広井真白は悩んでいた。
 恋とは一体どんなものだろうかと。
「……好きって一体なんなんかね」
 息を吐き出しながら呟いた言葉に、目の前に立つ大人兼幼馴染が苦笑する。
「そりゃあまた難儀な問題で」
 年上の幼馴染である産土圭吾は、25という若さでありながら、父の経営する小さなカフェを継いで店長になった。
 25歳にしてはやたらと貫禄ある幼馴染はその仕事がら聞き上手で、真白はよくこうしてカウンターに入り浸っているのだ。
「で? その答えを知りたい真白くんは何があったのかな?」
 くすくすと笑いながらの問い返しに、真白は鞄から一冊の本を出してみせる。
 本は本でも、台本。
 へろへろになるまで読み込んだそれに「ああ、次の」と言った。
「そう、次の」
 うなずく真白は、大学の演劇サークルに入っている。
 ただのサークルと侮るなかれ。真白の入ったそれは、『Trickers』と言う名で、そこそこの有名人も排出している、きちんとした『劇団』だ。
 真白はその中で『名前付き』と呼ばれる――モブではなく主役級が多い――役者なのだけれど、今回は毛色が違いすぎて悩んでいる、と言う訳だ。

 Trickersと言う劇団はその人数の多さを武器に、 宝塚の●●組のようにいくつかのチーム分けがされている。
 その中のひとつ、主にアクションをメインとしたチームに真白は所属していたのだけれど。
「今回は保田さんがチームごっちゃにしてやるとか言い出してさぁ」
 団長である保田譲は、全てのチームの総指揮者だ。その彼が、たまには面白い事をやりたいと言い出して、真白にとんでもない壁を立ててくれたのだ。
 つまりが。

「見事な恋愛ものだねえ」

 台本を流し読みしてあっさりと言う幼馴染の言葉に、盛大なため息とともに「そうなんだよ」と真白は頷いてみせた。
「闘ってお姫様の呪いを解く王子様とかだったらまだマシだったのに……」
 そうなれば見どころは真白の得意なアクションシーンだ。それならばまだこなせる自信はあったのに。
 渡された台本は、グリム童話のひとつ(初版)をもとにしたオリジナルの恋愛ドラマ。
 時計塔の上に幽閉される美しい姫と、そこに通う王子の話。
 愛し合う二人が引き裂かれ、絶望した王子は塔から身を投げる。その王子が、真白に与えられた役だ。
「ねえ投身自殺するぐらい好きってどんな気持ち!?」
 ていうか、その前に恋ってどんなものだ。
 ぐしゃぐしゃと頭を掻きまわしながら唸る真白は、それこそヒーローだとか、勧善懲悪の時代劇だとか、そんな役ばかりをやってきた。
 そして現実では、彼女いない歴は年齢と同じ。どころか初恋すらまだ。
「まあ、真白には難しいかもなあ」
「だから困ってこうなってるんだよ。ねえ、圭吾さんなんとかしてくんない?」
 数多ある恋愛経験からなにかこう、参考になりそうなものを教えてよ。
 もう半ば自棄になって問いかけると、どうしてか圭吾は不思議な目で真白を見た。
「……な、なに?」
 目を細めて、半分笑っているのに半分笑っていない。それが妙に艶っぽく、見てはいけないもののような気がして、真白は顎を引きながら逃げようとした。
「なんとかしてほしいの?」
「へ……?」
 なんか怖い、と思いながらも、どうしてか動けない。
 背中にへんな汗が流れるのを感じていると、カウンター越しの圭吾が前のめりに顔を近づけてくる。
「じゃあ、教えてあげようか?」
「な、なにを?」
 逃げ腰になりながら問いかけたところで、ふっと表情を変えた圭吾が口を開く。そこからでた言葉は、爆弾だった。
「きみが好きです」
「……へぁ!?」
「ずっとずっと昔から、きみの事だけを見てきました」
「け、けけけ、圭吾さん!?」
 なんじゃそりゃ!
 そんな風に目を回していると、真白の頬にそっと手を触れさせた圭吾が追い打ちをかけてくる。
「きみはとても色々なものを見せてくれるから、ぼくはきみに夢中だ。こんなに愛してるのに、なんでわかってくれないかな……?」
「……え?」
 花瓶の中にある紫陽花。その一部を摘み取って目の前に差し出されたところで、ふと真白は違和感を覚えた。
 そしてようやく、思い出す。
「……けーいーごーさーんー」
 ジト目でにらむと、それまでの怖いような圭吾の笑みが崩れていつもの表情に戻る。
 その手元には、さきほど真白が渡した台本。
 さきほどの圭吾の言葉は、その中にあるものを少し改変した台詞だったのだ。
「俺は真剣なのに、からかったな?」
「いやいやいや。ちゃんと真剣にやったよ?」
 どきどきしたでしょう? と問われれば確かに頷くしかない。
 だが。
「その『どきどき』は俺違うと思うんですけど?」
 なんか怖いし、逃げたくなったし。
 それは恋とは違うのではないか。というかそもそも。
「俺と圭吾さんでコレをやるのも無理があるじゃんか」
「そうかな? わりとイケると思うんだけど」
「はぁ?」
「うん、見込はあると思うよ? 真白くん」
 意味がわからんと首をかしげていると、勝手に納得したらしい圭吾は、カウンターの定位置に戻って、とまっていた仕事を再開した。
「見込って」
「だから、恋愛もの」
「……意味がわからんのですが」
「そうだねえ、もう少ししたら、意味がわかるかも」
「はあ……?」
 ますます意味がわからないと眉を寄せていると、目の前にココアの入ったカップが差し出される。
「まあこれでも飲んで落ち着いて」
 からかったお詫び、と言われて「やっぱりからかってたのか」と言う流れになり。
 結局お悩み相談に対する答えはないまま、その日は終わってしまった。

 またおいで、と手を振られた帰り。
 ドアを閉める一瞬、なぜか背中がぞっとしたのだけれど、その意味はよくわからなかった。



 ドアの向こうで、圭吾が小さく笑っていた事に。
 そして真白の世界に変化が訪れるまであと少しだと、本人は気づかないまま帰路につく。
 ああどうしよう。どうしよう。

 まだそんなことを呑気に考える真白の上を、夕日が静かに落ちて行く。




END