――――――――――――――― 秋坂くんの応援





 ぱたぱたぱた、とはたきをかけている姿は、どことなく力がぬけているように見えた。
 エプロンをつけて、いつもどおりに仕事をしているはずの先輩の名前は飴沼一縷で、今カウンターに立って定期改正をしているのはその後輩である秋坂一基だ。
(あーあ……大丈夫かな?)
 そんな事を思うのは、いつもてきぱきと仕事をしている一縷の様子が、ここ数日おかしいからだ。
 今だって、ぱたぱたとはたきをかけながらぼうっとしているし、時折仕事の手が止まって、何事か考え込んでいるようだ。
(……まるっきり恋する乙女って感じだなぁ)
 何度も溜息をつく姿は、男性相手に申し訳ないがまるっきりそんな感じだった。
 一縷の想い人が誰かなんて秋坂にはとっくに知れているのだが、どうもあのふたりはお互いにちゃんとわかっていないらしい。
 未だその関係は店長と店員のまま。なんだかもどかしいような、そのままでいて欲しいような、複雑な気分だ。
(ラブラブになって目の前でいちゃいちゃされるよりいいのかな……いやでもこのままじゃ仕事もできやしないって感じだし)
 店長と一縷、この店の中でトップのふたりが仕事をしてくれなくなると、その下で働いている自分が困る。かと言って店内でいちゃいちゃされても困るのだが。いやまあくっついたところであのふたりが店内でいちゃいちゃするとは考えにくいのだけれど。
(店長美人だからなんか違和感ないんだよなぁ……あのふたり)
 それに一縷も。彼は普段自分の事を大したことないだの平々凡々だのと称するけれど、秋坂は結構カッコイイと思うのだ。
 顔の好みは別として、あの人の人間性はとても格好いいと秋坂は思っている。
(仕事できるし、同い年の女の子なんかよりよっぽど気が回るし)
 何があったのかは知らないが、最近一縷は住み込みで働くようになったらしく、よく店長と夕飯がどうのだとか朝飯がどうのとか話している。そんな姿を見ているとまるで主婦みたいだと思うのだが、さすがにそれを言ったら一縷は怒ると思うので言っていない。
(あ、でも俺先輩が怒ってるところあんまり見たことないかもなぁ)
 見たことがあるのは、一縷が女装をしてどたばたと出てきたあの時だけだった。
(あ、そう言えばあの時の先輩は可愛かった)
 半ば無理やりに近かったと言うが、女装姿の一縷は女の子だと言われれば信じてしまいそうなぐらいに可愛かった。一瞬秋坂ですらどきっとしてしまったぐらいに。いやもちろんメイクの所為だけれど。
(あれじゃ店長が惚れたのもわかるかなぁ)
 秋坂自身はノーマルな性癖の持ち主であるが、周囲の性癖に対して彼はかなり寛容である。好きあっているように見えるなら応援するし、それがまじめに好きだと知れれば、協力してあげたりする事もある。
(まぁ見た目的には女の子同士の方がかわいくていいんだけど)
 そこはそれ。店長がきれいだからまぁいっかなどと考えて、結構前から秋坂は店長と一縷の恋路を見守りつつ心の中で応援していたりするのだ。
(でもまさかここまで鈍いとは思ってなかった)
 鈍さに関してはどっちもどっちで、ふたりとも他人が見ればわかるぐらいにはだだ漏れの状況なのにお互いだけがわかっておらず、しかも一縷に至っては自分の気持ちすらわかっていなかったようだ。
 だから秋坂はちょっとだけやきもきしていたのだが、ここ数日一縷の様子がおかしく、どうも自分の気持ちを理解したらしいと秋坂はにやにやしている。
 縁結び本屋さんなんて噂されているくせに、店員たちは自身の恋路にものすごく鈍いなんてお笑い種だが、これはこれでほほえましくていいかもしれない。
(……なんてね)
 早くくっついて大団円にまとまってくれないものかとも秋坂は思うのだが、だからと言って仲を取り持ってあげようと考えるほど秋坂はアクティブでもなく、ただ見守るだけだ。
「せんぱーい」
 ぼうっとしている一縷を見るに見かねて声をかえければ、びくっと震えた一縷は驚きながら「はいっ」と元気良く返事をしたので秋坂は声を出して笑った。
「なんすかその、はいっ、て」
「あ、いやごめんぼーっとしてたもんだから。で、何?」
「次夏休みじゃないですか。だからこの辺どうするのかなと思って」
 雑誌の名前が羅列された紙には、数字が細かく記入されている。
 この数字を直して、次はこの数でお願いしますと送らなくてはならないのだけれど、夏休みは初体験なので何をどうしたらいいのかさっぱり予測がつかなかったのだ。
「ああそっか。とりあえずジャンプとか週刊誌増やして、あとは普通でいいよ。ここらで休み関係あるの学生さんぐらいだし」
 もっと大きい書店などだと、家族ぐるみで旅行の際に寄ったりと客層が変わることもあるらしいが、如何せんこの小さな駅前店では、さほど客層の変わりはないらしい。変わるとすれば、休みに入った学生が駅前をうろちょろするぐらい、だそうだ。
 少し前までこの仕事は一縷が担当していたのだが、他にも担当がありすぎて手が回らないという事で秋坂にバトンタッチされた。だがこれが結構難しく、何をどうしたらいいのかわからなくて一縷に質問する事がしばしばで、役に立っているのか立っていないのかいまいち首をかしげてしまうのだが、一縷曰く『いいんだよ、それで』との事だ。
「どれぐらいにすればいいですか?」
「学生さんが多くなるから、倍……じゃちょっと多いから、それより少し少ないぐらいで」
「はい」
 残りはいつもどおりに改正してくださいと言われて秋坂は頷く。
 秋坂への指示を終えた一縷はまた元の場所へ戻ってぱたぱたとはたきをかけはじめる。相変わらずぼーっとした様子の一縷に、これはどうにかしないと仕事が危ういかもしれないと思った秋坂は、立ちあがって一縷のそばに寄っていく。
「先輩、なんか悩みごとですか?」
「え……?」
 ぱたぱたと同じ場所ばかりはたきで叩く一縷を見ながら苦笑して問いかければ、一縷は気がついていなかったかのように首をかしげた。
 こりゃ重症だと思いつつ、何事もないかのように装ってどうかしましたかと問いかければ、一縷はあっさりと口を割った。
「いや、そろそろ飯のレパートリーが尽きてきてどうしようかと」
 思って。と呟く言葉を聞いて、なんだそんなことかと秋坂はがっくりと肩を落とした。てっきり店長について悩んでいるかと思っていたのに。
「そんなことって。それお母さんに言ったら怒られるぞ?」
「ああ、はい怒られた事あります。ってか先輩の悩みほんとに主婦みたいですね」
「あー、まあお世話になりっぱなしだし、食事ぐらいはね」
「なんか毎回悩んでないですか?」
「あはは、ちょっとね」
 苦笑した一縷は、またはぁと溜息をつく。そうしてから、ねえ、と秋坂に向かって問いかけてきた。
「話変わるんだけど、秋坂くん彼女いる?」
「……へ? あ、ああ……居ますよ」
 いきなり話題転換されて、秋坂はちょっと驚いた。
 主婦な悩みから、いきなり確信にどストライク。
「告白された?」
「あ、いやしました。幼馴染で、付き合うかっていったら本当になっちゃって」
「そっか」
「それがなんですか?」
「あ、いや。好きな人居るんだけど、どうしようかなあと」
 よく考えてみれば自発的に好きになった人がいなくてどうしたらいいかわからないんだと一縷は言って、困ったように笑った。
 どストレートに相談もちかけてきたなぁと意外に思いながら、それでも何もしないよりは全然いいと秋坂は思う。助けを求められたら断れないのが秋坂の悪くて良い癖だ。
「そーですねぇ、相手にもよりますけど、俺だったらぱぱーと言っちゃうと思います」
「ふられるかもしれなくても?」
 先輩にはその心配はないですよ、と思ったのだがそれは黙っておくことにする。それを言うのは店長の役目であって自分ではないと思うからだ。だから言うのは、別の事だった。
「俺の場合は、言う事に意味があるんです。伝えなくちゃ何も始まらないから」
「……始まらない」
「だってそうでしょう? 言わなきゃわかってもらえないし、わかってもらえないままで恋人になろうなんて無理だし。そりゃ相手にも同じ事思ってもらえた方がずーっといいに決まってるけど、そうなるにはとにかく、言わないと」
 フラれるとすれば何か理由があるだろうし、それで諦められなければまた努力すればいい。それでもだめならしょうがないだろうし、がんばってお付き合いできるようになれば御の字。
 とにもかくにも、伝えなければ何も始まらないのだと秋坂は思う。
 最初に必要なのは恋愛感情。そこから先は勇気だと思う。あと色々な事を受け止められる広い心。それがないと色々やってられない事に最近気がついた。
 なーんて悟ったように思うのだが、結局のところそのどっちも、自分に身についている気がしなかったりもする。そんなこんなで、失敗すれば若気の至りでしょうがないと思う事にしていたりもする。
「……そっか」
「先輩、好きな人いるんですよね?」
「んー? うん。いるよ」
 これまたあっさり頷かれて、秋坂はちょっと驚いた。てっきり恥ずかしがってごまかされるかと思っていたのだ。
 だがそれもまた一縷らしいと秋坂は納得して、笑顔を見せた。
「きっと先輩なら大丈夫ですよ」
「なんで?」
「秋坂一基の勘です」
 あたりますよー、なんて言いながら秋坂は笑った。だってわかるのだ。店長も一縷も一緒に居ると幸せそうにしているし、お互い好きだと表情その他で訴えているというのに、お互いだけが気がつかない。
 大丈夫ですよーともう一度言いながらカウンターに戻っていくと、入り口から客が入ってくるところだった。
「いらっしゃいませー」
 髪が半分黒で半分白の、まるでモデルみたいな体形をした男性が入ってきて、一瞬その人に目をとられた。
 どこかの芸能人だろうかと思える派手さに、うらやましいなぁと思うが、ただそれだけで終わる。秋坂は基本芸能人にはあまり興味がなく、背が高いのはうらやましいと思ったのだけれど。
「せんぱーい、俺こっち終わったんでかわりますよー」
「ああうんありがとう」
「さっさと抜きやった方がいいですよね? 夜先輩ひとりだけだし」
「ああ、頼んでいいかな?」
「じゃ、そっちやるのでレジお願いします」
「よろしく」
 バトンタッチと入れ替わった後、翌日に新しい号が発売する雑誌を秋坂が抜き始める。
 さっき入ってきた客とすれ違い、何も買わずに出て行くのかと、思ったのだけれど。
(……あれ?)
 ふっと見えたその客が、何故かレジに座り仕事を始めた一縷を睨んでいる気がして秋坂は驚いた。
 一縷は外に敵を作るような性格には見えないからなおのこと意外で目を擦れば、何事もなかったかのように客が外へ出て行くところでちょっとだけほっとする。
(見間違いだよな)
 あんな人見たことないし。
 きっと気のせいだ。そんな風に思いながら秋坂は仕事に戻る。
(先輩と店長うまくいけばいいんだけどなぁ)
 さすがにお膳立てまでしてしまうのはおせっかいというやつだろうし、なんとなくではあるがそのうちくっつくような気がしなくもない。
 できればうまくまとまってくれると秋坂としては嬉しいのだが、それは本人たちが決める事だ。
 手出ししないと決めた以上、秋坂に出来ることは仕事だけで、とりあえずふたりがぼうっとしている間はできるだけフォローできる事はフォローして、しっかりぼうっとしてもらおうと思う。
(しっかりぼうっとってのもおかしいけど、まあいっか)
 大体がふたりとも働きすぎの節があるのだ。たまにぼうっとするぐらいいいじゃないか。
 それにふたりの事は大好きで尊敬もしているから、幸せになってもらいたいのだ。

(縁結び本屋さんの恋路は、ちょっと進展が遅くて、でも幸せそうで素敵ですってところかな)

 そんな事を考えながら、秋坂は笑う。
 きっともう少ししたら、笑っている彼らの姿が見られるのだろう。
 お似合いだと、思うのだ。





 END