やさしいひと

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もしもこの世に神様というヒトがいるなら、お願いです。
このやさしいひとを、俺達から――――俺から奪わないでください。














月明かりが障子を透かし部屋の中に滑り込んでいた。
真昼と見まごうほど明るい部屋。
山崎は青い顔で眼下の布団をにらみ据えていた。
布団の中には一人の男がいる。
名は近藤勲。幕府直属の機動警察真選組の局長であり、本日局内唯一の負傷者である。
負傷者と言っても闘いで倒れたものではない。
幕府の役人を――――バカガエルを守って倒れた。
その際負った傷の所為で、近藤は苦しんでいた。
テロリストの兇弾は近藤の肩を貫通。幸い剣を握ることにも日常にも差し障りのない軽いものだが、初期治療が悪かったのか、近藤の運が悪かったか、深夜になって近藤は発熱した。
山崎は手にした体温計に視線をやる。
何度見ても、水銀の目盛りは四十度を指したままで下がろうとしない。
山崎は体温計を忌々しげに激しく降り、やがて憑き物が落ちたかのように肩を落とした。
いくら体温計に八つ当たりしたところで、近藤の熱が下がるわけではない。
しかし、山崎はそれ以外に気を紛らわせる術を知らなかった。
部屋の中には、疎ましいほどの月気と近藤の荒い息が満ちていて、おぼれ死んでしまいそうだ。
そういえば、こんな満月の夜はよく副長と晩酌をする姿を見たなと余計なことまで思い出してしまった。
副長である土方は、現在倒れた近藤の代わりに幕府へ事の次第の報告に出かけている。
役人が麻薬密輸に関わっていたのだ。報告だけのはずがあれこれ詮索され、たぶん今話がこじれにこじれているはずだ。今日はどうも帰ってきそうにない。
一番隊々長沖田は屯所で捕らえたテロリスト達の扱い指示。
ほかの隊員達も己の役割を全うしようと目まぐるしく動いていることだろう。
山崎は沖田から直々に近藤の介護を命ぜられた。




『山崎ィ』

珍しく。

『このお人を、頼む』

本当に珍しく真剣な顔で、沖田は言った。

『近藤さんはこの有様だ。誰かついててやる必要がある。本当は俺がやりてぇところだが、あいにく立て込んでて無理だ。それに、いま屯所で自由に動けるのはお前しかいねェ。だから――――』

沖田はそこで一瞬、言葉を切らせる。
近藤の方へ一瞬そらせた視線は、不安に泣き崩れそうな子供のそれに見えた。

『近藤さんを、頼む』




「頼むなんて……言われてもなぁ」
山崎は膝の上で拳を握り込んだ。
固く握りしめた拳の上に、熱いものがぱたぱたと落ちる。
涙だった。
自分が泣いているという事実に驚き見開かれた両目から涕涙がとまらない。近藤の顔が涙で滲んでよく見えない。
山崎はとうとう肩をふるわせしゃっくりあげた。
泣き顔を恥じいらぬ幼子のように、けれども眠る近藤の妨げにならぬよう静かに泣き続けた。
成人してからこんな風に泣くのは初めてかも知れない。
頬をぬらす後悔という涙はあまりに苦く、その苦さにまた山崎は泣けてきた。
目の前で眠り続けるこの人は、自分にとって大事な人だ。



暖かく迎え入れてくれた人。刀を取り返してくれた人。今の居場所を作ってくれた人。なにより、仲間だと言ってくれる人。



恩人という言葉では表せ切れぬほど大事な大事な人なのに、近藤が兇弾に倒れたとき、自分はとっさに動くことが出来なかった。
わずかな血を傷口から迸らせ傾ぐ様が、いやにゆっくり目に映っていたのを覚えている。
コンマ数秒にも満たない時間が、まるで永遠のように感じた。
震える膝。固まった足。白く塗りつぶされる視界。
真っ白になった世界に土方の声が滑り込み、考えるより先に体が動いた。
ほとんど本能のようなものだった。
実際、山崎は自分がどうやって敵の素性を探り、帰還したか覚えていない。
ただ屋敷に戻り、近藤が撃たれたという事実を他人の口から改めて聞いた瞬間――――白だった世界に、やっと現実という色が戻った。
戻った瞬間に覚えたのは何かに対する嫌悪感だった。次に恐怖。憎悪。疑問。
なぜどうして、近藤が倒れなければならないのか。
あんな男のために。あんな外道のために。
神様とか言う人は、なぜこんな理不尽を赦すのか。
あの人が、外道の代わりに倒れる理由がどこにある。
たとえそれが近藤の選んだ事だったとしても、そんな不合理が赦されていいのか。
そしてなぜあのとき自分は動けなかったのだろうか。
<力>があるのに。
助けるための力を持っているのに、いざと言う時大事なものを守れないで、何が侍だ。
せっかく近藤が取り返してくれた<力>があるのに――――。
そう思うと、情けなさと申し訳なさにいっそう拍車がかかり涙をさらにあふれさせる。
止まらない。止めたくない。
このまま体中の水分を出し切って、からからに干上がってしまいたい。
そんな馬鹿げたことを考えながら大きくしゃっくりあげた、その時。





手の甲に涙とは違う別の柔らかな熱が触れた。






「きょ……く、ちょ、おっ」
「それ以上泣くな、山崎。木乃伊になっちまう」
びっくりして、思わず涙が止まる。
先ほどまで眠っていたはずの近藤があやすように自分の手を優しく叩いていた。
深呼吸、深呼吸と促す近藤に従って、山崎は三度、大きく深呼吸する。
泣くのに夢中になって、ろくに呼吸の出来ていなかった肺に月明かりと共に酸素を送り込んでやると、ほんの少しだけ落ち着いた気がした。
「局長……っ!」
「なんだってんだ、まったく。いい大人が餓鬼みてぇに……。また総悟かトシにでもイジめられたのか?」
お兄さんに話してみなさい、と明るく笑う顔は、月明かりの所為だけではなくやはりどこか青ざめて見える。
それを確認したとたん、またぞろ涙があふれてきた。
「ちょっ、あーもう!鼻水!鼻水垂れるからやめなさい!このままだと俺直撃だから!ど真ん中ストライクだから!」
「局長ぉ……俺、俺……」
ずずっと鼻水をすすり上げながら何度も言葉を紡ごうとするが、それらは形になる前に全て舌先でほどけて消えた。
涙で視界が滲んでいるはずなのに、先ほどとは違いどうしてかはっきりと近藤の姿が見える。
やはりまだ起きるのは困難らしい。枕に頭を埋めたまま、なぜか痛ましげな顔でこちらを見つめていた。
「局長。もしかしてまだ傷が……」
「いや。もう傷は痛くねぇし、頭も軽い。でもな……みんなに心配かけちまったみてぇでそっちの方で頭がイテェよ」
この期に及んでまだ他人の心配をする近藤に、うれしさと同時に怒りがこみ上げてくる。
「何でそんな事言うんですか!?」
とっさに声を張り上げ怒鳴れば、近藤はびっくりしたように目を白黒させる。
どうしてそんな自分を軽くみた発言が出来る。
この男は、自分がどれほどの価値を持ち、どれほどの人間に思われているか知らないのだろうか。
「そんな事気にしないでください!そんなこと……。そんな……。それより、俺の方が……」
最初の勢いはすぐに消え、最後は蚊が鳴くような小ささに変わる。
声が完全に消え去る寸前、山崎は小さく「すみません」と付け加えた。
「山崎?」
近藤が怪訝な声を出す。山崎はもう一度「すみません」と呟いた。
「俺はあの時――――局長が撃たれたとき動けませんでした。それだけじゃない。副長のように現実を受け止めとっさに冷静になることも、沖田隊長のように賊をおびき寄せる機転を利かせる事も出来ませんでした。剣術だって、ほかの隊士に比べれば見劣りします。何もかも中途半端で誇れるものって言ったらミントンの腕前と情熱くらいです」
せっかく近藤が取り返してくれた<力>は、自分が持つとあまりに不格好で非力でなんの役にも立たない。
どうしてなんだろう。どうして、強くなりたいと願っても近藤達のように強くなれないのだろう。願うだけでは駄目なのだろうか。
「お役に立てなくて――――申し訳ありません」
絞り出すように声を出し、深く頭を下げる。
膝の上で握りしめた拳に爪が食い込むが、痛みは感じない。
そんなものよりもっと――――もっと心が痛い。
「山崎……」
近藤の手が再び山崎の手に触れる。
「そんな事言うな」
そんな悲しいことを言うなと近藤は言った。
まるで自分が泣いているかのような、そんな表情で。
「探索方だって立派なお役目だ。剣を振るうことだけが、俺達の仕事じゃねぇ。現に、俺はお前のおかげで救われたことが何度もある」
「局長……」
優しい言葉と、優しい表情。
山崎は思わずその姿に惚けた。
「泣くな。下向くな。胸を張れ。男だったら誰に何言われようと自分の仕事に誇り持って前を向け。お前にゃぁ、それだけの価値がある」
俺が言うんだ、信じろ。
最後に力強く山崎の手を握り、近藤は笑った。
――――どうしてなのだろう。
言われた台詞は月並みなものである。
なのに、なぜだろう。
近藤の口から聞いただけで、ありふれた言葉も魔法の呪文のように変わってしまう。
嬉しかった。
自分を認めてくれている近藤の言葉が嬉しくて、嬉しくて。
「っ、うぇ……」
「ちょ、ザキ!言ったよね、俺、泣くなっていったよね!」
近藤のあわてふためく声が耳にはいるが、今度ばかりはどうにもならない。
涙は後から後からあふれて仕方なかったが――――不思議と、今度の涙に苦みはなかった。

あとがき

妄想山崎。
誰だよこれ、と言うつっこみは承知の上です。
でも楽しかった!書いててめちゃくちゃ楽しかった!!

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