ってやろうとも思ったが、思いつかなかったので貴裕は別の事を口にした。
 いつもなら一台のカメラが、今日は二台あった。なんでだろうと思ってはいたものの聞かずにいたのだが、ちょうどいいと疑問をぶつけてみる。
「あらやぁねえ、ちゃんと説明したじゃない」
「……なにを?」
「今回は局部描写アリと、ギリギリの位置で隠すバージョンと二種類作るって企画書にあったでしょ? それのためよぉ」
「……はぁ」
 そう言えば、そんな事言われたような言われていないような。
「まぁ結局、こー言うの見たいけどキモいもん直接見るのはちょっとねーって言う女の子層を掴み取っちゃえと思ってねー」
「キモいもんって……」
 それを売り物にしているアンタが言うかと小さく呟けば、何いってんのとあっさり返された。
「あっらキモい以外に何があんのよ?」
「はぁ、まあそうでしょうね……」
 全くこの所長の考える事はよくわからない。
 はぁと溜息をつきながら、さっさと逃げてしまえと思った貴裕は「じゃあ、おつかれさまです」と言おうとしたのだが、それは叶わなかった。
「あ、しょっちょー。おつかれさまでーす」
 後ろから声をかけてきたのは浩隆で、その声を聞いた貴裕はげっそりと、深い深い溜息をつく。
 何故だか考えたくもないが、この所長と浩隆は気が合うらしいのだ。とっても。
「ひろちゃんもおつかれさま。とぉってもよかったわよー」
「あはは、貴裕ですからねー」
「んふ、アタシひろちゃんだったら掘られてもいいわぁー」
「精気全部吸い取られそうなんで、遠慮しまーっす」
「あらヤダ。アタシより全然若いくせに」
 あはははと笑いながら、さり気ない動作で浩隆は貴裕の腰に手を回してくる。支えるようなそれに、正直疲れていた貴裕は素直にもたれた。
「相変わらず仲よくて嬉しいわぁ。どうせ家に帰ってもやるんでしょ。ほどほどにしなさいね」
「……やるって」
「やぁねぇ。間違ってないでしょ? タカちゃんあなたカメラ邪魔ーって顔してたわよ」
 若くて羨ましいわぁと笑いながら、所長は貴裕の頬に熱烈な口付けをしてよこす。わざとらしく「んーまっ」と声を出して、唇を離した所長はその後ウィンクをしてみせる。
「え」
「だーいじょうぶよ、アタシ以外は絶対気付いてないから。じゃ、明日もあるんだから、ほ、ど、ほ、ど、に」
 くすくすと耳元で囁いたあと、所長はひらひらと手を振りながら去っていく。相変わらず台風みたいな人だと思いながら溜息をつくと、同じ感想を浩隆も持ったようで。
「台風だなありゃ」
「同感」
 笑った浩隆の言葉に頷きながら、その破天荒さを実感したとある出来事を思い出す。




 浩隆と付き合うにあたって、あの所長にだけはこの関係を告げておいた。
 普通なら反対されるところだろうと思ったのだが、暴露したその場であの見た目だけは真面目なビジネスマンの所長が見せた反応はあっさりとしたものだった。
「あらそう。オメデト」
 にこっと笑って、お祝いまでされてしまった。
「やぁだ、色男ふたりがなんて顔してるのよ」
「……いや、反対されると思っていたので」
「やぁねえ。お互い納得してるってなら反対なんかしないわよ。勿論」
 あんたたちはお互いの境遇も全部考えて納得した上でそうすると決めたんでしょうと言われ頷いて、だったら何を反対する必要があると言われた。
「確かにあんたたちは売れっ子だけどね。生モノには消費期限てものがあるのよ。いつか売り物にならなくなる日が嫌でも来るんだから、別に何をしたっていいじゃない」
「……はぁ」
 どうせ止めたって無駄なのだから、好きにさせればいいと笑う所長は、次の瞬間口元に「にたぁ」と嫌な笑いを浮かべてみせる。
 何か嫌な予感がすると思ったその後、所長は楽しそうに言葉を続けた。
「あ、でもウチに悪い噂立てるのだけはやめてよね。そんな事したら全力で潰してあげるから、覚悟してらっしゃい」
 そんな事するつもりは全くありませんと、浩隆とふたりで一生懸命首を縦にふりながら答えて、その話はそこでおわりだった。
 あっさり終わった事に拍子抜けしたふたりは、その後ひとしきり「何やってんだろうなあ」と笑い転げて、その後事務所にやってきた後輩にどうしたんですかと驚かれた。



「おーい、タカくん何考えてるのかな?」
「へっ?」
 ぼんやりと過去の思い出に浸っていたら、いつの間にやら周囲の景色が変わってた。
 あわてて見回せばそこは自分の部屋で、知らないうちに帰ってきていたらしい。
「え? あ?」
「トリップしちゃうと周り見えなくなるのは相変わらずだな、タカ」
「えっ、あ……ああごめん」
「いいけど。他の奴の前でそれやんなよ」
「言われなくてもしてない」
 物思いに耽るなんて、そんな事をするのはお前の前だけだとさらりと言うと、貴裕はソファーにどっと背を預けて深く息を吐き出した。
「全く……いつもは来ないくせになんで来たんだか」
「所長の事か? あの人の気まぐれなんていつものこったろ」
「宣言なしにあの人が俺の仕事場に来ていい事があった試しがない」
 そしてあのにやにやは何か企んでいる顔だと溜息をつけば、そんなの、と浩隆に笑われた。
「あの人の考えなんてその時になってみなきゃわかんないだろ。それとも何かあんの」
「いや、別に」
「じゃ、いいじゃん」
 気にしてるとホントになるぞと笑いながら浩隆がマグカップを差し出してくる。
 湯気の立つそれをいつのまに淹れたんだと問えば、ぼうっとしてる間だよと笑われる。
 さすがにもう何年も同居しているだけあって、貴裕の好みを知り尽くした浩隆が淹れてくれたのは、ミルクたっぷりのカフェオレ。
 疲れた時に貴裕がこれを飲みたがるのを知っていて、自分の分のコーヒーと一緒に淹れてくれたらしい。
「さんきゅ」
「どういたしまして。それとおつかれ」
「ん。ひろもおつかれ」
 頷いてカフェオレをすすると、甘い味が体に染みてくる。
 それにしても今日は疲れたと呟けば右に同じくと言われて、やっぱりなあとふたりで笑う。
「所長もへんなモン考えるよな」
「女の子向けとか言って、どうせAVコーナーにしか並ばねぇんだから意味ないだろ」
「ネットに出すつもりなんじゃないのか? 最近興味深々だったし」
「ああその手があったか。考えたな所長」
 さすが金の亡者と手を打った浩隆に、貴裕はさすがにそれは言いすぎだと苦笑して、カフェオレを飲み干したマグカップをテーブルに置く。
 ふう、と息を吐き出して、やわらかいソファーの背もたれに埋もれれば大丈夫かと声がかかる。大丈夫だよと柔らかく笑って見せて、浩隆の手を見た瞬間に、スイッチが入ったらしかった。
(……ああ、なんかもうだめだ)
 撮影している時から名前を呼びたくて仕方がなかった。
 悔しいけれど自分よりもずっと広い背中に腕を回して、名前を呼んで爪を立てて、自分のものだと痕をつけてやりたい。そんな事を思うのはこの男に対してだけで、そんな自分がどこか壊れているような気がするけれど、心地いい。
「ひろ」
「んんー?」
 貴裕が頭の中にじわじわと広がっていくものに抗わないまま、目を伏せて名前を呼べば、気付いていない浩隆がいつもどおりの返事をしてくる。
 ソファーに投げ出されている手の指先を合わせてみれば、その考えはすぐに伝わったようだった。
 そのまま手を握られて、白い指先にキスを落とされる。
「……っ」
「あらら、こんな事でも感じた?」
 目を眇めて唇を噛めば、からかうように笑われる。
 余裕がなくなってきている自分が悔しくて、貴裕は叫んだ。
「……っしょうがないだろ!」
「そうだねえ、センセ今日敏感だったもんねぇ」
「それはやめろって」
 遊ぶなよと嘆息すれば、ごめんごめんと抱きしめられる。
 このままソファーとベッドに行くのとどっちがいいかと問われて、ベッドがいいと答えた。
「ちゃんと名前呼べって」
 なあ、と耳元でせがめば「貴裕」と名前を呼ばれる。
 それだけでどうにかなってしまいそうでしがみついて、腰を抱かれながら部屋にもつれこむ。




 慣れ親しんだベッドの衣擦れの音と、自分の声を聞きながらなんでこんな事をするんだろうとふと思う。
 子孫を残すための行為と位置づけるのであれば、男同士のセックスなんて全く意味のないものなのに。
「は……あっ……んん」
 涙の溜まった目で見上げた浩隆の、額にはりついている髪を手ではらってキスをする。
 体の中に入り込んだ浩隆を意図的に締め付けてやれば、短く唸って抱きしめられた。
「たかくん……ちょっと、それは、反則っ」
「んん……? 嫌だ。気持ちいい、だろ?」
 してやったりと言う顔で笑ってやりながら、撮影中に言われた言葉を返してやる。意図した動きと、反射と、全部混ぜながら腰を揺らして動けば、待て待てと焦った浩隆が腰を押さえ込んでくる。
「……っあ! な、にっ」
「も、タカは動かないっ!」
「……は?」
 せっかくもう少しでいきそうだったのにと睨んでいればそんな事を言われて噛み付く勢いで浩隆が唇を塞いできた。
「んん!?」
 いきなりなんだと思っていれば、唇をほどいた男が覆いかぶさってくる。
「お前に勝手させてると負けちゃうだろ」
「……あのなあ」
 拗ねたようないい方をしながら、多分本当に拗ねているのだろう。浩隆は顔を上げようとしないまま貴裕の体をさすってくる。そうしながら際どい場所に辿り着いて、入り込んでいる場所に指が触れた。
「……っあ! な、ん……な、ぁあ!」
「ここ撫でながらするとイイよな?」
「ちょっ…も、おまっ」
 にやぁと笑った浩隆は、指で触れたその場所をなでながら、卑猥に腰を押し付けてくる。
 ぐちゃぐちゃと音を立てるそこから、動きに合わせて塗りつけた液体があふれ出し、どろりと脚を伝っていくのですら酷く感じて、貴裕は腹を震わせながら首を振った。
「や……それやだ……おく、奥が……あっあっ!」
 突きこまれる度に背筋を何かが這うような感覚がひどくなっていき、それが最高まで達すれば何が起きるかはもう知っている。
 この男と寝るようになって何度も経験した事だが、未だ慣れずに怯えて逃げようとすれば、腰を掴む腕の強さが酷くなり、酷いぐらいに出し入れされた。
「あっあっあっ! や、いや……あああっ!」
「いやならやめる?」
「や、だッ……んぁっ!」
「やならそう言う態度はやめときな」
 素直じゃないのはよろしくないなあと笑いながら、入り込んでいる場所を撫でていた手が前へと移動してくる。
 もう痛いぐらいに張り詰めているそこを撫でられればひとたまりもなく、シーツを掴みながら貴裕は全身をびくりと緊張させて叫んだ。
「もっ……あああっ、もうっ……も、だめっ」
「もうちょっと我慢な」
「やっ……掴む、な……やだ、もういく、いきたいっ」
「だめ。こっちじゃなくて後ろでいった方がイイ顔すんだもん」
 あれ好きなんだよなあと笑いながら、浩隆は首筋に噛み付いてその痕を舐め上げる。
「や、やだ……ああっ、あああっ!」
 ねえほら我慢してないでいっちゃいなよと笑いながら、最奥まではめ込んでかき回されて、貴裕の口からは悲鳴にも似た喘ぎが上がった。
 もう許してと頭を振りながら言ったが聞いてもらえず、繋がった場所から響く音は益々酷くなった。
「んんっ! や、あーっ、あーっ! ……あぁっ!」
「んっ」
 足先でシーツを蹴って乱して、両腕を伸ばす。
 さっき望んだとおり、貴裕の指先は浩隆の背中に回って、爪を立てた。
「……っ!」
 いってぇと小さく呟いて目を細めた浩隆の顔に余裕がなくなっているのを見つけて、貴裕は少しだけ満足する。
「なに、笑ってんの」
「……んん? 気持ち……いいなぁ、と……思っ、て」
 あ、と声を上げながら貴裕は背中に回した両手で浩隆の背中を撫で下ろしていくと、浩隆の体が小さく震えた。
「あ、感じた……?」
 目を眇めて耐えるような表情を見せた浩隆に嬉しくなって笑えば、不本意そうな表情が返って来る。
「なにいきなりその、余裕な顔」
「……んん? そんなもん、ない、って」
 そんな風に答えながら、貴裕は浩隆の頭に手を添えて引き寄せる。
 ふふ、と笑いながら抱き寄せて肩口に額をつけていれば、やっぱり余裕だと拗ねた声がしておかしかった。
 余裕なんていつもないのに。
「そんな顔してるなら、もっとやっていいな?」
「……え? あ、あ……っ!?」
「なんもできない顔にしてあ、げ、る」
「ちょっ……いやだ、あっ、や……ああっ!?」
 語尾にハートマーク付で宣言した浩隆は、貴裕の太腿を掴んで脚を思いっきり開かせると、ゆっくり引き抜いた後いきなり突き上げてくる。
 その後すぐに腰を持ち上げられて、浮きあがったそこに何度も何度も抜き差しを繰り返されて、すぐに頭で考える事ができなくなってくる。
「あっ……あーっ、や……それや、だっ」
「やだ? どうしたい?」
 途中まで抜いて、わざとらしく中途半端な位置を擦っているそれがもどかしい。自分で押し付けようにも腰を持ち上げて固定されてしまっているからできず、うずうずするその感覚に耐えられず、貴裕の目からは涙がこぼれた。
「あっ、あっあっ……や……ひろ、ひろっ」
「名前呼んでるだけじゃわかんないよ。ほら、どこ?」
「あっ、あああっ……お、く……もっと、奥っ……んあぁっ!」
「奥どうして欲しいの」
「もっ、と……っ……もっと奥、突い……ああああっ!」
 全部ねだる前に、入り込んだそれを奥まで入れられて、揺さぶられた。
 どろどろに溶けそうな場所を、硬いものでかき回されて、浮いた脚が空を蹴り、びくりと震えて硬直する。
 髪が頬に当たって痛いぐらいに首を振って、シーツを手繰り寄せて握り締め、もっと、と貴裕は声を上げる。
「あぁっ、あ……あっ、ん……もっ、と……もっと」
「どこ?」
「奥だけ……やだ、う、ご…うごいて……っ」
「こう?」
「あああああっ! そっ……すご……っ」
 強引に脚を入れ替えられて横抱きにされて深く抉られた。そのまま腰を使われれば、微妙な位置に当たって貴裕は身悶える。
「あっ、いい……そこ、そこ」
「こっち?」
「んんっ、もっと……それ、いい、あっあっ!」
 喘ぐ貴裕の声に混じって、小さく浩隆の声が耳に届く。
 小さく混じったうめき声に煽られて、ただでさえひどく敏感になっている体の反応が酷くなる。
 腹が痙攣のような動きをしているのはもうずっと前からで、もう何をされても繋がる先はひとつだけだ。
 体の位置を戻されて、ひどくやさしくキスをされる。
 それだけでは足りずに自分から舌を出して絡ませて、噛んで舐めてを繰り返し、体の奥を擦り合わせる。
「ああ……んっ……ひろ、ひろ」
 ずっと名前を呼びたかった。
 あんな『仕事』をしていて、罪悪感がないとは言えない。
 自ら体を差し出す行為を、浩隆も貴裕も良いとは思っていないから、名前を呼んで確かめられるセックスは、とても大事なものだ。
「貴裕……いい? いきそう?」
「んっ……も、とっく……だって……あうっ、あ、あ、あ!」
 浩隆の背中に浮かぶ汗ですら愛しいと感じるのはなぜだろうか。
 自分はそんなに誰かに依存するような人間ではないと思っていたのに、今は浩隆がいなくなってしまったら多分自分は生きていけなくなるのではないかと思う。
 浩隆の抱きしめてくれる腕が欲しい。そうして浩隆も自分を欲しがって、重ねるものが同じだけ熱ければいいと思う。
「あ……あ、いい、いい……っいく、あっあっ」
「いいよ、俺もいくから」
 ほら、と深く突き上げられてあっさりと限界はやってきた。
 背中に回した手が爪を立てて抉り、その痛みに耐えるような浩隆の顔を見ながら果てる。視界が真っ白に染まって、声を上げていたのかそうでないのかもわからないぐらいに強烈な感覚に襲われて、何がなんだかわからなくなった。
 最後の最後の瞬間に、浩隆が柔らかく啄ばむようなキスをした事だけはわかって、そのことに満足して貴裕は目を閉じる。
 力の入らない体はそのままベッドに沈み、この瞬間だけにしかない満足感を味わった。




 さらさらとした感触にふと目をひらけば、浩隆の手が頬にあった。
 撫でる手の暖かさを感じながら吐息すれば、気がついたかと問われる。
「またすごい飛んだな」
「うるさい」
「そんなに俺の事スキ?」
 気持ちよくなって飛んじゃうぐらい好き? と問われてべちんと顔を叩く。そんな聞き方はあるかと返せば、ごめんごめんと、ちっとも謝っているようには見えない表情で謝られた。
「な、言えよ」
「いやだ」
「なぁんで」
「不誠実な男は嫌いだ」
「やぁねえ。俺タカくんに対してだけは超がつくぐらいに誠実よ?」
「うそつけ」
 事後の甘ったるい空気など欠片もないそんなやり取りに、だがそれでこそだと安心して貴裕は布団の中に潜り込む。
 一日で何度もこなしたおかげでさすがにもう体力が残っておらず、シャワーを浴びる気にもなれなかった。
 飛んでいる間に浩隆が体を拭くだけはしてくれたらしく、不快感もないからこのままでもいいだろうと思ったのだが。
「あ、こら寝るな」
「んん……やだ眠い寝る」
「寝る前にちゃんと言いなさいって。こら、たーかーひーろー」
 何を言えと、と胡乱な目で睨めば、ちょっと前の会話ぐらい覚えてろよこの鳥頭と小突かれた。
 眠くてしょうがないこの頭で何をどう覚えていればいいんだと思いながら、ほんの数十秒前の出来事をなんとか思い出してああ、と貴裕は呟く。
 そして眠気で重たい腕を持ち上げると、浩隆の首に腕を回して抱き寄せて、呟いた。
「はいはい。好きですよ」
 ついでに軽く触れるだけのキスをしてやって、腕を離してぼすんと枕の上に頭を埋める。あとはもう、幸せな眠りの中に沈むだけ。
「……もうちょっとちゃんとして欲しいのになあ」
 そんな声が聞こえてももう目が開かない。
 起きたらもう少し優しくしてやるかと考えながら、ああでも明日も撮影だっけと思い出す。
「ひろ」
「なに?」
「おやすみ。……また明日」
「……ん」
 口元に満足そうな笑みを浮かべながら、貴裕は眠りに落ちる。


 まさかその少し先に、思いもよらない出来事があるとは想像もしないまま、幸せの中に沈む貴裕の表情は、どこまでも幸せそうだった。
 おやすみ、と返された声はもう届いておらず、けれどその手はしっかりと、浩隆の手を握っていた。




 END



いい加減にしなさい! のふたり。
エロが書きたくなる衝動が襲ってきたので
このふたりに白羽の矢がたちましたとさ。

所長さんを書いてるのが楽しかったです。