――――――――――――――― 名前を呼んで。




 それで、と聞こえた声は事務所の中でひっそりと響いた。
 野太い、と言うわけでもないがしっかりした男の声。その声の主もびしりとスーツを着こなす男性だが、如何せんこの人物は見た目にそぐわない言葉遣いをしているため、どうにも普通の人には見えない。
「……それで、ここ離れてあんたはどうしたいの?」
 珍しく煙草をふかしながら彼――レーベル『ルビーグロス』の社長(所長と呼ばれているが、実質は社長なのだ)――はいらついた様子で目の前の男に問いかけている。
 所長の前に立っている彼は、軟派な空気を纏っている。長く伸ばした髪は括っているが、性質の悪いホストのような笑みを浮かべた男――『浅都』と言う名だ――で、今のような人を食ったような笑みばかり浮かべるのだ。
「だから、言ったじゃないですか。自分でレーベル作るんだって。それだけの資金ももう、貯めました」
 にこにこと笑いながら浅都はそう言って、それ以外に何か説明がいりますか、と笑った。
 そして両手をわざとらしく広げて、ここは狭い、と言う。
「俺が外へ出るためには、足りないんですよ。ねえ、所長?」
 子供が羽ばたくところを見たいと思いませんかと笑った彼は、成功を確信しているらしい。
 小さくため息をついた所長は、眉間に皺を寄せたまま何度かこめかみを叩く。
 そうして何度も何度も思案したようにため息をついたあと静かに「いいわ」と答えた。
「好きにしなさいな。あんたの人生あんたのものよ」
 書類用意してあげるから、そこ座ってとソファを示した社長がごそごそと引き出しを探って退職の書類を取り出していく。その様子を見ながらニヤニヤと笑う浅都の視線を感じて、所長はまた小さくため息をついた。





 *   *   *





「……ってな感じで、浅都辞めてったわよ。なーんか含みある感じでヤなのよねぇ、あの子」
 ソファーにどっかりと座りながら、『ダークネス』などという薄ら寒い真っ黒のノンアルコールカクテルを飲み下した所長の目の前に座っているのは、この『ルビーグロス』の売れっ子男優『ヒロイ』だ。
 本名浅生浩隆と言う名前の彼は、何故だか仕事もないのに朝っぱらから呼び出されて所長の愚痴に付き合わされている。
「はぁ。っつーか俺もあいつ好きじゃなかったからいなくなってせいせいって奴じゃないんですか?」
「そうだといいのよねぇ。でもあの笑い方気持ちわるくって」
 ぞっとしたわぁ、とぶるりと震える所長の様子からして、それは嘘ではないだろう。
 大抵の事では動じない所長がそれほどまでに嫌がるとは一体何事だろうと思っていると、『浅都』が早々にレーベルを立ち上げた事を教えられて浩隆は驚いた。
「え、そんなに簡単にできるもんですか」
「そりゃ、ちゃんとした申請通してーってなると大変よ? まあ、前々から準備してたみたいだし、だからちゃんとしてるっていえるかもしれないけれどね、あの子の性格からしてそれはどうなのかしらねぇ」
「……まあ危ない橋渡るの大好きって感じだしなぁ」
「そうそう、それなのよぉ」
 だからねぇ、嫌な予感しかしないのよ。そんな風に言ってまた真っ黒な飲み物を飲み干した所長は、眉根を寄せる。
「こっちにまで被害が来ないといいんだけど」
「まあ、だからって身構えすぎてもいい事ないっすよ。警戒するに越した事もないけど」
「……そうねえ。ま、とりあえず気にする程度に留めておきましょうか」
「そうそう。つーかそれ以上に俺、その飲み物に何入ってるのかが気になってしょうがないんですけど」
 さっきからやたらおいしそうに所長がごくごく飲んでいるそれだが、色はまるで墨のようであまりおいしそうには見えない。嫌そうに浩隆が目を細めて問いかければにっこりと笑顔で。
「聞きたい?」
 嫌な予感のする声で所長が言うものだから、浩隆は首を振って好奇心を腹の中に収めたのだった。





 *   *   *





 変化が訪れたのは、それから三ヶ月ほど経ったある日の事だ。
 浩隆の同棲相手、吾桑貴裕が仕事用の携帯を睨んでいたことから始まった。
「どした?」
 複雑そうな顔をしている貴裕に浩隆が問いかければ、これ、と携帯を差し出される。
 画面に映し出されていたのは一通のメール。そのあて先は登録されておらず、タイトルには『浅都』の文字が入っている事に、それを見た浩隆はあからさまに嫌そうな顔をした。
「なんでこいつが?」
「知らないよ。と言うか何でアドレス知ってるのかな」
 仕事用とは言えど、それは社内連絡のために使っているに過ぎず、他には公開していないはずだ。
 大体が所長と浩隆、他数人が知っているだけのようなそれのアドレスを、どうやって聞き出したんだと貴裕はあからさまに気持ち悪そうな表情をしている。
 三ヶ月前の浅都の退職はもちろん貴裕も知っている。そしてその頃とはアドレスも違うものになっているから、今のアドレスを浅都が知っているはずもないのだ。
「中、見ていいのか?」
「いいよ」
 了承を得てメールを見れば文面は硬く事務めいたものだった。
 だがその内容を読み込んだ浩隆の顔は曇っていき、眉間にはみるみるうちに皺が寄る。
「なんだこれ」
 内容は理解した。だが思わずと言った様子で出た言葉に、貴裕も困ったように眉を下げて答えた。
「なに考えてるんだかね」
 俺がOKすると思ってるのかな。そう言いながら貴裕は浩隆の手の中から携帯を取り返す。
 その画面に映し出されている文章、その内容は自身のレーベルの作品に出演しないかと言う事。丁寧に見せかけて慇懃無礼な文面は押し付けがましく、貴裕が参加する事を前提に書かれている。浅都の性格が現れているその文章に良い印象は全くなかった。
「……で、どうすんの?」
 目を細めた浩隆の問いに、どうするもなにもと貴裕は笑った。
「正式に事務所通したものじゃないし、相手にする必要もないんじゃないか? 本気だったら所長から話が来るだろ。一応断りは入れるけど」
「まぁ、そうだけど」
 なんか気持ち悪いなぁと呟いた浩隆は、薄ら寒いものを感じ取って身を震わせる。
「つーかこれって引き抜きじゃんよ。あいつのレーベルったらインディーズっぽいし、なんかやってそうでこえぇよ」
「……さすがにそこまでは」
 やらないんじゃないかと言う貴裕にも、頭の隅にはその考えがあったのだろう。途中で言葉をとぎらせて彼は苦笑していて、戻ってきた携帯を閉じながらもどこか眉を下げて不安を表情に出している。
「所長にも話通しておく?」
「……んー、まあ、一応」
「ん。明日俺行くけど」
「じゃあ頼むよ。俺来週まで仕事ないし」
「ん? 珍しいな」
 今日は水曜日。週の半分をオフで過ごすと言うのは、事務所一の売れっ子にしては珍しい事だと首をかしげれば、勝ち取りました、と貴裕は唇を上げて強気に笑う。
「最近打ち合わせに本番にって忙しかったから。休みくれって言ったの」
「なるほど」
「最近こき使われっぱなしだし」
 ほんと疲れてるんだよと、ソファーにずるりともたれかかる貴裕は、本当に忙しかった。
 ふたりが所属しているレーベルには、人気のAVシリーズ作品が存在している。そのシリーズに連続出演中なのが貴裕だ。
 第一作目からは時間が空いていたけれど、二作、三作、四作……と連続して撮影が慣行されたために、貴裕は珍しくグロッキーだった。
 しかも途中、本物志向の所長命令のおかげで修行までさせられたものだから、疲労の度合いは倍増しだ。
「売れっ子は大変だねぇ」
「それ言われてもあんまり嬉しくない」
「ま、しょうがないんじゃないの。売れるうちが華だろ?」
 せいぜい稼がないとと笑う浩隆の言葉に貴裕はむくりと起き上がって、ソファの上で胡坐をかいた。
「稼ぐだけ稼いで楽するつもりだけどね」
 強気に言った貴裕は、大変男らしく笑ってみせる。
「いいねえタカくん男らしい」
「男だよ」
「そーゆートコも男らしいねえ」
 カッコイイと笑いながら浩隆が隣に座れば、自然とその肩に貴裕の頭が乗った。
 なかなかに警戒心の強い貴裕がそんな事をする相手が自分だけだと知っている浩隆は、少しばかりの優越感を自覚する。
 そして少しばかり、やらしい事も考えた。
「タカくーん」
「ん?」
 声を柔らかくして問いかければ、身じろぎしないまま貴裕が答える。
 その頭に鼻をくっつけてすんすんと匂いをかげば、シャンプーの匂いがした。
「いい匂い」
「ああ、さっき風呂入ったから」
「昼間なのに?」
「昨日帰ってすぐ寝ちゃったんだよ。なに? したいの?」
 目を閉じたままくすくすと笑った貴裕がずばり聞いてくるのに対して、こちらもうんとはっきり頷いて、キスしたいと言えばさらに笑いながら貴裕が顔を上げる。
「せっかく風呂入ったのにな?」
「ごめんなさーい」
 本気ではない責めの言葉を笑って受け流しながら、目を閉じた貴裕に口付ける。
 ちゅっと音かわいらしい音を立てたそれで唇を離すと、うっすら目を開いた貴裕が首をかしげた。どうしたと言うその頬にもう一度キスをしてから、浩隆は立ち上がる。
「あとはベッドで、ってね」
「……言っておくけど、月曜日には出勤だから」
「うん」
「日曜はしないから」
「うんうん」
 わかってまーすと返事をしながら、あと3日あるよねと笑った浩隆は、貴裕の腕を取って部屋に向かった。

 一緒に暮らす時新しく買った浩隆のベッドのサイズはダブル。あからさまにセックス目的だと知れるそれに貴裕はいい顔をしなかったけれど、結局のところ貴裕だって好きなのだから、使用頻度は思っていた以上に高い。
 最初はキングサイズがいいなあなどとも考えていたのだけれど、部屋の広さを考えてそれは断念せざるを得ず、残念なばかりだ。
(あー……かわいい)
 腰を抱きながらやってきた自室、さっきまでとても男らしくしていたのに、ここに来ていつも以上にかわいく見えてしまって、ちょっと股間のあたりが危険だと自分で思う。
 あっさりと押し倒されてくれるのが自分に対してだけなのだと考えると、思考はどんどんいけない方へと傾いていく。何を言わせたいだとか、どうしたいとか。詳しく言えばあそこ舐めたいだとかいっぱい突いてぐちゃぐちゃにしてあんあん喘がせたいだとか。
(3日でおさまるかな)
 貴裕にとっては不吉極まりない事を考えながら、キスをして服を脱がせる。
 いっそ週明けまでひきずるほどの痕をつけてやろうかとも考えたけれど、それは後で怒られるのがわかりきっているからやめておいた。





 *   *   *





 撮影の時とオフとでの一番の違いは、貴裕の感じ方だと思う。
 仕事の際の『TAKA』としての貴裕は、どうしても見た目重視で大袈裟に思える。もちろんそれはアダルトビデオの撮影現場としては正しい事なのだろうけれど、やっぱり恋人としては演技などないプライベートなセックスの方がいいに決まっている。
 カメラのない空間での貴裕は、仕事の時よりよっぽどエロい。作り物の艶冶な空気ではなくて、自然なそれはどこまでも甘く、これが自分だけのものかと思うとたまらない。
「……っあ、やだそこ」
「ん? どこが、いや?」
 ぐっと押し込んだものを、わざとらしく『そこ』に擦りつけながら問いかければ、背中を反らせた貴裕が首を左右に振る。
 痛みなど見当たらないさらさらの髪は今、汗にぬれて頬に張り付いて、それがやたらと扇情的だ。張り付いた髪を払ってやりながら、上下する胸に吸い付いて言いなよと促しても、びくびくと体を震わせるだけで貴裕はなにも言わない。だから硬くなっている乳首を軽く噛みなつつ「えい」と、浩隆は腰を奥に突き上げる。
「っああ! あ!」
「っあー……」
 大きく突き上げると同時にぎゅうっと締め付けられて、声を出しながら奥に留まれば、ひくひくと中が痙攣している。気を抜いていれば終わってしまいそうな動きを感じながら、耐えつつ何もせずにいると、ひくりと貴裕の喉が鳴って「なんで」と問いかける声が聞こえてくる。
「……なんでって、なに?」
 問いかけの意味をわかっていながら、笑って返せば、なんで、ともう一度声がする。
「なん、なんで、やめ……とま、らないで……っ」
 動かしてくれないと辛いとたどたどしく言われても、今動いてしまえば終わるのは必至で、我慢しているのだと悟らせないように耳朶を舐めながら、浩隆は答える。
「んー……超キモチイイんだけど、だめ?」
「やっ……これ、やだ……なか、うご、ぁ……っ」
 浩隆自身は動かないままだけれど、ひっきりなしに貴裕の中が痙攣しているから、小さく粘った水音が聞こえてくる。次第に我慢できなくなったのか、貴裕の腰ががくがくと揺れ始め、お願いだからと涙声で懇願されて。
「……っ、あー……タカ、かわい」
「も、かわい、とかどうでもい……っあ! あー……あっあっ!」
 白い腕を浩隆の首に回して、腰を振りながらはやくとおねだりされては拒めない。
 大きく腰を使って突き上げれば、目を閉じた貴裕が背中に爪を立てながら声を上げて身を捩る。
「あっあっ、も……と、もっと……! そこ、そこ」
 撮影の時にはこれでもかと言うほどにぺろぺろと口にする隠語を、プライベートで貴裕は殆ど口にしない。その最もたる台詞が「おちんちん気持ちいい」だろう。
 最早AVの定番となっているそれを撮影時には簡単に口にするくせに、こう言う時には絶対に貴裕は口に出そうとしない。意識してかどうかはわからないけれど、それが貴裕の線引きでもあるのだろう。
(……あからさまなのよりこっちのが全然)
 本当はその気にさせられるんだけどねぇと笑いながら、もっととねだる声にこたえるべく浩隆はその指先を貴裕の唇の中へと差し込んで、ぐっと奥に突き立てた後指とそれを同じ動きで回してみせる。
「んんんっ……! んっ、んぅ」
 ぐちゅぐちゅと音を立てながらかき混ぜた後ゆっくりと抜き差しを繰り返し、濡れた指を口から引き抜いてそのまま右の乳首を捏ね回すと、貴裕は悲鳴を上げて仰け反った。
「ひ、ぁっ……!」
 首に回されていた腕がそのまま離れて、貴裕の背中がベッドに沈む。
 そのまま腰を抱え上げて浮かせながら、再び胸に吸い付いて腰を回すと、シーツを握り締めながら貴裕がもがく。
「あっ、うぁ、あっ……ああ! ん、んんー……っ、ぁ!」
 ぐっぐっと奥に押し付けるように動いた後、ゆったりとした抜き差しに変えるとその指先に入っていた力が抜けて、快楽に強張っていた体からも同じように力が抜けた。
「んー……あ、あン、ん……」
 口元に持っていった指の腹を軽く噛んで舐める、その仕草がたまらなく好きで、そこを目撃すれば当然、中に入っていたものが膨れ上がって貴裕に甘い声を上げさせる。
(あー……やばい、声だけでいきそう)
 形だけの抵抗はする。けれどそれは、官能を高めるためのスキルでしかない。
 拒絶のない貴裕のセックスは気持ちがよすぎて、何をしても快楽にしか繋がらないからいっそ怖い。
 その口から出る声だけでも三回はいける、などとろくでもない事を考えながら浩隆は腰を振って、赤く染まっている貴裕の体の中でも余計に赤い耳朶をぱくりと口に含んで舐めながらもっと声を出してとねだった。
「ああ、あっ、ひ……ヒロ、ヒロぉ……」
「んん、あ、いい……その声イイ。もっと……」
 舌足らずに名前を呼ぶ声と同時に、きゅんと中の締め付けが強くなる。
 もっとしてと耳朶を舐めながら甘えれば、貴裕は何度も名前を呼んで浩隆の両腕にすがり付いてねだった通り名前を呼んだ。
「ヒロ……もっ、もっと、奥……」
「ん。どの、辺?」
 ここ? と問いかけながらわざと途中のあたりを擦っていれば、そこじゃないと首を振る。
 涙目で見上げてくる視線もたまらず、またその強張りをひどくすれば小さな声が上がって、ちがう、ちがうと訴える言葉に「ん」と頷いて奥を突き上げた。
「あァ!」
 これ以上ない場所までたどり着くと、顎を反らせた貴裕が目を見開いて声を上げて、びくびくと腰をはじけさせた。
 意図してやるのとは違う、反射のその動きに気付いて貴裕の脚の間に目をやるけれど、射精はない。だが息を荒くしながら震えるそれと、中で感じる不規則な痙攣は終わった時のそれで、ああ、と浩隆は笑う。
「タカ、奥でイっちゃった?」
 機嫌よく笑いながら問いかければ、がくがくと揺れるままの動きで頷きが返ってくる。
 何も言えないと言った様子のそれに益々浩隆の機嫌の良い笑みは深まって、涙目の貴裕に口付ける。
「んん……!」
 震える体をさすりながら口付けて、ゆっくりと舌を絡める。
 返ってくる動きがぎこちないのは、未だ絶頂感が去っていかないせいだろう。
 だがそんな貴裕の腰に手を滑らせた浩隆は、そのまま改めて腰を揺すり、動きを再開させた。
「っあ! まっ、て……んぁっ! あっ! ……ああ、あー、あっ!?」
「だめ、待てない。もっといっちゃって」
 少し待ってと言う体を押さえつけて、射精はないまま少しだけ萎えた貴裕の性器を手の中に収める。
 濡れた先端からゆっくりと扱きながら腰を突き上げて、もっと感じてと笑いながら、浩隆は口を開いた。
「ここ、も。ここ……もっ」
「んぁっ、あああ、あっ、あん、あっ……!」
「全部、してあげる、から……っ、ほら」
 空いた手を繋いで、心臓の上にある赤みに吸い付いて、脚の間を扱きながらゆったりとした動きで腰をグラインドさせる。
 貴裕が体を捩って逃げようとすれば強く突き上げて動きを奪って、その後焦らすように腰を引いてねだらせて、泣けば舌で涙を吸って、キスをして舌を絡めて吸って。
(ああもう、手が足りない……!)
 やりたい事が多すぎて手が足りない。
 足りない手の代わりに、腰の動きを複雑にして感じさせて、上がる声でまた興奮して、とにかく思いつくなんでもをやった。
「も、スキ。たまんない」
「んん、んっ……や、ヒロ、ひろ……っ」
「出すよ? いっぱい出していい? 汚しちゃっていい?」
 ぐちゃぐちゃにして、マーキングしてあげる。
 耳元で囁いた言葉の意味は、快楽に虚ろになった貴裕には届いていないかもしれない。
「い、いいー……もっ、なんでも、い……っ……して、して」
 奥まで入れて、突いて擦って、やりたいことしていいから。
 そんな風に訴えられて、もう我慢がきくわけがない。
「あっあっあっあっ! あー……いっ、きも、ちい……いっ!」
「どこ? 胸? 中? それともこっち?」
 舌を這わせている乳首なのか、それとも突き上げる中か、ぬめる体液を吐き出すそこか。
 どこがいいんだと問いかければ、舌足らずの声で「みんな」と貴裕は答える。
「ぜ、んぶ……いっ……ああ、いー……いい、イイ……ッ!」
 再び背中に回された手が、強い力で爪を立てる。
 蚯蚓腫れになるかもしれないと思いながら、それでもいいかと浩隆は思った。
(タカかわいいし、エロいし)
 もうなんでもいいやと思いながら、それ以上は考えられずにただ気持ちよくなりたくて腰を振る。
 肌がぶつかる音とベッドの軋む音の中に、ふたりぶんの荒い息と貴裕の声が重なる。
 一番大きいのは貴裕の声で、浩隆の射精感もその声で余計に煽られる。
「あー……いき、そ……っ」
「んん、いっ、いって……もっ、だめ、だめ、おれも……あっ、ひろ……ア……!」
「ん……っ!」
 ぎゅう、と搾り取られるような中の動きにつられて、宣言どおり貴裕の中へと射精した。
 ひくひくと痙攣を繰り返す中は、あふれたそれを嚥下するみたいに動いていて、しばらくは浩隆の腰の動きも止まらず、貴裕に小さな声をあげさせていた。
「っは……ぁ、あ……ああ、あっあっあっ!」
 全部出し切っても止まらないままゆったりと腰を動かし続けていると、再度貴裕は絶頂を迎えたらしい。
 何度も体を跳ね上げて痙攣した後、大きく息を吐き出してようやく収まったようだ。
 それでもしばらくは顔を両手で押さえたまま動かず、浩隆が体を離したところでやっと、顔を見せた。
「……つか、れた」
 ぜぇはぁと荒い息のまま吐き出した言葉はムードのかけらもない。
 苦笑しながら頭を撫でて、ごめんなさぁいと誠意のない謝罪をすれば、べちんと力のない平手が頬を襲う。
「ひるま、っから……濃いこと、すんな」
「いやいや俺のはまだ序の口でしょ」
「うそつけ」
「ほんとだってば。今のはタカの感度がよかっただ……あいて!」
 今度は勢いよく高い所から降ってきた掌に顔全面を殴られて結構痛かった。
 貴裕がその後すぐにばかと怒鳴ってきたけれど、顔を真っ赤にしたままではあまり効果はない。結局浩隆の機嫌の良い笑みは崩れないままだ。
「タカくんかーわいかったねーえ?」
「……るさいよ」
「感度良好だったし? どうしちゃったの」
「知らないよ。体調がそっち向きだったってことだろ」
 照れ隠しに不機嫌を装いながら、ふんと顔を背けた貴裕は立ち上がる。
 どこへ行くと問いかければ「風呂」と答えられた。
「えー、もうおしまい?」
 あともう一戦。と笑いながらねだってみたら、じろりと睨まれた。
「今日はもうお休みです。ヒロだって明日仕事だろ。ちょっとは温存しておけよ」
 プライベートでやりすぎていざ本番になったら使い物にならないとか言ったら最悪だ。そんな風に言われたけれど、その言葉にはいつもの言葉を返してやる。
「俺絶倫だもん。それは絶対ない」
 にぃ、と笑いながら言えば、バン、バン! と強い音を立てながら部屋のドアが開閉された。
 そしていってらっしゃーいと笑いながら声をかけた浩隆は、もうやる気がないならしょうがないかと苦笑して、汚れたベッドシーツをはがしにかかる。
 ところで貴裕は気付いているだろうか。
 浩隆が『絶倫』と言われる原因は、他ならぬ貴裕自身が原因なのだと。
「……だってねぇ、タカのえっちぃ姿想像したら勃たないワケないっつーの、ねえ?」
 当たり前じゃないよと小さく呟きながら、浩隆はばさばさと汚れたシーツを手馴れた様子で取り替えていく。


 そんなこんなで、メールに感じた一抹の不安など、幸せにひたるふたりは頭の隅へと追いやってしまった。
 だからふたりは気付けなかった。
 少しずつ不安の芽は育ち始めて、やがてふたりを絡めとろうとしている事に。







 END