2008.5.28
重いテーマで語ってみる。

どうも、満身創痍ノ介です。
「満身創痍」って、ちょっと名前っぽいですよね(そうか?)

更新停滞中ですいません。

ただ今、検査漬けの日々を送っています。
いろいろ調べるたびに厄介なことが発覚して・・・もうっ、なかなか青い鳥にはたどり着けそうもありません・・・お〜い!(よりあえず青い鳥呼んでみた)

検査がまた体力と精神力を使うらしく、かなりヘバってます。
メシ中に吐き気を催したり。こんなに食欲旺盛なのに!?(笑)
時間が空いたら寝てばかりいます。

そんなこんなで、更新は今しばらくお待ちあれ、です。
ホントすいません・・・

幼少時→若い頃にいろいろ無茶をしたのが祟ってます。
健康な時は、健康の大事さなんてわかんないんだよね。
失って初めて気づくんだよ。時すでに遅し、っていう。
みんな!カラダは大事にしようね☆(説得力ねぇ〜!)

 

以下、ちょっと暗い話になります。
暗い話が嫌いな方と、今気分が沈んでいる方はゼッタイ読まない方がいいです。

 

今精神的にグラついてるとかそういうんじゃないんですが、最近「命の削り方」というのを考えてしまいます。
これは決して「命の終わり方」というのではありません。

人は死ぬ方法なんて選べない。(自殺は別か?)
死因っていうのは、まぁ神様にでもまかせるとして、俺っちが考えている部分っていうのが、「削り方」です。

例えば、タバコ。
最終的にタバコが関係ないことが原因で死んだとしても、「命を削る」という意味では間違ってないと思う。
でも吸うor吸わないは個人の自由であって、他の人に「やめた方がいいよ」などと説得する人は少ないはず。

じゃあ自殺だったらどうする?
大切な人が自殺を図ろうとしていると知る。
そうなったら、本人の意志とは関係なく全力で止めにいくよね。

この辺が「削り方」と「終わり方」の違いかな。
「自殺も個人の自由だ!」って言われたら、この話は進まないのでとりあえず一瞬スルーさせてください。

 

今俺っちの選択肢の中で、「A」・「B」・「C」という3つの選択肢があります。

「A」は、今自分が一番望んでいること。しかし、命は大きく削れてしまう「可能性」がある。
「B」は、「A」という選択肢を捨てた場合にしたいこと。これも、まぁ、多かれ少なかれ命は削れる、かも?
「C」は、何もしない。『命のカウントダウン』の時計を少し止めることはできる。

さぁ、どれを選ぶ?
ってことです。

俺っち的には、現段階で「A」を選択しようかと思っている最中です。
「自分の命はあと何年?」って考えた時に、40年か、50年か、もっと短いか長いかはわからないけど、その間にやりたいことっていうのをやっておこうと思うんですよ。

逆に、何もしないことで命を伸ばして、やりたいことを我慢したとする。
では、その浮いた時間をどうする?何に使う?やっぱり何もしないの?その人生は・・・楽しいのか?
そう考えると、やっぱり「A」を選んでしまいます。

そこでふと思うワケです。
「これは大きな意味で『自殺』になるんじゃないか?」と。

 

ドーピングが原因と思われるもので若くで亡くなるアスリートの方っているじゃないですか。

コーチから知らずのうちに服用させられていたケースは別として・・・
そのクスリの危険性とかが証明されてなくて、でも必ず実力が上がると言われたら。「他の選手に勝ちたい!」「1番になりたい!」という気持ちが強かったとしたら。
・・・手を出してしまう人もいるでしょうね。

ま、ドーピングはやっちゃいかん。他の選手は自分のチカラだけで勝負しているのだから。それは明らかだし、当たり前。
しかし、今の論点はその部分じゃなくて、「危険と知りながらドーピングをして、それが原因で早く死んでしまった場合、自殺かどうか」ってとこ。

「命の終わり方」について考える人は多いだろうけど、「命の削り方」を考えていくと・・・なかなか深い。
どれを選択するかで、人生が大きく変わってくるだろうからね。

 

自殺したい人って結構いるんでしょうか。
俺っちは、幼少の頃から「生きたい病」です(笑)
死ぬのは恐い。
子供の時、親戚のばあさんが死んで、その葬式で見た何もかもがトラウマになっているからです。

そんなこんなで、「生きたい病」の俺っちには、自殺したい人の気持ちはわからないのです。
自殺したい人から見ても、「そんなのお前なんかにこの気持ちがわかるワケないよ」って思うだろうし。
「わかってほしいとも思わないよ」って思う人もいるだろうし、「死にたくなくても『死にたい』と思ってしまうから仕方ないだろ」って思う人もいるだろうし。
そうは言われても、俺っちは頭が悪いし、やっぱりその立場にたてないから、やっぱりわからない。
俺っちが「生きた方がいいよ」と言っても、自殺したい人にはたぶん「生きたい病」の意見は理解できないはず。
だから、「自殺したい人」と「自殺したい人の気持ちがわからない人」っていうのは、きっと平行線。わかりあえないもんなんでしょう。

死ぬのは恐い。でも命の削れる方を選ぶ。
ちょっと矛盾してるな俺〜、なんて思います。

けど人はいつか死ぬもんだし、自分から慌てて死ななくてもと思うんですわ。
今すぐ死ぬのも、もっと好きなことやってやってやりまくってから死ぬのも、同じ「死ぬ」だから。
何かをしてからでも遅くはないはずです。

あ〜、もうすぐ「ハモリ倶楽部」があるよ〜。その次は「SOUL POWER」があるよ〜。その次は何があるんだろ〜。まだ食ってないポンカレーホワイトが残ってんぞ〜。
とかとか思い始まると、おちおち死んでられないです。

もしかしたら、もしかしたら、ゴスのライブや新曲を楽しみにしてる最中に亡くなられた方が過去にいる、かもしれない。あくまで想像だけど。
その人のことを考えたら、この先に待ってるであろうゴスの楽しみを無駄にして死ねないな、と思います。

↑今わかりやすいようにゴスのイベントで表現しただけです。ふざけたワケじゃないですよ。
俺っちにはゴス以外にも叶えたいことがある。それらをやらずには死ねない、と思ってます。
チャレンジできる間がハナですよ。時間がたてばそれすらできなくなることもあるかもしれないから。
今のうち、今のうち、です。

 

「一挙手一投足、すべての言動が、その後必ず何かしらの影響を及ぼす」。
これが俺っちの昔からの持論です。

上を見上げる。
振り返る。
「あ。」なんてひとりごとを呟いてみる。
テレビをつける。
鼻歌を歌う。
何かを思い出す。

何気ないすべての言動が、些細な言動が、その次の言動に反映し何かしら影響を及ぼしていく。
影響を及ぼされる側は、自分自身かもしれないし、自分以外の誰かかもしれないし。人間だけじゃなく、モノにだって。
大袈裟に言えば、地球にだって影響を及ぼすかもしれない(笑)
例えば、ほんの少し無駄遣いしていた電気を今消しただけで、南極とか北極とかの氷の解ける速度がほんの微々たる時間で変わったりする、かも??
それが積み重ねれば重ねるほど影響の度合いも大きくなるし、大きく動けば動くほど影響も大きくなる。

ひとつの行動を起こすor起こさない。別れ道の右を行くか左を行くか。
それだけで、自分の周りの顔ぶれも変わってくる。
いい意味での「運命の人」と巡り合うかもしれないし、悪い意味での「運命の人」と巡り合うかもしれない。
もっと言えば、「悪い意味での運命の人」に出会って、何か打ちのめされるような大きなできごとが起きたとする。
それがあったからこそ、自分を支えてくれる「いい意味での運命の人」が新たに現れるかもしれない。

俺っち、今は人生の「谷」の部分にいるけど、しばらくしたら、上で言った「選択肢」の結果が出るはず。
何か状況が動くかもしれないな、と思ってます。さてさて、吉と出るか。凶と出るか。

 

最近上記のようなことを考えてる、とは言いましたが、暗く陰々とそういうことばかりを考えてるワケじゃないんですよ。
何気に、ふと思う時があるだけです。はい。


古。

新。

項。