――――――――――――――― 幸せな午睡
よく晴れた日の午後の事だ。
白井悠は慣れない仕事――最近始まったばかりのプロミュージシャンへの道だ――がスタートしてから初めての休日を味わっていた。
あまり帰る事のなくなった自室は、久しぶりに帰宅してみるとなんとなく埃をかぶっていて、長時間人がいなかった事で冷たく静まり返っていた。
帰れなかった理由は簡単で、あまりにハードなスケジュールのため、ここまで帰って来るだけの気力と体力が残らなかったからだ。
雪のように、と言う言葉をそのまま体言するような悠は、先天性白皮症――アルビノと言う言葉で知られている症状を患っている。
そのため肌は皮膚の下の血の色を透かせて淡い薄紅色で、髪は白金。そして目の色も血管の色を映して赤い。
生まれてこの方ずっとこの姿でいるから慣れてはいるものの、それによる障害は自分ではどうしようもない。
日中日差しの下を一時間何もせずに歩けばすぐに肌は真っ赤に日焼けするし、視力は決していいとは言えない。
何よりも体力がなく、自室に帰り着く自信がないときは近くのホテルで一夜を明かす事や、プロデューサーである麻隆の部屋で眠る事――本当にただ眠るだけだ――が多かった。
こんな仕事をしている事自体が奇跡に近い。
それでもやりたい事を見つけたから、弱音は吐かずにがんばろうと悠は決めていた。
例え理不尽な事が起きようとも、決して膝を折るものかと。
そしてそんなこんなで丸々一週間の仕事の後、久しぶりの休みを満喫しつつ、分厚い遮光カーテンに覆われた部屋の中を掃除していると、唐突に玄関のチャイムが鳴り響いた。
「……?」
決して自慢になる事ではないが、悠には自分の家にわざわざ訪ねてくるような友人はいなかった。
こんな体をしているから入退院を繰り返していたし、何より『一緒に遊べない』から、自然と友人とは疎遠になっていってしまったから、わざわざ新しく友人を作ろうとも思わなくなったのだ。
それでも仲良くしてくれる人は居るから平気だったから、今はもう寂しいとも思っていない。
そんなこんなで、いきなり鳴ったチャイムに首をかしげつつ、何かの押し売りか宅配便かと想像しながらモニターで確認すると、そこには意外――ある意味意外ではないけれど――な人物が映っていた。
慌ててエントランスホールのドアを開錠すると、中に入ってくる姿がモニターに映る。
なんだかよたよたしているその姿を見て心配になり、そして。
しばらくして再び鳴るインターホンの音に慌ててドアを開くと、そのまま傾いだ体がぐらりと中に倒れこんできた。
「うわっ……!」
危ないと慌てて受け止めるけれど、体格差が大きいために悠自信も倒れかけたが、なんとかふんばって堪えた。
「ちょっ……麻隆さん?」
いきなり倒れこむようにしてやってきたその人の名前を呼べば、小さく呻く。
今日は特に約束をしていた訳でもない。仕事仕事で忙しかった麻隆とは、自分相手の仕事以外では殆ど顔を合わせないも同然だったし、ここ数日間はあまりの忙しさに麻隆の元へ連れて行かれる事もなかった。
だからいきなり現れた麻隆に悠は心底驚いた。
そして抱きとた悠の腕の中で身じろいだ彼は顔を上げて、こう言う。
「ゆう? ……ああ、まち、がえた」
たどたどしく名前を呼んだ後、しばらくぼうっとしていた彼は、自分の足で立って頭を左右に振りながらそんな事を言う。
間違えたって、と悠が呆然としていれば、また麻隆の体がぐらりと揺れて、支えようと伸ばした腕は、強い力で捕らえられて止められてしまった。
「麻隆さん?」
玄関は暗くて一瞬では判別できなかったが、麻隆の目の下には濃い隈が浮いている。
ここ2、3日は麻隆とスケジュールが重なる事もなかったので知らなかったが、これは相当に寝ていない様子だ。
間違えたと言うのも多分本当の事なのだろう。どうもこの人は眠気がマックスまで行くと無意識に行動するらしいので。
『仕事バカなんだよ、麻隆さん。寝ながら曲作ってる事あるし』
と彼の甥でもあり先輩でもあるアキラに言われたのは、つい先日の事。
そんなまさかとその時は思ったのだが。
(……本当かも)
しれない。とそんな感想を覚えつつ、悠はぐらぐらと揺れる麻隆の手を引いて中に招いた。
この部屋に麻隆が入るのは初めての事だ。
以前にここへ彼が来た時は悠を迎えに来た時で、その時はエントランスで止まっていた。
迷うことなくこの部屋までたどり着いた麻隆にも驚いたけれど、何より驚いたのはやはり、彼がここへ来た事だ。それが無意識であったのなら尚更。
「間違えたって……麻隆さんのホテルの方が近いじゃないか」
ソファーに座るなり目を閉じて、落ちると言う言葉そのままに眠りだした麻隆を見ながら、悠はそんな事を呟く。
彼が住処としているホテルの一室の方が、彼の仕事場からの距離は近いはずだ。それなのに帰って来る場所にここを選んだ事。それが無意識だからこそ悠には嬉しく、自然と口元には笑みが浮かぶ。
こんな風に麻隆が自分の元へとやってくるのは初めてで、戸惑いはしたものの、正直に感想を述べるのであれば、とても嬉しかった。
「……もうちょっとしたら起こすから、ちゃんと布団の上で寝てください」
そんな事を言ってから薄手の毛布を持ってきて、かけたあと額にキスを落としてみる。
「――……っ」
恥ずかしすぎる自分の行動に赤面しつつ、さて自分はどうしようと立ち上がろうとしたところで。
「あれ?」
悠は自分が身動きできなくなっている事に気がついた。
* * *
水城麻隆と言う人物は、非常に多忙な人生を歩んでいる。
特にここ最近一週間ほどはあまり眠らず働いていたおかげで、最終日には殆ど意識がないに等しいような状態だった。
ふらふらの状態でタクシーに乗り込み、指示した場所はどこだったかよく覚えていない。
とにかく眠いと考えながら、そしてここ一週間の自身の状況への文句をつらつらと頭の中で並べ立てながらたどり着いた場所は―――。
「……ゆう?」
しっかりと自分が握り締めた肌色の――腕の先にある顔を見た麻隆は、自分の状況がわからずに、珍しくも困惑の声を上げたのだった。
「……ああ、麻隆さん、おはよう」
ごしごしとあいている手で目を擦りながら、体を起こした悠がにこりと笑う。
麻隆が寝ていたのはソファーの上で、体の上には薄い毛布。
悠が寝ていたのはその横の床で、かろうじて足元にクッションがひとつおいてあるだけだ。
その様子を数秒眺めた後、自分の状況を理解した麻隆は。
「っ……悪い!」
反射で謝っていた。
自分のホテルへと帰ろうとしていたはずなのに、どうにも無意識にここへやってきたらしい。その理由は明確で、ここ数日で一番に感じていた麻隆のストレスの理由と重なる。
まあ端的に言ってしまえば、欲求不満のフラストレーションと言う話だ。
(……)
欲求不満と言っても、性欲だけと言う訳でもないのだが、割合がかなり大きい事は確かで、そんな自分に麻隆はため息をついた。
悠に関わる事に関しては、どうにも冷静さを保つことができないらしい自分に、麻隆は呆れかえる。
珍しく――と言うよりも、初めてだろう――恋愛にずっぷりと嵌ってしまっている自覚はあって、どうも自分は考えていたよりも恋愛で性格が変わるらしいと知ったのは、ごく最近。
「……えと?」
だが麻隆にそんな変化をもたらした当の本人はと言えば。
そんな事は全く無自覚の様子で、麻隆の考えなど知る由もなくこんな反応を見せるから困ったものだ。
「――……腕、掴んだままだっただろう?」
謝ったのはそれだと示して、それまで掴んでいた腕を放せば、ほんの少しだけ眉を下げて悠は笑った。なんとなくそれが寂しがっているように見えたけれど、もう離してしまったから今更掴みなおすこともできず、麻隆は悠の言葉を待った。
「痛くもないし、大丈夫」
にこりと笑ってみせながらの健気な反応。
それがまずいのだと頭の中で考えていても、向けられている本人は多分知らないはずだ。
「寝てただろ?」
アルビノ――と呼ばれるその体質のおかげで、悠の生活は夜型に傾いている。
最近は昼の仕事も増えたおかげで、少しずつ生活リズムがずれてきているようではあるけれど、普段であればこの時間は寝ているはずだと思ったのだが。
「あ、いいえ。疲れて昨日の夜寝ちゃったから、今日はあんまり」
寝なくても大丈夫だからおきてました。
そう言って悠は笑うけれど、だったら何故――と麻隆は首をかしげて。
「……腕、捕まえたからか」
さきほどまで自分が何をしていたのかを思い出した麻隆は、悠が自分の横で寝ていた理由を知った。
要するに動けなくなってしまったから、何もする事がなくて眠ってしまったのだろう。
「ああ、えーと、気にしないで」
眉を下げた表情はそのまま、大丈夫だからと悠は言った。
だが悠は元来丈夫な体ではなく、麻隆が思う以上に弱く脆い部分があると聞いた。
普段は普通と変わりない生活をしていると言うが、何もせずに日中外に出れば一時間もしないうちに倒れるとも聞いたし、小さな頃は色々あったとも聞いている。
そんな体だから細心の注意を払っていたと言うのに、これだ。
「……それで倒れたらどうする」
注意もするし、責任も取ると言ったのは自分だ。その自分が誓いの言葉を覆してどうすると落ち込んだのだけれど、その言葉にこそ悠は困ったように、そして哀しげに微笑んだ。
「……悠?」
名前を呼べば、またその笑みは深くなる。
良い顔とは言えないその表情に、麻隆の手は自然と伸びて頬へと向かう。
触れた瞬間、ぴくりと動いた頬と唇。当たるその手に、愛しげに頬を摺り寄せた悠は、切ない声で言った。
「大丈夫だから、あんまり病人扱いしないで下さい」
「ゆ……っ」
切ない声に、思わずどきりと心臓が跳ね上がる。
アルビノは確かに病気で、しかも治療法のないものだ。対処をすれば普通と変わらない生き方ができるとは言え、やはり障害はつきまとう。
自分と居る時は楽な暮らしをと、そう麻隆は考えていたのだが。
「俺もうそんなに弱くないし、もう二十年以上この体と付き合ってきてるから、だから」
壊れ物に触れるみたいに、扱わないで。
落ち着いた声。震えてはいないけれど、それはとても小さく、切なく麻隆の耳へと届いた。
麻隆としては、悠を病人扱いをしたつもりはなかったのだが、心配が先に立っていたのは事実だ。
特にここのところは、仕事が始まり苛烈――麻隆や甥のアキラと比べればまだまだ楽な方ではあるが――なスケジュールに四苦八苦している悠を見て過保護になりすぎてもいた。
仕事場でなかなか顔を合わせられないからこそ余計に心配で、さらうようにして自分の部屋に連れ帰った事もここ一週間で1度や2度ではなく、そんな過剰な心配が、悠の不満へと繋がっていたのだろう。
「悪かった」
目を閉じて頬を摺り寄せたままの悠に小さく謝り、それに対してふるふるとかぶりを振る悠に、もう片方の腕も、体ごと彼へと近づけた。
腕を回して、引き寄せる。その動作に驚いたような声が聞こえ、次いで顎を乗せたすぐ横にある首筋が赤くなっていくのが見えて、麻隆は笑った。
「な、なな……から、からかっ」
「てない。俺が悪かった。病人扱いしてたつもりじゃなかったんだが」
気分を悪くしたのなら謝る。
告げた言葉に、悠はまたかぶりをふって答えた。
「それは、いい……です。俺が体弱いのも本当だし、心配するのも当然だから」
首を振りながら告げて、だが最後に悠は「でも」と続けた。
「元気な時は、元気だって扱って下さい」
小さく請われた言葉。
「……っ」
その言葉に麻隆は言葉を紡げず、ただ腕に篭める力だけを強くする。
ほんの少し、苦しさに息を吐き出す音が聞こえた。それでもやめられずに、両腕でただただ愛しく感じるその体を抱きしめる。
「麻隆さ……くるしい」
文句を言いながら、悠は笑った。あははと、その声は苦しそうだったけれどどこか満足そうで、でも泣きそうで、珍しくも麻隆は動揺と感動とをない交ぜにした表情を浮かべながら、ゆっくりと悠の体を離す。
そうして両手で悠の頬を包み、何も言わずに顔を近づければ、自然と互いの目は閉じる。
「……ん」
小さく声を上げたのは悠で、重なった唇は小さな音を立てた。
感極まってのキスは、それ以上は深くはならない。何度も別の角度で重なって音を立て、それが何度目かもわからなくなったときに、ふたりの目はうっすらと開く。
「麻隆さん」
「ん?」
うっすらと開いた赤い目に麻隆の顔を映しながら、小さく悠の唇が動いた。
声はない。小さく動いたのは二文字。
ゆっくりと動いたそれを確かに読み取った麻隆は笑い、こつんと額同士をぶつけた後、頬に触れてきた悠の手を握った。
* * *
はじまりは今までの中で一番おだやかだった。
ただキスを繰り返して、指を絡ませるやり方で繋いだ手は、離したくないからそのままで、それがおだやかなままなかなか進展する気配のない原因だったのかもしれない。
小さく離してはまたキスをする。舌を絡めるのではなくただ啄ばむようなそれを繰り返し、いつの間にか床に敷いたクッションの上に体は倒れこんでいた。
「……っふ」
互いの頬に片手を当てて、キスだけをひたすら繰り返した。
唇を甘く噛まれて笑い、開いた唇に麻隆は舌を滑り込ませたけれど、その舌先は白い歯をなぞるだけでそれ以上踏み込もうとはしない。
「ん……」
何もしてくれないのはじれったいけれど、それまでのように哀しくはならなかった。
大事に大事にされるのは嬉しいかった。だけど心配されるばかりになればなるほど、その中にある好きだと言う気持ちがどんどん隠れて離れていってしまう気がしてしょうがなかったのだ。
真綿にくるまれて何も知らない雛みたいに守られるのは好きじゃない。
自分で立って、隣で歩く事を望んで入った道なのに、それが違う方向へ向かっていくのだけは嫌で、だから悠はとても複雑な思いでいたのだ。
疲れているのもわかっていた。自分も疲れていた。
今の立場ではそれらしくする事も難しいのだと理解はしている。しているけれど、やはり全く接触がなくなってしまえば不安はやってくる。
(……むずかしい)
麻隆との恋愛は本当に難しいと思う。
ただでさえ難しいものが、他人の思惑や置かれている境遇全てが入り混じって気持ちだけではいられなくなってしまうから、本当に難しい。
それはもしかしたら『普通』の恋愛でも同じ事なのかもしれないけれど、麻隆相手だとその難しさの度合いは跳ね上がる。それでも、それがわかっていても。
(何もなくなるのは、やだな……)
だから今、繋いでいる手が何よりも悠を安心させる。
何度も重なる唇が、どうにかして深く重ならないだろうかと考えてそっと唇を開けば、簡単に望みは叶えられた。
「……悠」
小さく名前を呼ぶ声に心臓が締め付けられるような苦しさがこみ上げてくる。でもそれは嫌な苦しさではなかった。
大きな手が頬を撫でて頭に回り、ぐっと押し付けられるようにして舌が滑り込んできた。
小さな音を立てて舌が重ねられ、笑みを浮かべた悠の目にうっすらと涙が浮かぶ。
あ、泣くと思うよりも早く涙が零れ、それを拭うように麻隆の指が頬をなぞる。
何度か絡ませた後、啄ばむようにして唇が離れる。嫌だと訴えるようにして悠が空いた手を伸ばせば、笑みを浮かべた唇に口付けられ、肩を竦めた。
「口、閉じて」
「ん」
言うとおりに口を閉じて、指から離れた麻隆の唇を意識すれば、それが近づいてくる。
目を閉じたすぐあとにもう一度唇が重なり、柔らかく濡れた舌先で唇を撫でられて、我慢できずにうっすらと唇が開いてしまった。
「は……」
息を吐き出して、伸ばした腕を麻隆の背中に回してもっととせがんだ。その希望を叶えるように入り込んできた舌を、今度は自分から吸って音を立てる。
「ん……ん……っと……」
もっと。小さな声でせがめば、繋いでいた手を解かれ、麻隆の手が腕から首筋まで肌を伝ってやってくる。
シャツの合間に指が触れる。鎖骨に触れた指は温かく、ほっと息をついた瞬間。
「……っあ! ちょ、っと、待っ」
待ってまってと叫び、麻隆を押しのけると彼は驚いたような顔をした。
それもそのはずだろう。自分から誘ったくせにとそう思っているに違いない。
「……あ、えと、いや、とかじゃなくて!」
違うから。それは違うからと何度も首を左右に振った後、真っ赤になりながら悠は言った。
「ふ、風呂! シャワー浴びてくる、から!」
ちょっと待ってて欲しいと目を閉じながら叫んで立ち上がり、ばたばたとバスルームへ向かうと、その背中に笑い声が聞こえてくる。
珍しく――楽しそうに声を上げる麻隆の笑い声を聞いて、悠は誤解されなくてよかったとほっと息を吐き出した。
* * *
ひとしきり声を上げて、腹を抱えながら笑い転げた後、右腕を両目の上に乗せながら麻隆は未だひきつる腹筋に左手を乗せながら、ベッドに背中を預けた。
真っ赤になった悠の顔が頭から離れていかず、真っ赤になった瞬間を思い出すたびに笑いが再発して困った。このままの状態で悠が戻ってきたら、拗ねて触らせてもらえなくなるかもしれないと思いつつも笑いは止まらず、くっくっと体を震わせながらまた腹を抱えるはめになった。
「あー……」
疲れた。もしかすると仕事よりも疲れたかもしれない。
そんな事を思いながら、未だスーツを着たままの自分に気がついて、麻隆は上着を脱ぐ。
そうしてから、今さらのように初めて入った悠の部屋を眺めた。
遮光カーテンのかけられた窓からは、外の光はあまり入ってこない。
白い壁と黒い家具で統一された部屋は、悠の部屋だと納得するような空気だ。物が少ないのは麻隆の部屋と同じだが、寝に帰っているだけのような部屋に物が増えないのとは違って、悠は多分あえてそうしているのだろうと思う。
テレビにオーディオデッキ、それからパソコン。
テーブルに置いてあるのはそれだけで、部屋の隅には小さな冷蔵庫が置いてある。
カウンターキッチンがついていて、部屋の数はひとつだけだが、オートロックであることから結構な家賃だろうと想像はつく。
(……)
部屋の中を眺めながら麻隆は、悠の体の事については色々な事を聞いたけれど、そう言えば家庭事情については何も聞いていない事に気がついた。
彼の親がもうこの世に居ない事だけは知っているけれど、それ以外について麻隆は何も知らない。
気がついてしまえばどうしてこんな家に住んでいるのかが気になった。それは決して悠の事を見下している訳ではなく、彼のような年齢の青年には払いきれないような家賃だと想像が付いたからで、他に血縁はいないのかだとか。そんな事を悠が話そうとしたことが、一度としてなかった事に気がつけば、ほんの少し落ち込んだ。
言わないのは、そんな事を言おうと考えもしていないのか、それとも別の理由があるのか。
「……まあ、そのうちか」
「何が?」
小さく笑ってつぶやいた独り言に返事があって、ふっと視線を向けるとそこには頭にタオルをかけた、シャツとジャージ姿の悠が立っている。
「いや」
珍しいものを見たと思ってけれど、単純に麻隆は悠の普段着をあまり見た事がないだけだと気づく。
悠についての情報の少なさに今更のように気づいて苦笑するけれど、その後に続くのは「これから」だ。
まだ時間はあるし、始まったばかりで全部を知っていろと言うのは無理がある。
だから答えない代わりに麻隆は腕を伸ばした。
「……わっ!」
いきなり腕を引かれた悠はそのままたたらを踏んで転びかけ、そのまま落ちて来る体を麻隆は受け止めた。
くすくす笑っている麻隆の声に悠は首をかしげ、小さな声で名前を呼んでくる。
さっきまでの雰囲気とは違う空気に戸惑い、どうしたらいいのかわからないのだろう。それも面白くてまた笑えば、体勢を立て直した悠は麻隆から離れて睨みつけてくる。
「からかうなら他の人にしてください」
拗ねたような表情に、ああほら、とさっきの想像が当たっていた事に麻隆はまた笑ってしまう。
そうしていたらますます酷くなる拗ねた顔に、どうしようもなく優しくしてやりたいと思う気持ちが膨れ上がって、また腕を引いて抱きしめた。
「あさ、たかさん?」
問いかけてくる声にはこたえず、麻隆は目を閉じた。
頬に手を添えて顔を近づければ、悠は素直に応じてくる。
触れた唇は柔らかく、薄く開いた唇を舐めれば、悠の方から舌を出して重ねてきた。
唇の外で舌を絡めて音を立てて、うっすらと開いたその視線が絡めばそれまでの空気はゆっくりと別のものへと代わっていく。
「大事にはする」
啄ばむキスの合間、麻隆は悠だけに聞こえる声で呟いた。
その言葉が、悠に正しい意味で届くかどうかだけが心配だったけれど、悠は声なく麻隆の背中に腕を回す。
小さな吐息と頷く声が聞こえて、麻隆はそれまでとは違う笑みを浮かべて唇を重ねた。
「……俺、がんばるから」
「ああ」
「麻隆さん、あさたかさ……っん」
多分悠にとっては、辛い事の方が多いだろうと思う。
麻隆が何かをできることも少ないだろう。それでも大事にはするからと、麻隆は悠の体を抱きしめた。
* * *
ずるりと上掛けが滑って音を立てて床に落ちた。
それにかまう事もできず、押し付けて穿って回して、自分の体の下に居る悠の目から、哀しいのではない涙が流れるまで、ただ濡れた音を立てる下肢を絡めた。
「んん……っ……っは、ぁ……っあ!」
ぐっと奥まで入り込み、それ以上ないと言うところまで押し込んで動きを止めると、無意識に悠の腰が動く。その奥はもっと雄弁で、麻隆を締め付けるそこが不規則に蠢いては締め付けてくる。
「ん……」
思わず声が漏れ、悠がうっすらと目を開く。
その目はいっぱいに涙を溜め込んでいて、目を開いた瞬間に溢れて零れ落ちる。
それを拭ってやりながら、動かないまま体中に手を這わせると、小さく息を吐き出した悠が何かを言いたそうに口を開いては閉じてを繰り返した。
「……どうした?」
何度も溢れてくる涙を拭ってやりながら問いかければ、何度も息と唾液を飲み込んだ悠が、小さな声で「あ」と声を上げる。
「こ、これ……何……っ?」
麻隆は動かないまま、悠の腰だけが小さく動いていた。
それも意図したものではないようで、怯えたように首を振る悠が、何、と何度も問いかけてくる。
悠のその動きに合わせて、何度も内壁は収縮を繰り返し、早くなんとかしてくれといわんばかりに複雑に蠢いている。
痙攣にも似た動きは次第に感覚を狭め、だんだんと悠の動きは激しく、動く音に合わせてぐちゃぐちゃと淫靡な音も大きくなっていった。
「なんっ……なに、こっ……勝手にうご……っんぁああ!」
目を瞠った悠が、一瞬言葉につまった後に嬌声――悠は女性ではないけれど――を上げる。
ぴたりと絡み付いてくるそこが、それまで以上に複雑な動きを見せる。そしてそれ以上に。
「んっんっ……や……やだ、これ……あああっ」
止まらないと泣きながら、悠が大きく腰を揺らしていた。
その姿を見てそのままでいられるはずもなく、知らず喉がごくりと鳴り、麻隆の手は悠の腰へと回された。
「悠」
「あ、さたかさっ……んんっ!」
名前を呼べば、必死に答えようとする。
その口をキスで塞いで、動こうとしていなかった腰を一度引いて、大きく突き上げた。
「ひ……ああああっ!」
「っ……!」
ぐちゃりと粘った水音を立てながら、突き上げたそこが一瞬硬直して締め付けられた。
びくりと震えて踊った悠の体は、一瞬動きを止めたけれど、またすぐに揺らされる。麻隆に支えられ、突き上げる動きに応じて、悠の体の奥は貪るように麻隆を離そうとしなかった。
「あっ、ああっ! ……んっ、んんっ、あう……あっんっ! あっあっあっ」
ぎりぎりまで抜いて、一気に押し込み、もう一度ぎりぎりまで引き抜いて浅いところで小刻みに動くと、たまらないといった様子で悠は首を打ち振るって声を上げる。
ぎゅっとシーツを握り締めている手を解いて両手を繋ぐと、ほんの少しだけ体の強張りはほどけ、けれどまたすぐにその手にきつく力が篭った。
「ああっ、あっ、や、そこや……そこだけっ……やー……っ」
浅い抜き差しを繰り返していると、やだやだと駄々をこねるような声を出す。
「……そこってどこ?」
問いかけはもう定番のもので、最初のうちは絶対に口を割らない悠だが、時間が経てば快楽に負けて泣きながら答えを言うのだ。
「っ……や……やだ、やだぁっ……んっ、ぁ……!」
そこだけや、いやだ。
何度も言うそれではやれないと、浅く含ませていたそれすらも抜こうと腰を引く。抜け落ちていくそれを追いかけるように中がきつく締まり、完全に抜けてしまうと悠が小さく悲鳴を上げた。
「悠?」
「んんっ……」
どうしたいんだと、中に入らないままそこに熱く滾ったものをおしつけて、ゆるゆると動かせば悠の息は荒くなる。
名前を呼んで、耳たぶに口付けて囁けば、それだけでも感じるようで、小さく艶かしい声が聞こえて麻隆は笑う。
「悠、ほら……」
どうしたい? 言ってごらん。
正気の悠が聞いたら「最悪だ」と多分感想を漏らすような甘すぎる声で囁き、本当に先端だけを、麻隆は中へと押し込んだ。
「っあ!」
それだけで、震えた体の奥は簡単に開いて麻隆を飲み込もうと蠢き始める。
実を言えば、麻隆も限界へと近づいていた。それでも声が聴きたくて、ぎりぎりのところで踏みとどまりながら、聴きたい声が聞こえるのを待った。
「んん……ん……!」
唇を噛んだ悠はきつく目を閉じて首を振る。限界が近いのは、重なる体の間で熱を持ち、ぬめる雫を零すそれの様子でわかる。
わざとらしくそれを刺激するように腰を動かせば、悠は一瞬息を呑んだ後に、悲鳴を上げた。
「っあ! あああっ、あっ、やだ、それっ、それ」
「それじゃわからない。なんのことだ?」
「やっ……あさっ……わか、って……くせに!」
意地が悪いと文句を言う悠の目は、もう焦点が合っていない様子で虚ろだ。
あと少し。そんな風に思いながらもう少しだけ奥へと踏み込むと、悠の体は大きく震えて背中を反らせた。
「あっ!?」
どうやら一番感じる場所に当たったらしく、悠は声なき悲鳴を上げた後、大きく口を開いてかはっと息を吐き出した。
「ほら、早く」
もう辛いだろうと言いながら、押し込んだ腰を麻隆はゆるゆると揺すり始める。
その動きに合わせて悠の口からは艶かしいとしか言いようのない声が漏れ、その口元からは飲みきれなかった唾液が零れて顎を伝っていた。
「あっ……あさ、たかさ……もっ……やだ、そこ、奥……っ」
「奥が? 何? どうしたい? どうなってる?」
矢継ぎ早に問いかけて、麻隆は獰猛な笑みを浮かべた。
それに気づいているのかいないのか、ぼたぼたと涙を零しながら、悠はついに言った。
「奥、おくいれて……っ……もっ、もっと、はやっ……あああっ!」
言った瞬間、ずんと一息に突き入れれば、それを待ち望んでいた粘膜が一斉にからみついてくる。卑猥すぎるその動きに麻隆は一瞬意識を持っていかれそうになり、それでも一歩手前で踏みとどまって、悠の耳元で次の言葉を囁いた。
「入れたけど、他は?」
耳たぶを柔らかく噛みながら、ほんの少しだけ動く。
震える悠の体は麻隆を歓待していて、待ちきれないとばかりに絡みつき、しゃぶるように蠢いて離さない。
「んっ……まわ、回しっ……あっあっ……そ、から……こすっ……て、ぇ」
いっぱい、いっぱいして。
舌足らずな言葉と、それから雄弁な体で訴えながら、悠はキスもねだってきた。
差し出された舌を食みながら、派手な音が立つように腰を回す。ぐちゃり、ねちゃりと音を立てるその動きに悠は音がいやだと言いつつも、しっかりそれにも感じているらしい。
ふたりの体の間で、動くたびに悠のそれがこすれている。
滑りがよくなっていくのは、動くたびに悠のそれからぬめるものが溢れてくるせいだ。
もうどこから音がしているのかわからないまま、キスをしながら足を絡め、体を繋げて滅茶苦茶に動いた。
「あっあっ、ん……! あ、ん……あさっ、あさたか、さ……っああ、あっ、いいっ!」
きもちいい、きもちいいと、何度も悠は口に出して呟いた。
枕に顔を埋めながら、しゃくりあげるような声も出して涙を零し、それでも感じていると全身で伝えてくる。怖いと言いながら長い脚を麻隆に絡み付け、全ての指を絡めるやりかたで繋いだ手には、爪が食い込むほど強く力を入れられた。
「や……お、き……それ、お、きいっ……!」
「それって何が?」
「……っ、そ、れぇ!」
「だから、それって、何」
「ひっ、あっ!」
ぐりっと一番感じる場所を抉ってやりながら問いかけると、いたたまれないと言った様子で目を閉じた悠が枕に頬を押しつける。
「ん?」
それでも許さないと、耳に舌を這わせながら腰を使えば、何度か悲鳴を上げた悠が唇を噛んで答える。
「あ、さたかさん、がっ……も、や……あっ……お、きく、て」
中が、広がって、変わってしまう。
たどたどしく伝えられた言葉は想像以上で、聞いた瞬間には濡れた熱い中に入り込んだそれがぐっと体積を増していた。
「……っや、ぁ! も、やだ……またっ」
「っ、ゆ、うが……っ」
そんな事を言うからだろうと、余裕のなくなった声で麻隆は切れ切れに訴える。
気遣ってやる余裕もなくなり、ずっと繋いでいた手を離して腰を掴み、いいように動けば悠は悲鳴を上げて、それでも中が嬉しそうに麻隆を受け入れて締め付けて、だから余計に抑えがきかなくなる。
「あっあっ、や……やぁっ……そこ、そこもっ、もっと……ああっ!」
ゆらゆらと体を揺らしながら、肌のぶつかる音を立てるように突き上げ、背中に腕を回して抱き上げる。
「……っ……あ!」
抱き上げた弾みで深く重なる。その衝撃に悠は目を瞠り、向かい合わせに座ったその状態に気がつくと顔をくしゃくしゃにしながら腰を跳ね上げて躍らせる。
「あ、あ、あ……っ、んん、うぁっ、あっ!」
腰を跳ね上げながら、それでも上手く動けないのか、もどかしそうに唇を噛んだ悠の腕が、麻隆の首へと回る。
唇を近づけられて、拒むことなくキスをした。
舌を絡めて、吸って、舐めて、突き上げる下肢と同じ動きで抜き差しを繰り返せば悠は喉声を上げる。
「んんっ……んー、んっ!」
「悠、どこ?」
「……っあ! や、も……どこ、でもいっ……いいっ、から……ぁ」
焦らすのだけはやめてくれと訴えて、悠は自分からも腰を動かした。
「……っあ、ああ……も、やだ……これ、これ」
ぐちぐちと音を立てるそこを見ながら、悠の動きは激しくなる。
「見ると感じる?」
「……っああっ!」
あからさまな変化を見せた脚の間に手を伸ばせば、やめてくれと涙目でかぶりを振る。
どうして、と問えばやはり涙声の返答があった。
「さ、わったら、も……いっちゃ……から」
触られたら我慢ができなくなるからと訴えるその声に、麻隆の方こそ我慢がきかなくなるのは仕方のない事だっただろう。
「……あ、えっ……あ、ああっ!?」
抱き合っていた悠の体を押し倒して脚を抱え上げた。
そのまま大きく突き上げるように腰を動かした後、逃げるように体を捩る悠を捕まえて、その動きを利用して横抱きにする。
「んんっ……ふっ、ああっ、何、なにっ!?」
何も言わなくなり急に変化した麻隆の雰囲気に怯えながら悠は手を伸ばしてシーツを手繰り寄せる。
「悠、こっち」
「あ……や、やだっ、なに、なんかちがっ」
手はこっちだと、無理な体勢になるのをわかっていながら、悠の腕を自分の首に回してぐっと奥まで突き入れる。悲鳴を上げるその瞬間にキスをして声を吸い上げ、脚の間に手を伸ばすと、喉奥で悲鳴を上げた悠が首を打ち振るいながら涙を零した。
「やっ、ああ、こすっ……だめ、擦ったら、いっいくっ……からぁっ!」
「いいから、いって」
「や、っだぁっ……だって、まだっ……あっ、はぁっ……ああ、ん!」
「まだ、なに? きもちいい?」
「んん、んんー……っ、いい、あっ、いっ……けどっ、けど……!」
そうじゃないと首を振りながら、揺れる視界で麻隆を見上げる悠が、涙目で麻隆を睨みつけてくる。ぼたぼたと零れ落ちる涙を拭ってやりながら、なに、と問いかけるとあさたかさんが、と悠は言う。
「まだっ、まだ……やだっ……ああ、あっ、うぁっ!」
「ああ……」
そういうことかと、悠の涙声の意味に気づいた麻隆は、じゃあもう少し我慢していろと告げて腰を回して突き上げる。
「少し、我慢しろ」
一緒がいいと訴える悠の脚を抱えて、小さく告げた後大きく腰を回した。
「ふ、ああっ……あっ、あぅ、んんっ……あんンッ! あさたか、さ、ぁっ」
「あと、少し……っな?」
「う、んっ……ん! んんっ、もっ、もっと……きもち、い」
これ以上ないと言うところまで入り込んで、突き上げるのではなく回すのが悠は好きで、それをするともう何も考えられなくなるらしい。
首を振りながら、自身の動きを自分では止められなくなってもがきながら、もうだめ、と悠は何度もそう繰り返した。
「ああっ、ああ、あっ、ああああ! も、っだ、め……やだ、やだ、ああっ!」
「ん、い……くっ!」
「あっあっあっあっ、や、あああ!」
息を詰めて、余裕のない声を発した後すぐに限界は訪れた。
突き入れた最後の瞬間に溢れたもので悠の中を汚して、それと同じ瞬間に麻隆の手の中にあるそれもびくびくと震えて白濁を吐き出した。
「……あ、やぁ……また、またっ、は……はぁっ、んん、んっ」
全部を出し切るまで動き続けると、小さく震えながらもう一度達したようだった。
小刻みに痙攣する体を解放して、きちんとベットに横たわらせると、肩を上下させている悠の目が開く。
「……っ」
一瞬目が合い、いたたまれないといった様子で悠は交差させた腕で顔を覆ってしまう。
「悠?」
ぜいぜいと胸を上下させている悠に呼びかけても答えはなく、仕方がないと肩をすくめた麻隆はベッドから下りた。
初めての部屋では何がどこにあるのかわからないが、悠の部屋は比較的整理されているからわかりやすい。適当に除いたそこは洗面所で、そこからぬるま湯で濡らしたタオルをもって帰ってくると、ベッドの上では丸くなっている悠が居た。さっさとベッドから降りてしまったから拗ねているらしい。
そんな悠の隣に腰掛けて、少し温かいタオルを押し当てると、びくりとその体が震えて悠が見上げてきた。
「体拭くから、手、どかせ」
「……麻隆さん」
「今日はどこにもいかない」
拗ねていると言うよりも怯えているような悠の視線に、何も言わずに立ち上がったのはまずかったかと思った。けれど今さらの事でどうしようもないから、謝る代わりにそんな事を告げて、汚れた体を拭ってやる。
大人しくタオルで拭われている間、どちらも何も言わなかった。
「麻隆さん……ごめんなさい」
そしてしばらく何も言わなかった悠が告げた謝罪の意味がわからず、知らず甘いような声になった麻隆は首をかしげていた。
「ん?」
どういう意味だと、足先まで拭ってやりながら声で問いかければ、疲れていたんじゃないかと悠は言う。
「あんまり寝てない、顔してた」
さっきも一時間ぐらいしか寝てなかったのに、我がままを言って困らせたからと悠は頭をさげてくる。それでも、おそるおそる伸ばした指先で麻隆の腕に触れてくるから、麻隆の機嫌が悪くなる事はなかった。
「気にするな。どうでもだめだったら、もっと寝てる」
それに何より、ここへ来た自分の行動の理由がなんだったのかを考えれば、別に悠が謝る必要などないのだ。むしろ謝るのはこちらだとすら思うのだが、それはあえて言わずにおいた。
「でも麻隆さん、大変なのに」
「慣れてる」
「でも」
「限界を超える無理はしてない」
大丈夫だと苦笑しながら、でもでもと煩い唇を塞いでやる。
そのまま抱きしめた体を抱え上げて立ち上がると、驚いた悠がなにと叫んで、不安定なそれに怯えて腕を回してくるのに麻隆は気をよくした。
「なっ、なに、麻隆さんっ!?」
「風呂」
「え、なんで?」
拭いたからもういいじゃないかとうろたえる悠の声を無視して運んだ先は、さっき入った洗面所の奥にあるシャワールームだ。
「な、なんで一緒?」
足元に悠を下ろした後、一緒に中へ入ろうとする麻隆の様子にさらに悠はうろたえたけれど、それに対してはいつも浮かべる、口の端だけを上げるニヒルな笑みを返すだけだ。
* * *
あれよあれよと言う間にシャワールームの中へと押し込まれた悠は、何一つ言う事を聞かない麻隆にいいようにされてしまった。
泡をつけたスポンジで体を洗われる時は、自分でやるとごねたのに、やっぱり一切の言葉を聞かない彼に押しきられた。
「も……やだ……」
背中や腕を洗われるのは別にいい。
だが下肢を洗われて、最後に中へと忍んできた指までを素直に受け入れるのは恥ずかしすぎる。
だが、嫌だといい続ける悠の言葉も無視して、麻隆は自分が汚したそこに指を入れてかきだしていく。
ただ洗うためだけの動きだと言うのは、機械的な動きでわかっている。わかっているけれど、やっぱり。
「や……だ、ぁっ」
入れられればどうしても反応してしまうのはどうしようもない。
がくがくと揺れる腰を持て余しながら、やめてくれと訴えても全然やめてもらえない。あと少しと冷静な声で言われるのがいたたまれなくて、最終的にはじわりと視界がぼやけて、ついには涙がこぼれる。
「……終わったから、泣くな」
頬を流れるそれを拭う麻隆に、優しく言われても聞いていられない。
うずうずと揺れる体の奥は指を離されてさみしくて、脚の間は熱を持ってもうどうしようもないようなはしたない状態になってしまっていた。
「もっ……もう、っ、なん、でっ」
やめてくれと言ったのにどうしてと、羞恥心と怒りとその他色々がない交ぜになった感情のまましゃくりあげれば、悪かったと麻隆は言う。
「もっ……どうすん……これ、ぇっ」
ばかばかと文句を言いながら、麻隆の肩を殴りつける。
対して力の入っていないそれではダメージを与える事は難しい。別にそれでよかった。文句を言うのは、それで麻隆が離れていかないのを知っている安堵からで、こんな事ができる関係になった事を、心のどこかで喜んでいる自分が居る事を悠は知る。
「どうって、ああ、そうだな」
どうしようか、と耳元で笑う声に何か嫌な予感がして、悠はぐすりと鼻を啜りながら麻隆を見た。
浴槽の縁に座らされて、どうするんだと問いかけるよりも早く、人の悪い笑みを浮かべた顔はすぐに伏せられる。その様子に嫌な予感は当たったのだと知り、だが抵抗するよりも早く、脚の間に濡れた唇が多いかぶさってきて悠は悲鳴を上げた。
「……っあ!」
口の中は温かく、中途半端に熱を持っていた場所はすぐに硬く変化した。
舌先でつつかれて全体を含まれると、もう何も考えられずに腰が揺れ始める。
「……っは、あ……んん!」
こんなの、と呟きながらも結局は抵抗できない。
歯を立てられた一瞬、怯えも入って震えたからだは腰を突き出すように動かして、口の中に含まれていたそれが麻隆の喉奥まで入り込む。
「ごめっ……」
それにむせた彼は一瞬口を離したけれど、一瞬視線を向けてきただけで何も言わず、見せ付けるように唇を開いて、再びそれを銜え込んだ。
「……っ」
あまりの光景に、涙が滲む。それでも目を離すことができずに、麻隆の施す愛撫を見てしまう。
根元から先端まで舌が這う。見えている光景と、感触と、感じるものが合致して背筋を這うようにしてせりあがってくる感覚に悠は震えた。
口を手で塞いで、がくがくと揺れる腰を支えるのは残った左手と、麻隆の腕。
不安定な場所に座っているのが怖くてしょうがなかった。
少しでもバランスを崩せば落ちてしまうのに、揺れる腰が止まらない。
「っふ……ぅ……んんっ!」
ずるずると音を立てる麻隆の口元。はしたないのは腰の動きだけではなくて、含まれた場所からはもうずっと、堪えきれず涙を流すみたいに液体を零し続けている。
「や……ぁ……ああ……いっ」
顎を上向けて手の甲を噛みながら、どうしても堪えきれずに声が出た。
すすり上げられる感覚は未だに慣れない。麻隆に『させている』と言う感覚が抜けなくて、悪い事をさせているような気分になりながら、でも、やめてほしくなかった。
「あっ……あさ、たかさっ……」
限界はすぐにやってきて、ぐずぐずになりながらもうだめだと訴える。
ずり落ちてしまいそうな体勢も限界で、たすけてと小さな声で呟けば、含まれたそこが麻隆の口と頬で締め付けられて、最後の瞬間を迎える。
「あっ、ああっ……あ!」
いく、と細く高い声で叫んだ瞬間、我慢しきれず麻隆の口の中に粘ったものを吐き出してしまう。びくびくと震えながら何度かに分けて溢れたそれを、麻隆は何も言わずに受け止めて、そのまま喉を鳴らした。
「……え?」
ごくんと聞こえたそれに、目を瞠った悠は視線を下げて麻隆を見る。
顔を離した彼の唇の端に、白く濁ったものを見つけた悠は、あまりの光景にくしゃりと顔をゆがめて、力の入らなくなった体が落ちていくのをそのままに麻隆へと腕を伸ばした。
「どうした?」
汚れた口元を拭った麻隆は、ずるりと落ちてきた悠の体を受け止めながら不思議そうな声を出す。
飲んだのかとは問えないまましがみついていれば、軽く頭を叩かれて、もう一度シャワーを浴びせられた。
拗ねていると思われたのかもしれない。だが麻隆は終始機嫌がよさそうで、鼻歌でも歌いそうなほどの上機嫌っぷりでもう一度悠の汗を流し、シャワールームから外へと出された。
体を拭くのも着替えるのも全部麻隆に面倒を見られて、恥ずかしさに文句を言おうかとも思ったけれど、できなかった。
嬉しそうな顔に気圧されるなんて初めてだと思いながら、逆らえずソファーまで運ばれて、そうしてしばらくはただ機嫌の良い麻隆の傍に居た。
激しかった情交の疲れでうとうとしはじめた頃に、麻隆の声が聞こえてくる。
「悠?」
名前を呼ばれるだけでうっとりとして、眠気で意識が遠くなっていたことも手伝って悠は小さく「好き」と呟いていた。
麻隆はその言葉に相変わらず弱い。いきなり硬直した男の気配に悠は笑いながら、もう一度好きです、と繰り返した。
「……麻隆さんが好きです。何日かに、一回だけでいいから……こうしてくれたら、俺……」
どろりと眠りに溶け落ちていきながら、そんな事を呟いた。こんな時間でなければ絶対に出てこないような本音が、ふっと口から漏れていく。
心配されるのは嬉しい。想ってくれているのも嬉しい。それでもやっぱり、触れてくれなければ不安になってしまう。
難しいかもしれないけれど、たまにでいいからこうやって。
「……最後までちゃんと言え」
くすりと笑いながらそんな事を言ったのは麻隆で、悠は殆ど眠りに入っている状態でその声を聞いていた。
その後はなんなんだと問いかけてくる声が聞こえるけれど、もう何も答えられない。
もし起きていたとしても、その問いかけに悠が答える事はなかったかもしれないけれど、その事を麻隆は知らないままだ。
(……気持ちいい)
麻隆が傍にいるだけで幸せだった。
だから、この人の傍に居るためだったらどんな事でも我慢できると思う。
ずっと傍に居たいから、だからせめて、難しいかもしれないけれど、ほんのちょっとだけでいいから。
(ご褒美、欲しいな……)
もう目蓋が重くてあけていられなかった。
ベッドにつれて行かれたのまでは理解できて、けれどその後はもう、覚えていない。
ただ感じられた麻隆の体温が消えてしまうのが嫌で、手を伸ばしたことは覚えている。
「今度は逆か」
今度は悠に腕を捕まえられている麻隆が、笑いながらそんな事を言って髪を払ったのを、悠は知らない。
ただ幸せに浸りながら、眠る悠は麻隆の名前を呼んでいた。
END