今まで知らなかった世界を、知って行くことはとても魅力的だった。少しの背徳感を覚えながらも、自分を止めることは出来なかった。大人になって行くというのは、こういうことなのだろうと思った。
 酒に酔う感覚を知った。苦い煙の味も。分厚くて柔らかな肉をたらふく食らって、覚えたての酒を浴びた。
 俺は、権力とは何かを知った。


■Bolsillo■

 あの日、街に彷徨い(さまよい)出た俺を腐れガキがからかった。今にして思えば、馬鹿にされて当然だった。今どき乞食だってあんな格好していない。時代錯誤にもほどがある。麻の貫頭衣に皮のサンダル。驚くほど滑稽な出で立ちだった。

 だが俺は、これ以上ないというくらい機嫌が悪かった。俺を嘲笑する者は誰であれ許せなかった。こともあろうに腐れガキは俺を指差しながら吹き出したのだ。
 次の瞬間、そいつの首は胴体から離れることになった。俺は返り血を浴びないように、首を飛ばす角度を考えたから、後ろに立っていたそいつの仲間がもろに頭から血をかぶることになった。そいつは恐怖のあまり、叫び声を上げることもできずにその場に腰を抜かしてへたりこんだ。さかんに何かを言っているが、口から出てくるのは言葉の体を成していない。
 それを見ていたその仲間が、蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。全員殺そうかと迷ったが、面倒だったので放っておいた。
 それが失敗だった。逃げた仲間は上の連中に連絡し、上の連中が組織を上げて報復に動き出したのだ。

 失敗とは重なるものだ。あのとき、俺は逃げるガキの一人を捕まえて、服を剥ぎ取っておくべきだった。自分の格好が嫌でも目立つものであることを自覚したときには、腰を抜かした男が一人そこでわなないているだけだった。ぱっと見ではこいつも死体に見える。こいつの服を奪おうかとも思ったが、こんな血塗れの服を剥いだところで、何の役に立つものか。

 人を殺したのはこれが初めてだった。訓練のときに何度も聞かされていたのより、ずっと簡単だった。

 話を聞いた連中は、大勢で追いかけて来た。街を歩いていた俺は、すぐに大勢に取り囲まれた。ある物は車から警告する。ある者は建物の影からこちらを伺っていた。連中が物騒な物を胸のポケットに潜ませていることはすぐに分かった。少し経って、俺の右斜め前の屋上に一人の男がやって来たのが分かった。そして、腹ばった。俺に照準を定めている。俺の額には赤い点が一つ、点いているはずだ。

 めんどくせえな。

 聖域でも話には聞いていたが、自分が銃撃されるのは初めてのことだった。そろそろ、対銃の実地演習もやろうという話だったが、その前に俺は出て来てしまったのだ。

 あ?
 武器使用禁止の聖域になんで銃があるのかって?訓練も、訓練するにも必要だろ?それに、聖域の戦闘要員は聖闘士だけじゃない。大して小宇宙の使えない雑兵なんかはフツウに銃の取り扱いを会得してるよ。
 聖域が相手をするのは何も神様連中ばっかりじゃない。人間同士のいざこざにも首を突っ込んだりする。傭兵を装って内戦に潜り込ませて、情報収集するなんてのは毎回やってるんだってさ。 その結果、実は後ろで神様が動いてましたなんてケースもあったらしいぜ。

 男が俺に発した警告はすべて無視した。命がない?笑わせんな。それはこっちの台詞なんだよ。本来、警告してやるべきは俺の方なのだ。俺が鼻で笑ったのが分かったのだろう。いきり立った連中は、一斉に俺に発砲した。

 ああ、まあね。普通の人間だったら撃たれちゃうよね。

 必要最低限なだけ体を動かして、俺は銃弾を全て交わした。俺は光の速さで動けるんだ。音速程度(ってこんなに遅かったっけ?)の銃弾ごときを交わすことなんて造作もない。

 俺は一番の実力者であろう屋上の狙撃手をからかってみることにした。 俺の額に照準が当たると、動く。当たると、動く。それを何回か繰り返し、俺は仲間が潜んでいる方へと誘導した。
 狙撃手が俺を撃ったら、俺はそれをよける。そして、それは俺のちょうど後ろにいる、ゴミ箱の影に隠れている仲間の額にぶち当たるという算段だ。

 俺はわざと隙を作って、狙撃手がトリガーを引くように仕向けた。

 撃てよ。

 狙撃手の指が引き金にかかったのが分かった。

 ほら。
 はやく。

 目を凝らし、人差し指に力が篭もる。

 ほら。
 俺を撃てよ。

 トリガーを引こうとした瞬間、俺がにやりと笑ったことに、狙撃手は気づいた。俺に照準を合わせることだけを考えていて、表情まで見ていないだろうと思っていたんだが、意外とやるじゃないか。そして、狙撃手が叫んだ。

「こいつ……化け物だ!」

 そうそう。あいつも俺を指さしてせせら笑ったりせず、初めっからそう畏怖しておけばよかったんだよ。今更言っても生き返らないか。かわいそうにね。

 俺は、あの首なし死体を思った。

 どうする?俺、お前ら全員ぶっ殺すのかったるいんだけど。

「ど……どうします?」

 俺と同じ質問を、臆病風に吹かれたそいつらの一人が指揮官に向けて言った。狙撃手の言葉が大きく作用したらしい。

 しばらくの沈黙のあと、物陰から一人の男が姿を現した。

「話をしよう。……いや、させてくれ」

 そいつは自分の持っていたピストルを投げ捨てて立ち上がり、お前はレンコフだかランカフだかの犬か、と俺に聞いた。敵対する組織が放ったヒットマンなのか、という質問だった。

 俺は素直に答えてやった。そんな連中なんか知らない。あの死体が、俺を馬鹿にしたから頭に来ただけだ、と。

 さっき逃げて行った、あの死体の友達の腐れガキの一人が物陰からいきりたった。

「なにも突然殺すことはねえだろ!」
「あ?」

 俺はもう疲れていて、腹も減っていたし、殺気を殺すことが出来なかった。下品にも殺気ダダ漏れ。

 ちゃんとした訓練を受けたことがあるのかどうか分からないこの連中も、これだけの殺気を垂れ流されれば肝を冷やすには十分だったようだ。間髪入れずに、全員が物陰に慌てて身を隠した。

「まぁ待て」

 このグループのボスが制止した。

「あいつがお前に失礼を働いたんだな?」

 白いシャツ姿のボスは、そう俺に聞いた。俺は黙ってそれに頷いた。

「ならば、お前に謝らねばならん。俺たちと来てくれ。俺たちの謝罪を、受け入れて欲しい」
「ボス!」
「バシーヨ!!」

 それを聞いた仲間は、口々に抗議の声を上げた。話がちがう、あの死体の、仇を取るんじゃなかったのか、と。

「お前らわからないのか。こいつを殺るなんて俺たちには無理だ」

バシーヨと呼ばれたボスはそう言って、俺の方へ向き直ると

「もし良ければ、俺たちに力を貸してくれないか」

と言った。

 力を持つものは、権力を握ることになる。当然の帰結だ。

 俺はボスであるバシーヨに連れられて、今まで見たこともない屋敷に案内された。歩くと3センチは沈むんじゃないかというカーペットの廊下を歩いて、あの岩山の砦に行く前に、俺たちが住んでいた小屋ほどもある広い風呂を使わせてもらった。風呂から上がると、好きなものを選べと服をずらりと目の前に並べられた。
 聖域で育った俺は、ファッションなんてものは考えたこともなかった。だが、指を指されて笑われたのはかなり堪えたので、あいつらが着ていた服をなんとなく真似して、慎重に選んだ。
 仕度が出来たら食事へ出かけよう、と使いっ走りが呼びに来た。連中が待つ部屋の扉を開けると、全員が俺を食い入るように見つめた。半分開けた口を閉じることもせず、穴があくほど俺を全員が見つめていた。

「なんだよ?またダセエってか?」
「あ……、いや………」

 俺は自分の外見なんて気にしたことがなかった……というか、サガと同じ見た目だとしか考えたことがなかった。
 食事を終え、レストランよりもずっと暗い店に連れて行かれてから、あのときはあまりの美しさに目を奪われたのだと聞かされた。
 男が男にそんなこと言うなんて、おかしいと思った。俺が女みたいだと馬鹿にされたのかと思ったが、連中の態度はまるでそうではなかったから、怒るのは止めておいた。なぜだかわからないが、そんなことをするほうが馬鹿にされるような気がしたからだ。

 からん、と氷がグラスで音を立てた。喉を焼く酒を、俺は黙って流し込んだ。


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