よってたかって

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冬の陽は暮れるのが早い。
夏ならまだ韓紅に染まっている空は、もう墨を流したような色へと変わっている。
冴えた冬の夜気に注がれる月明かりは提灯が無くとも十分すぎるほどであった。
又市が百介を見つけたのはそんな時分だった。
仕掛けを一つやり終え、暖かくなった懐具合にどこかで酒でも飲むかとぶらぶらしていたら、見つけた。
おそらく京橋の自宅へ戻る所なのだろう。
どこか頼りなげな背中に、緩む頬を引き締め一つ。
りん。
姿を現す前、まるで決め事のように鳴らす鈴に振り返った百介は、姿を認めてあからさまにほっとしたような顔をした。
そしてそのまま駆け寄り、
「又市さんじゃないですか。奇遇ですね」
「へィ。昨日戻りましたが挨拶にも行かず申し訳ありやせん。しかし柳の下に幽霊じゃなく百介先生たぁ、また珍しい。奴ァ、うッかり先生が柳女にでも惚れられたのかと思いやしたよ」
「御冗談ばかり。私に惚れてくれるのなんてせいぜい本の紙魚くらいですよ」
又市の冗談に百介は笑って返し、それから二人何となく並んで歩き出した。
「しかし先生ェ、宵とはいえ提灯も持たずにどォしやした。なんて言ッても最近は物騒だ。ふらふらしてると辻斬りにあいますぜ」
「大丈夫ですよ。この辺は安全だし、それにこんなに明るいんです。辻斬りが出るなら月が沈む頃でしょう」
それにしても――――と、百介は眉を下げた。
そのあまりに情けない顔にどうかしやしたか、と又市が訊けば、
「私はそんなに頼りないンでしょうか?」
返ってきた答えに又市はハァ……と返事ともなんとも付かない声を出した。
「奴ぁ、ンなこたねェと思いやすがねぇ。どうしてそんなことを」
「いえね、田所様が――――」
「ッ」
又市の眉がピクリと跳ね上がった。
それに気づいた様子もなく、百介は続ける。
「田所様――――八丁堀同心の田所真兵衛様です。覚えてらっしゃいますか?」
「たしか稲荷坂ン時の――――」
憶えてましたか――――と百介の顔は月明かりの中ですこし嬉しそうに綻んだ。
僅かながら仕掛けに関わった人間を又市が覚えていたのは、関わった仕掛けが又市にとって遺恨残る稲荷坂の件だったからだけではない。
野暮が服を着て街中を闊歩しているようなこの男、稲荷坂の一件で知り合って以来何かと百介、百介と会いに来る。
しかもその理由が「ちょっと近くまで寄ったから」などという見え透いたものばかり。
又市にとって目障りな事この上ない。
名前を聞いただけでひくつくこめかみを何とか隠して、
「あの同心様になんぞ言われたんで」
「ええ。この間いらした時、深川の『送り拍子木』の話をしてくださいましてネ」
本所深川には昔から七不思議と呼ばれるものがある。
本当の数は七より多いが、だいたい七つで纏められる事が多いためそう呼ばれている。
そのうちの一つ、『送り拍子木』とは夜、夜回りの拍子木の音が一方向だけで無くあちらこちらから聞こえてくるというものだ。
前に知人が本当に出会ったのを思い出し、わざわざ教えに来てくれたのだと百介は言った。
「深川の話は私も知っていましたが、実際に怪異に出会った人がいるなんて思っても見ませんでしたからね。もし相手方の都合が良かったら話を聞きにいこうと思っていたのですが――――」
その相手がどこにいるのかと訊いたら、田所はあの珍妙な顔をさらに妙に顰めて言ったそうだ。
「『あのへんは辻斬りもでて物騒だ。そんな場所に百介が一人で行くなど怪しからん。もし行くというのであれば俺も一緒に行く』――――と、こう……」
「ほォ……」
何度も説き伏せられ、百介はだんだんと情けない気になってきたと言う。
だが大人しく聞いていた又市の頭の中では別の考えが浮かんでいた。
(説き伏せられた――――ってェいうよりそいつは絶対に口説きだ……)
器用でない恋敵の姿を思い、又市は心中で鼻を鳴らした。
煮えたぎって焦げ付きかけていた心が収まり始める。
「女子供であるまいし――――と言いたい所ですが、私のような穀潰し。それより性質が悪いかもしれません。――――きっとこんなだから兄上にも心配を……」
掠れる語尾に、又市の足が止まりかける。
「兄上様も何か」
「あ、はい。野鉄砲の一件以来頻繁に文を下さるのです。お勤めが忙しいはずなのに、月に一度は必ず」
「それはそれは。さすが千人同心一の人格者。弟想いでございやすなァ」
あの方らしい――――と調子を合わせる又市は内心複雑だった。
思い出したのはあの晩――――野鉄砲の仕掛けが終わった後の酒宴の席で、珍しく酒匂を漂わせ頬を染めた弟を見つめる軍八郎のなんとも言えず熱の篭った目。
アレは離れて育った弟の成長した姿に不覚にも目頭が――――なんて類の熱ではない。
「この前――――ちょうど田所様が送り拍子木の話をしにいらした日なんですが、兄上からも手紙があったんです。置いてけ堀について――――」
置いてけ堀――――とは本所深川七不思議のひとつで、その堀で釣りをするときまって大漁なのだが、魚の入った魚篭を持ってさぁ帰ろうとすると堀の中から「置いてけ、置いてけ」と声がする。
その声を無視して帰ってしまうと、魚篭の中にあったはずの魚は一匹残らず消えている――――という話だ。
そういう話が深川にはあるそうだが知っているかと言う内容の手紙は、こんな言葉で締めくくられていたと言う。
「『お前の事だから怪異の話を聞けば右も左もなく確かめに行ってしまうだろう。だが慎重になる事も大事だ。もし行くというのなら私も同行しよう。くれぐれも白い烏には気をつけるように』――――って、白い烏ってなんでしょうね?」
聞いた事の無い話だ――――と思い出して首をかしげる百介の横で、軍八郎の一撃に言葉を封じられた小股潜りはただ頬を引くつかせた。
白い烏とは考えるまでも無く自分のことではないか。
感づかれるような素振りはただの一度も出していないつもりであったが――――。
(恐るべし武士(もののふ)……ってェとこか?)
「あ、七不思議で思い出しました。昨日徳次郎さんにお会いしましたよ」
「何でやすってェ?」
思わず頓狂な声がでる。
「徳の野郎がまた何しに――――」
「片葉の葦についてです」
本所藤代町の南側から両国広小路までの隅田川の葦は、なぜか片方だけに葉がついていない。
一説にはそこで片手片足を切り落とされて殺された女の怨みで、葦の片側にしか葉がつかなくなったと言われる。
「夏にでも見にいきがてら、隅田川の花火を一緒にどうですかって」
(野郎、仕掛けが終わったと同時に後始末やらこっちに押し付けてさっさと帰ったのはこのせいか!?)
油断ならない目眩し師の出し抜きに、錫杖を握る手に知らず力が篭る。
「――――先生ェ、もし見に行くんでやしたら奴もご一緒させてもらいやせんか。葦も良いが夜にしか咲かない花ってェのを先生と一緒に拝んでみてェ」
ついでに拝むんなら腕の中で咲き乱れる花も――――なんて又市の心中を知ってかしらずか、先ほどまで沈んでいたのも忘れたようにくすくすと笑いながら、
「又市さんが拝むなんて言葉を使うとおかしいですね」
でもそれは楽しそうだ、と顔を綻ばせる。
「どうせなら治平さんやおぎんさんも誘いましょう」
「しかしネェ、先生。治平の爺と酒なんザ飲んだら悪酔いするし、おまけにおぎんまで誘ったらこりゃァ狸と女狐の化かしあいが始まりやすゼ」
「またそう言う事を――――。あ、治平さんといえば七日ほど前にお会いしました」
「あの爺にィ?」
ええ、おぎんさんにも――――と続いた言葉に又市は渋い顔をした。
だが百介は前を向いていたため気づかなかったらしい。
「ちょっと駒込あたりの寺まで行った時なんですけど――――」
御坊を捕まえていろいろと話を聞いていた時の事、後ろからあれ、考物の先生じゃないかェと艶っぽい声で呼ばれ振り返ると、ちょうど茶店で団子を食っていたおぎんと治平だった。
「その時ご一緒して――――あ、そうそう。おぎんさんと治平さんも本所の七不思議の話をしてくれましたよ。二人とも別々の話で、おぎんさんが送り提灯。治平さんが足洗邸」
本所七不思議のひとつ、送り提灯とは夜更けに歩いていると、前方に提灯の灯が見えるが、近づこうといくら歩いても追いつくことができない。
また別の話では、腰元風の女が歩いているので声を掛けて連れだって歩いていったが、別れて女を見送ると、いくらも行かないうちに消えてしまうという。
そして足洗邸とは人が寝静まった頃、泥だらけの大きな足が座敷の天井から現われて大暴れする。足を洗ってやると消えるという怪異で、類似した話は各地にある。
まァ先生ほどの男前なら提灯も離れがたくて朝ンなっても引っ付いたまンまかもねェ――――なんておぎんにからかわれどう返して良いやら分からず、結局治平に助けてもらったのだと頭をかきながら百介は言った。
ついでに今度確かめに行くか――――と二人から誘われたそうだ。
おぎんだけならいざ知らず意外な伏兵の登場に又市の手にさらに力が篭る。
錫杖が軋んだ悲鳴を上げた。
だがそこは伊達に弥勒三千の小股潜りと呼ばれた男ではない。
まるで何も無かったかのように声を作り直し、
「それで、今日こんな時分にここにいらっしゃるのはおぎんか治平のとッつあんと約束でもあるンで?」
「いいえ。ただの用事の帰りです」
「用事ってェと軍八郎様の?」
「いいえ」
「じゃア、田所様の」
「いいえ、平八さんとこに――――」
「貸本屋に?」
(仕舞った、忘れてた!)
見逃しならない相手の存在をうっかり忘れていた。
おおよそ商売にならない場所まで行っては聞いた話を百介に披露している、褒め転ばしの二つ名を持つ童顔の貸本屋――――。
その実態は知らぬ間に百介と又市に繋がりがあると知っていたほどの抜け目ない男である。
治平まで名前が出て平八の名前が出てこなかった事を早く疑うべきだった。
「――――先生ェ、何も、何もされてやしないでしョオね?」
「何かって……なんです?」
百介は足を止めた。
月光にさらされた顔はどこか訝しげだ。
「何かってそりゃア――――」
こういう事でやす――――と同じように止まった又市は伸ばしかけた手を寸前で堪え、
「とにかく、何もなかったんで」
「何も――――と言うか、まぁお話したくらいですね。馬鹿囃子について」
深夜、どこからとも無く騒々しいお囃子の音が聞こえてくる事があるという。
これは狸が囃しているから狸囃子だという話もある、本所七不思議の一つである。
「何でも、あるお侍の家で毎晩のようにコレが聞こえて、おかげで奥方様が気狂いになられたなンて話が最近あるそうで」
帰り際に今度確かめに行かないかと誘われた。
「さすがに私と違って仕事が忙しいでしょうからお断りしたんですが――――。しかしこうして見ると怪異というのは人の口から口へ、口伝が多いんですね。そして誰しも怪に惹かれる心がある。その証拠に私の周りだけでも七不思議のうち六つまで集まってしまいましたよ」
あと一つ足りないなァと呟きながら歩き出した百介の横で、又市は不気味なほど黙ったままだった。
言葉が出なかったのだ。――――怒りで。
「あ、又市さん!」
百介が突然明るい声を上げた。
「ほら、二八蕎麦屋ですよ。これが消えずの行灯なら七不思議無事完結、なんですけどねェ」
百介の言葉に又市は辛うじてへェ――――とだけ返した。
百介はなおも語る。
冬の寒い深夜、震えながら歩いていると向こうに蕎麦屋の屋台の灯が見えて、近づいてみるが無人で、待ってみても誰も現われない。
そして行灯の火を消すと凶事が起こるとも言われている。
それが消えずの行灯、または燈無蕎麦と呼ばれている本所の怪異だ。
「ちょうどいい。又市さん、寄ッて帰りませんか。こう寒くっちゃア帰るまでに凍りつきそうですし」
おごりますよ――――と百介は軽快な足取りで燈の方へと向った。
だが又市の足はまるで錘でも入っているかのように遅かった。
途中から百介の話は聞いていなかった。
ただ頭の中ではそれこそまるで影灯篭のように、今しがた話に出てきた人間の顔がグルグルグルグルと回っている。
錫杖が持ち主の怒りを受け止めきれず罅いった。



(どいつもこいつも俺が江戸居ねェ間によってたかって――――ッ。全員祟ってやろうかァッ!!)





――――寒さ凍みいる冬の宵。
小股潜りの無言の叫びに、江戸のあちこちでクシャミが聞こえたとか、無かったとか――――。

あとがき

題名どおりどおり百介が甘やかされる話が書きたかっただけなんです(白状)
原作の雰囲気壊したな〜と言う自負はあります!(マテ)
嗚呼…自分が書くと百介が白痴だ。又さんがヘタレだよゥ……(泣)

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