―――――――――――――――奏でられた旋律に言葉を 後編





 責任とってよ、と言われて悠が連れてこられたのは、いつも麻隆に連れて行かれるホテルの一室ではなかった。
 タクシーでやってきたのは、どこにでもありそうな(でもちょっと家賃の高そうな)アパート。
 その最上階の一室の前で、ここだよとアキラは笑った。
「ここ俺の家なんだけどさ、一週間ぐらいずっと引きこもっちゃって出ようとしてくんないんだよ」
 数日ならいいけど一週間もおっさんと一緒はさすがにうざいんだよねー、と笑ったアキラは、がちゃがちゃと鍵を開けて中に入る。
 おいでおいでと手招いて、それに逆えず中に入ると、玄関に立ったままのアキラは、ひとり悠だけ中に入らせて手を振った。
「んじゃ俺出てくから、あとよろしく」
「え……? そんな」
「そんなーじゃない。問題は本人同士で勝手に解決してクダサイ。関係ない俺はこれ以上首突っ込まないから、そう言うことで」
「ちょっ……えぇ!?」
 訳のわからないまま、ひらひらと手を振ってアキラは背を向けてしまう。そうしてドアノブに手をかけたところで「あ」と呟いて、戸惑う悠に振り返った。
「一日丸々あけとくから、好きにしてって伯父さんに伝えといて。あとはキミらのお好きなように。それじゃまたね」
 にっと悪戯小僧のような笑みを浮かべたアキラは、ひらひらと手を振ってドアの向こうに消えていく。
 ぱたんとドアの閉じる音が虚しく聞こえて、どうしたらいいんだと立ち尽くした悠は、廊下の先にある、部屋に続くドアを呆然と眺めた。
「……よろしくって」
 どうすればいいんだ。
 せっかく落ち着いた頭の中はまたぐるぐるしだして、正直もうどうしたらいいのかわからない。一気に進展した現状に頭がついていかない。
 そんな風に、どうしたらいいんだと立ち尽くしていれば、視線の先のドアがガチャリと開いた。




 姿を現したのは、何日ぶりかの麻隆だった。
 アキラか、と聞こえた声が本当に麻隆のもので、何か言い知れない感覚が悠の中に生まれて沸騰するように全身を駆け巡る。
 ああ、この人だ。
 会いたかったのはこの人だ。
 反射的にそう考えて、涙が出そうになる。
「……っ!」
 対して、悠の姿を見つけた麻隆はぎょっとしたような表情を見せて、固まってしまう。そうして数秒経った後に、小さな声で「なぜ」と彼は呟いた。
「アキラ、さんに」
 連れてこられましたと教えれば、麻隆は小さく舌打ちする。
 嫌だったのかな、と思えば脚が竦んで悠は動けなくなり、どうしようとしか考えられなくなってしまう。
 そんな風に悠が固まっていれば、麻隆が近づいてきて右手を取られた。
 その動作は『いつもの通り』で、もうこれは殆ど反射で悠はそれに従ってしまう。
 通されたその部屋の家具は全部水色で、ここがあの有名バンドの『アキラ』の部屋かと思うと、少しイメージが違うような、なんだか納得してしまうような、微妙な気分になる。
 座れと言われたのは、小さなテーブルの近くにあるクッションで、大人しくそこに座ると、キッチンに向かった麻隆がマグカップを手に戻ってきた。
 出されたのは、牛乳のたっぷりはいったカフェオレ。
「悪かったな」
「え……?」
 差し出されたそれに、ちびちびと口をつけていると、いつもの声で謝られてなんの事だか悠にはわからなかった。
「いきなりだっただろう。アキラ」
「……あ、ああ……びっくり、しました」
「全くあいつは」
 はあ、と嘆息して麻隆は頭を抱える。
 なんだか遣る瀬無い気分になるのはどうしてだろう。
「びっくりはしました、けど、気にしてません」
「……そうか。まあそれならよかった」
 ふ、と微笑んで、自分のぶんのマグカップに口をつける麻隆の表情にどきりとする。こんな顔は見たことがなくて、知らない人のようだと思った。
(……なんだろう、なんか、違う)
 それは、あの最後の日にも思った事だ。
 麻隆の雰囲気が、以前に感じていたものと変わった気がするのだ。
 どこか柔らかくなったような、気が。
「あ、の」
「……ん?」
 変わったその空気が、悪いものではないと感じているから、悠はごくりと唾を飲み込んで麻隆に問い掛ける。
 自発的に麻隆に言葉をかけるのが初めてだと気がつかないまま。
「あの、どうして……来なくなったんですか」
 ぎゅっと膝の上で右手を握りしめて、問う。
 待っていたのに、どうして。さすがにそうは言えなくて、もどかしかった。
 問いかけた後おそるおそる麻隆の表情を窺うと、何か困ったような笑みを見せられる。聞いてはいけない事だったか、それとも迷惑だったのか。だが悠が怯えるよりも先に麻隆は口を開いた。
「どうしたらいいか、わからなくなった。だから行けなかった」
「……え?」
 マグカップに視線を落とした麻隆が、長く綺麗な指先でその縁をなぞる。そうして首をかしげた悠に答えるように、続けた。
「今更気付いて、いい歳こいてどうしたらいいのかわからなくなっただけだ。今までが、今までで」
「……気付いた、って……?」
 麻隆は一体何に気付いたと言うんだろう。
 わかりそうでわからなくて、喉につっかえたような疑問がもどかしい。
 しばらく沈黙した後、麻隆はたっぷりと息を吐き出して腰を浮かせる。
 何をするんだろうと見ていれば、ガラステーブルの上に乗った数枚の紙を手に取って差し出してくる。
 受け取って眺めれば、それは手書きの楽譜だった。
「……?」
 これが、気付いた事と何の関わりがあるのだろうか。
 そう思いながらも気になって譜面に視線を落とす。頭の中に浮かぶフレーズは聞いた事のない曲で、なんの曲だろうと思っていたら、それに答えるように麻隆が呟いた。
「悠の、事を考えた」
「……おれ?」
 顔を上げて首をかしげれば、麻隆が頷く。
 名前を呼ばれる事になれない。だからなんだか気恥ずかしく、頬が熱を持つのを悠は感じる。
「おれが、なん、ですか」
 正直、まともに喋るのはこれが初めてだったから、どう言う口調で話をしたらいいのかわからない。途切れ途切れの微妙な丁寧語で話していると、麻隆も同じなのか小さな声で、ゆっくりと答えた。
「何をしたらいいのかわからなくて、ここに逃げ込んで、でも考えるのは悠の事ばかりだった。気がついたら、これだけ」
 示されたのは、テーブルに載っている紙の束。
 その紙全部が楽譜で、この一週間でそれだけの曲を書き上げたと、麻隆は言う。
 その全てが、悠のために作ったものだと。

「……え?」

 意味がわからず、悠はただ首をかしげるしかできない。
 自分の事だけを、考えて。
「……あ、の」
 一体、どう言う。
「最初から、これまでずっとあんな関係で、言っていいのかもわからない。こんな事を勝手にして、きみが、悠が、拒むかもしれない、とも思って」
 そうしたら益々、どうしていいのかわからなくなった。
 拙い言葉で紡がれるそれは、言われないひとつの言葉に帰結している。それがなんであるか、わかりそうで―――わからない。
 多分その先にある言葉はひとつだろう。でも、もし、違っていたらと思うと答えを見つける事を悠はためらって、だからどういう事なのかわからなかった。
「悠は、俺の事を知らなかっただろう? 俺に曲をもらって喜ぶ奴は沢山居るが、悠がそれと同じとは限らない。それが、今でも怖い」
 拒否されたら、どうしよう。跳ね返されてしまったら、どうしよう。
 そんな事を考えていたと言われて、悠は首を左右に振る。
「……あの、麻隆……さんが、有名なプロデューサーだって、聞きました」
「ああ」
「……そんな人が、どうして、俺、なんですか」
 実力も名声も持っている、住んでいる場所が違う人が、どうして自分なんだと思う。
 こんな、リスクばかり背負っている素人の何が一体よかったと言うのだ。そればかりが不思議で、どうしてか知りたくて。
「―――ダイヤの原石だと、思った」
「?」
 麻隆の答えの意味がわからず、どういう意味だと目線で問えば、ふっと笑った麻隆の指が、譜面を辿るようになぞっていく。
「磨けば素晴らしいものになると思った。欲しいと思った。理由と言えば、多分それだろうな」
「下手くそって言ったくせに」
「下手だったからな」
 ふっと笑った麻隆のその表情は知っている。最初に、下手くそと笑った時のあの表情と同じだった。
「それのどこが、ダイヤの原石?」
「原石ってのは綺麗なばかりじゃないだろう。磨けば光る、そう言う意味だ」
 きちんとしたレッスンを受ければ無限に光る、そんなものを自分の中に見たのだと伝えられて、なんだそれはと、目が丸くなった。
 そんなものが、自分の中にあるとはとても思えない。
 確かに歌う事はとても好きで、好きだからこそ歌っていたのだけれど。
「……それで、どうして俺の事」
 腕を引いて、部屋に連れ込んで、抱いたのはどうして。
 続きは言えず、黙り込んでしまえば「どうしてだろうな」と麻隆が呟いた。
「欲しくて、だから手っ取り早い方法を選んだ、んだろうな」
 過去の自分のした事を、まるで他人事のように麻隆は語る。
 実際よくわからないのだと彼は言った。
「気がついたのは最近だったんだよ。でも多分、最初からだ」
 だからなのかもしれないと、静かに言う麻隆の、全部の言葉が示す答えをもうわからないなどとは言えなくなってきた。
 そこまで言われてわからないほど鈍感ではない。
 だが。
「……気がついたって、何に」
 腰が引けて引きこもっていると言う麻隆の答えを、このまま自分が言ってしまっては、この先ずっと言ってもらえないような気がして悠は先を促す。
 言ってくれたら、自分も言おうと思った。
 今の今まで、答えを出そうとして出せなかった、多分麻隆の考えている言葉と同じものを口にだそうと思う。
 だから、お願いだから。
「…………」
 ぎゅっと拳を握り締めて、麻隆の言葉を待つ。
 ほんの数秒の出来事が、何時間もあるかのような錯覚を覚える。
 周りの空気が違う。麻隆が居るだけで何もかも違うのだ。
 それを知ったから、だから麻隆にも教えてもらいたい。
 自分が、麻隆にとってのなんなのか。どうして彼は、自分を欲しいと思ったのか。
「――――……悠を」
 小さく声がする。その声の後、大きく息を吸い込み、吐き出した麻隆は、しっかりと悠の目を見た。
 言ってもいいのかと、問うような目だ。
 しっかりとその視線を受けて、言って欲しいと訴える。それが通じるかどうかはわからなかったけれど、通じて欲しいと、切に思った。
 これは多分、歪だった関係が、正しく形作られる瞬間なのだろう。
 感じていた違和感を正して、きれいに地面を均していくのだ。
「……好きだと、気がついた」
 何度も何度も深呼吸をして、麻隆は、告げた。言ってくれた。
 その言葉が聞こえた瞬間、どうしようもなく、言葉に表せない感覚に襲われて反射で悠は腕を伸ばす。
 ほんの少し、手をのばせば届く距離に麻隆が居る。そのことが素直に嬉しいと感じる。
 だってずっといなかった。来てくれなかった。
 どこの誰かさえわからなかった彼が、今はここに居る。手を伸ばせば、捕まえられる。
 そうして伸ばした手は、拒まれることなく麻隆の顔に触れて、首にまきついてしがみつく。
「俺……おれ、も」
 あなたが好きです。
 そう告げる声は、麻隆の耳元で、誰にも届かないように密やかなものになった。
 告げた瞬間、応えるように麻隆に抱きしめられて、泣きたいと悠は思った。
 その後は何も言葉がなく、始まりがそうだったふたりの関係を物語るように、唇が重なる。
 最初から少し前までのふたりの関係に戸惑っていた麻隆だったけれど、そんなそぶりは微塵も見せずに、噛み付くようにキスをされた。
 悠は、拒まなかった。






 ベッドは嫌だと言ったのは悠だ。
 よく知りもしない他人の―――麻隆にとってはよく知っている人物だが―――アキラの部屋の中でこんな事をするの自体どうかとも思っていて、だからベッドを使うのだけは嫌だとごねた。
 別にアキラは気にしないだろうと麻隆は笑ったのだが、自分が気にするのだと言って拒んだ。
 多少床が硬くても我慢すればいいだけの事だ。
 だからベッドだけは絶対に嫌だとごねてごねて、最終的に折れたのは麻隆だった。
「ん……っ、んっ」
 膝をついて前に倒れこんだ。支えていた腕の力は、麻隆が入り込んでくると同時にぬけてしまって、今は腰だけを突き出すような状態で、だが羞恥に身悶える余裕すらなく、悠は声を上げた。
「あ、あ、あ」
「悠……ゆ、う……」
 名前を呼びながら、腰を押し付けられる。
 奥まで入り込んでくるその感覚が久しぶりで、ひどく感じた。
「……っあ、そ、こ……や」
 ぐり、と回された奥の一箇所に反応して、びくりと体が震える。その反応を見逃さず、麻隆は執拗にそこを抉ってきた。
「んぁあっ! あーっ、あ!」
「ここが、いい? どうなってる?」
「や、そこ、そこいっ……かたい……すごっ」
「何が? どういう風に?」
「や、お、き……っ……いや、そこやだ、やだ」
 いつもより大きい。そんな感想を漏らしながら、悠の腰が跳ね上がる。
 もう自分の意識とは関係なく体が震えて、中の麻隆を締め付けてどろどろになる。ぞくぞくと背中を駆け上がっていく感覚に震えて、もう自分では体を支える事ができず、麻隆の腕だけが悠の腰を支えている。
 打ち付けられる腰と同じリズムで声が出て、脚の間でどろどろになりながら揺れているそこに手を添えて擦り上げられれば、もうだめだった。
「あーっ! あああっ! だっ……いい、っあ……イっ!」
 ぴたりと腰を重ねられて、ゆっくりと奥をかき回される。
 背中と胸を重ねて、髪を払ったうなじを舐められ吸われて、ぞくりと目を眇め、背骨に沿って舌を這わされて涙がこぼれた。
 時折吸うようにして、背中を這い回る舌と唇の動きに合わせて、動きが緩慢になっていた腰が揺れ動く。悠の動きに合わせてぐちゃぐちゃと水音がして、その音に頭の中まで犯されていくようだった。
「どうしたい? 言って?」
 耳元で囁かれる声が、知っていたものの数倍、優しくて甘かった。
 指先で頬をなぞられ、その後唇に辿り着いた麻隆の指が、その中へ入り込んでくる。
 必至にその指を銜えて舐めて、そうしているうちにもう一度、問い掛けられる。
「悠、答えろ。……どうしたい?」
「んっ……んん……!」
 口を開けて答えろと命令されて、きつく目を閉じて、自分の意思で腰を揺する。これが答えだと目線で告げても、麻隆は許してはくれなかった。
 言わなきゃやらないと腰を押さえつけられて、脚の間を擦り上げていた手は根元をきつく戒める。
「……っあ! や、いあっ……ひど、ひどっい」
「言って」
 耳元で囁かれて、酷いと泣きながら体を捻る。
 片腕を伸ばして麻隆の首にかけて、お願いだから、と声を出した。
「もっ……もっと、ちゃんと」
「ちゃんと?」
「し、して……突いて、こす、って……それ、で……あぁっ!」
 浅く、深く、何度も繰り返すようにして出し入れされる。
 中途半端に捻っていた体をひっくり返され、仰け反った背中に腕を回して抱きしめられて、ひくひくと痙攣している中を攪拌される。
「あっあっ、や、ああっ!」
 片足を抱えられて深く突かれ、仰け反った喉に噛みつかれ、悲鳴を上げた口をふさがれ揺さぶられる。
 濡れて熱いそこが、溶けてぐずぐずになってしまうと泣き喚いてしがみつき、もうだめだと何度も何度も繰り返しうわごとのように悠は叫んでいた。
「だめ、も、いく、いきそ……たすけっ」
「もう少し、な」
 再び背中に腕を回して、上半身を起こされる。
 脚を絡めて抱き合う体勢になり、中を擦る位置が変わって、悠は目を見開いて悲鳴を上げた。
「ひ、あっ……!? ああ、あっあっ」
「ここが、いい? それともこれ? こう?」
 脇に手を入れられ、がくがくと上下するようにしながら揺すられる。
 擦れて突き上げられるそこが爛れて溶け出してしまいそうだと思って怖いと思いながら、それでも必至に伸ばした腕は麻隆へと辿り着く。
「やー……っ、あっ、んん! やだ、も、やだ」
 濡れてどろどろになった悠の性器は、麻隆の硬い腹筋に擦られて限界を訴えるように震えている。突き上げられている奥も同じで、もうだめだとかぶりを振って、何度も助けてと悠は訴えた。
「あ、さたか……さ……麻隆、さんっ」
「悠、ゆう……」
 名前を呼んで、深く口付ける。
 忙しなく揺れる体は、もうどちらが動かしているのかわからない。
 重ねた下肢から聞こえてくる音は酷くなるばかりで、その音にも呷られて、どちらの体ももう限界だと訴えていた。
「ゆ、う……悠……」
「んっ、も……いく、あ、あ、あ……だめ、それだめ……やぁっ、あああっ! あっ!」
「んっ……!」
 強く奥を突かれて、麻隆の腹を擦っていたそれを手で締め付けられた瞬間、びくりと大きく震えて、どちらのぬめりもひどくなる。
 麻隆の手の中は悠が、体の奥は麻隆が吐き出したもので濡れて、整わない息のまま唇を重ねる。
「ん……んん……」
 到達の余韻をひきずったままのキスは卑猥で、疼く体はさらに熱を上げる。
 抱きしめてくる手が宥めるように背中をさすり、唇を離して重なった視線は、ただただ優しいものになった。
「麻隆さ……」
 名前を呼んで、目を閉じる。
 優しく落ちる唇は、頬を伝う涙を拭って、同じ場所へと辿り着く。
 何度も何度もキスをして、また揺れた体はこれだけでは足りないと訴えていた。
「……あ」
「もう一回?」
 問われて、拒む理由もなく悠は頷いた。
 繋がったままのそこは、確かめるまでもなく熱を持っていて、小さく揺すられただけで、大げさなほどに反応して震えてしまった。
「悠……」
「ん……あ……な、に」
 名前を呼んだ声は確かに何かを訴えていて、それを聞き逃さないように答える。
 体を揺すられる合間、なに、ともう一度問い掛けると、麻隆が「あれ」とテーブルの上に視線を向けた。
 その視線を辿れば、手書きの譜面に当たる。
 ゆっくりと中をかき混ぜるように動きながら、麻隆が「今度」と続けて、悠は必死でその声に耳を傾けた。
「……うたって」
「っあ、あ!」
 小さく言われた言葉に答えたいけれど、突き上げる動きが強くなって喘ぐしかできなくなる。
 拒まれるのが怖いから、多分麻隆はそうしたのだろう。
(お、きい……あ、やだ、言う、言わな……)
 答えなければ、と思いながら言葉が出ない。出るのは意味のない喘ぎばかりなのがもどかしい。
「……や……あ、あ……待っ……んん!」
 答えるから、ちょっと待って欲しい。そう言いたいのにそれすら言えない。攪拌されるそこからあふれ出すものと一緒に、何もかも解け落ちてしまいそうで、それが嫌で悠は必死にかぶりを振った。
「や……やだ……や……っ」
「嫌? 痛い?」
「ちがっ……あぁあ……んぁ! あっ」
 ちゃんと答えたいんだと、麻隆の腰に両足を絡めて力を入れて、無理やり動きを止めさせて、弾む息を落ち着かせようとする。
 あいている手でわき腹を撫でられて体が弾み、それでもなんとか、悠は答えた。
「……うた、わせて」
 あの曲を、下さい。
 口の中に溜まった唾液を飲み下して、整わないままの息で答えた声は、確かに麻隆に届いたようだった。
 中に入り込んだそれが存在感を増して、ぞくりと震えると唇をふさがれる。
 強く奥へと入り込まれ、脚を抱えて突かれて、声を上げながら涙を零した。
 すき、と口にするとするりと馴染む感じがする。
 ああそうかと納得すれば笑みが浮かび、しがみつきながら笑って、泣いた。
(……すき、好き)
 あの曲が欲しい。麻隆が欲しい。
 それさえあれば、もうなにもいらないとすら思う。
 彼を好きだから寂しくて、彼を好きだから嫌じゃなかった。

 歪な関係に感じていたものは、確かにそこにあった恋心で、それを無視するなと、違和感が訴えていたのだろう。

「あ、あ、んんっ!」
「……っく」
 二度目の到達は早く、きつく目を閉じた瞬間、体の奥に熱いものを感じた。
 荒い息はどちらも同じで、それが収まる頃にようやく動きを止めた麻隆は、悠の上に覆いかぶさってくる。
「あさ、たか……さ……」
 その重みを不快だと感じるよりも、そこに居るのだと感じられて安堵して、悠は目を閉じる。
 そのまま眠気に襲われて、髪を撫でる手の動きが心地いいと思いながら、最後に残った力で呟いた。
「……おねが……だから、いなくならないで」
 頼むから、と懇願した声に麻隆がどう答えたのかはわからなかった。
 沈んでいく意識の中で、ぎゅっと抱きしめられたのを感じながら悠は意識を手放す。
 いなくならないで。
 それだけが、悠の望みだ。






 情事の始末をつけた麻隆は、悠の体を水色のベッドの上に横たわらせる。
 嫌だ嫌だとごねていたが、もう事は終わっているのだからいいだろうとそんな屁理屈を捏ねて、布団の上に横たわらせた。
「……」
 すやすやと眠る悠を見る麻隆の口元は、自然と綻ぶ。
 この状況をアキラが見たら「ほらやっぱり」と言うに違いない。
 全くアキラの言う通りで、ぐずぐずしていないでさっさと言ってしまえばよかった。
 悩んで立ち止まるよりも、前に進んだ方がいいのだと、あの甥っ子に教えたのは自分のくせに、そんな事も忘れていた。
 恋は盲目とはこの事かと思って、少し違うかと苦笑した麻隆の手が、自然と悠に伸びてその髪を梳く。
 白い髪は悠にとってあまりいいものではないようだが、麻隆はこの色が好きだ。
 真っ白なまま、きれいな悠そのものを示すような色。
 自分の腕の中で、きれいに光るようになるといい。
 好きだと告げたあの声で、自分が作る曲を歌うその日が来る。
「……悠」
 好きだとは、照れくさくてもう言えない気がする。
 それでも大事に大事に育てるから、どうかこの腕の中にいて欲しい。
 いなくならないでと言ったあの言葉を裏切る事だけはしないから、その声を、その気持ちを、全部自分だけに向けてくれ。
 さらさらと髪を撫でながら、麻隆はそんな事を考えた。
「これじゃあアキラに馬鹿にされるな」
 全くらしくもなく恋愛感情に振り回されて右往左往して、結局手に入れられたのは相手のおかげ。
 全く自分らしくないと笑いながら、うざいうざいと言いつつ協力してくれた甥に感謝する。
 今度何か美味いものでも食べさせてやろうと考えて、ふと悠へと視線を向けて。
「一緒にな」
 紹介してくれよ、と笑っていた甥の言葉を思い出して、眠っている悠に向かってそう告げる。
 んん、と唸った悠の手が動いて、髪を撫で続けていた麻隆の手に辿り着き、小さな子供のように握り締める。
「……」
 一瞬それに驚いた麻隆だったが、すぐに微笑んで、ちゃんとここにいるからと小さく呟いた。



 手に入れたものは、離さない。
 それが水城麻隆と言う人間だ。



 覚悟をしなさいと静かに眠る悠の額に唇を落とし、麻隆はしたたかな笑みを浮かべた。








END









最後までヘタレな麻隆氏でした。
悠の方が強い子。