実に情けない事を告白するが、オベロン邸における俺の存在位置は最下層に近い。 
 メイド生活が始まってから、位置は上がることなく逆に下がり続け、今や弱肉強食のピラミッドに喩えるなら、草食動物にすら食われる草状態だ。 
 しかし、草にだって言い分はある。 
 声を大にしてはいえないので(情けない事この上ないが)、それでも控えめに主張したい。 
「……俺の人権、返してください」 
       
       
       
       
       
       
       
 
「キャー!!」 
「お似合いですぅー!」 
 オベロン邸の一室。 
 一人の見習いメイドを取り囲み、多数の使用人たちが黄色い歓声を上げていた。 
 デジャヴじゃない。前にも、まったく同じシチュエーションがあった。 
 俺は身にふりかかる不運にめげそうになりながらも、前回と同じ様に声を荒げた。 
「なんっで、俺がこんな……っ!」 
 今回握り締めたのは、メイド服の黒いスカートじゃない。 
 色は鮮烈なまでの赤。 
 布地はフェルトに似たふわふわと暖かい生地。 
 袖は肩口までしかなく、あとはむき出しの腕に、ささやかながら紅い手袋。 
 服の丈は膝上までしかなく、袖や裾には降り積もる雪を思わせる綿が付いている。 
 頭にはご丁寧に三角帽子つきだ。しかも、なんで、枝分かれした角が付いてるんだよ。 
 仕事してたら、いきなり殴り倒され、気がついたらこの格好だった。 
 っていうか、この格好は寒すぎる。いろんな意味で。 
「スタン様ってば、特殊なカッコウが怖いくらいに着こなし上手」 
「嬉しいですか!男の生足見て、嬉しいですか!!」 
 脇から伸びた腕に、つぅっと足を撫でられて、俺は仰天して飛びのいた。 
 情けない事だが、足も腕も、あまつさえ腋までしっかり除毛済みだ。 
 もともと薄かったとはいえ、なんで男の俺が脱毛なんてやらなければならないのかとこの家の法律たるメイド長に問い掛けた所、恐ろしく綺麗な笑顔で威圧された。 
 この家の最凶はリオンだが、最恐は間違いなくメイド長である。 
 そして、俺はそんな二人のオモチャ。 
――――遠くリーネにいるじっちゃん。男が泣くのは愛している人を失ったときだけだと教えられたけど、今俺、泣いちゃっていいですか? 
 少なくとも、俺は自分の自我と人間としての尊厳を愛していた。 
 毎日喪失させられるそれを弔うのに、血涙流したって誰も責めたりしないだろう。希望だけど。 
 本気で目頭が熱くなりかけたその時、ヒールの音も高らかに、諸悪の根源はやってきた。 
「お似合いですわ、スタン様」 
 メイド長も、俺と似たり寄ったりな格好をしていた。 
 しかし、細部は似ているものの彼女の方は俺のミニとは違い、ロングのワンピースを履いている。 
 深く入ったスリットから覗く、編みタイツが艶かしい。 
 俺は、目のやり場に困って俯いた。 
 いくらメイドやってたって、これでも男だ。 
 普段の淑女然とした凛とした姿と、今の妖艶な姿のギャップに、戸惑いと期待(何の)を感じたって仕方ない。 
 俯いた俺の顎に、華奢な指が添えられる。 
 花のような、それでいて菓子のような甘い、意識が遠のきそうなくらい甘い匂いが目の前の女性から醸し出されている。 
 メイド長の目が細まった。 
「ほんっとうにお綺麗ですわ……。思わずため息をついてしまうくらい」 
……嬉しくない。 
 嬉しくないはずなのに、頬が熱くなってしまう。 
 彼女の香りに中てられてしまったかのようだ。 
「けして、女性には見えませんのに……。どうしてこんなにも似合ってしまわれるのでしょう。不思議な方ですわ」 
「メイド長さんの方が……綺麗ですよ」 
 匂いに支配された意識から、正直な言葉を紡ぎだす。 
 使い古されて手垢のついた陳腐な台詞だ。どうしても気の効いた事は言えない。 
 コレが精一杯だった。 
 メイド長の目が一瞬大きくなったが、すぐにまた細まる。 
「ありがとうございます。それでスタン様、今日のお仕事の内容を、ご存知ですか?」 
 俺は首を横に振った。 
 メイド長の眼が、さらに楽しげに細まる。 
 瞳の奥にサディスティックな光が点るのを見て、あぁ、俺がメイドである以上、この人にとって俺はオモチャなんだと再確認した。 
「十二月二十五日。何を連想なさいます?」 
「クリスマス……ですよね」 
 満足のいく答えだったか、メイド長は微笑みながら頷く。 
「本日、リオン様の仕事のご予定は午前まででございます。午後からは、かつてのお仲間の方々と過ごされる予定ですの」 
 計画を立てたのはお姉さまとストレライズの神官様ですが……。 
 言われた言葉に納得した。リオンだったら、こんな事思いつきもしないだろう。 
 でも待てよ。なんっか、さっきから嫌な予感がひしひしと……。 
「スタン様には、メイドの務めとして給仕をしていただきます」 
――――この格好で?とは重ねて聞くまでもなかった。 
「ちょ、冗談!冗談じゃない!!」 
       
       
       
 逃げる!風のごとく、疾風のごとく、神風のごとく!疾く!疾く! 
 俺は疾風(かぜ)になる!! 
       
       
       
――――と、頭の中で華麗にリーネまで逃げる自分の姿が再現されたのだが、現実の俺はメイド長に押さえつけられ、椅子の上。 
つーか、痛い。マニキュアを塗られた綺麗な爪が食い込んで、痛い。 
前にも思ったけど、この人、何でこんなに力持ちなんだ!? 
反則だ!こんな"フォークより重いもの持ったことがありません"って顔してるのに! 
「それでは皆さん。スタン様をもっと美しく。そう、いっそサンタすら誑かしてしまうほどに仕立て上げなさい」 
「はーい!」 
 方々から何とも無邪気で楽しげな了承の声。 
 それは、俺の悲痛な断末魔をいともたやすくかき消した――――。 
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
「まぁ……」 
 呆けたフィリアの声。 
「これは……」 
 ウッドロウさんが絶句した。 
 ルーティにいたっては、かぶりついていた鳥の足を持ったまま、呟く。 
「相変わらず、えらい化け方したもんね……」 
 他の面々も似たり寄ったりな反応だ。 
 みんな、一様に言葉もなく呆けている。 
 オベロン邸の一室に設けられたパーティ会場は、異様な静寂に包まれた。 
 さっきまで軽快な音楽を鳴らしていたジュークボックスも、まるで命があるかのように場に合わせて音を止めた。 
 分ってる。原因は分ってるんだ。 
 メイド長さんに突き飛ばすように部屋に入れられた俺が原因だって事ぐらいな! 
 おかしいだろうよ。成人にもなった男が、ミニスカサンタだ。 
 脛毛も腕毛も綺麗に剃られて、完全武装した女装の変態だ。 
 これがおかしくなかったら、世の中間違ってる! 
 俺は言葉もなかった。 
 ただただ、みんなに合わせるように黙り込む。 
 メイド長さんに言われた給仕の仕事も、弁解の言葉も、頭からすっぽり抜け落ちていた。 
「……スタン様」 
 後ろから、メイド長さんが耳元で囁いた。 
「さっきの衝撃で、スカートの裾が」 
「あっ……」 
 僅かに捲れ上がったそれを、俺は慌てて抑えた。 
 男のパンツなんて見たって嬉しくなかろう。それに、同姓に見せたって何にも問題ないはずだ。 
 でも、この場にはルーティ達女性陣がいたし、その……なんていうのか……。 
――――なんで俺、内股なんだろう。 
 意味の分らない羞恥に顔を真っ赤にして、俯く。 
 出来たらこの場で逃げ出したいが、退路はメイド長さんによって完全封鎖。 
 へたり込むのもなんだか、はたから見てて気色悪いだろう。 
 まるで墓地の中にいるような静寂の中、俺は俯けた視線の先に奇妙なものを見つけた。 
 綺麗にワックスの掛けられたフローリングの床目に沿って流れてくる、紅い……。 
「リオン様!」 
 メイド長さんの悲鳴に、俺ははっと顔を上げる。 
「ぎゃあっ!」 
 薄情にも、俺はリオンたちを心配する言葉より先に、悲鳴をあげてしまった。 
 視線の先には、倒れこむ男性陣。 
 そして、全員の体の下からは流れ出るかつて見慣れた赤い液体――――。 
 血だ。 
「みんなー!?」 
「医療班!」 
 悲鳴。怒号。仰天。動転。驚愕。 
 様々な混乱に支配される部屋の一室。 
 そんななか、パーティ立案者の一人である、ルーティのやけに静かな声が俺の耳に届いた。 
「――――世界一、忘れられないクリスマスになったわね」 
――――まったくだ。 
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