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 ――――目の前で花が咲いた。
 赤い花が。
 破裂するように、赤い血の花が咲いた。


「か……え、で」


 笑う。花に彩られ父が笑う。
 安堵させるように。少し情けなささえ漂う、楓の大好きな顔で笑う。
 見慣れた笑顔だった。けれど額から流れ落ち、顔面を染める紅がその笑顔を知らぬものにする。

 唐突に父の体が揺れた。
 へたり込む楓を覆うように立っていた体が横に倒れ、視界が開ける。
 楓の目にまず飛び込んできたのは憧れのヒーローの姿だった。
 かつてスケート場の崩落より助けてくれたときから、ずっと憧れ続けたヒーロー。
 追いかけ続けた大好きな人。父の危難を救ってくれるはずの、楓の英雄。


 けれど今の彼は――――バーナビー・ブルックスJrは楓の記憶と異なっていた。


 ああ、だってそんなはずがない。こんなことあり得ない。
 やっと見つけた父を連れて逃げる楓の前に立ちふさがるなど。
 助けを求めた楓に攻撃を向けるなど。
 庇う父を躊躇いなく、打ち倒す、など――――。

 信じられない。信じたくない。

 けれど現実に父は倒れている。
 体のどこからか吹き出る赤い血が、路地裏の汚れた地面に沿って流れる。
 汚さないようにと気を遣うかのように、楓の体を避けて排水溝に吸い込まれてゆく。こんな時まで、血まで、父は楓に甘い。

 絵画のように固まった視界に第三者の影。
 現れた青い衣装に身を包んだ少女が、倒れる父の姿を見るなりバーナビーに詰め寄った。
 心なしか、表情まで青い。
 水中にいるかのごとく音の遠ざかった楓の耳に、バーナビーを詰る少女の声が届く。
 やり過ぎだと非難する声が楓の体温を奪う。


 何を言っているのだ、この女は。


 さっきまで手にした銃で父を追い詰めていたくせに、いったいどの口がほざくのか。
 足に凍傷を負いながら逃げる父に追い打ちをかけていたくせに、どの口が。
 叫く少女に、バーナビーは微動だにせず答えた。
 曰く、楓が人質に取られていると思ったと。
 曰く、人質に危害を加える前に何とかしなければと思ったと。
 そう、一本調子にバーナビーは答えた。


 ――――バーナビーの言い訳に、楓は嘘だと叫びたかった。


 嘘だ。バーナビーは嘘をついている。
 最初に攻撃を受けたのは楓だった。
 バーナビーの足が狙ったのは、父ではなく楓だったのだ。
 人質を取ったのはバーナビーの方だ。
 父が逃げぬために、確実に攻撃を当てるために。
 驚くほど、父の性格を理解した上での行動。


 そこまで考えて楓は吐気を催した。


 理解……理解だと?
 父を殺そうとした相手が、一体父の何を理解しているというのか。
 理解ではない、利用だ。
 卑劣にも父のお人好しを利用したのだ、バーナビーは――――いや、この"男"は。

 楓は自分の中でバーナビーが変質してゆくのを感じた。
 それまで楓の中のバーナビーを覆っていた輝きがメッキのように剥がれ落ちてゆく。
 落ちた中から見えたのは、汚穢の固まり。邪悪の権化。
 楓はバーナビーの非道を糾弾しようと口を開いた。
 だが声が出ない。なにかが喉に蓋をして、言葉を阻害する。


 そうこうしている間に他のヒーロー達が集まってきた。
 追いついたヒーロー達が最初に取った行動は、ブルーローズと同じ。
 バーナビーから状況の説明を求めること。
 みな一様に倒れた父の姿を見て青ざめていた。
 あんなにも哀れな父を追いかけ回しながら、口汚く人殺しと非難していたというのに今更何を言うのか。
 望んでいたのではないのか。こんな父の姿を彼らは。
 だからこそ、あんなに執拗に攻撃を続けていたのではないのか。傷つけるのを楽しんでいたのではないのか。
 なのに、実際伏した父を見ると怖じ気づいたのかやり過ぎだの犯罪者にも人権がだのほざく。


 楓は急に笑いたくなった。


 目の前の全てが滑稽に思えた。
 シュテルンビルトという舞台で英雄を演じる大根役者共の茶番。
 演じる役者はさぞや楽しかろう。
 真実かどうかも分からぬ情報に踊らされ、たった一人の男を追いかけ回すだけで周囲から賞賛と応援を得られるのだから。
 頼みもしないのに舞台に上がらされたこちらはたまったものではない。観覧料に身内の命を支払えなどとんだ暴利ではないか。

 楓は再び口を開き声を叫ぼうとした。
 だがやはり喉が震えるばかりで、音にさえならない。
 悔しさで滲む視界に、バーナビーの姿が飛び込む。


 ――――楓は息を呑んだ。


 シルエットだけはかつてのままに、黒いスーツを纏う彼が立っている。
 こちらを向いたマスクの奥から、痛いほどの注視を感じる。
 だがバーナビーは楓を見ていない。
 見ているのは、倒れ臥した父の方だ。
 囲むヒーロー達から何かしら言われ続けても、構うことなくただひたすらに父を見つめている。
 蛇のごとく執拗に、恋する者のごとく一途に。
 楓はマスクに隠され見えないはずのバーナビーの瞳に、浮かんでいる感情の正体を悟る。
 今、楓の喉に蓋をするものと同一の感情。


 それは――――。



 唐突に視界に変化があった。
 一人のヒーローがバーナビーを囲む和から外れこちらに歩み寄ってくる。
 マスクに隠され表情は見えない。何か語りかけてくるが言葉は届かない。
 ただ楓を案じる声の調子だけ分かる。
 騎士めいたスーツのヒーローが――かつてのKOH・スカイハイが――倒れた父に手を延ばす。

 楓はその手をとっさに掴んだ。

 爪が白くなるくらい渾身の力を込め、手を阻む。
 触れるな。父に触れるな。
 父を切り裂いた手で。父を傷つけた汚らしい手で触れるな。
 睨み据えた視界が青く染まった。
 能力が書き換えられてゆく。目の前のスカイハイを模した力に換わる。
 あふれ出る感情が力となり、楓の髪を、服をはためかせる。
 スカイハイが驚きの声を上げ、とっさに後ろにとんだ。
 異変に気づいたか、他のヒーロー達も身構える。
 そんな中でただ一人、バーナビーだけが変わらない。
 変わらずに、父を見つめている。


 楓は起ち上がった。


 今度は先ほどと逆。バーナビーの視線と父の間に仁王立つ。
 父を背に庇い、楓はバーナビーを真っ向から睨み据える。


 敵、だ。

 彼は敵だ。

 彼らは敵だ。

 今目の前にいるのは、みんな敵だ。

 楓の大事な者を奪う、大切な父を傷つける、忌まわしき敵。悍しき悪。厭わしき虫。


 認識を改めた途端、それまで喉を塞いでいたものに亀裂が入る。
 崩れ、体に染み渡る感情。
 楓と一つになる。一体化する。

 ――――それは怒りだった。
 自分と父に害なす悪への義憤。

 怒りが楓となり、楓が怒りとなる。
 小さな体に収まりきらなくなった憎悪がそのまま荒れ狂う嵐となり、敵と楓達を隔絶する。
 けれど足りない。こんな風のカーテンすぐに破られてしまう。
 やはり"元から"絶たねば安心できぬ。
「ちょっとだけ、待っててね」
 楓は背中の父に向かって語りかけた。記憶の中にうっすら残っている母の優しい声を模して囁く。
「私が"パパ"を守るから」
 今度は、自分が父を守る"ヒーロー"になる。
 ひたむきな想いを抱いて、楓は威風堂々歩を進める。





 燃え盛る憎悪を力に。砕けぬ決意をこの胸に。




 ――――ここに、一つの正義が咆吼をあげた。




産声上げよ。ネメシスの仔。汝が抱くは正しき怒りなり。

あとがき

頑張ってルナ先生を召喚、憑依合体してみた。
21話はもうつらくてしんどくて見てられなかった。
地味にホァンちゃんの「ハァ?」な顔にショックを受けた。
絶望しないおじさんは本当にかっこよかったなぁ……。

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