■in the dark■
        

 なぜだ!なぜ俺が負けなんだ!

 カノンは闇の中で、闘技場での出来事を幾度となく反芻した。何度思い出しても、どう考えてみても、なぜサガが勝者なのか分からない。

 あのとき、あのとき。 俺はほんの一瞬だけの隙を見つけた。サガは息を飲んで立ち尽くしていただけだった。事実は、これだけだ。この中に、俺が負ける要素がどこにあるのか。

 カノンはどうあっても承服出来なかった。

 あれが負け?俺の方が絶対サガより強い。俺の方が絶対サガより聖闘士に向いている。
サガは内向的だし、精神的にもろい。そりゃあその辺の候補生なんかに比べたら、サガは段違いに強い。だが俺と比べるなら、俺の方が絶対に強い。

 俺の中に迷いがたった一つも無かったとは言わない。だが、それはサガだってそうだ。サガにだって迷いはあった。それなのに一体なぜ俺が負けなんだ。
 大体裁定だっておかしい。判定したのは教皇一人だった。ほかの審判はみんなどうしてそこで試合終了なのか判ってなかった。そりゃああのクソジジイが黄金聖闘士だってことは知ってる。前聖戦を生き残った最強の聖闘士だってことも、よーく判った。だけど、絶対におかしい。どうして俺が負けなのか、きちんと説明しないのだっておかしい。

 考えれば考えるほど、カノンの思考は迷路に迷い込んだ。おなじところをぐるぐると回り、気が付けば初めの地点へ戻って来る。どこをどう考えてもすべて憶測でしかない。

 昨日までは、自分が聖闘士になるのだと信じて疑わなかった。サガも強いが、サガは神官の方が向いていると、自分でもそう思っているようだった。俺が聖闘士で、戦場へ撃って出る。サガは、アテナ神殿で祈りを捧げつつ、いざというときはアテナの護衛へ回る。そうなるものだと、それ以外有り得ないと、ずっと思っていたのだ。

 なぜ!
 なぜ!!
 なんで俺が雑兵なんだよ!!!

 教皇は俺の本当の力を知らないんだ。俺が禁地を抜け出して聖域へもぐりこみ、俺たちが置かれている立場や今の聖域の状況をある程度掴んでたことも、聖闘士候補生たちと信頼関係を築いている―――はっきり言えば、俺が信頼されてる、いや、尊敬されてる―――ことも、あのクソジジイは何一つとして知らない。

 オルコスたちが俺を尊敬するのは、俺が強いからだけじゃない。俺は奴らのことを誰よりも考えてやってた。俺がコツを教えてやったから、あいつは強くなれたんだ。俺がこう鍛えた方がいいって教えてやったから、あいつはあの弱点を克服出来た。俺が見抜いてやったから、あいつはそれまで全然気が付いてなかった蹴りを必殺技にすることが出来たんだ。

 聖闘士たちを束ね、率いるのが黄金聖闘士なんだろう?!その意味でも俺こそがふさわしい。 あの小屋でおとなしく本を読んで、あそこが禁地だったってことも、俺たちはあそこに隔離されてたってことにも気づきもしなかったサガなんかに勤まるもんか!

 たったあれだけ、あの試合の数分間を見ただけで、しかも勝敗って段階まで全然行っていないのに、俺が負けなんて決め付けるなんて絶対におかしい。

 俺も、サガも、たった一つの技も出していなかったのに!どちらかが技を出していたならまだ分かる。どちらも技を出していなかったのに!

 ………どちらも、技を出していなかった………?

 カノンは、ふとそこに引っ掛かるものを感じた。

 実は、サガが技を出していたのだとしたら?

 自分たちが使える「必殺技」というべきものは三つだ。小宇宙を極限まで高め、相手にぶつけるもの。これが最も攻撃的で、直接相手にダメージを与えることが出来る。もう一つは、異次元を介し、別のところへ移動するもの。直接相手に攻撃を加えるものではないが、使いようによっては―――相手を異次元に落とし込み、そのまま放置すれば―――攻撃手段ともなる。
 そしてもう一つ――――。相手の脳に直接働きかけ、相手を思うがままに支配するもの。俺は面白がって冗談半分に使ってみたものだ。ヨランドにかけて、使いっ走りをさせてみたり、その辺を歩いていた雑兵にかけて、変な踊りを踊らせてみたり。

 だがサガはこの技を嫌っていた。聖闘士にあるまじき技だと、それが理由だった。俺はそうは思わない。勝負は勝ってこそなんぼだ。しかも聖戦ともなれば、こういう汚い技を使わなければくぐり抜けられない局面だってあるはずだ。

 嫌ってはいたが、サガの方が俺よりもこの技は上手かった。そう、格段に、サガの方が上手かったのだ。

 勝負は、勝ってこそなんぼ。

 カノンは、自分の言葉を反芻した。その意味を深く考え、戦慄した。

 まさか……、
 まさか――――――。
 まさかサガは始めっから聖闘士になるつもりだったのでは――――。

 あいつは、こうと決めたら手段を選ばない。神官になりたいなどというのは、俺を蹴落とすための作戦で、本当は自分が黄金聖闘士になろうと心に決めていたのでは―――。

 そうだ、サガはいつだって俺のことを見下してる節があった。 どう考えたって、神官と聖闘士じゃあ聖闘士の方が立場が上だ。俺がいろいろ話して聞かせた話の中から、サガがそれを見抜けないはずがない。ならば、好んで俺の下の立場になど就こうとするものか。俺を油断させるための戦略だったとしたら―――。

 サガ、そうなのか。
 お前は、俺すら敵(らいばる)と看做して俺を上手く利用していたのか。
 俺はそんなことに気付きもせず、危険を冒して聖域に潜りこみ、手に入れた情報を嬉々としてお前に話して聞かせていたのか。

 そうか…!何一つ技を出さなかったんじゃない。サガは、俺に気づかれないように、あの精神技を俺に掛けたんだ。俺はいつから幻覚に堕ちていたのだろう。リウテスの技を破ったのも、教皇に徹底的にやられたのも、ひょっとしたらサガが見せた幻覚だったのかもしれない。何一つ技を出せなかったのは、俺だけだったってことだ。そう考えれば、どうしてサガが勝者なのか納得が行く。

 サガ…、サガ……。
 そうなのか………!

 いくら考えても、どこまでが現実で、どこからが幻覚だったのかカノンには判らない。

 全てが現実だったのかも知れない。
 全てが幻覚だったのかもしれない。

 答えが見つかることはないと知りつつ、カノンは出口の見えない迷路を一人歩き続けた。深い深い闇の中を、カノンはいつまでも彷徨いつづけた。



前へ / 次へ