――――――――――――――― 気がついた。





 その本屋には噂がある。
 その本屋の中で告白をすれば9割の確立で成功する。
 それが飴沼一縷が住み込みでアルバイトをしている本屋の小さいけれど結構有名な噂だった。
(……そういや最近ないから忘れてたな)
 などと思ったのは、本屋の一角で制服を着た少年少女がもじもじと話をしていたからだった。
 セーラー服を着た少女の手にはラブレターらしい、ハートのシールで封をされている手紙。詰襟の少年はメガネをかけていて、どことなく風紀委員みたいだなあと一縷は思った。
 そして毎度の事だが、一縷は店の奥にひっこんでいる店長に声をかけるべく、奥へと続くドアに手をかけ、少年少女に聞こえないようにひかえめに店長を呼んだ。
「てーんちょー」
 なぜだかよくわからないが、声の大きさに関わらず店長は一縷の呼び声を聞き漏らす事はなく、この日もまたその例外になる事はなかった。
 はいはい、と返事をしながら階段を下りてきた店長に向かって、一縷はくいくいと店内を示す。
「お客さんです」
 示したのは先ほどの初々しいやり取りをしている学生ふたりだ。
 多分この店の噂をききつけてやってきたのだろう。
 告白すれば成功する。そんな噂のこの店にはこんな客がよくやってくるのだが、これが見事に、店長がいない時には失敗する。
 以前に理由を聞いた事もあるが、返ってきた答えは『俺縁結びのカミサマだからね』という訳のわからない店長の笑顔。
 確かにそれを信じたくなるような光景は何度も見てきた訳で、店長に『縁結びの力』がある事は疑いようもない事実のようだ。けれど、カミサマと言われてもそう簡単に信じられるはずもなく、また店長がそれを本気で言っていたかも怪しい訳で、未だ真実は謎のままだ。
(宗教がどうのこうのって言う感じもしないしなぁ)
 カミサマがどうのと言うから宗教関係者だろうかと思ったこともある。だが店長からはそう言った団体に所属している人独特の雰囲気は微塵も感じられない。
 冗談だと言うのが一番しっくりくるのだが、そんな冗談を店長が言うだろうかと考えて一縷は首を傾げざるを得ないのだ。
 まあ真実はどうであれ、この店で……と言うよりも、店長の前で告白をすると成功するというのは本当の事だった。
「初々しいねぇ」
 学生ふたりを穏やかな目で見た店長が感想を漏らす。
 まだ中学生だろうと思える雰囲気のふたりは思わず微笑んでしまいたくなるような初々しさで、できれば成功してほしいなあと一縷は思う。
 もじもじとしたまま本題を切り出す事のできない少女に、心のなかでがんばれと応援しながら一縷は店長の様子を窺う。
 毎度の事ではあるが、店長が何をやっているのかが謎で、そろそろその謎を解き明かしてくれはしないかと、思うのだが。
「ちょっと勇気を出せば大丈夫だね」
 くすりと笑った店長は、一縷が感じた事と同じ感想を述べて、小さく指を振る。
 その行動が何を示しているのか全く以って不明なのだが、とにかくこう言う意味不明な行動を店長が取る時は、めでたくカップル誕生となるのだ。
 今日もそうで、何か言おうとした少女の体がかくんと前に倒れ、慌てて向かいに立っていた少年がそれを支える。お互いなんとなく照れて赤くなって、その後は想像しなくてもなんとなくわかる気がした。
 それを見た店長は、ふふ、と笑ってその場から去っていく。その後を追うように一縷も移動しながら、店長に向かって問いかけた。
「今日はあれだけなんですね」
「ん?」
 あれだけって何? と店長が言うから、一縷はさらに続ける。
「ほら、いつもあれ、なんか結んでるみたいにするじゃないですか。紐とかないけど、空中で」
 いつもなら見えない紐を結ぶような仕草をするのだが、今日の店長はちょっと指先を動かしただけだ。それだけでいいのかと問えば店長はほんの少し驚いたような表情をしながら、よく見てるねえと言う。
「いつ気がついたの」
「え? いや大分前からそうかなと。縁結びって自分で言うぐらいだから、ほんとにそれで結んでるのかなとか」
 勝手に思ってましたと告げれば、店長はさらに驚いたような表情を見せてから、笑う。
「本当によく見てるね」
「場数踏んでますから」
 さすがに気がつきますと一縷は答えた。
 実際何度も店長が何かを結んでいるような仕草を一縷は見ていた。
 何をしているのか最初はよくわからず、なんかやってるなと言う程度だったのだけれど、その仕草の後に告白が成功している事に気がつき、さらに本人に告げられた『縁結び』という言葉になんとなくそうかなと考えていたのだ。
 そんな動作ひとつで本当に縁を結ぶ事ができるかどうかは別として。
「ところで一縷くん」
「はい?」
「俺が本当に縁結びのカミサマだって、信じてる?」
 にこにこと笑って問う店長の言葉に、一縷はばちっと目を見開いて言葉を失った。
 信じるかと問われると答えは難しい。だって目の前に立っている彼は、人間にしか見えないのだから。
「えーと、正直なところ人間にしか見えないので、よくわからないです。でも縁結びの力があるらしいってのは、信じてます」
 少なくとも信じるしかないぐらいの実績を一縷の目の前で店長は披露してきたから、カミサマ云々はまあわからないにしても、その事実だけは信じる以外にはないだろうと思う。
 ふっと視線を移した店の一角に居る少年少女も、店長がかけた『ちょっかい』のおかげでどうやら無事成功したらしい。
 微妙にぎこちなく、それでも嬉しそうに笑っているふたりの姿をちらりと見つつ一縷がよかったなと思っていると、くすくすと笑う店長の声が聞こえた。
「微妙な信じ方だねえ」
 くすくすと笑う店長の声の内容に不快に思ったのだろうかと思った一縷だったが、その表情を見てそうではないと知る。
「俺、見えるものしか信じられない生き物なんで」
 カミサマだと言われても、正直どのあたりがカミサマなのかよくわからないです。正直にそう伝えれば、店長はあっさりとうなずいて笑った。
「うん。一縷くんらしいね」
 そうかそうかと頷きながら、店長はいつものようにレジのあるカウンターの中に入っていく。
 その横に一縷も座って、棚から注文書を取り出して視線を落としつつ、それがどうかしましたかと店長に問いかけた。
「ううん、特に意味はないよ」
 にこにこと笑いながら首を左右に振られてしまってはもう何も言えない。
 一縷はそれ以上何かを問うことは諦めて、注文書に集中する事にした。
 その前を、さっきの少年少女が楽しそうに通り過ぎていく。
(がんばれよー)
 告白が成功したからと言って、その先もずっと幸せが続くかどうかはわからない。がんばらなければその先はないと一縷は知っているから、この店を出て行く幸せそうな人たちを密かに心の中で応援する事にしていた。
 そんな一縷の考えは、目の前にいる店長の言葉の影響が大きい。
――――ほどけないように努力した人たちは繋がるだろうし、何もしなかった人は、すぐに解ける。
 いつの事だったか、店長がこれから告白しようと言うカップルを見て何もしなかった時に言った言葉だ。
 真理だなぁ、と一縷は思う。
 運命だろうが無理やりだろうが、その後に何の努力もしなかった人は離れていく。それが人と言うものだと一縷は考える。
 だってそうだろう。2人の人がひとりになることは有り得ないのだから、傍に居るためには傍に居ようと思わなくてはいけない。
 そう思う事自体が『努力』なのだと一縷には思える。
 思わなければ離れていくだけなのだから。
「店長」
「なんですか?」
 書類に視線を落としたまま、ふと何気なく口を開いたのはいいがその先は何も考えていなかった。何を言おうかなと少し考えた後に、一縷は口を開く。考えついての事ではなく、ただなんとなく、先に口が動いていた。
「俺がんばりますから」
「……んん? 何を?」
 首をかしげた店長の言葉に、何をだろうと自分でも考えたのは一瞬。
 ああそっかと一縷が納得するのは早かった。
「ずっとこの店で働けるようにがんばりますって言いました」
 顔を上げて店長に向かって答えれば、店長はきょとんとした顔を見せた。
 こう言う顔は美人と言うより可愛いだよなぁ、なんて思ったのは、きっと今更のように色々な事に気がついたからだ。
 多分今更何を言うんだかと店長は思っているのだろうと思いながら、何もなかったかのように一縷は再び注文書に視線を落とす。
 どれもこれもいらないものだったり欲しいものが発注不可になっていたり使えないものばかりで殆どがゴミ箱行きになるのだが、それでも重要な注文書が混ざってFAXで送られてくる事もあるからチェックは欠かせない。
 新刊の発注書と既刊本のそれと、さらに必要ない発注書をわけながら、ふと顔を上げると何故か店長がきょとんとしたまま固まっている。
「店長? どしたんですか?」
 首を傾げつつ問いかけてみると店長ははっと正気づいたように目を見開いて、そのあと慌ててなんでもないと答えてくる。
「……?」
 なんでもないと言うよりも、どちらかと言えばその真逆を示す店長の行動に内心首をかしげつつも、一縷はそうですかとだけ告げて、分別を終え、ゴミ箱行きの発注書を手に立ち上がった。
 そんな一縷の姿を視線で追う店長が、ふと背中に声をかけてくる。
「一縷くん」
 そう言えばいつからこの人は名前で自分の事を呼ぶようになったのかな、とそんなことを思い出しつつふりかえると、店長はその美貌を惜しみなく発揮する笑顔を浮かべながら、言った。
「俺もがんばるので、よろしくお願いします」
 そんな事を言いながら店長は軽く頭を下げてくる。
 そんなことしなくていいのになぁと思いながら、けれどそれが店長の美点でもあるのだろうと一縷は思う。
 上司なのだから指示をして命令をすればいいだろうに、店長は一縷が何かをすると必ずお礼を言ってくれるのだ。そんな店長を一縷は昔から好きだったし、ずっと憧れていた。
 だからそんな店長に向かって、一縷はただ笑って答える。
「はい、よろしくお願いします」
 自分でもびっくりするぐらいに最上級で機嫌のいい声と顔だったと思う。
 気持ちというものは恐ろしいぐらいに色々と変化をもたらすものらしい。なにかひとつの事に気がつくだけで何もかも違った景色に見えるというのは不思議なものだ。
 ゴミ箱にいらない紙を捨てて、一縷はまた店長の横に戻る。
 できることなら、ずっとこの横に座っていいと思われるのは自分だけがいいなぁ、とそんな事を考えた。
(……うん)
 憧れだと思っていた気持ちに、別のものが混じっているのだと気がついたのはついさっき。だがそれが混じり始めたのはいつ頃だったかと考えてみても、答えが出ない。
 答えを出せないぐらいに、昔の事のように思えた。
「店長」
「はい?」
「……なんでもないです」
 ただ呼んでみたかっただけだとは言えず、ごめんなさいと笑ってごまかした。
 ぱらぱらと紙をめくり、ボールペンで数を記入していく。
(なんか楽しいな)
 そんなごくごく日常的で当たり前でしかない事が、まるで遊園地に出かけた子供のような感覚の楽しさを連れてくるだなんて知らなかった。
 楽しいな。そう思う。
(……すごいな)
 自覚したとたんにそんな変化が訪れるなんてすごいなと思う。
 自然一縷の口元には笑みが浮かび、なんだか楽しそうだねと店長に笑われて、はいと頷いた。
 そう言えばここで一縷が誰かに告白したら、その恋も叶うのだろうか。
(……店長、どうするかな)
 その縁ですら、店長は結んでくれるのだろうか。
 そんな事を考えて、だがそんな事に意味はないかと思う。
 だって。


(わざわざ結ぶ必要、ないもんな)


 でももう少しだけ秘密にしておこう。
 悪戯っ子のように、けれどほんの少しの不安もあって、一縷はそんな事を思う。
 もしかしたらここは砂上の楼閣かもしれない。
 伝えてしまったらあっさり崩れてしまうかも。
 そんな不安もあるから、まだもう少しの間は、気がついたこの気持ちを黙っておこうと思う。


 楽しいなあと、思うから。





 END






一縷、気がつくの巻。
さてこの先どうなることやら。