■ぐうぐう■


 温浴施設、というのだそうだ。
サガの気持ちが、分かった気がする。

 風呂というのは、最高のリラックスである。
雪と氷以外、何もないシベリアでは考えられない贅沢だ。

 わたしは、弟子とその友人、そしてわたしの友人と連れ立って、この温浴施設へと来ていた。
 日本へ来たなら是非温泉へ、ということになった。
とはいえ、何時間もかけて、地の利のない山奥まで足を伸ばすのも気が進まなかったから、近くにある温浴施設を訪れたというわけである。 

 趣向をこらした大きな湯船。湯の種類もいくつもあり、香りの良い薬草風呂、勢い良く気泡の沸き上がるジャグジーバス、本物の温泉から湯を運ばせた、大きな岩を巡らせた露天風呂、どれをとっても楽しめる。

 弟子たちもとても楽しそうだ。

 しまった、と思った。
 わたしの友人が姿を消した。
 あの男ほど、カラスの行水という言葉が似合う男はいない。水の星座の生まれなのに、なぜああも風呂を嫌うのか。本人は嫌っているのではない、面倒なのだと言っているが、あの異常なまでの入浴時間の短さでは、誰しもが風呂嫌いだと思うだろう。

 弟子とその友人は、施設内にあるレストランへ行くという。

 弟子の友人である、いかにも日本人らしい風貌の、短い黒髪の少年が腹が減ったと先ほどから喚いていた。もう限界だと叫んでいる。こうしてみると、本当に普通の少年なのだ。神話の時代から、気が遠くなるほど繰り返されてきた神々の闘いを終わらせた英雄だとはとても思えない。
 その少年は、施設へ入館してすぐ、入り口にあるレストランのメニューを見て以来、ハンバーグ定食にするかとんかつ定食にするかを悩んでおり、連れであるわたしの弟子たちに、何度も何度も相談を持ちかけていた。
 少女のような美貌を持った、南の島帰りの少年は、そんなことを考えるほどお腹が減っていない、と答えた。その兄は、自分は刺身定食以外食べる気はないと言った。腰まである長い黒髪を、入浴に備えてひとくくりに結い上げた年上の風貌の少年は、麻婆丼と決めている、と言った。故郷で幼馴染が作る料理の味を、懐かしく思い出したらしい。そしてわたしの弟子は、朝鮮料理であるズンドゥブにしようと思っている、と言った。
 わたしの弟子は、金髪碧眼である。日本人の血が混じっているとは思えない外見をしている。
遺伝的に考えて、彼が言う父親は、便宜上母親が父親ということにしただけであり、真実は彼は混じりっ気なしのロシア人なのではないかとわたしは常々疑念を抱いていた。だが、彼の母がとうに他界してしまっている以上、この疑問を解くことは永遠に出来ない。
 その金髪碧眼の風貌をして、ズンドゥブはおかしいと友人たちから声が上がった。彼の故郷にゆかりがあるわけでもなく、師たるわたしにも何のかかわりもない。なんで豆腐を使った朝鮮料理なのだ、と友人たちは異口同音にそれを叫んだ。
 わたしの弟子は、眉一つ動かすことなく、冷静に「真っ赤だからだ」と言った。
こんな真っ赤っかな料理、見たことがない。一目見て、どんな味がするのか食べてみたいと思ったのだと言った。
 食べたいものも、その理由もわたしと全く同じであったことに、わたしは心の底から喜びを感じた。

 わたしは、その感動のあまり、姿を消したわたしの友人のことなどすっかり忘れ、あやうく弟子とその友人たちと食事へ行ってしまうところだった。友人のことを思い出せたのは幸運と言って良い。

 また俺のことを忘れた!

 と声高にわたしを非難する友人の姿がわたしの脳裏に浮かんだ。

 彼は蠍座だ。
 こういうあてはめ方を嫌う人間も多いが、得てして蠍座の男というのはしつこいのだ。 友人のしつこさと来たら大したものだった。半年前の出来事を、未だに言って来る。楽しいことも、嫌なことも実によく覚えているのである。かと思えば、なぜそれを忘れてしまうのかということを綺麗さっぱり失念していたりする。これは、B型に由来するものなのだろうか。何が基準なのか、こんなに長い付き合いであるにもかかわらず、わたしにはさっぱり分からなかった。

 さて。
その友人である。
 浴槽に浸かる前、身体を洗うのが礼儀だと壁に貼ってあった。
わたしたちはなるほどと思い、描いてある図に従って、頭を、そして身体を洗った。
 そしていよいよ、浴槽に身体を沈める段となった。
友人も、大変気持ち良さそうに浸かっていた。
ふたつ、みっつと違う湯に浸かったところで、もう上がると言い出した。
まだ半分も制覇していない。浸かる時間を短くするとか、すこし外気に当たって身体を冷やしてからまた浸かってはどうかと進めたが、友人はもう熱い、もう無理だ、そして、冷たいビールが飲みたいと言って、さっさと上がってしまった。
 友人は、ここのところビールの味を覚えたらしい。ギリシャの島出身である彼は、それまではその島の名産品でもあるワイン一辺倒だった。ウーゾではないのかと思う向きもあるだろうが、彼は、あの蒸留酒独特の、鼻につく臭いが好きではないらしかった。

 あの大きな戦いの際、親しくなった年上の友人と戦後遊び歩くようになって、ビールを飲むようになったのだという。はじめの一杯はビールでなければならない。それ以外の酒は認めない、とその年上の友人は譲らないのだそうだ。大きなお世話だとはじめは突っぱねていたが、あまりにうるさいので、一口飲んでみたところ、虜になったと言うことだった。

 ウーゾにも、ワインにもないあの苦味と、あののどごし。ぴりぴりとのどを触る発泡の感触は、他にはない魅力があることに気が付いたのだと彼は語っていた。

 ビールなら、自販機で売ってるぜ、と短い黒髪の少年がわたしの友人に言った。
わざわざ売店まで行かなくとも、脱衣所を出たすぐの廊下で買える。友人は、それは有りがたいと言って、浴室の扉の向こうへと姿を消した。

 しまった。
どこに居るかを聞いておけばよかった。
 館内は結構広い。畳でごろごろ出来る広間―――わたしならば日本情緒満点であるここで寛ぐのだが―――、一人掛けの椅子がたくさんテーブルの周りに並べられたカフェテリアの近く、そしてゆったりとしたソファがおかれた窓際のスペース。このいずれにも彼の姿は無かった。
 残るは、リラクゼーションスペース、と看板の掲げられた、薄暗い部屋しかない。
大きくリクライニングする一人掛けの椅子がいくつも……本当にいくつも並べられ、各個人ごとで操作が可能なモニターがついている。寝ることも、テレビプログラムを楽しむことも出来る。
 わたしはこのスペースを見て感動を覚えた。実によく考えてある。ゆっくりと、のんびり自分の時間を自分のペースで楽しめる。この暗さでは本を読むことは出来ないのが、わたしにとっての唯一の不満であった。


 薄暗さが邪魔をして、どこに彼がいるのか見分けられない。壁に掲げられていた案内を読めば、ここには200のリクライニングシートがあるのだそうだ。まさか、200もある椅子に座る一人ひとりの顔を、覗き込んで歩いて回るわけにも行くまい。

 さて困った。
通路を歩いてみたら、彼はわたしの姿を見つけ、やって来てくれるだろうか。いや、彼は眠っているかもしれない。恐らくは眠っている可能性の方が遥かに高い。ビールを何本飲んだか知らないが、まだ時差ボケの残る身体で湯に浸かり、少なくとも3本は呑んでいるはずだ。眠ってしまう条件が整いすぎている。
 そのときだった。
ぐううう、という鼾がわたしの耳に聞こえた。
 彼は、鼾をかくのが常だった。小さいころに殴られた際、鼻の骨を折ったのが原因だと言うがどうだろうか。

 鼾で、彼を見つけることが出来るだろうか、とわたしは思った。
それは流石に無理だろう。わたしは自分の思いつきを笑った。
だが、他に妙案も浮かばない。鼾をかいているのはほぼ男性だろう。女性でも鼾をかく人はいるかもしれないが、それでも全員の顔を覗いて回るより、女性の顔を覗きこむ失礼はずいぶんと減らすことが出来るはずだ。それに、鼾をかいて眠っている人のみを覗き込むのだ、申し訳ないが、覗かれた本人は、そのことに気付かないだろう。

 ぐうううううう、が――――。
 ががぁ―――。ぐぅ――――。

 これだ。
彼の鼾はこれに違いない。

 わたしは直感した。
 わたしはその直感に従ってそのシートを覗き込んではみたが、まさか当たるとは思ってはいなかった。


 果たして。
そこには気持ちよさそうに高鼾をかくわたしの友人の姿があった。

 長年の付き合いとは恐ろしいものだ。
200人のうちから、一発で友人を見つけらるとは。それも鼾でだ。
わたしは、まるで長年連れ添った夫婦のようだ、と思った。 


・おわり・