最近、幼馴染を怖いと思う時があります。





     *     *     *





「あっっっっつい……!!!」

 汗だくになりながら、真白は心の底から叫んだ。
 居間に直結している庭の窓を開けるとひんやりと冷気が漂ってくる。
「ここが炎天下のはしっこかぁ」
 そんな事を呟きながらよろよろと部屋の中に入ると、くすくすと笑う年上の幼馴染が「はい」と氷のたっぷりはいった麦茶を差し出してきた。
「うわーいありがとう、ほんと圭吾さんだいすきー」
 満面の笑みを浮かべながら受け取って一気に飲み干す。
「ぷはー! 麦茶、最高!」
「麦茶ひとつでそんなによろこんで」
「いいじゃん。夏の風物詩ってやつだよ」
「麦茶は夏だけじゃないじゃない?」
「夏は格別って話」
 暑い日差しは嫌いだけれど、真白はなかなかに夏が嫌いではない。
 冷たい麦茶に、涼しい音を鳴らす風鈴の音色。扇風機にむかって「あー」と声をあげるのも、夏じゃなくちゃできない。
 子供からの楽しみは、大学生になってもやっぱり楽しいのだ。
 ちりちりと窓際でかわいく鳴る風鈴の音を聞きながら、圭吾に渡された濡れタオルで顔を拭っていると、進捗状況はどう? と問われた。
 圭吾の視線は、真白のすぐ横に置かれた木刀に注がれている。
「あとは合わせてどうなるかなーって感じ」
 広い庭のある圭吾の家に真白が居るのはそれが理由だ。
 所属している劇団の練習がない日には、圭吾の家の広い庭で練習をさせてもらっているのだ。
 今回は剣劇で、大立ち回りがあるため、練習はしておくに越したことはない。
 普段剣を握る事はあまりない役が多いので、慣れるためにも真白は連日圭吾の家に通い詰めて稽古をしていた。
「そう。まあ、看板役者くんは何をしても様になるから大丈夫だろうね」
「貧乏学生褒めてもなんもでないよ?」
「んん? そうでもないと思うけどね」
「?」
 笑いながら言われた圭吾の言葉を、真白はイマイチ理解できずに首をかしげる。
 時々圭吾は、こんな風によくわからない事を言う。
 そんな時は大抵、何かを面白がるような表情をしていて、それでいてどこか遠くを見ているような気もする。
 そして何事かと問いかけてみても曖昧な答えしか出ない事に、随分前から真白はさみしさを覚えていて。
「あのさ」
 こくり、と喉を鳴らした真白は、圭吾を見上げながら問いかけた。
「ん?」
「圭吾さん、なんか俺に隠し事とか、してる?」
 けれど。
「隠し事?」
 結構な勇気を持って問いかけた言葉には「なにかな」と逆に問い返してくるような表情が返ってきた。
 だがそれが妙に他人行儀な気がして、真白は眉根を寄せる。
「なんか最近圭吾さんヘンだし」
「へん? なにが?」
 にっこりと笑うその顔がなんだか怖かった。
(なんだろ……なんか、知らない人みたいだ)
 いつも一番近くに居るはずの幼馴染が、どうしてか急に遠くに行ってしまったような気がして、それでいて向けられる視線は穴が開きそうなぐらいに強く感じて、真白は視線をうろつかせる。
「なんか、最近よくわかんない事言うし」
「どんな?」
「さっきみたいなのとか……あと、なんか最近よく『難しい』って言ってるし」
 そう。それだ。
 少し前に「難しいなあ」と呟いたあとから、圭吾はよく同じことを言うようになった。
 真白を前にして、なんでもない事を話している時だとか、さっきみたいに意味のわからない事を言った時だとか。
 そしてそんな時に決まって、真白は圭吾がどこか遠くに離れてしまったような気分になるのだ。
 そして真白は、次に聞こえた言葉に泣きそうになる。
「……そうだねえ」
 肯定の一言。それが思っていたよりもぐさりと刺さって、大きな目は見開かれたまま潤んだ。
 だがそこから涙がこぼれるよりも先に、圭吾の言葉が聞こえてくる。
 くすくすと笑う声に、泣きそうになりながらなんで笑うんだろうとぼんやり思う。
「真白くんは、かっこいいけど、かわいいよね」
 聞こえた言葉の意味がよく理解できないままの真白の前に、圭吾が座る。
 綺麗な顔が目の前にやってくる。見慣れた顔が、なぜか違う人のような気がしてぼうっとしていると、ふっと笑った圭吾が両手を真白の頬に添えた。
「それからとても純粋で、きれい」
 圭吾さんのほうがきれいなのに。と思った言葉は口から洩れていたらしい。
 見てくれの話じゃないよと笑った圭吾は、手を離したあとに小さく息を吐き出した。
 呆れのため息のような気がした真白は、肩を震わせるけれど。
 なぜか圭吾は楽しそうに笑っている。
「……真白くんの方から気が付いてくれないかなあって思ってたんだけどね?」
「え……?」
 なぜか、圭吾は笑っているのに、真白は自分の顔が蒼白になっていくような気がした。
 クーラーが効いた部屋の温度が、さらに1、2度下がったような気がする。
 怖い、と反射で思った。
 だがどうして怖いと思うのかよくわからなくて動けない。
 そして腰が引けた真白の手を、笑顔のままの圭吾がつかんできてさらに動けなくなった。
「圭吾、さん?」
「ぼくが前に言った事、覚えてるかな? 真白くん」
「な、なに?」
「見込みはあると思うよって」
「い、いつの、話?」
「きみが恋愛云々で頭が爆発しそうだった時。わりとイケると思うんだけど、とも言ったかな?」
 楽しそうにしているくせに、真白の腕を、ものすごい力で圭吾は押さえつけている。
 なにこれ怖い、と思いながら、圭吾の言葉に真白は記憶を巡らせて。
 数か月前の出来事を、思い出した。


――俺と圭吾さんでコレをやるのも無理があるじゃんか。
――そうかな? わりとイケると思うんだけど。
――はぁ?
――うん、見込はあると思うよ? 真白くん。


 あれはたしか、やったことのない恋愛ものの舞台をやれと言われた時だ。
「思い出した? その前にぼくは、何をしたかな?」
 くすくすと笑う声。囁く声がぞくりと真白の背中を這うように伝う。
 なにこれ、と思う間もなく記憶がどっと蘇る。


「『きみがすきです』。ぼくは、そう、言ったよね?」


 楽しそうな顔が怖い。
 何も言えずに真白が固まっていると。

「もう何年か待つ気でいたんだけどね。真白くんがそんな顔するんだったらもう、いいかなって」

 またしても意味のわからないことを言った圭吾の顔が、なぜか見えなくなる。
 いや、見えなくなったのではなくて「埋め尽くされた」のだ。
 何に? どうして? 何がおきてる?
 理解の範疇を超えた出来事に、真白の脳みそはオーバーヒートして悲鳴をあげた。
 沸騰したヤカンみたいな音が脳内でこだまして、ぼひゅっと爆発してとだえる。

(これって……これって……!?)

 これってまさかもしかして。
 いわゆる。
 唇と唇がくっつく、恋愛組がクライマックスにやるあれではなかろうか。
「……っ!!!!????」
 キス、と言う言葉が出てこないままぐるぐるしていると、ちゅっと音を立てて目の前に圭吾の顔が戻ってくる。
 見えるようになった圭吾は、とても楽しそうに笑いながら自分の唇を舐めていて、ダレダコレハ!? と真白は叫びそうになった。
 一体何が起きているのだ。どう言う事だ。誰か説明してくれ。
 脳内が大混乱と暴走を起こしている中、圭吾はひたすら楽しそうに笑いながら真白の唇を親指でいじる。


「無理やり花開くって言うのもまた悦なものだよね?」


 にっこりと笑う圭吾の顔が、悪魔に見えた。
 そこで限界を超えた真白の頭は、強制終了してしまう。

 どうやら0以下だった真白の恋のレベルは、その時から強制的に跳ね上げられてしまったらしい。


 なんでだ。どうしてこうなった!?





END