:いっそ愛ごと食いちぎれ:

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「だって外れないし」
 頬をうっすら染めて虎徹はへらり、と笑った。
「がっちり食い込んじゃっててさぁ。もう指の一部になってんだ。だから、無理」
 蝶のようにひらめく左手に嵌る金属を目で追いながら、バーナビーはグラスに口をつけた。

 
 
 







 親睦会――――と称して、バーナビーと虎徹は最近よく一緒に飲みに行く。
 今までならば誘われたとしてもけして首を縦には振らなかったろう。
 だがジェイクの一件に一区切りついた頃から、バーナビーは虎徹の誘いに応じるようになった。



 虎徹はそれを単純に喜んだ。



 二人きりの時もあれば、他のヒーロー達と一緒の時もある。
 普段は足を踏み入れるどころか、存在そのものすら知らなかったブロンズステージの赤提灯にも、誘われればバーナビーは素直についていった。
 今日も、馴染みのバーでそこそこ飲んだ後河岸変えだと家に押しかけられ、飲み直している。
 以前は置いていなかった焼酎を傾けながら、仕事のこと、娘のことなど上機嫌で語る虎徹に、ふっと常々疑問に思っていたことを投げかけてみた。



「それ、外さないんですか?」



 視線で指したのは左手薬指。これ? と確認されて、首肯する。
 虎徹は困ったように首を傾げた。
「どしたの、バニーちゃん。いきなりそんなこと訊いて」
「バニーじゃない、バーナビーです。――――いえ、前から気にはなっていたんです。おじさんがそれを外したところ見たこと無いなって」
 日常は無論のこと、寝る時も、シャワーの時ですらも虎徹は指輪を外さない。
 最初はたまたまかと思ったが、その後何度も泡だらけの指に嵌っているのを見てわざと外さないのだと知った。
「せめてシャワーの時くらいは外した方がいいですよ。うっかり無くして、ベソかくおじさんを慰めるなんて面倒、したくないですから」
「いやぁ、大丈夫じゃね?」 
 皮肉を込めて嗤えば、返ってきたのはのんきな笑顔。
 酔っているのか頬が赤い。
 なぜ? と問えば冒頭のセリフ。
 バーナビーは端的な説明になるほど、と頷いた。



「太ったから食い込んで外れないんですね。おじさん、さっそく明日からダイエットしましょう」
 まずは冷蔵庫の酒とマヨネーズを処分しなければ。
 ゴミの日はいつだったかとカレンダーに目をやれば、「止めろ!」と慌てた声が割り込む。
「ちげーって! 俺標準だから! 太ってないから! レジェンド体型目指すのは引退してからって決めてるから!」
 最後の聞き捨てならない目標はぜひとも阻止しようと心に決めて、バーナビーはどういう事かと再び問う。
「……これはさ、結婚指輪なんだよ」
 何を当たり前なと、呆れを隠すことなく視線でぶつければ、虎徹は空咳で仕切り直す。





「えーとだ。結婚指輪ってのは"この人の事だけを一生愛し抜きます"って言う、いわば"証明"な訳よ」
 愛という目に見えぬものを誰の目にも解るようにするための"契約の証"。
 例え片方が死を迎えても契約は続く。
 相手が自分を愛してくれる限り、自分が相手を愛し続ける限り。
 ――――心が離れぬ限り。
 外れぬ指輪はまだ愛が続いている何よりの証拠だと、虎徹は目尻を下げた。 
「俺が死んだら、身の回りのもの全部楓やバニーちゃん達にやるよ。あ、賠償金とかは別ね? んでもさ、この指輪だけはダメ。俺は、俺とこいつだけ持って逝く」



 そしてもう一度、あっちで嫁さんにプロポーズするんだ。



 言って、虎徹は指輪に唇を落とした。
 優しい声と甘やかな瞳に、虎徹のいまだあせぬ妻への愛情を思い知る。
 恋を知り始めた少年のように愚直で、愛を積み重ねた老人のように強い想い。
 それを目の当たりにしたバーナビーの胸中に毒のごとく泥のごとく、じわりと黒いものがにじみ出る。




 虎徹を拘束する指輪。
 それはバーナビーにとってはただの金属に過ぎない。
 かつての輝きはとうに褪せた、くすんで、傷んで、古びた何の価値もない単なる金属の輪。
 厭わしい。
 忌まわしい。
 悍しい。
 指輪を見つめる眼球の裏で黒い炎が踊る。
 死してなお虎徹の中に巣くうなど、呪いといったい何が違うのか。




「――――本当に外れないんですか?」
 荒れ狂う心の内など微塵も表に出さず、バーナビーは指輪に手を延ばす。
 一瞬、虎徹は手を引いた。
 他の男に"伴侶"を触らせたくないという、無意識の嫉妬。
 バーナビーの胸中で醜い感情のうねりがいっそう高くなる。
 目から口から溢れ出しそうなどす黒い感情を飲み込み、訝しげな表情を作れば、虎徹は決まり悪そうにぎくしゃくと手を差し出した。


「……疑うんなら触ってみろよ。本当、はずれねぇから」
 指輪を摘んで回せば、なるほど確かに動かない。
 ただ指の皮が捻れるだけ。
 引っ張っても、無理矢理隙間を作ろうとしてもだめだった。
 とれる気配は欠片もない。
 皮膚の一部か、あるいはすでに骨と一体化していると言われても信じられる。
 指輪は――――"伴侶"は完全に虎徹と同化していた。






「ダメですね」
「だっろー!」
 潔く降参の意を示せば虎徹は勝ち誇り胸を張った。
「すげーだろ! さすがだろ! 俺たち夫婦の絆は100Powerでも壊せねぇぜ!!」
 高らかに勝ち鬨を上げ、はしゃぐ姿はまるで子供のようだ。
 上機嫌に笑う虎徹の顔は赤い。
「バニーちゃんもさぁ、早いとこ俺みたいに"いい人"見つけろよ? 人生薔薇色に変わって見えるぜ」
 ま、バニーちゃんほどのハンサムなら心配ないけどな!
 いつものようにお節介に、そして屈託なく紡がれる言葉がバーナビーの心を刳る。






 ――――人生を変えてくれた人ならば、今目の前にいる。
 何度拒んでも側にいてくれた。
 憎まれ口を叩きながら案じてくれた。
 無上の信頼を寄せてくれた。
 復讐に身を、心を、人生を窶してきた自分に違う世界を魅せてくれた。



 虎徹と出会ってから、人はこれほど誰かに優しくできるのだと知った。



 今、バーナビーの目に映る世界は柔らかく、暖かく輝いている。
 だが目を閉じれば、そこには変わらず闇がある。



 虎徹と出会ってから、人はこれほど誰かに醜い感情を持てるのだと知った。
 



 
 バーナビーにとって虎徹は"唯一"だ。
 他に代りなどきかない。
 何物にも代え難い。何者にもなれない。
 バーナビーにとって相棒は"虎徹"
 バーナビーにとって恋う人は"虎徹"
 バーナビーにとって大事な人は"虎徹"



 けれど虎徹にとっては?



 百歩譲って相棒は"バーナビー"だけだろう。
 しかしそれももしかしたら今だけかも知れない。他でも――たとえば長年の親友でも――いいのかも知れない。
 バーナビーにとって恋う人は"虎徹"だが、虎徹は違う。
 バーナビーにとって大事な人は"虎徹"だが、虎徹は違う。
 虎徹のどこにもバーナビーが"唯一"でなければならない場所がないのだ。



 ――――思い知って愕然とした。




 途端に自分の立っている場所が堅牢な塔などではなく、頼りない雲の上のように思えた。
 少しでも足を踏み外せば、果てのない奈落。
 だから欲しい。
 落ちぬ為の、心を繋ぎ合うための楔が欲しい。






 バーナビーは掴んだままの虎徹の手をじっと見つめた。
 文字通り、指輪はバーナビーの手中にある。
 指の腹で輪をなぞる。
 冷たくはない。虎徹の温度が指輪にも移っている。
 何度も何度も指輪をいじり続ける。
 愛撫するような指の動きに、虎徹は抵抗を示した。
 眉を寄せ、手を引き抜こうと体ごとよじる。が、バーナビーは逃がさない。
「これが、おじさんの"愛"なんですよね」
「ぅん……ま、そうなる? それはいいとしてさぁ……」
 離して――――虎徹が言い切る前に、バーナビーは行動に出た。




 掴んだ左手、薬指の爪先に唇を落とす。
 虎徹が息を呑むのが解る。
 強く引き戻そうとする。だが逃がさない。
 虎徹が離れようとするより早く、バーナビーは指の根本に噛みついた。



「バニーッ!?」



 驚き、慌てる虎徹の声を無視し顎に力を込める。
 歯に皮膚の感触。舌に金属の感覚。口中に血の味覚。



「ッ!!」



 突然こめかみを衝撃が襲った。
 吹っ飛び、床に頭をしたたか打ち付ける。
 目の端に、壊れた眼鏡が移る。
 視界がぼやけているのは眼鏡がないからか、脳が揺さぶられたからか。
 のろりと起き上がると、虎徹がこちらを見ていた。
 顔をこわばらせ、全身から恐怖を訴えているのに、目だけが違う。




 ――――瞳には、憎悪があった。




 許しなく "伴侶"に口づけた、間男への夫としての怒り。
 虎徹からそんな目で見られるのは初めてで、思わずまじまじと眺めてしまった。
 バーナビーが"乞う人"は、例え負の感情に支配されていても美しい。
「ッ!? お、まえ……ッ!」
 虎徹の瞳から憎しみが消えた。
 代わりに現れたのは驚きと懸念。よく見るものだ。
 何事だろうと思って起き上がると、頭からぬるりとしたものが流れ落ちる。
 触れると、ぬめりと一緒に馴染みの赤色が指につく。
「わ、わりぃ……加減、できなくて……ッ!」
 救急箱とってくる!
 ひっくり返った声を上げて、這うように虎徹は部屋を出る。
 ドアの向こうに消える背中を見送ってから、バーナビーはひっそり笑った。






 あぁ、やっぱり思ったとおり、彼は優しく甘い。
 傷ついた己より傷つけた相手の怪我を優先する。
 先に手を出したのは、バーナビーの方にも関わらず、だ。
 それがたまらなく嬉しくて、愉快で、幸せで、バーナビーは微笑みを禁じ得ない。
 



「ああ……それにしても惜しかったなぁ」
 ――――口中に残る金属と血の甘さに、愛を乞う子供は酔う。
 ガラスに映る深緑の瞳は甘く優しく蕩けていた。
「もう少しだったのに」
 部屋を出る虎徹の薬指から血が出ていたのを思い返す。
 もう少し。もう、あと少し力を込めれば――――



「噛みきって、飲み込む事ができたのに」




 ――――はめた指輪が愛の証明なら、いっそ左手薬指ごと食いちぎって消化したい。
 そうすれば、あなたの愛が血肉となったこの僕は、あなたの"唯一"になれるでしょう?






「ねぇ――――"虎徹"さん?」

あとがき

十四話が衝撃的すぎた。

バニー→虎徹⇔お嫁さん。
夫妻がひたすらラブラブで入り込む隙間がないんならねじ込めばいいんじゃね? みたいな。
なんでこうバニーちゃんはヤンデレが似合うんでしょうね?

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