―――――――――――――――伝えたい想いは旋律に篭めて





 丈夫過ぎる分厚いドアが壊れるのではないかと思うほどの―――…普通なら強くあけても「バン」程度のはずなのに、地響きのような「どおん」という音を立ててドアが開いた。
 そんな音を立ててドアを開けた人物は音のすぐあとに、ドスドスと音を立てながら部屋に敷かれた絨毯の上を歩いて寄ってくる。
 そして今度は「ばあん」と音を立てて部屋の主――水城麻隆の机の上に紙の束を叩き付ける。
 少し驚きながらも冷静に、麻隆は目の前にやってきた人物を見た。
 黒い髪に白い肌。やや釣り目だけれど、大きさのおかげで鋭さが緩和されている黒い目。どこを取っても文句なしの美形と言われる彼の名は、浅倉アキラ。
 今人気急上昇中のバンド麻隆がプロデュースする『SignA』のボーカリストで、麻隆の甥でもある。
 ひとめ見ただけで芸能人だと納得できる美形だけれど、歯をむき出して怒り狂った表情のおかげで美人だ美人だといわれる綺麗な顔は台無しだ。
「煩い」
 麻隆の声は低いけれどよく通る。
 ほんの一言、普通の声で喋るだけでも部屋全体に行き渡る声は、それだけで威圧感があるのだが、目の前に居るアキラは全く気にした様子がない。
 それどころか冷静な麻隆の声でその怒りはさらに高まったらしい。すうっと目を細めたアキラの目は、そうすると酷く鋭く映る。
 さらに高まった怒りを隠そうともせずに、がんっと音を立ててアキラは机を蹴り上げた。
 そしてこれも怒気のにじみ出る低い声で一言。
「なにこれ?」
 椅子に座っている麻隆と、立っているアキラではアキラの頭の位置の方が高い。
 当然見下ろされる形になって、さらに睨まれれば若いスタッフなどは息を呑んで方をすくませただろう。けれど麻隆にそれは通じない。
 何しろアキラとの付き合いはそれこそ彼が生まれた時からだ。睨まれようが怒鳴られようが昔は小さかった「あっくん」だと思ってしまえば怖いだなどと言う感情は出てこない。
「なにって、何だ?」
 なんのことだかわからないと嘯いてみせると、再びバンと音がする。
 机の上に置かれた紙を再度叩いて、これだよこれとアキラは叫んだ。
 アキラの手元にある紙は譜面で、そこには簡単に書かれたメロディーがある。五線譜の上にかかれた音符の癖は、確かに麻隆のもので、その譜面を書いた覚えもあるから麻隆は何も言わなかった。
 五秒にも満たない沈黙に、けれどアキラは耐え切れなかった様子で叫ぶ。
「なんだよこれ! こんなんが新曲? ふざけんなっ!」
 全力で叫んだ後、アキラはぜえはあと両肩で息をした。
 そんなアキラを見た後、麻隆は静かに言い放つ。
「気に入らないなら歌わなければいい」
「ふざけんなよ! アンタ何考えてんだ。気に入る気にいらねえの問題じゃねえよ。なんだよコレ、こんなキー俺に歌える訳ないのはあんたが一番知ってんだろ!」
 握り締めた譜面を、顔に向かって投げつけられる。ばさばさと床に落ちたそれに書かれたメロディーラインは、確かにアキラの声域とは明らかにずれていて、それが別の『誰か』のために書かれた曲であることは明白だ。
 アキラが怒るのも無理はない。それをわかっていて、それでも麻隆はこの曲をアキラに渡した。
「…それで?」
「…っそれで、じゃねえよ。アンタ俺をバカにしてんのか!?」
 譜面を投げつけられて、それでも冷静な態度を崩そうとしない麻隆に、最初に抱いていたものとは別の苛立ちを感じているのだろう。
 軽く歯軋りをして、それでも冷静に告げようとした言葉は、最後に行くにつれて大きくなって、最後は叫びになる。
 叫んだあと軽く深呼吸をして、アキラはまっすぐに麻隆を見てくる。
 怒りはまだある。けれど、叫んだことで少し落ち着いたようだった。
「…本当に何考えてるんだよ? こんな事今まで一度もなかったのに」
 おかしいよ、と小さく呟く声に麻隆は心の中で同意する。
 確かにおかしい。今まで生きてきた中でこんな風になった事などなかった。
 新しく曲を書こうと思うたびに浮かんでくるのはたったひとりの姿と声。
 それも素人の域を出る事のないたった一人のためだけに曲を作るだなどと―――…笑える話だ。
 トチ狂うという言葉の意味を実感して、麻隆の口元が笑みの形に歪む。
 その笑みの意味を、アキラは正しく読み取る事ができずにギリリ、と麻隆にも聞こえるような音を立てて歯軋りする。
「なんだよ、それ」
「…いや、別に」
 アキラに対して笑った訳ではなかった。
 ただ彼の姿を思い出したら無性に会いたくなって、馬鹿らしいと自分を詰ったそれをアキラは誤解したのか悲痛な叫びを放つ。
「別に、じゃないだろ! あんたがそんなんじゃ俺たちどうしたらいいのかわからねえよ!」
 だがその言葉に、頭の中に思い浮かんだ姿は霧散した。
 口から出たのは、自分でも冷たいと思うしかできない溜息。
 吐き出されたその息の静かな音に、アキラはびくりと震えて一瞬で固まる。
 その後静かに視線を向ければ、怒りに満ちていた表情は怯えるけれど、アキラはしっかりとそれを受け止める。
「どうしたらいいか、だと?」
 まだそんな甘ったれたことを言うのか、このガキは。
 そんな事を言わせるために、あの楽譜を渡した訳ではなかったのにと麻隆は落胆する。
 他人のために書いた楽譜を渡したのはわざとだった。


 麻隆が素人時代も含め、殆ど1から育て上げたバンド『SignA』。
 彼らは教えた事全てを吸収して昇華して成長してきた。
 彼らに出会ったのはアキラがまだ高校生になったばかりの頃だった。
 その頃もう既に名プロデューサーと名を馳せていた麻隆に、自分のバンドを見てくれとねだったのはアキラで、ほんのお遊びのつもりで見に行った彼らの練習場で、彼らを育てようと決意した。
 それから数年。アキラの発声方法から、他のメンバーたちの楽器の使い方まで、とにかく使えるだけの力を使って育て上げた。
 潰されないだけの力をつけるまで焦れるほど待って、メジャーの世界に引き入れた。
 名プロデューサー水城麻隆の『秘蔵っ子』という事も手伝って、デビュー当時から話題性はあった。そしてそれに負けないぐらいの力もあったから、彼らはすぐにトップの仲間入りを果たした。
 それからは頂点という名の毒に犯されその位置が彼らにとっての『当たり前』にならないように、華やかに見える世界の中にある毒々しさに折られてしまわれないようにと手を尽くして、その世界で生き抜くための術を教えた。
 傲慢になってはいけない、常に上を見ろ、向上心を持て、甘えるな、その位置が当たり前だと思うな、思えばすぐに後ろから突き落とされるぞと言い続けた。
 その甲斐あってか、彼らは傲慢になることも、芸能界という世界の裏事情に絶望する事もその世界に居られなくなるほど嫌悪する事もなく成長していった。
 デビューして2年。『SignA』はオリコンヒットチャートのトップに常連となるほどに認められた。そうなればもう、麻隆のネームバリューは邪魔になるだけだと、これまでに育てたアーティストたちの事を思い出してそう麻隆は考える。

 麻隆自身も、過去オリコンヒットチャートのトップに位置するアーティストだった。バンドに名を連ねていた事も、ソロで活動していた事もある。
 アーティストとしての活動を辞して、プロデューサーになってもその当時の経歴はついて回って、気づいてみれば育てたアーティストたちは『あの水城麻隆が』という文面で話題になる事ばかりだった。
 それは麻隆の本意ではない。麻隆は自分が育て上げたアーティストに誇りを持っている。
 何よりも育て上げた者たちが手に入れた位置は、彼らの力で手に入れたものだ。
 麻隆の名前は、その力にほんの少しだけ、支えを与えただけに過ぎない。
 それなのに周囲は麻隆のおかげだとか、麻隆が居たからだとか、そんな言葉を投げかけてくる。その言葉に憤りを感じているのはきっと、言葉を向けられているアーティストよりも麻隆自身だろう。
 育て上げた『子供』たちは何れもマスコミのあの言葉を、程度はどうであれ「事実だ」と認めている。その上で自分たちの実力もあるのだとしっかりと自信を持って。
 けれどそうではないのだと声を張り上げたかった。
 育て上げたアーティストたちは自分の力で成長して、その居場所を掴み取った。麻隆の名前など関係なく、それは彼らの力なのだと万人に認めてもらいたかった。
 頂点に立った彼らにとって自分の存在は邪魔にしかならないというのに。
 だからあの『別の誰か』のために作った曲を試すように渡してわざと怒らせたのに、アキラの口から出た言葉は、麻隆が聞きたかったものではなかった。


「どうしたらいいのか、わからないだと?」
 もう一度、深く深く息を吐き出して告げながらアキラを見る。
 射るような視線に一瞬圧されたようだったけれど、それでもアキラは目を逸らさなかった。
 それなのにどうして、そんな事を。
「俺がいつも何を言ってきたのか忘れたのか?」
「…何って」
「『傲慢になってはいけない』『常に上を見ろ』『向上心を持て』『甘えるな』『その位置が当たり前だと思うな、思えばすぐに後ろから突き落とされるぞ』」
 何度も何度も繰り返した言葉を告げれば、ぐっとアキラが息を呑んだ。
「もう親に泣きついてたガキじゃないだろう。立派に自分で金を稼いで、自分で生きる大人だ」
 年齢ももう、麻隆に『俺のバンドを見て欲しい』と告げてきたあの頃と同じではない。
 確かに若いけれど、きちんと成人もしているではないか。
「もう俺に甘えるな。自分でものを考えろ。今お前は―――…お前たちは何がしたい?」
「お、れ…たちは」
 ぎゅっと握り締められた拳。強い力に震える手が、麻隆の考えへの答えだと思いたい。
 彼らはこんなところで、どうしたらいいのかわからないなどと言ってはいけない。言ってほしくない。自分などいなくてもきちんと前が向けるように、そう育ててきたはずだ。
「どうしたい? 向けている視線の先にあるものに、俺は必要か?」
 甘えではなく、現実を見た上で必要だというのなら力はいくらでも貸そう。だが、きっとそうではない。
 アキラのぎゅっと握り締めた拳が白い。
 線が細いくせに力の強いアキラの事だから、これ以上握り締めれば掌が傷つくかもしれない。
 それでも止めないのは、先を見て欲しかったからだ。
 これ以上『水城麻隆』の下に居るのは、彼らにとっていい事なのか悪い事なのか。
「はっきり言おうか」
「…?」
「俺の傍に居ても、お前たちに『これ以上』はない」
 それを麻隆は望んでいない。
 麻隆の元に居たままそれ以上にのし上がっても、それは多分本人たちが望むようなものにはならないし、麻隆の望むものでもない。
 一緒に居る以上、どうやっても、例え本人たちの力が認められていても麻隆の名前はついて回る。それが、その事実が、麻隆はどうしても嫌いだ。
 きっぱりと言い放った言葉。それにアキラが何を思ったのかはわからない。
 けれどアキラは一瞬目を瞠った後に、小さく笑い始める。
「…ふ、はは」
 笑い声は次第に大きくなって最後には腹を抱えて「あはは!」と大笑いになる。
 ひとしきり笑った後に、アキラは息を整えるように大きく深呼吸をして、ひどく晴れやかな表情をして麻隆に視線を向けた。
「あのさあ、伯父さん」
 伯父さん、と自分たちの血縁関係を表す言葉で呼ばれたのは何年ぶりだろうか。
 会う時は仕事ばかりで、お互い公私混同を好まなかったからアキラが麻隆を呼ぶときはいつも『伯父さん』ではなく『麻隆さん』だった。
 久しぶりに呼ばれたその呼称に、懐かしさがこみ上げてきて麻隆は口元に笑みを浮かべる。
「なんだ、あっくん?」
 わざわざ昔の、まだアキラが小さかった頃の愛称を呼んだのはわざとだ。
 今ではそう呼ぶのは彼の母親ぐらいのもので、久しぶりに使われたそれにアキラはとても複雑そうな表情で答える。
「それ、恥ずかしいからやめてよ」
「ではお前も伯父さんはなしだ」
 ここはどこだ、と問いかけて麻隆は笑う。
 事務所、という答えが返ってきて、そのあとアキラは伯父さんではなく『麻隆さん』と呼びなおした。なんだと視線で答えれば、さきほどまでの怒りや悔しさなど全て消し去った穏やかな表情でアキラは口を開く。
「…本当は、やりたいことあるんだ」
「そうか」
「うん。でも麻隆さんについてった方が楽かなって、ちょっと思ってた」
「ああ」
「でも、それじゃ麻隆さん、嫌なんだよな?」
「そうだな」
 自分の名前を使う事を厭う訳ではない。使えるものはいくらでも使っていい。けれど、最終的に認められるべきは麻隆ではなく、本人でなくてはならない。
 目を向けられるべきは本人たちで、決して『麻隆が育てたから』だとか『プロデューサーが麻隆だから』と言った言葉はあってはならないのだ。
 麻隆が育て上げたアーティストたちは、麻隆の名前などなくてもその存在感を示せるほどになったと言い切る自信がある。そしてそれが、育て上げた自分の大切な、愛しい愛しいアーティストへの麻隆の誇りだ。
「…もう自分たちで決める」
「そうしなさい」
 望んでいた言葉を聞いて、麻隆の表情には自然と笑みが浮かんだ。
「だけど、だけどさ…わからないことがまだ多いから」
 少しだけでいいから手を貸して欲しいと言われて、今度のそれは甘えではないとわかるから麻隆はわかった頷いて答えた。
 けれどその答えに、アキラは少しだけバツが悪そうになる。
「本当はすぐ離れたほうがいいかもしれないけど」
 その言葉の意味がよく理解できず、麻隆は首をかしげる。
 本気でわからないと言った表情をしている麻隆に、なんだ無自覚かと呟いたアキラは、今度は少し意地の悪い笑みを口の端に浮かべながら答えた。
「それ、いい曲だったよ。俺には歌えないけど」
 投げつけて落ちた楽譜の一枚。それを指し示しながら言われた言葉に、一瞬意味を掴みあぐねて、その後すぐに理解した麻隆は眉根を寄せる。
 どうやらアキラは、麻隆本人が最近になってようやく気がついた自分の変化を、渡した一曲だけで理解したらしい。
 眉根を寄せてぐっと言葉に詰まった麻隆に、してやったりと言ったような表情を見せながらアキラは近づいてくる。
 麻隆のデスクの上に腰を下ろしながらずいっと顔を近づけて、ねえ、と笑った。
「どんな奴? 男? 女?」
 相手が麻隆にとってどんな感情の対象となっているかわかった上での質問がこれなのだから、それはどうなんだと麻隆は思った。
 男を相手にしたことは、彼を除けば麻隆に経験はない。それを知っている上でそうやって聞いてくるのだからたちが悪い。
「そのうちわかる」
 むすりとしてそう答えれば、本人よりよほど麻隆の事を理解しているのだと言うアキラは、にんまりと笑ってみせる。
「誤魔化すって事は男だな」
「…な」
「目ぇ丸くしちゃって。図星なんだろ? 伯父さん図星さされると弱いよな」
「だから伯父さんはよせと…」
「いーじゃん今はプライベートな話してるんだしさ。大体今まで一番のお気に入りだった俺たちをお役ごめんにしてまで可愛がりたがってる相手なんていわれたら気になるだろ」
「…そんな事は言ってないだろうが」
 別にお役ごめんにしたいだなどとは思っていないと言えば、はいはいわかってますから安心して下さいなどと笑って返された。
「俺たちの事は単なるきっかけだろ? 伯父さんの事だからなーんも言わずに色々考えてるに決まってる。それで準備ができたらいきなり話題振ってくるんだ」
 決め付けられてさすがに憮然としたけれど、それまでの経験からきた言葉だからなんの反論もできなかった。
「まあ、俺は応援するよ? 伯父さんのそういう人間っぽい所見るの久しぶりだし」
「人間っぽいって何だ…」
「ん? なんていうの? 仕事でずーっと付き合ってきたけど、伯父さんてテンションが低いというか、落ち着いてるというか…感情のふり幅が狭いだろ」
 こんな感じで、とアキラはメトロノームのように指を振ってみせる。そのふり幅は、本当に狭い。
 確かに麻隆は喜怒哀楽を外に出す事はあまりなくて、多分アキラの言う通り、感情の幅は恐ろしく狭いのだろう。そうでなければ、広すぎて、僅かに動いただけでは変わらないかのどちらかだ。
 それでも頭の中ではいろいろと考えたりもしていたのだと眉を顰めていれば、アキラはあははと笑ってそれそれと言う。
「眉間に皺寄せたりとかさ、そういう表情の変化があんまりなかったんだよ。だからたまーにこの人本当に人間なのかなって思う事があった」
 それが今はとても人間らしく見えると言われて、どう反応したらいいものかと麻隆が困っていると、アキラはストンと床に下りる。
「麻隆さん、その方がいいと思うよ。俺はそっちの方が好きだな。昔に戻ったみたいで」
「昔?」
「そ。俺がちっちゃかった頃はよくあっくんて呼びながら笑ってくれただろ。その頃みたいだからそっちの方が好きだな。うん」
 思い出してみれば確かにそうかもしれない。
 最近は笑うといえばつくり笑いばかりで、本気で笑った一番新しい記憶はいつだったかと考えてみても思い出せない。
「今度紹介してくれよ。楽しみにしてるから」
「…ああ、そうだな」
 口元に優しい笑みを浮かべながら答えて、そうして麻隆は頭の中でどうやって彼を自分の元へ引き寄せるか考えをめぐらせる。
 ここでいいと言い続けるあの態度は頑なで、あの考えを一体どうやって変えてやろうか。そしてそれ以前に。
「じゃ、邪魔しちゃ悪いし俺は帰るかな」
「…?」
 穏やかな笑みから一転、複雑そうに眉根を寄せた麻隆の顔を見て、アキラはくるりと背中を向けた。そんなアキラの言葉と行動に首をかしげた麻隆に向かって、アキラは横顔で視線をむけながらにやりと笑ってくる。
「まだちゃんと言ってないみたいだし? 早くそいつのところに行って落としてきなよ」
 何故この甥はいらないところで敏いのだろうかと複雑な表情になりながら、麻隆はあいまいにうなずく。
 返事が微妙になったのは、なんと表現したらいいのか困る自分と彼の関係のおかげだった。
 体だけならもうとっくに、などとは目の前の甥に言う事はできない。
 正直今の自分と彼の関係が良いものだとは言いがたい。他人から見れば今の麻隆と彼との関係はセックスフレンドだろう。そんな状態で、何をどうやれば、今更のように気がついたものが正確に伝わるだろうか。
「おーおー悩んでる悩んでる」
「うるさい」
 眉間に皺を寄せてうつむいた麻隆に向かって、やけに満足したような笑みを見せながらアキラは言って、それじゃあねと歩きだした。
「アキ…」
「あ、今度曲持ってくるから、添削よろしくー」
 反射で呼び止めようとした麻隆の声を遮って、アキラは手を振りながら部屋の外へと出て行ってしまう。
 今度は静かに開いて静かに閉まるドアの音を聴きながら、麻隆はどっと疲れを感じて椅子の背もたれに背中を預けて大きくため息を吐き出した。
「…すき、か」
 ぽつりと呟いたその言葉に、麻隆の顔が羞恥で歪んで赤く染まる。
 ごく最近自覚したばかりのその感情を口に出したのは初めてだった。そしてそれが、自分が経験した中で一番大きく、多分一番純粋なものであると気がつけば恥ずかしさは倍増し以上に膨れ上がって麻隆は両手で顔を覆う。
「…嘘だろ」
 まるで十代の少年のような恋心というものを自覚して、言葉にした瞬間の羞恥心はたまったものではない。
 多分頭が理解するよりも早く体が反応して、今のこの状況を生み出したのだと考えて、自分はそこまで即物的な男だったのかと、麻隆は頭を抱えたくなった。
 そうやって色々と考えているうちに、今彼はどうしているのだろうかとふと思う。
 麻隆は彼が自分の居場所と定めたあの高架下と、それから自分が暮らすホテルのベッドの上での彼の姿しか知らない。
 外見も、多分心の中も真っ白な彼の普段は一体どんなものなのだろうかと考えれば、知りたいと言う欲求が湧き上がる。
「…行くか」
 外を見ればもう殆ど日は沈んでいる。これから行けば、着くのは夜。つまり彼があの場所に居る時間になる。
 あの場所で、彼が歌わない日は数えるほどしかない。だから行けば、多分その姿を見る事ができる。その手をとる事も。そして、彼は差し出した手を拒む事はないだろう。
 そうして彼の手を取ったら。
「…どう、するかな」
 とりあえず、渡そうか。
 そう考えて、麻隆は足元に散らばった紙を丁寧に拾い上げる。
 きちんと順番どおりに並べて纏めて、多分今の自分が一番上手く伝えられる方法はこれだけだと、拾い集めた楽譜を見た。
 まだ歌詞はついていない。けれど彼の事だけを考えて作った曲。
 思い浮かべたのは彼の声と、顔。表情は笑顔がいい。あまり見たことはないのだけれど。そしてそれが自分に向けられるのであれば、なおいい。
 そうなるように、何を言おうか。
 信じてもらえなくても、それが最後になっても、伝えたいものがあるのだから伝えようと麻隆は思う。

 それは麻隆が最初に作曲をした時の気持ちとよく似ていた。
 伝えたい事があるんだ。そして聞きたい声と言葉がある。
 だからその望みを叶えるために、曲を作った。
 穏やかで、けれどとても激しい、澄み切ったようで濁っている。矛盾だらけの気持ちが、悪いものではないのだとどうか正しく伝わるように。期待と不安を胸に抱きながら、青臭いと思う久方ぶりの感情を、恥ずかしいと感じつつも晴れやかに感じながら麻隆は立ち上がる。
 あの声で、自分が生み出したこの曲を完成へと導いてもらえるだろうか。







 その答えは、彼にしか、産み出す事はできない。








END








++++アトガキモドキ++++


どうして私が書くと相手が出てこなくなるんだorz

それはともかく、拍手に置いてあったSS『白い唄と』の続きでした。
上記を読んでいないと多分全く意味がわからないと思います。
ので「わっかんねえよ!」と言う方はそちらをどうぞ(笑)

白い男の子を手篭めにしてる悪いオジサンはこんな人でしたという話。
誠実なのか不誠実なのか。たぶん後者。
麻隆の仕事についての考え方は、私が裏方に回る場合
裏方は裏方らしくさりげない存在がいいと思うのでこんな人になりました。
ちゃんと告白できるのか。そちらが気になる方はぬるーい目で見守ってあげて下さい。


アキラくんを出したくて書き出した話が思いのほかシリアス?っぽくなりました。
アキラは拍手のお話でちょこっと名前が出てきたバンドのヴォーカルくんです。
バンド名はメンバー全員のイニシャルにAがつくのでサインA。
こっちもいつかちゃんと書きたいなー。

SS連作の中では結構お気に入りなので、感想があればお聞かせ下さい^^




2008,04,10