幻声
=まぼろしのこえ=

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鬼さんこちら。
手の鳴る方へ――――。








――――耳鳴りはだんだんと子供の笑い声を言う形を成し、百介の眠りを破った。
まずは聴覚から、ついで黴臭い匂いに嗅覚、最後に開いた襖から射す光に視覚が目覚めた。
起き上がろうとして、百介は顔を顰めた。
壁を背に、窮屈な体勢で眠っていたため、背骨が軋む。
詰まれた本をなるべく倒さないように注意しながら背を伸ばした。
まだ八つ時前なのか、部屋を照らす光は明るい。
ふと百介は窓の外に目をやった。
部屋に差し込んでくるのは陽光ばかりではない。
少し遠くから、子供たちの声がする。








鬼さんこちら――――。
手の鳴る方へ――――。







「目隠し鬼、か」
懐かしい――――。
閾(しきい)に身を凭れさせ、組んだ腕の上に頭を預け百介は遠い日を思い返す。
思い出はなぜか橙に染まっていた。
狭い路地。
目隠しして。
鬼さんこちら――――。
はしゃぐ声を、気配を。
手探りに探す。
手の鳴る方へ――――。
声はするのに捕まえられず。
その内に。
鬼さんこちら――――。
捕まえるはずが捕まる。
手の鳴る方へ――――。
百介はそっと瞼を閉じた。
包まれたのは薄っぺらな闇。
今は傍にいない彼の人の闇なぞとは比べ物にならないけれど、それでも少しは似ていて。
思い出すのはあの人の感触。
それが今は酷く遠い。
触れたのはもう幾日前だろう。
いつだって突然に現れて、いつだって突然に消える。
来てはいけないと境界線を引いておきながら、向こう側から手招く。
けして超えてはならない境の向こうから、深く吸い込まれそうな闇から。
こちらへおいでと甘く誘う。
誘いに乗り、その手を取ろうとすれば招く同じ手で引き戻す。
見ちゃア、なりやせんぜ――――。
目を塞がれて、何も見えない。
彼の人が見えないままに。
――――こっちへおいで。
声だけが囁き、誘う。
――――こっちへおいで。
行っちゃアなりやせん――――。
――――おいで、おいで。
先生と奴たァ、住む世界が違う――――。
先生は御天道様ン下で生きててくだせェ――――。
囁きに、求めた手は空を彷徨う。
誘う手を取りたいのに、けして取らせてはくれない。
心だけ攫っておいて、後は置き去りだなんて。
――――あぁ。
「ずるいですよ」
百介は薄く目を開いた。
光零れる目の前に、不釣合いな彼の人の幻を描いて。
「ずるい」
恨めしく呟く。
掠れた喉からでた呟きは、子供たちのはしゃいだ声にかき消される。
鬼さんこちら――――。
手の鳴る方へ――――。
それを遠くに聞きながら、百介はまた瞳を閉じた。













もしも。
もしも私が鬼になったなら。









――――あなたを捕まえても良いですか?

あとがき

誰が百又書けと言いましたか(良心のツッコミ)
ま、又百!又百のつもりなんです!!これでも!!
でもどっちかって言うと又百より又←百風味ですね。
最初は又百祭り出展用だったのに、知らない間に百介独白になってしまった一品でございます。

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