■crush ice■ 「ヤバイ?」 バシーヨは珍しく苦い顔をして、いつもよりも強い酒を煽った。 いつもは丸く削らせた大きな氷を一つ、グラスに入れて飲むのに、今日グラスの中にはピックで無造作に崩しただけの氷が入っていた。とにかく早く持って来い、と言って持って来させたのだろう。 「いつだか言ってた、ランカフってヤツのこと?」 「いや、ちがう」 バシーヨは、再びグラスを唇に当てた。また飲むのか。今日はずいぶんとペースが早いな、とカノンは思った。 だが、バシーヨは酒をすすることをせず、そのままグラスを置いた。 何があったんだ、こんなバシーヨを、見るのは初めてだ。 「向こうから接触して来た。悪い話じゃない。だが、これまでに連中と接触した奴はことごとく消えてる。例の、『ランカフ』の連中も、何人も行方知れずになってる」 ランカフって、一人じゃなかったのか。 カノンは、場違いにも、のんきな感想しか持てなかった。バシーヨは断片的なことしか語らず、全容が見えてこないこともある。とにかくヤバイのだということは理解出来たが、それもいくらでも種類がある。 へー、ランカフって、グループの名前だったんだ。俺は、凄腕のヒットマンの名前だとばかり思ってたよ。なんでそう思ったんだろう? カノンは、その思い違いの原因を探るべく、あの時の記憶をたぐり寄せた。 「おそらくは、薬だ。だが、提示してきた金額が、安すぎる」 「安いなら、いいじゃん」 カノンは、思ったままを口にした。それを聞いたバシーヨは、軽く笑って、まぁな、と言った。 「じゃあ、なぜ奴らは消されたと思う?」 バシーヨが、まっすぐカノンの瞳を見た。 「交渉が、決裂、した……?」 カノンは少し首をかしげながら答えた。それを見てバシーヨは小さく頷いた。 「それしか無いだろうな。だが、何故決裂する?向こうが出して来た金額は、相場の三分の二にも満たない額だ。一も二もなく飛びつくはずだ」 ただでさえ、価格などない代物だ。末端で売られる額は、買う人間の顔色を見て、搾り取れるだけ搾り取る。そういう性質の物を、それだけの仕入れ値で手に入れたら、一体どれだけの利益を生むだろう。 「モノが悪いとか?」 バシーヨは真紅の革張りのソファの背もたれに身を預けながら、カノンに答えた。 「それも考えられるな。だが、そんなものはいくらでもどうとでも出来る。それに、あの値段ならそれも問題にはしないのが普通だろう」 「うーん……」 派手にトラブったというのなら分かる。その腹いせと、証拠隠滅のために相手を消すのはよくあることだ。名のある組織の人物を消すことで、自分たちの力を誇示することにもなる。だが、そんな力を持っているなら、自分たちで捌けば良い。こちらのような組織に持ちかける必要など、どこにもないではないか。 「あ」 そこまで考えて、カノンは思いついた。 「取引に見せ掛けて、実は組織を潰すのが目的とか」 その意見に、バシーヨはにやりと笑ってみせた。 美味しい話で釣って、狙った人物をおびき出す。彼らの陣地でなら、始末することは容易いはずだ。事実、交渉に指定された場所は組織の連中がたむろする、怪しげな色を帯びた繁華街からはかなりの距離があった。お硬いビジネス街から少し入ったところにある、こちら側からすれば「圏外」の屋敷だった。 組織の構成員を根絶やしにしなくとも、中心的な人物をピンポイントで始末してしまえば組織はそのまま瓦解する。それまでその人物によって保たれていた力の均衡が崩れ、内部分裂を引き起こすのが常だからだ。そうやって、大半の組織は自滅、もしくは分裂の道を辿る。聞けば、これまで行方不明になった人物も、ほとんどがそういった要の人物なのだという。 それに、薬の取引に関しては、中央アメリカの組織が独占的に品物を納める話がまとまったばかりだった。 例の、「凍った死体」が一役買っている。外国人が足を踏み入れるのは不可能だったスラム街へと、その貧民街で生まれ育った「凍った死体」が案内したのだ。地元の人間が仲介に立つと、こういう話は驚くほどすんなりと展開する。 お互い敵意のないことさえ確認できれば、似たような雰囲気をまとった街のごろつき同志だ。あっと言う間に打ち解けて、すぐに旧知の仲のようになる。 ここは、それこそ値段は安いが、粗悪な品物の多いことで有名な場所だった。今までは伝手が無かったということもあるが、そのひどい品質も敬遠して来た理由の一つだった。だが、今まで取引していた組織がまるごと上げられてしまったために取り急ぎ、まとまった量の品物を納めてくれる組織と契約する必要に迫られていたのだ。 薬はかつてから現在に至るまで、組織の重要な収入源だ。品物が入って来ないでは話にならない。 欧州のその筋の「薬物卸」はその事情を裏の裏までよく知っている。この状況で、値段を吊り上げない手はない。弱みにつけ込むのは、この商売の基本中の基本だ。連中は、薄ら笑いをその顔に貼り付けて、とんでもない金額をふっかけて来た。 そんな背景も手伝って、バシーヨは中央アメリカでの話を即座にまとめ上げた。 そして、帰国を待っていたかのように、この話である。 罠の臭いのするこの交渉に、行くべきか、行かざるべきか、バシーヨは大いに迷っているというわけだった。 「いいじゃないか。話を聞く価値はあるんだろ?」 カノンは、重い空気を振り払うように言った。 整理してみれば、話は簡単だ。もしも、「美味しい話」ではなく「罠」だったとしたら、連中を全員殴り倒し、バシーヨを守って、ともに無事脱出してくれば良いだけのことなのだ。 「俺が、ボディガードやれば良いんだろ?」 闘争を、カノンは好んだ。手加減無しで、殺しても良いなら、楽しみですらあった。 「行方不明の件も、はっきりした証拠があるわけじゃないんだよな?偶然が重なっただけかもしれないし、もしも本当に美味しい話なら、もったいない」 その言葉を聞いて、バシーヨは嬉しそうに笑った。 仕入元は多いに越したことはない。また今回のように、その組織ごと検挙されてしまうような事が起きた場合、また同じことを繰り返すことになる。先の中央アメリカの組織と再度交渉を持たねばならないが、もう一つ仕入元を確保することは、そんな手間など問題にならぬほどの益があった。 「そうか。行ってくれるか」 「ああ」 「どうする?二人までならお供は許可してくださるそうだ。もう一人は、誰がいい?」 「え……」 カノンは、バシーヨのその言葉に困惑した。 「俺は…、一人で良いよ。バシーヨは、俺一人じゃ不安?」 その言葉に、バシーヨは噴き出した。 「お前は、不安じゃないのか」 「不安?俺が?」 カノンは、思いもかけぬ言葉に、目を丸くした。 「もう一人、援護がいた方が気が楽じゃないのか」 バシーヨは、ボディガードを二人連れていくつもりなのだろうが、冗談じゃない。 カノンは、肩をすくめて答えた。 「やつらのアジトで、何が起こるか分からない。事が起きたら、あんたを守らなきゃならない。もう一人いたら、ガードしなきゃいけなくなる人間が、もう一人増えるだけだ」 足手まといになる奴は、少ない方がいい。 「ランカフの一番手もやられたんだぞ?精鋭を5人連れて行って、全員行方知れずだ。怖くないのか?」 カノンは、何が怖いのか、全く理解出来なかった。 「え、奴らが手を出して来たら、手加減無しで良いんだよな?」 カノンの質問の意図が掴めず、バシーヨは沈黙したままカノンを見ていた。 「殺しちゃっても、良いんだよね?」 バシーヨは、カノンが冗談を言っているのかと思った。 「殺して良い、とは相手のことを言っているのだよな?」 カノンはもちろん、と真面目な顔で頷く。 「全員怪我させないで生け捕りにしなきゃいけないんなら、ちょっと自信ない」 「カノン、念のためにもう一度言わせてもらうが、命の心配をしなきゃならんのは、相手ではなく、俺たちなんだが」 「そんなことわかってる。オレらが死ぬわけねえだろ?とにかく逃げりゃあ良いんだから。俺が聞きたいのは、そんなことじゃない。奴らを殺しちゃっても構わないかどうかだよ。はっきりさせてくれ」 「まったく、傑作だな」 バシーヨが額に手を当てて、上を向いて笑った。だが、カノンの言葉が、虚勢でないことを、バシーヨはよく分かっていた。 バシーヨは、話を持ち掛けてきた相手に電話を架けた。交渉は、翌日の午後に行われることにすんなり決まった。 「さあ、飲むか」 バシーヨは、やっといつもの笑顔を浮かべた。それを見て、カノンはほっとした。 件の屋敷で待っているのは思いもよらぬ人物であることを、カノンはまだ知らなかった。 |