メイド生活が始まってから、俺は運命を信じるようになった。
運命とはすなわち、誰も抗えない、足掻こうとすれば完膚なきまでに叩き伏せる事を至福とするサディストの別名である。
つまり、逆らおうとすればするほど相手を喜ばせる羽目となる。
そこに俺の意見はない。
俺の生活は理不尽によって蹂躙され、理不尽によって支配される。
――――そして今日もまた、理不尽の権化が戯れに下した一発が俺を直撃したのだった……。
「何とか、してくださいね」
そう言ったメイド長の顔からは、いつもの優美な微笑が消え去り、代わりにこらえきれない引きつりが浮かんでいる。
きっと俺も同じ顔をしていることだろう。
互いの間に堪え切れない沈黙を溜め込んで、俺とメイド長はそろって長い長い――――世界新記録でも出しそうなほど長いため息を吐いた。
時は、屋敷全体を照らす陽光も穏やかな、昼下がりのこと。
普通ならば活気付いているはずの時間帯にもかかわらず、屋敷全体はめっきり静かだ。
それも普通の静けさでなく、どこか妖気を孕んだ不気味な静けさだったりする。
お化け屋敷かと見まごうほど不気味で静かな屋敷の中、沢山の使用人を抱えているにもかかわらず、動ける人間は俺とメイド長さんと、後一人しかいない。
残りの使用人たちは、全員朝からのとある衝撃事件によって石と化し、思い思いの場所にディスプレイされていた。
本当だったら、俺もその一部に加わりたいものだが、悲しいかな。数多の冒険を経てすっかり樹齢千年近くの大木並みに図太く、ダイヤモンドよりも強固となった俺の神経は、それくらいじゃなかなか参ってくれなかった。
それは隣のメイド長さんも同じらしい。隙あらば、気絶して何もかも忘れ去りたい気満々なのが見て取れる。
このまま石化が長時間続けば、確実に屋敷の業務に差障りが出てくるだろう。
それだけは避けたいメイド長さんと俺は意を決し、元凶の部屋の前までやってきていた。
そこで冒頭の台詞である。
メイド長さんは、あくまで俺に解決させたいらしい。
……まあな。誰だって、好き好んで虎の巣穴に飛び込みたくはないだろう。
しかも、今から会いに行くのは、虎は虎でも虎の皮をかぶった鬼畜だ。
鬼すら家畜化してしまう輩に、俺なんかが役に立つとは思えない。
しかし、そんなことを言えばか弱い女を矢面に立たせるつもりかと非難を食らうだろう。
――――前門の虎、後門の狼ってきっとこういう状態なんだろうなぁ。
遠くリーネの空の下にいるリリス。
兄ちゃん、泣きそうだよ。つか、泣いていいか?むしろ、叫んでいいか?慟哭していいか?
なんて空想の中の妹に語りかけていたら、メイド長さんに脇腹を突付かれ、堰かされた。
目が早くしろと睨んでいる。
俺は大きく深呼吸をして肺いっぱいに空気を溜め込むと、それをそのまま声に変えた。
「リオン、入るぞ。話がある!」
捻ったドアノブは何の躊躇もなく回り、部屋の中に俺を迎え入れた。
視界に移るのは広い広い部屋と、でかいでかい窓。
窓を背にするのは、これまたデカイ机に、その上に乗っかった沢山の書類。
埋もれていた書類の間から、問題の人物が面を上げた。
華奢な体を包むのは、黒を基調としたワンピースに、フリル付きのエプロンドレス。
緑為す艶やかな黒髪と対比を為すような白いヘッドドレス。
まっすぐ俺を見つめる紫紺の瞳は、いつもの様に――――いや、今にも零れ落ちそうな不穏な色を、平時の様に保とうと押し隠している。
「――――何か御用ですか、センパイ」
優雅につりあがった唇から放たれた不意打ちの一言が右の耳から脳髄を駆け上がり、かき乱し、這いずり回り、左の耳を通り抜けてゆく。
隣で、ばたりと音がした。
とうとう堪え切れずに気絶してしまったメイド長のように、俺も意識を飛ばして何もかも放棄してしまいたかったが、奇妙な義務感と満身創痍ながらもしっかり働く神経がそれさえも許さなかった……。
事の起こりは昨日の晩のこと。
"遊びに来たルーティ(酩酊状態)といつも通り一悶着あってこういう事になりました"
ハイ、説明終わり。で、話は元にもど――――……。
……。
いや、別にふざけてるわけじゃない。めんどくさがって勝手に纏めているわけでもない。
本当に俺は詳しいことを知らないんだ。
ただ、前触れ無く遊びにやってきたルーティが、不機嫌なリオンを肴にしこたま呑んで空にした酒瓶を片付け、新しいのを部屋まで持ってきたとき、すでに話は終わっていた。
あの時目の当たりにしたリオンの静かだが屈辱に震える姿と、勝ち誇ったようなルーティの高笑い。
そして、机の上に散乱したトランプはいまだ目に焼き付いている。
その時はいったい何が起こったのか理解できなかった俺だが、一晩あけてメイド姿のリオンに叩き起こされた時、冗談でもなんでもなく心臓が一旦停止した。
背中に羽の生えたリトラー司令の幻が指しだした手を取りかけていた俺は、皮肉にも張本人の声によって蘇生した。
正直、あのまま昇っていっててもよかったんじゃないかと今にしてみればそう思う。
まだ衝撃に脳を揺さぶられた状態の俺に手短に事に至るまでの経緯を説明したリオンは、まるで何事もなかったかのように部屋を出て行った。
ドアが閉められた瞬間、聞こえたのはあわれ当主の変わり果てた姿を目の当たりにした同僚の悲鳴。
それは時を追う事に減るどころか増えるばかりで――――悲鳴が聞こえなくなる頃には、俺とメイド長さん以外屋敷の人間はすべて羽根付きリトラー司令に導かれ、此の世じゃないどこかへ意識を旅立たせていた。
それから数時間後の現在。
屋敷の中で動ける者は、見事俺と原因であるリオン以外いなくなった。
「なぁ……リオン」
あれから気を失ったメイド長さんをベッドまで運んだ俺は、再びリオンの元へやってきた。
懲りない俺は、今すぐメイドの扮装を解くように説得するつもりでリオンの前に立ったのだが……。
「リオン、ってばぁ……」
リオンは俺の方なんて見向きもしないで黙々と書類整理にいそしんでいる。
はっきりいってとりつく島もない。それでも俺はあきらめなかった。
「あのさ、あの時何があったか知らないけど、もういいだろ。ルーティ帰っちゃったし。だから」
「センパイには関係のない話です」
顔も向けずにぴしゃりと鋭い一言で俺の口を塞ぐ。やっと聞けた一言がこれかよ。泣くぞ俺。目の幅で。
俺は冷たい一言にめげそうになりながら、それでも説得を続ける。
「関係ないって、あるに決まってるだろ。誰の所為でこんなことになってると思ってるんだよ」
リオンのペンを持った手がぴくりと震えた。お、効果ありか。
手応えを感じた俺はさらに話を続ける。もう一押しすればこんな格好止めるって言ってくれるかも……。
「ルーティに何言われたか知らないけれど、なんでそんなに簡単に乗っかっちゃうんだよ。お前らしくもない。たかが賭に負けたくらいで……」
そこまで言った俺は、耳に届いた亀裂音に言葉を止めた。
眼下を見れば、リオンが折れたペンを手に、肩を震わせている。
「誰の所為、だと?」
ギロリ。
なんて音がしそうなくらい、こちらを向いた目はつり上がっていた。
あれ?何、俺、もしかしてマズいこと言った?
陽炎のごとくリオンから立ち上る負のオーラに俺は思わず後退る。
リオンがゆっくり椅子から立ち上がった。そしてそのまま静かにこちらへ向かってくる。
――――怖い。むちゃくちゃ怖い!すげー怖い!こんなのミクトランと二十四時間耐久にらめっことかやってた方がまだマシだ!
慌てる俺の心中を知ってか知らずか、リオンは負のオーラを絶やすこともなくゆっくりと足を運ぶ。
その姿は、弱った獲物を追い詰める肉食獣のそれに似ていた。
「誰の、所為かだと?」
声が微かに嗤いに震えた。冷たい響きに俺は体をびくりと震わせるとまた一歩後退り――――気づく。
俺はいつの間にか部屋の隅に追い詰められていた。
逃げ道がないと悟って、リオンの顔を見る。リオンが顔を上げた。
「お前、前にあの女を家に泊めたな」
突然リオンがそんなことを言い出す。それがどうしたと言いかけた俺は、リオンの強い視線に射抜かれ、言葉を失った。
代わりに、小さく頷いて答えにする。
「その時、あの女はこんなモノを撮ったらしい」
言って、リオンはポケットから数枚の紙を取り出す。
放り出されたそれは――――なんとメイド姿の俺が写った写真!?
「ちょ、なんだよ、これ!?」
拾い集めてじっくり見れば、どれもこれも隠し撮りらしい。
シーツを干す俺。窓を磨く俺。居眠りする姿まで撮られていたのには絶句した。
なんだ、アイツ。いつの間にこんなもん……ッ!?
「売る気、だったらしい」
「はぁ!?」
驚愕再び。
なんだよ、売るって! 女装姿の変態の写真なんて売れるのか!? それ以前に、こんなもんが出まわったら、俺外歩けないじゃないか!!
「まぁ、売ると言っても誰彼構わず、と言う訳じゃなくごく一部にだけのつもりだったらしいが」
十分だ。俺が首を吊りたくなるには十分な理由だ!
「じょ、冗談じゃない!」
俺は絶叫した。リオンも首を振り振りため息をつく。
「まったくあの女は何を考えているのか……。写真のできを見て欲しいとそれを突きつけられたときは心臓が止まるかと思った」
俺もこんなの撮られてたって聞いた瞬間、心臓を止めたいって思った。
「当然こんなモノを売るなんて許可できない。陰画から何から言い値で一切買い取ると言ったのにそれでは面白くないとのたまう」
そこで突きつけられたのがポーカー勝負だったらしい。
リオンが勝てば、写真はすべてリオンのモノ。ルーティが勝てば写真販売の許可を得るか、もしくは言うことを一つ訊く。
そんな勝負をしかけてきた。
普段だったら応じないのだけれど、あの時のリオンは酒が入っていた。
売り言葉に買い言葉で勝負を受けたリオンは――――見事に惨敗。
負けてなお写真販売は許可できないと頑張るリオンに、ルーティは酒の所為で赤く染まった顔をにやつかせ、こう言ったそうだ。
「"だったら一日、アイツの気持ちを味わってみれば"……だと」
で、この姿で一日過ごす羽目になったと……。
「脱いでしまいたいのは山々だが、あの女がいつやってくるか分からない。もしアイツがやってきたときこの格好でなかったら、その時はまだ手元にある写真を売りさばくそうだ」
まだあんのかよ!? あんな趣味の悪い写真!?
俺は手元の写真を握りしめ、頭を抱えた。
うんうんうなる俺に、頭上のリオンは小さく鼻を鳴らす。
「これで分かっただろう。なぜ僕がこんな格好をする羽目になったのか。まったく、警戒心がないにもほどがある。お前がもっとしっかりしていれば、こんな事には――――」
「――――でもさ、やっぱりこれってリオンの所為じゃないのか?」
延々続きそうなお説教を遮って、俺は呟いた。
リオンの動きが止まる。
「だってさぁ、元々リオンが俺にこんな格好をしろって言ったんだろ? お前があんなこと言い出さなきゃ、こんな恥ずかしい写真撮られずに済んだのに……」
そうだよ、最初っからリオンが"メイドになれ!"なんて言い出さなきゃよかったんだ。
ただのポートレートなんて、別にいくら撮って貰っても構わない。なんの特徴もない男の写真なんか、欲しがる奴いないもんな。
いや、こんな女装趣味の変態の写真も欲しがる奴はいないだろうけど。
俺がしげしげ写真を見ながら言うと、突然肩に痛みと重みが加わった。
肩を見ると、ぴかぴかに磨き上げられた靴が乗せられていた。
背中に冷や汗を伝わせながらそこから伸びる白いタイツの先を見上げてみれば――――。
「僕の所為、だと?」
俺の肩を踏んづけたあげく、腕組みをして頬をひくつかせるリオンがいた。
計測不可能なほど大量の不穏なオーラに包まれて、リオンの姿がぼやけて見える。
えっと――――あれ?俺、また余計なことを……。
「なるほど、お前も偉くなったモノだな。主人に向かって口答えとは――――」
「いや、今のお前は俺と同じメイドだし……」
自分でも訳の分からないことを言いながら俺は後退……れる訳ないだろ!ここ、部屋の隅だからもう退路なんて無いのに!おまけにドア反対の方向だし!
無駄な努力と知りつつ、それでも何とか藻掻こうとする俺。
そんな俺を哀れむかのように見下ろしたリオンは、嘲笑一つ。
「僕も同じメイドだというのか……。ならセンパイ、貴方は本当にダメなメイドだな。主人の言うことを守れないなんて。後輩の僕が一つ正しいメイドの心得を教えて差し上げましょう。この――――体をつかって」
いらない、なんて必死の訴えは届くはずもなく。
人気のない屋敷の中を、俺の悲鳴が轟き渡った。
――――さてその後の俺の運命だが……まぁ、ご想像の通りと言うことで。
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