市場は、昼も夜も、そして平日も休日も関係なく賑わっていた。
今回の災害で、一番の被害をうけたはずのダリルシェイドであったが、人々の逞しさに支えられ、日に日に復興の足跡は近づき始めている。
前とまったく同じ形で、この街が賑わう事はもう無いだろう。
しかし、以前の面影をそこかしこに残しながら、別の形で復活を遂げつつある。
日を追うごとに増える人々の笑顔が、スタンは好きだった。
「あとは大麦と、林檎と……シーツは、いったん帰ってからでいいかな?」
自身に確認するように独り言を言いながら、スタンは両手の荷物を抱えなおした。
時々ぶつかりそうになりながらも、スタンは器用に避けながら人ごみを行く。
思えば、軟禁生活(別名・新婚生活)始まって以来の、一人での外出である。
それが私用でなく、メイドとしての職務の一つ、お買い物ゆえだというのが少々悲しいが、リオンに縛られる事なく自由に外を歩けるという点に変わりはない。
両手に抱えた荷物の重さなど、今の気分の軽さで吹っ飛ぶ。
頭をすっぽり覆うフードを被りなおして、スタンは鼻歌混じりに次の商店へと歩みを進めた。
「ちょいとお嬢さん、よって行かないかい?」
「魚だったらウチが安いよ!」
「さあさあ、珍しいよ。アクアヴェイル産の織物だ!向こうじゃ王侯貴族しか着れない一級品!それが今日に限りたったの1500ガルドだ!さあさあ、安いよ、安いよ!!」
「あ、の……、ちょっと、すいま、きゃッ!」
もはや怒声といってもいいようなくらい、耳に痛い呼び込みの声に混じって、微かに聞きなれた声を聞いた気がした。
「あっ!」
スタンは、人の隙間から倒れこんできた体を、とっさに支えた。
落ちた買い物袋から、オレンジが転がる。
「げっ!」
喉から絞り出された声は、誰とも知らぬ人の足に踏まれ、無残な姿となったオレンジに対するものではない。
腕の中に倒れてきた小柄な体。これを、自分はとてもよく知っている。
「も、申し訳ありません。人ごみに不慣れなもので……」
――――普段、眼鏡に隠れて直接見えないフィリアの眼に見上げられ、スタンは腕の中の少女を衝動的に放り投げたくなった。
「本当に、ありがとうございました」
市場から離れた海沿いの堤防。
人ごみから脱出した二人は、比較的人の少ない場所を選び、やってきた。
離れたといっても、市場の喧騒はいまだ衰えを見せず、言葉という輪郭を持たない音となって堤防まで流れてきた。
「連れと逸れてしまい、途方にくれておりましたの。貴方がいてくださらなかったら、今頃私は……」
先ほどから飽きもせず、感謝の気持ちを繰り返す旧友を前に、スタンは困惑の一途を辿っていた。
何故、こんな所で出会ったのだろう。なぜ、彼女は自分の腕の中に倒れてきたのだろう。
それをフィリアにご説明願えば、きっと「アタモニ神のご加護」という答えが返ってくるに違いない。
神様というのは、「小さな親切・大きなお世話」という言葉を知らないのだろうか。
だが、一方的に神を呪う事も出来ない。
なぜなら。
「どこのどなたか知りませんが、本当にありがとうございます」
フィリアは、恩人の正体がスタンだとは気づいていない様子であった。
どうも、ぶつかる要因となった眼鏡の紛失が、幸いしたらしい。
眼鏡が無ければ、ぼんやりとしか輪郭のつかめないらしいフィリアは、スタンと分らないようだ。
いや、姿からして、女性と錯覚しているようでもあった。
(声を出したらバレる!)
スタンはぐっと息を詰めた。
「お買い物を台無しにしてしまって申し訳ありません。あの、弁償いたしますので、お金のほうはいかほど……」
スタンは、無言で首を振った。
そんな事はいいから、早く連れを探し出したほうがいいと伝えようとした。
しかし、声が出せない上、ジェスチャーも通じそうにない。
ずっと黙ったままパタパタ動くスタンを見て、突然フィリアはハッとした様に口元を押さえた。
「まさか、声が出ないので!?」
"出ない"、ではなく、"出せない"、なのだが。
たいして違いはあるまいと頷くと、フィリアの顔は目に見えて曇りだした。
「あぁ、私は神に仕える身でありながら、なんて短慮な事を……。早く気付かなくて申し訳ありません」
お辛かったでしょう?と覗うフィリアの、今にも泣きそうな表情に、スタンは慌てる。
短慮なのはこっちだ。
人一倍優しく、気に掛けやすい彼女に誤解を与えてしまったらしい。
スタンは、慌てながら、とっさにフィリアの手を取った。
「えっ……」
長い旅路の影響か、多少荒れていたものの、女性らしい柔らかな手のひらの上を、スタンは人差し指でなぞった。
「し、んぱい、しないで……」
声も出せない、ジェスチャーも通じないスタンに残された最終手段。
上手く伝わるか不安だった言葉は、ちゃんと通じてくれたようだ。
フィリアの不安げな表情は、泣き笑いのように崩れた。
「……あなたはお優しい人ですね」
本当に溢れかけていた涙を、そっと拭ってやれば、フィリアは確信するかのように呟いた。
「私の知っている人に、よく似ていますわ」
(神殿の人、かな?)
スタンは小首を傾げる。
「その方は男性なので、貴女は似ているといわれてもお困りになるだけでしょうが……」
俯き加減の頬に紅を散らせ、彼女は語りだした。
「その人は、とても明るい方なんです。どんな場面でも、絶望なんて知らず、みんなの手を引っ張ってゆく。私も、何度その笑顔に救われたか知れません。一度、私はその方に無理をしているんじゃないかと問いかけた事がありました。そうしたら、その人は、やっぱり笑いながら言ったんです」
いったん言葉を切ったフィリアは、懐かしそうな顔をして、また口を開く。
「"全然。だって、俺が辛いって思ったら、いつもみんなが助けてくれるじゃないか"って。"今だって、フィリアが声をかけてくれた。フィリアのそういうさりげない優しさ、俺は凄いと思うよ"って、仰ってくださったんです。人の親切も痛みも当たり前のように受け止めて、返してくれる。とても、素敵な方なんです……」
語るフィリアの瞳は、少女らしい輝きに満ち、聞いているうちにスタンも、まるで自分の事のように嬉しくなった。
(本当に、その人の事好きなんだなぁ)
あの、けして楽とはいえなかった戦いの末に、彼女は幸福を見つけた。
フィリアの言葉は、まるで春の木漏れ日のようにスタンの胸を暖かくさせる。
スタンもフィリアの手を取り、指で言葉を返した。
"とても、素敵な人ですね"と。
フィリアは、顔を上げると、嬉しそうに両目を細めた。
「ええ。貴方にも、ぜひご紹介したいですわ。その方は……」
「フィリア女史!」
市場の喧騒に負けず劣らずの大声にそちらを向けば遠くの方で中年女性が、周囲をきょろきょろ見渡しながら、叫んでいた。
あれがはぐれた連れだというのは、声を聞いたフィリアの顔を見て分った。
スタンは、フィリアの肩を軽く叩く。
「あっ……」
戸惑ったような表情のフィリアに微笑みかけ、スタンは彼女の手を取った。
"見つかって、よかった。"
「は、はい」
フィリアも笑う。
けど、その笑顔が少し曇ったように見えたのは気のせいか。
「フィリア女史!」
声が近づいてきた。
女性は、視力も足も喉もとても健康らしい。
ものすごい速さで、肉眼で捕らえられるところまでやってきた女性の姿は、服も髪もよれよれだった。
このままでは、近づいてきた女性に自分が男だとばれるのは時間の問題か。
スタンは、フィリアの手にすばやく"さよなら"と書き付けると、そのまま踵を返して走り出す。
「あの、お名前っ!」
「フィリア女史ー!」
フィリアの声に重なるように、女性のいかつい声が重なる。
スタンはただの一度も振り返ろうとせず、屋敷へ逃げ帰った。
――――スタンが買い物のことを思い出すのは、メイド長に氷の微笑で出迎えられてからの事。
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