――――――――――――――― たこ焼きと『いってらっしゃい』
一縷が所属しているサークルには、主だった活動内容は特にない。
『気が向いたら何でもやる』というのがモットーで、これまで何もしていなかったり演劇やったりバンドやったりと、まあ多種多様にやってはいる。
まあ殆どは『何もしてない』が主なのだが。
「……あのさ、何で俺はこんな事してるかな?」
恐怖で棒立ちになりながら、おずおずと問い掛けた先に居るのは、リーダーの氷川茜。周囲にはサークルメンバーがちらほら。誰も助けてはくれない。
「んん? アンタが一番適役だからに決まってんでしょ。つべこべ言わずに男ならドーンと構えなさいよ」
「……うん、男なんですがね」
はぁ、と溜息をついた一縷の今の服装は、なぜかメイド服だ。
やたらとスカートがふりふりもっさりしていて、中にパニエを仕込んでみましたなどと茜は言うのだが、さっぱり意味がわからなかった。
メイドよ! と茜が叫んだのはつい三日ほど前の事。
そして今日、白羽の矢が立ったのが、どうしてだか一縷だった。
「飴沼、体のライン綺麗なのよねー。顔は凡庸なんだけど」
「凡庸言うな」
自分の見た目は平々凡々だと思っているが他人から『凡庸』と称されるとなんだかぐさりと抉られている気がする。
ふんふんと鼻歌を歌いながら意気揚々とメイド服を一縷サイズに治している茜を見て盛大な溜息を吐き出し、助けを求めるように周囲を見たのだが、誰一人として助けてくれるものはいなかった。
「この薄情者め」
「はい動かない。針刺さるわよ?」
変なところに刺さっても知らないからねと釘をさされて「え」と怯えながら一縷は体勢を整える。
もうかれこれ1時間ぐらいはこの状態で、そろそろヘバりそうなのだが許してくれないだろうか。くれないだろうな。
「……で、メイド服なんか作って今度は何するんだよ?」
「あ? 今更それ言う?」
「だってお前最初に聞いても答えなかったじゃないか。ここまで付き合ってやってるんだからそろそろ教えてくれたっていいだろ」
ちゃんと把握しておきなさいよと睨まれた気がして、そりゃ理不尽だと一縷は弁明する。
三日前、一体何を考えているのかもわからないままいきなり今日これだ。茜の思考などわかるはずもない。
必死の弁明に、茜はあっさりと「あ、そっか」とうなずく。
一体俺は何故睨まれなくちゃいけないんだと思ったのだが、これ以上睨まれるのも文句を言われるのも嫌なので一縷は黙る事にする。
触らぬ茜に祟りナシだ。
「今度女装コンテストやんのよ、どっかのサークル主催でホール借りて。第二回」
「……へー、女装コンテストねえ……って。あの、アカネサン?」
とっても嫌な予感がするんですが、と呟きながら、一縷は再び周囲に視線を流す。思いっきりあからさまに視線をそらされた。
「……あー、ええと、それ俺が出るとかじゃないよな?」
「何言ってんのアンタが出るのよ。あんたスタイル抜群だし、顔は化粧でどうにでもなるでしょ」
「なんだそりゃ!?」
「有名温泉付ホテルペア宿泊券」
「……は?」
「ほしいでしょ?」
「んな事いきなり言われてもだな」
「ほ・し・い・で・しょ!?」
ぶっとい針を持った茜が顔を近づけながら凄んでくる。
その針の恐怖に負けて、一縷は思わず「はい」と頷いてしまった。
その言葉に、茜はにまりと笑う。
「そうよね、欲しいわよね? だからアンタが出るのよ」
「……俺が出たからって優勝するとは限らないだろ」
大体平々凡々な自分がそんなものに出たところで、優勝の確立などほぼ百パーセント、ゼロに近いだろうに何を夢見ているのだか。
と考えていたら、再び顔を近づけて凄む茜が言う。
「何言ってんの。アタシがやるんだから絶対優勝するに決まってるでしょうが」
ああそうでしたね、スタイリスト志望でしたね茜さんは。
ついでに言えばもう現場で働いているセミプロでしたっけね。
なんて考えながら一縷は遠い目になる。もうこれは何を言っても無駄だ。
「……ああはいはい。もうなんとでも」
猪突猛進型の茜は、鼻息荒く発進し始めるともう止まらない。その事をサークルに入ってすぐに学んだ一縷は、早々に諦めた。
どうせ優勝して温泉旅行を手に入れたところで自分はいけないのだろうなと思いつつ。
(……頼むからバレませんように)
笑われるに決まっているのだから。
採寸直しそのた諸々が終了し「じゃあ仕上げがあるから」と、作業室に駆けていった茜を見送ってほっと一息ついた一縷は、それまでさんざ無視し続けたサークル仲間に視線を送る。
「やー、悪かったな一縷!」
わざとらしく笑ってきたのは須々木で、ばんばんと背中を叩こうとする彼の手をよけて、転んだ須々木を一縷は見下ろした。
「俺を生贄にするたぁいい度胸だ」
にたぁ、と笑うその表情は青白く、それをみた須々木は笑いながら固まった。
「あ、いやごめんね? あの茜を止めるのはオレたちでも至難の技でさぁ?」
「……ほう?」
「や、あの! 決して見捨てたわけじゃないから! これも苦肉の策というかね! ね!」
「はー……それでお前らのうのうと菓子食ってたわけか」
「や、一縷のぶんもちゃんとあっから! な! な!」
残ってるから! と必死に叫んだ須々木が机を示す。
ぱらぱらとポテチの残骸が零れたそこにあるのは、あたりめ一本。
「あたりめ一本で許せるかぁ!!」
がーっと叫んだ一縷は、ひっと怯えた須々木の襟首を掴んでノートを押し付ける。
「お前明日から三日間、俺が取ってる授業のノート全部取れ」
「はっ!?」
「それぐらいするよなぁ? イケニエにされたんだもんなあ俺。哀れだもんなぁ?」
全部を押し付けるのはさすがに可哀想かと思っていたのだが、そんな事は綺麗すっぱりさっぱり考えない事にした。
結局友は、何かあればあっさり一縷を見捨てるのだ。畜生、薄情ものどもめ。
「わ、悪かったってー、俺お前の取ってる授業なんて把握してねぇよー」
「表は書いた。やれ。全部。一秒も無駄にすることなく、綺麗にだ」
「だから悪かったってば一縷ー、勘弁してくれー」
「勘弁ならん。大人しくおしつけられろ薄情ものめ」
すわった目で睨みつけながら、一縷は須々木にノート数冊その他諸々を押し付ける。
「ちなみにやらなかったらもう弁当は作ってやらんからな」
「そんな殺生な!」
「ハ! 自業自得だ」
それだけはご勘弁をーなどと言う言葉を無視して背を須々木に背を向けると、一縷はドアに向かう。
しぶしぶといった様子でノートを受け取った須々木は、「ひどい」などと呟きながら、ふと気がついたように一縷に言葉をなげかけた。
「つかお前なんで三日よ? 休むん?」
「店番」
あっけらかんとした声にイラっとしたから、それだけ言い放って部屋を出る。扉は壊したらまずいからそっと閉めることにした。
そんなこんなで色々あってぐったりと疲れた一縷が帰路につくと、駅前の広場に、お祭りでよく出ているたこ焼き屋が出ていて、その匂いにつられて腹が鳴った。
「おじさんひとつ」
「あいよ、にーちゃんお疲れかい?」
「あーまあ色々ありまして」
「いけねーなあ、若いモンは元気ださないと。いっこおまけしてやるから元気出しな。三百円」
「あーども。食べて腹膨らんだら元気でるかも」
「おう。おっちゃんの愛情つきだ。気をつけて帰れよ」
「どもー」
焼き立てをふたつみっつ余計につめてくれたパックはぱんぱんにふくれて白い湯気を立てている。
たっぷりとかかったソースとおかかになんとなく幸せになりながら、たこ焼きを口に入れて。
「あち」
やけどしそうになりながら、ちょっとだけ元気になって一縷は帰り道を歩く。
残りの道は、なんだか早く感じられた。
家に入るには、ふたつ方法がある。
まずは店を通ることと、店の裏手にある玄関を使うこと。
玄関に向かうには遠回りをしなければならないので、大抵一縷は店の中から中に入る。
その方が店長にも帰ってきたと伝えやすいし、色々便利なのだ。
帰り道の間に食べきれなかったたこ焼きの袋をぶら下げて、今日も店の中に入れば店長はレジの横で、毎度のようにうたた寝をしている。
この姿も今日から三日間は見られないのかと思えばなんだか寂しくも感じられて、だがそれを理由に起こさない一縷ではない。
「こら店長! 起きろ!」
「……んぁ?」
腕を組んで寝ていた店長は、一縷の大声におかしな声を出して目を覚ます。
「……あ?」
「起きなさい。つかサボるな、あんた店長でしょう」
この台詞も何回目だっけな、と思う。結構言ったような気がする。
ここに住む前から、一週間に一回は言っている気がする。
「ああ……一縷くんお帰り、おはよう」
「はいおはよう。ただいま。出かける前にたこ焼き食いませんか。たこ抜いておきましたから」
アレルギー持ちではあるようだが「出汁」程度ならどうも食べられるらしいので、たこ焼きの入っている袋を見せながら提案してみる。
帰る途中で店長に食べさせてやろうと思い立って、中身のタコは全部出して食べてきた。もうたこ焼きとは言えない気がするのだが、そこはそれ、気分という奴だ。
「え、いいの?」
「はい。っつか店長に食わせるためにたこ抜いたんだから、食ってもらわないと虚しいです」
帰り際、あのたこ焼き屋のおじさんにおまけをしてもらって、なんとなく幸せになった気分をこの店長にも分けてやりたくなった。
何故そんな気分になったのかはわからず、でもそうしたいと思ったからそうして、それが相手に何を思わせるかもわからないまま、一縷はたこ焼きのパックを店長に差し出す。
「……ちょっと冷めちゃいましたけど、多分ウマイです」
「うん、いい匂いしてる。ありがとう」
昼食いっぱぐれておなかすいてたんだと呟きながら、店長はたこの入っていないたこ焼きをおいしそうにたべた。
それを見てなんだかささくれたものが元に戻っていくような気がする。幸せなのはいいことだ。うん。
「なんも食べてないなら何か作りますか?」
「あ、いい大丈夫。むこうついたら死ぬほど食わされるから。食べないとお説教されるし」
「……はぁ」
「ああやだなぁ、俺一縷くんのご飯がいい」
「……あれだったら弁当つくりますけど」
「残念だけど怒られると思うから、ごめんね」
ほしいんだけどなあ、と呟きながら店長は最後のひとつを口に入れる。
弁当を持っていくだけで怒られるなんてあの電話の相手はどんな人なんだと思うが、まあそれにだって事情はあるのだろう。
なんだか理由なく怒る人ではなさそうだったし。店長も嫌いじゃなさそうだし。
「いや、こっちこそ差し出がましくてすみません」
「いえいえ。嬉しいです。すごく」
こういう笑顔をまぶしいと表現するんだろうな、と思う。
全く平々凡々な自分とは真逆で、この店長はどんな事をしていても綺麗だ。たとえ店番で寝こけていたとしても。
「さて、ごちそうさまでした」
「はいお粗末様です。すぐ出ますか?」
「それでもいいかな?」
「はい。元々そのつもりだったんで」
荷物置いてきたらすぐに代わりますと告げて、一縷は店の奥に入る。
階段を上がって自分の部屋に辿り着き、荷物を置いてさっと着替えて戻れば静かに座って待っている店長の姿がある。
「お待たせしました」
「そんなに急がなくてもいいのに」
「俺別に用事ないし、店長は早く行ったほうがいいでしょう?」
「うん、ありがとう」
迷惑かけてごめんなさいと頭を下げられて、迷惑をかけているのはこっちの方だと返した。
実際のところ、迷惑の大きさを考えてみれば店番なんて安い方だ。
店長は別にいいと言うけれど、それでは一縷の気がおさまらない。
なんとしてでも、家賃を受け取ってもらえないのならその分を行動で返さなくては。
「じゃあ急いだ急いだ。さっさと行かないと」
「はいはい。それじゃあ行ってきます。留守の間よろしく」
「いってらっしゃい。店長も気をつけて」
「はい」
お互いに手を振って答えて、店長は外に出て、一縷はそれまで店長が座っていた場所に腰掛ける。
行ってきますと嬉しそうに笑っていたから、帰ってくる時もちゃんと「おかえりなさい」と言ってあげようと思う。
想像したら、なんとなく幸せになれて一縷は笑った。
END
店長、説教地獄に溜息つきつつ出立。