なかなか咲かない花の種を蒔いている。
もうずうっと前から、少しずつだ。
それが実るまで、まあいつになるかはわからないのだけれど、それすらも楽しく思えるのは凄い事だと、産土圭吾は思うのだ。
ここ数日、幼馴染の広井真白は『足が痛い』と嘆いている。
その原因は、彼がわりと有名な大学の劇団サークルに所属している事にある。
先日は『恋って何?』と頭を悩ませていた彼だったけれど、今度は慣れないダンスに四苦八苦しているのだ。
先日のお悩みに関しては、彼なりに何か答えを出した……とは思えないものの、そこそこいい演技をしていた。まあそれは多分、彼の鞄の中に入っていた、何本もの恋愛映画を観察した結果なのだろう。
未だ『恋とはなんだ』である事に変わりはないようだが、それでも最近ほんの少し違いが出てきたような気がするのは気のせいだろうか。
まあそんな事はおいておいてだ。
時計の針は既に夜の11時を回っていて、圭吾の店は既に閉店している。
その席のひとつに座りながら、圭吾のかわいい幼馴染は「はぁ〜」と息を吐き出していた。
「あー……極楽」
なんて。温泉につかっているみたいな声を出すから笑ってしまう。
「毎日毎日すごいねえ。こんなになるまで練習するなんて」
次の舞台は『男版赤い靴』らしい。
どこをどうやったら男が赤い靴を履いて、踊り狂うようになるのだろうかと思うのだけれど、今回は『超面白いから内容は秘密』らしい。
以前は稽古があっても営業時間内に店に来ていたのだけれど、最近はそうも言っていられない様子で、毎日足をパンパンにしながら、こんな時間に帰ってくる。
最高のステージで、最高の演技がしたい。それを叶えるために努力は惜しまないのが真白と言う人間だ。
「ダンスなんて経験ないからさ、なんか変なところに力はいっちゃって」
椅子に座っておとなしくマッサージされながら、真白はそんな風に毎日の風景を楽しそうに話す。それが圭吾にとってどれだけ嬉しい事なのか、多分真白はわかっていないだろう。
「ああ、できるようになるまではそう言うの大変だからね」
「今まで使ってたのとは全然違う筋肉使うから、もう筋肉痛で立てなくなりそう」
あははは、と笑う彼は、それでも楽しそうだ。
心底芝居が好きな真白は、毎回毎回とても楽しそうに芝居の話をしてくる。その笑顔がかわいくて好きだ。
だからこうして、毎日のマッサージも請け負うし、愚痴でも悩み相談でもなんでもする。
この行動の原動力がどんな感情から来ているのか、この幼馴染が知ったらどう思うのかと少しだけ未来の想像をしつつ。
(……まあ花咲き誇るどころか、芽が出るかどうかもあやしいんだけど)
なんて、考えていたら少しばかり悪戯心が芽生えてきて。
「うわ、そっちはくすぐった……ちょ、圭吾さん! やめてってば!」
わざとらしく真白が苦手なひざ裏をくすぐってやると、ぎゃははと色気のない声を上げて真白が逃げる。
笑いながらそんな真白を追いかけて、謝ってマッサージを再開して。
その後は作っておいた夕食を食べる。
ちなみに本日は、スパイスからこだわって作ったチキンカレーに、真っ赤なトマトとモツァレラチーズとアスパラガスのサラダ。そして冷たいコーンスープ。
「うっわおいしそー! いただきまぁす!」
行儀よく両手を合わせて礼をする真白に「どうぞ」と告げると、目を輝かせて彼は食事を始める。
そしてひとくち食べた後に。
「うっまー……! ああやっぱり幸せ、天国」
なんて。本当に幸せそうに食事をするから、こうやって彼のために毎日の仕込みを増やすのも苦ではなくなるのだ。
真白が笑っていられるためになら、なにをするのも苦ではない。
「真白くん、本当においしそうに食べるよね」
「う? だっておいしいから」
「うん。作りがいがあるなあって」
お兄さんはうれしいですよと笑うと、なぜか真白は目を丸くした後にふっと視線を外す。
おや、と思うのはこんな時。
もしかしたら芽がほんの少しでも出てきただろうかと、長い目で見ている圭吾の胸の内にほんのわずかな期待が生まれる。
長い目で見てはいるけれど、心の奥底では喉から手が出るほどに渇望している事などとっくに自覚済みだ。
それでも彼よりも何年も先に生まれた先輩として、余裕は見せておきたい訳で。
「うーん、難しいなあ」
「……なにが?」
「こっちの話」
ふふ、と笑いながら見るのは、スプーンを咥えた真白の口元。
楽しいと笑い、美味しいと喜ぶ唇を、どうやったら自分のものにできるのか。
そんな事を年上の幼馴染が毎日考えているなんて、多分真白は想像もしていないだろう。
圭吾は毎日毎日種を蒔いている。
もしかしたら咲かないかもしれない。
咲くとしても、まだまだ時間がかかるだろう。
それでも水をあげて、傍に居られる事を楽しみながら、ずっとずっと待っている。
「ほんと、難しいね」
「だから、何が?」
「真白くんが大人になったら教えてあげる」
「そんなになるまで覚えてられるわけないじゃん」
「ふふ、まあそのうちわかるよ」
そのうちね。
口元に人差し指を持っていきながら圭吾は笑う。
ああ難しい。けど楽しい。
恋とは何ぞや。
その答えを彼に教える時が来るとすれば、多分圭吾はそう言うだろう。
そこにたくさんの幸せと、愛情をこめて。
END