君の傍に居たあの頃の僕は確かに幸せだったのでしょう


「うおっ、まっず」
夏の暑い昼下がり。
練習休みで早く帰れるこの日、久しぶりにゆっくりと二人で歩きながら帰った。
帰り道途中にある自販機はおかしな飲物が売っている事で有名で。
阿部が意外とそういうものが好きだと知ったのはつい付き合いだして直ぐの頃だ。

「花井、これやるわ」
「…お前これ、さっき不味いって言ったよな?」
「うん、まずい。納豆と黒酢とバナナミルクは合わせちゃ駄目だな」
「おっまえなぁ…しょうがねえなホラ」
受け取る手が汗で濡れてる。
阿部の腕からも汗が滴って二人分の汗が指先で混じる。
なのに不快でない。むしろ快いことの不思議。
既に温くなってしまったそれを口に運ぶ。
「ぶっほっ!!」
想像と98度ほど違う味に思わずむせた。
うぉ、きたねえ、って離れるなよお前。お前が飲ませたんだろ。

悪戯が成功したかのようなその顔を見て
怒るに怒れなくなって軽く頭を小突いてからもう一度魔の飲物に挑戦する。

「残せないもんな、お前」
「お前だってオレ居なきゃ残さず飲むくせに」

阿部はただ嬉しそうに楽しそうにクツクツと笑った。
オレの前だけで見せる無防備なその顔が実はすごく好きだった。
精一杯呆れた表情を取り繕いつつ、そんな阿部を見遣る。


それはあの頃だから許された優しくて幼い時間だった。




「…なっつかしいな」
あの頃通った道を今また歩いている。
会社の夏期休暇を使って久しぶりの帰省だった。
母親は相変わらず元気で、妹共は外見は大きくなっても相変わらず手のかかる妹で。
セミの声も夏の暑さもあまり舗装されていない道も変わらない。
オレはといえば、その変わらないはずの暑さが我慢できなくなった。
白球を追いかけたあの熱狂的な気持ちもリアルには思い起こせなくなった。
高校の三年間はすっかり綺麗な思い出で、懐かしさが先にたつようになった。
何もかも変わらないのに、オレばっかりが変わった。
あの頃隣にいたはずの阿部も居ない。
もう何年だ。別れてからの年数も思い出せない。
別れたあの日のことは未だにはっきり思い出せるのに。


多分きっかけはオレだったと思う。多分、というか絶対に。
見知らぬ土地で就いた仕事が忙しくて、何も言わない阿部に甘えていた。
そんなだったから次第に連絡も取らなくなって。
電話もメールもしなくなり三ヶ月ほど経って掛かってきた電話に、疲れているのに何の用だ、と応えた。
もういいごめん、と阿部から出ているとは思えないほどの小声で返された言葉の後ろにかすかなすすり泣きを聞いた。
慌てて問い返そうとしてももう電話は切れていて、思わずソファに投げつけた携帯のディスプレイが示した日時は12月12日0時37分。
それが阿部の誕生日の翌日だと気付いたのは一週間ほどしてからだった。

11日が終わる直前まで待っていたのだろう。
12日になってもしばらくは迷っていたのかもしれない。

次第に疎遠になる連絡に
終には途絶えた連絡に
でもきっとこの日だけはと、待ってくれていたのだろうに。

愕然として、慌てて携帯を開いた。
あと一押しで阿部に掛かる、その寸前に怖くなって指が止まる。

結局あれから連絡はせず仕舞いだった。



(変なところで記憶力いいよな、オレ)
別れた日の事もそうだが、正直高校の頃道草した道なんてよく覚えてるもんだと思う。
もう思い出でしかない、あの日通った道。
例の自販機に向かう道すがら、感傷に浸っている自分に気付き苦笑する。
(おっ!自販機あった。まだあったんだな、あれ)
あのころと、全く変わらない風景。
流石に納豆と黒酢とバナナミルクのあの缶ジュースはもう売っていないだろうけど。

「あ、先客か」
夏の暑さにゆらゆら揺れる自販機の前に男子学生らしい人影が二つ。
まぁ、オレが自販機にたどり着くまでには、彼らも買い終わって立ち去るだろう。
そう思ってのんびりと近づいていった。

そのうちの一人がしゃがんで缶を取った。
手にはあの納豆黒酢バナナミルクの缶。

「…っ!」

缶を開ける。
一口飲んで不味そうに顔をしかめる。
何か隣の子に話しかける。

開いた口からは声は聞こえない。
けど何て言っているかは分かる。思い出せる。鮮やかに。

「うおっ、まっず。花井、これやるわ」
「…お前これ、さっき不味いって言ったよな?」
「うん、まずい。納豆と黒酢とバナナミルクは合わせちゃ駄目だな」
「おっまえなぁ…しょうがねえなホラ」

思い出でしかなかったものが目の前によみがえる。
その光景に足を奪われた。歩けない。
ただ目だけは彼らの動きを追い続ける。

二人組はオレなど見えないかのようにすれ違っていった。
黒髪の子が買ったはずの缶ジュースは、タオルを巻いた坊主頭の手の中に移っていた。

(オレは)
(あんなに幸せそうに)
(笑ってたのか)

あふれ出そうな涙を飲み込んで振り向く。
確かにすれ違ったはずの彼らの姿は、もうどこにもなかった。

しばらくして、そっと自販機に近づいてみた。
奇跡的にまだ残っていたらしい納豆黒酢バナナミルク。
昔阿部が買ってくれたそれをまた買う。
口をつけると覚えていたものよりも更に不味い。
思わずむせる。あの頃のように盛大に。
どうやら時と共に改悪を重ねているらしいその魔のジュースに
「…まっず」
と愚痴って、それからまた缶をあおった。

不味いそれを最後まで飲みたいと思った。
声が震えたのはあまりの不味さのせいにした。


イメージした曲は「花は桜 君は美し」でした
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