■Iglesia en el capa■


「ここに、一人の聖闘士が誕生した」
 乾いた闘技場に、朗々と教皇の声が響いた。
例によって例の如く、教皇はその素顔を冷たい鉄の仮面で隠し、神世の代から繰り返されて来た決まり文句を読み上げた。

 教皇が呪文のようなその文言を言い終わるのが合図だった。
闘技場に割れんばかりの歓声が響く。

「聖衣を得し勇者よ。見よ、空を。赤く輝くあの星が見えしか」
 それほど大きな声ではないのに、その声は満ち満ちる歓声をかき分けて、すっきりと通った。
 皆がその声の方向へと振り向いた。
 闘技場の後方から、その声の主は現れた。
 普段から聞きなれた者にはすぐに分かる。白いマントを翻し、彼が纏っていた黄金の鎧は日没間近の黄色みの強い光を受けて、普段にもまして黄金色(こがねいろ)に輝いていた。
 一瞬、闘技場は静まり返った。

 どれほどの間があっただろう。

「今日このときより、我らは同じ星を背負い、ともに戦う同胞(はらから)だ。来たれ、我が友よ!」

 彼がそこまで言い終わると、闘技場には彼の名前を呼ぶ声がこだました。
「ミロ様!」
「蠍座様!!」

「我が同胞よ、お前が必ず勝つと信じて、宴の席はとうに支度が終わっているぞ!さあ、 来たれ!我が宮へ!」

 選ばれた者の名前と、ミロの名前が繰り返し呼ばれる。

「ここに集いし者たちよ。お前らの分も、用意してあるぞ!」

 今度こそ、割れんばかりの歓声が響いた。
今日選ばれた南のうお座の聖闘士は、蠍座の生まれだった。黄金聖闘士とは違い、白銀、青銅の階級の聖闘士は、その代ごとに十二星座が異なる。先代は乙女座軍団の一員だったが、代替わりした今は射手座に属しているといった具合だ。

 闘技場は華やいだ空気に満たされていた。

 まだ歓声が収まらない中、教皇の傍らに立っていたサガは、冷静そのものの視線をすっとシュラに向けた。
 目が合図を送っている。指示がなんなのか、シュラにはすぐに分かった。

 先ほどまでの堅苦しい空気はあっという間にほぐれ、砕けた言葉があちこちから聞こえていた。ミロがもう一声発せば、全員が天蠍宮へと向かってぞろぞろと移動を始めるだろう。

 浮かれている仲間たちを尻目に、音もなくシュラは闘技場を後にした。
今日選ばれた聖闘士の出身地をシュラは目指した。

 シュラが適任なのだとサガは言った。
こういった役目は、見た目が大事だ。
精悍で、余計な飾り気がなく、いかにも軍人という空気をまとっていることが必須条件だ。

 彼の出身地は、小さな漁村だった。余程詳しいことが記載されている地図でなければ、その名前を発見することは出来ない。
 長い海岸線が弓なりに続いている。
その先端に、教会が鎮座している。その少し手前に、彼の生家があるのだと言う。

 シュラは、堤防沿いを歩いた。
高い波から、人々を守るために築かれた堤防は、晴れた平穏な日には人々のベンチとして利用されていた。幾人もの人が、堤防に腰掛け、あるいは寄りかかり、他愛ない話に興じていた。

 街は、平穏そのものだった。
もうすぐ、陽がくれる。
 家々では、夕餉の支度の真っ最中なのだろう。肉を、あるいは魚を焼く香ばしい臭いが、漂ってきていた。

 彼の母親は、一目でわかった。
血とは争えないものだ。
 一見似ているようには見えないのだが、とある角度から見ると、その女性は彼そっくりになった。年齢もまさに「親子ほど」離れ、性別すら違うというのに、サガとカノンよりもそっくり同じつくりをしているように見えたのだ。

 彼が生まれたとき、母親はどれほどの幸せを感じたのだろう。
あたたかな腕に生まれたての彼を抱いて、きっと頬擦りしたに違いない。

 シュラは一つ、ため息をついた。

 まったく、嫌な役回りだ。
 こんなに美しい夕暮れの、こんなに美しい海辺の街で、こんなことを告げなくてはならないとは。

 母親が、通りに向かって何人かの名前を呼んだ。
するとほどなく呼ばれた人数だけの幼い子供が駆け寄って来た。
彼の、弟や妹というわけか。

 やれやれ。
強引に一歩を踏み出すよりほか方法はなさそうだ。

 シュラは意を決すると、母親の前にその姿を現した。

 漁師とは違う精悍さを備えた見知らぬ男の出現に、一瞬だが母は怯えた表情を浮かべた。幼い子供たちも、母親の後ろへと隠れた。
 母親は、子どもたちへ家へ入るように言い、子どもたちの姿が家の奥へ消えるのを待ってシュラに声を掛けた。

「どちらさまでしょうか」

 シュラは、短く、聖域の者だということを告げ、続けざまに用件を伝えた。
「あなたの御子息が、亡くなられました」
 母親は、ぽかんとしたうつろな眼差しでシュラを見詰めた。

「壮絶な、最期でした。ご遺体は、女神の聖闘士として、聖闘士たちの眠る聖域の墓所に埋葬されます」

 そう言うと、シュラは、彼が着ていた服のはぎれを母親の手に握らせ、そのまま踵を返した。

 しばらく歩いて、小さな角を曲がった辺りで、ようやく母親の泣き崩れる声が聞こえて来た。
それに紛れ、男の喚く声が聞こえてくる。彼の父親が戻って来たのだろう。

 聖域では、親元からひきとった子どもが聖闘士になった場合、親には死亡したと告げることが定められている。肉親の情とは思いの他篤いものだ。聖闘士が、その常人では持ち得ない力を肉親のために使ったら、どれほどのことが引き起こされるだろうか。
 下手をすれば国家の転覆さえ有り得る。

 また、私欲のためにその力を使った聖闘士を、聖域は成敗しなくてはならない。
聖闘士同志の戦いが、どれだけ多くの被害をもたらすか、シュラは改めて考える気にもなれなかった。

 母親の、絹を裂くような泣き声が繰り返しシュラの耳朶に甦った。
だから、親の居る子をもらってくるのは反対なんだ。
サガの偽教皇時代から、一貫してシュラは反対してきた。

 聖域へ連れてくるのは、孤児(みなしご)だけでたくさんだ。望まれない子が世の中にはたくさんいる。俺だって、お前だって、そうじゃないか。普通に親に育てられて、ふつうの大人になれる子どもを、わざわざ聖闘士に育てることはない。秘密の存在である聖域の存在を、一般市民に知らせることにもなる。そもそもみなしごを連れてくれば、肉親の情にほだされて聖域に背を向けることなど起こり得ないではないか。

 シュラは、サガにいくつもの理由を何回も話したが、結局のところ、泣き崩れる母親の姿を見るのが嫌なのだった。

 あの子はまだ12歳なのに。
顔を見せて。
顔を見なければ、死んだなんて信じられない。

 母親の悲痛な叫びが、シュラの耳にこだました。
 聖域では、どんちゃん騒ぎが始まったころか。

 まったく、自分で言いに行けというのだ。
本当は、元気で生きているというのに、こんな嘘を吐いて。
で、当の子供には繰り返し術をかけて故郷に戻ろうという考えをなくさせてしまうのだ。
 まったく、何が世界の愛と平和を守るだ。
 今日は、聖域に帰る気には到底なれない。

 シュラは、まだ看板が出されていない酒場の扉を叩いた。



・おわり・