■5月30日、曇天■ 「なに?雨は上がったのか」 朝起きて、自室から窓の外を見たミロは思わずつぶやいた。何たることだ。ミロはこの日、カノンに飲みに行こうと散々誘われていた。ここのところ連日雨が続き、さらにしばらく降り続くという予報を口実に断り続けて来たのに、これでは言い訳が成立しない。 仕事が忙しい、先約がある、金がない、言い訳をあれこれ考えるが、あのカノンのことだ、嘘だと見抜かれる気がした。 ならば、いっそ本当のことを言ってみようか。 過日ペガサスがふらりと教皇宮へ顔を見せた。女神に呼ばれた帰りだと言う。 「へぇー、みんなまじめに仕事してんだなぁ。御苦労、御苦労」 誰を前にしても物怖じしない物言いは一向に変わらず、ひとしきり軽口を叩いたあとでペガサスはとんでもない爆弾発言をした。 「なぁなぁ、サガとカノンてさぁ、別れた恋人同士みたいじゃね?」 興味本位で覗きに来ただけかと思いきや、ペガサスは冷静に人間の動きを観察していたらしい。 仕事を終えて早々に退出するカノンと、それに対してちらりとも視線を上げないサガをしっかりとチェックしていたようだ。 確かにサガとカノンはお互い寄らず触らず、避けることもしなければ親しくすることもない。 よそよそしいとは言わないが、自然かと言えば不自然だ。お互い必要最低限の接触だけで済むように、双子特有の阿吽の呼吸で間合いを調整しているようにも見え、ませガキが知った風な口をきくんじゃねえ、とデスマスクに窘められつつも、ペガサスの言は実に言い得て妙だった。 もちろんペガサスに言われるまでもなく、皆その不自然さには気づいていた。だが詳(つまび)らかな事情を知らぬ以上は仲直りを勧めるべきか、冷戦状態で良しとすべきか判断出来ない。 もどかしく思うものの、では踏み込めるかと言えばそれも憚られる。さてどうしたものか。これは十二人の共通した悩みであった。 先の聖戦で、カノンと一足先に篤い友情を築いたミロは、一再ならず周囲から言ってみてくれと頼まれていた。 酒を酌み交わしつつ、それとなく話を向けてみてくれないか、と。 だが、とミロは思う。 こういうことは、当人同士でなければどうにも出来ないのだ。周囲がどう思っていようが、当人同士がその関係に改善、でなくともせめて変革を望んでいなければ、誰がどう言おうが――――そう、シオンが教皇の名において勅命を下したとしても、その白々しさは変わることはないだろう。 だから、誕生日はいい機会だ。二人でみっちり話し合ってもらいたい。こんな微妙な冷戦状態を続けられるのなら、むしろ胸倉を掴んで罵り合いをしてもらった方がまだマシだ。 そうカノンに言ってみようか。 その足は双魚宮への入り口へと差し掛かっていた。 「夜はまた雨だそうだよ」 その麗しい宮主は曇り空を仰ぎながらそう言った。 そうなってくれ、と希望を籠めてミロも空を見上げた。空は白く煙っていて、雨を降らすには少し心許ない気がした。 「まったくわかってないのさ、あの二人は」 唐突にアフロディーテが切り出した。 「自分たちがどれだけ恵まれているかを考えるべきだ」 「何のことだ?」 アフロディーテはその長い睫毛を伏せ、ミロの質問に答えることなく話を続けた。 「自分たちが生まれたその日に、こんなにも花が咲き乱れ、滴るような緑が満ち溢れている。これが当たり前だとあの二人は思っている。断じて許せん」 「サガとカノンのことか?」 「ほかに誰がいるのだ」 アフロディーテは少し芝居がかった言い回しで言った。仕草もいちいち気障ったらしいが、それがまた小憎らしいほど似合っている。そんな風に考えたことはなかったが、いつも咲き誇る薔薇に囲まれているこの男が生まれた時期に、確かに花などひとつも咲いていない。 「それだけではない。あの二人は体格に恵まれ、美貌に恵まれ、よく言われるが、まるで古代ギリシャの彫刻さながらではないか」 俺も同じギリシャ人なんだが、とミロは言いかけたが、確かにあの二人はちょっと違った。 自分も見た目は悪くはないと思うが、古代ギリシャの彫刻とはさすがに言われない。それにどうせ褒められるなら、芸術品と言われるより、俳優やらモデルやらのようだと言われたい。権威ある大美術館に飾られ、観光客にカメラを向けられるよりは、街中に巨大なポスターとして貼り出され、大勢のファンにきゃあきゃあ言われながら追いかけられたいものだ。 「聖域一の美を誇るお前が言うのもおかしな気がするが」 「ふん、お前、カマっぽいと言ったくせに……まぁいい」 一拍おいて、さらにアフロディーテは続けて言った。 「戦力においてもそうだ。あの強大な小宇宙、あれを天賦の才と言わずして何と言う。あの派手な大技、正直羨ましい」 確かに。全方向型の爆発技はやはり見栄えが違う。 悔しいが、ちまちまと相手の弱点を突く自分の技は勝てないと認めざるを得ない。 あくまでも派手さにおいては、だが。 「まぁ、昔から聖戦において双子座は陽動作戦の要を担って来たから仕方がないだろうが―――――」 主力部隊を引連れての総力戦を仕掛けて来たのだと見せかけ、実は囮というのが代々双子座が担って来た役割だったらしい。 言うなれば、昔から他人を欺くのが役割だったのか。ならば、当代の双子座も、皮肉なことに、まじめに古くからの伝統を踏襲したに過ぎないということか。 少人数を大きく見せ、驚異的な大技を用いて敵の注意を一手に引き付ける。今後の展開を考え、出来る限り戦力をそぎ落とさなければならないから、殲滅するだけでなく、罠を仕掛け、ぱっくりと口を開けた異次元へまるまる一小隊を放り込む。 また、戦闘中に指揮官を捕えることに成功したら、精神を支配した後で解放する。捕虜となるところを幸運にも逃れ、重要な情報を持ち帰った将校は、敵の本陣深くへと迎えられるに違いない。うまくすれば、敵の大将格まで討ち取れる。 そう思うと、内戦を引き起こさせる能力も昔からの伝統だったということか。 ならば、その能力を使う方向性を誤ったにせよ、サガとカノンは双子座のお手本のような男だったということになる――――そう思うと、なんともミロは複雑な気持ちになった。 「そして、全力で立ち向かい、途中で力尽きても心配はいらない。もう一人、自分がいるのだからな」 サガが斃れても、カノンがそのスペアとして控えている。 正式な聖闘士ではないにせよ、その実力は同じと見ていいだろう。 どちらを正式な双子座とするか、ジャッジメント出来たのは教皇その人しかいなかったという。 ほんの僅差―――もしあのとき黄金聖闘士が在位していたとしても、果たして判定出来たかどうかという程度の差だったろう―――でスペアとされたカノンに対し、ミロは正直なところ同情の念を抱いていたが、それは大きな間違いだったのかもしれない。 もう一人自分がいると思えば、何の心配もなく戦える。もし作戦を完了することなく戦死したとしても、もう一人の自分は、自分が何を為そうとしていたかを正確に理解し、達成へ向けての行動をすぐさま開始するに違いないのだから。 自分がスペアの立場であったならば、その戦いを安全な高台から見て、情報を収集しておけば良い。 いざ本番のときにどうすれば良いか作戦を組み立てておける。 死という最大のアクシデントに見舞われながら、リセットすることなく、ゲームの続きをすることが出来るのだ。 それがどれほど大きな意味を持つかは言うまでもない。 もしくは敵陣深くへ潜入を進めておくのも良いだろう。 死んだはずの双子座が、それもいるはずのないところに現れたら、敵はどれだけ混乱するか。 文字通り一騎当千、いや、核弾頭にも匹敵する黄金の中でも最強クラスの双子座が、忽然と姿を現すのだ。 戦闘を想定し、想像を巡らすとわくわくしてくる。面白い。どちらの役割もやってみたい。 命をかけて戦うのは、聖闘士ならば皆同じである。だが、同じ命を懸けるにしても、こんな壮大な楽しみがあるなんて、奴らは何て恵まれているのだろう! 「だろう?それを奴らはあんな仏頂面で過ごしているのだ。不遜にも程がある」 その通りだ、とミロは思った。 雨が降ればいい。二人、みっちり話し合うべきだ。いや、話し合わねばならん。早くこのことに気づいてもらいたい。 雨が降れば、皆寄り道することなく家路を急ぐだろう。そして厚い雲は星空を覆い隠し、大粒の雨は星々の囁きをかき消すだろう。 星の預言でなく、神が与えた運命でなく、生まれたこの日に人として、二人にきちんと向き合ってもらいたい。 分厚い雲と、大粒の雨を誰かの誕生日の贈り物に望むことになろうとは予想だにしなかった。多分に意地が悪いような気もするが、何もかもに恵まれたあの二人にはちょうど良い。 女神よ、どうか二人を仲良くさせ給え。そして願わくば、来年のこの日には、皆で二人を祝えるようにならんことを――――――。 教皇宮へ辿り着いた二人の戦士のマントを、地中海から吹上げる湿った風がはためかせ、吹き抜けて行った。 |