クロードが風邪で倒れた。 それはまさに一部の人間にとっては青天の霹靂で、また一部の人間には十分予測された事態であった。
「もぉ!だめじゃん、クロードってば!!」 腰に手を当て、怒りも露にプリシスは言った。 「そうですわ、加減が悪いのならそう言わないと解りませんわ」 暖炉に薪をくべていたセリーヌもその柳眉をしかめ、プリシスに同意する。 部屋の中は先ほどからあったかいを通り越して暑い。 とにかく汗をかくのが一番だというセリーヌが、暖炉をがんがん燃やしているせいであった。 「今度からはちゃあんと言ってよね!」 ベッドの縁に手をかけ、クロードの顔を覗き込む。 柔らかな枕に頭をうずめていたクロードは、力なく頷いた。
「・・・なぁんか、悔しいよね」 眠りに入ったクロードを残し、部屋を出た途端、プリシスは言った。 「すっごい腹立つ」 「プリシス?」 不機嫌とはまた違う、篭った声にセリーヌは思わず顔を覗き込む。 そこには俯き、何かをこらえている少女がいた。 「今までシンドイの言わなかったクロードも腹立つけど、あたし自身にもムカツク」 立ち止まり、右手を左手でぎゅっと抑える。 「あたし、メカならプロフェッショナルなのにさ、こーゆう時役立たずジャン。レナやボーマンさんみたいに治療も出来ないし、セリーヌさんみたいな知識もないしさ。・・・・・・ホント、まじでムカツク」 右手を抑える力が強まる。 その声は泣いているように震えていた。 「好きな人がシンドイ時、何にもしてあげらんないって・・・キツイね」 「プリシス・・・・・・」 セリーヌはプリシスの右手にそっと手を置いた。 「その心配してあげる言葉だけで、十分だと思いますわ」 「・・・・・・」 「私も・・・・・・同じ気持ちですもの」 「・・・・・・」 ――その言葉に、プリシスは自分を戒めていた右手をゆっくり外した。
セリーヌ達が去っていった数分後、クロードの部屋にお客がやってきた。 なるべく音を立てぬようドアを開け、足を忍ばせながらベッドまで近づく。 「お兄ちゃん・・・・・・」 苦しそうな息の下、眠るクロードの手をレオンはそっと握った。 たかが風邪なのだと思っていても、こんな苦しそうな姿を見れば嫌な方向に考えが行く。 「ヤだよ・・・お兄ちゃん」 頬に当てた大事な人の手は燃えるように熱い。 もしもこの手が冷たくなったら? そう思うだけで体温が急激に冷える。 部屋の中は夏のようなのに、氷河の中に叩き込まれたようになる。 「絶対、やだからね。お兄ちゃんまで・・・・・・いなくなっちゃったら」 はらはらとこぼれる涙がクロードの手を濡らす。 「お兄ちゃん・・・・・・」 子供なのだと。 今の自分には何もできないんだと思い知らされた気がした。
――ディアスは部屋に入るのを一瞬躊躇った。 誰もいないと思っていたのに、見覚えのある後姿がベッドに張り付いている。 音もなくドアを閉め、近づくと、相手もやっと気づいたようだ。 「ディアス・・・さん」 はっとしてレオンは目をこする。 だがその赤い目はちょっとやそっとではごまかし切れそうもなかった。 「眠っているのか」 それに気づくふりもせず、ディアスはレオンの向かいに回る。 そして手袋を外した手で、汗ばんだクロードの額をそっと撫ぜた。 熱は一向に下がっていないらしい。 途切れ途切れの息を吐く唇は、頬の赤さとは対照的に紫がかっている。 体調の変化は数日前からわかっていた。 軟弱な・・・と最初は思った。 だが実際倒れられると必要以上に心配している自分がいる。 (くだらないな・・・) 心中の嘲笑は自分に向けられたもの。 遥か昔に置き忘れたはずの感情に、ディアス自身も戸惑いを感じていた。 ――けしてそれは不快なものではなかったけれど。
いつまでも側にいたかったレオンだったが、ディアスに諭されしぶしぶ部屋を出た、その三十分後。 「う・・・・・・・」 ドアの前で一人の青年が固まっていた。 その両手は鍋や小皿などの載った盆で塞がっている。 「入れなイ・・・・・・」 「馬鹿か、お前」 その背後で腕組みをし、心底馬鹿にしたような声を漏らす赤髪の青年。 「早く入れ、せっかく作ったのものが冷める」 赤髪の青年の横で、同じように眉間に溝を作る水色の髪の青年。 共に人の姿をしているが人ではない。
ギョロとウルルンという名の双頭竜である。 「う〜ン・・・でもさ、寝てたらかえって迷惑になるんじゃ・・・・・・」 「だったら引き換えせよ」 ドアの前で煮えきらない態度のアシュトンに、ギョロのイライラは募る。 数分前からこの調子である。 「でもクロード昨日の晩から何も食べてないし・・・・・・」 「だー、もう!とっととはいれや、オラァっ!!」 「うわアッ!?」
騒々しく蹴りいれられて危うく床とキスしそうになるが、鍋の事が頭にあるので必死に膝を着くだけにとどめる。 「ギョロー!クロード起きたらどうするんだよーっ!!」 小さく怒鳴るという器用なことをしでかしながら、アシュトンはギョロを睨みつける。 「なんだ、起きているではないか」 「へっ?」 ウルルンの声に前を向いたアシュトンは、ベッドの中で苦笑しているクロードを見つけた。 「わわわっ!クロード!!」 慌てて立ち直り、ベッドに近づく。 「ご、ゴメンネ。今ので起きちゃった?」 訊くと、クロードは首を横に振り、それから激しく咳き込んだ。 「く、クロード!!」 「っ!」 部屋の外にいたウルルンは、とっさに部屋の中に入りクロードの喉に手をやった。 部屋の温度は若干下がったが、氷嚢のように冷たいウルルンの手の感触に、クロードの息も落ち着いてくる。 クロードは唇だけでゴメン、と言った。 「クロード、大丈夫?声、出ないの?」 クロードは情けなく笑って、喉を抑えた。 痛すぎて喋ることがままならないらしい。 「スープ、持ってきたんだ。昨日から何も食べてないでしょ?」 皿に移し変え、差し出す。 まだ湯気の立つ薄めのコンソメスープは痛んだ喉にも優しそうだった。 「はい、クロード」
アシュトンが手ずから食べさせようとする。 けれどウルルンに支えられ、上体を起こしたクロードはそれを拒んだ。 「クロード、ダメだよ。ちゃんと食べなきゃ」 勧められるがクロードは首を横に振るばかり。 「クロード・・・・・・」 「あんま強情張るなよ」 いつのまにか近づいてきていたギョロが言う。 冷えかけていた部屋の温度は、またさっきの暑さに戻った。 「食って体力つけないと治るものも治んないぞ。でなきゃまたぞろ迷惑かけるって解ってるだろうが」 「ギョロ!」 ギョロのきつい言葉にアシュトンは非難を向ける。 だがしかし、それは的をついていた。 「いいから食え。こいつの好意を無にするきか」 「・・・・・・」 クロードがすがるような眼でアシュトンを見る。 「あ、あの。ギョロのいう事は気にしないで。食べたくなかったら今すぐじゃなくても・・・・・・」 その言葉を遮るようにクロードはアシュトンの手を握った。 そして少し苦しそうな笑顔で、唇の動きだけで、 『ゴメンネ・・・・・・』 (クロード、君は・・・・・・) 「ううん、いいよ」 アシュトンもまた、悲しそうな笑みでそれに答えた。
「――あいつは器用じゃないな」 食事も終わり、また眠りについたクロードを残し、アシュトンたちは部屋を出た。 数歩廊下を行き、ぽつんとギョロが言った。
アシュトンもウルルンも黙ったままだったけれど、その沈黙がかえってギョロの言葉を肯定していた。
――次にクロードが目を覚ましたのは、花の香りが鼻先を掠めたからである。 「起きちゃいましたか」 ちょうど枕もとの花瓶に花を移し変えていたノエルがそれに気づき、声をかける。 「ちょっとー。こんなに暑かったら汗かきまくるだけじゃない!」 暖炉にはチサトがへばりついている。 熱帯夜並みの部屋の温度に、暖炉の火を調節している所だ。 「少し気分転換にでもと思いまして花を持ってきたんです。でも起こしちゃったみたいで」 「あたしもお見舞いにきたんだけど・・・あっ、別に取材とかじゃないからね!!」 ――本人がそう言っているのだから、なぜ右手にカメラを持っているのかは訊かないでおこうとノエルは思った。 「加減はどうですか?」 昨日よりは・・・と言いかけてクロードは顔をしかめた。 まだ喉が痛むらしい。 はたから見ても息をするのすら辛そうだ。 だがクロードは痛みに引きつる顔を無理やり笑みの形に作り直す。 『スミマセン』 声のない言葉。 ノエルとチサトは同時に苦笑した。
――長居も迷惑と考えて、ノエルとチサトの二人は早々に部屋を出た。 自分たちの部屋に戻る間の短い会話。 「前々から思ってたけど、クロード君って不器用よね」 「ですよね・・・・・・」 ノエルも糸目をよりいっそう悩ましげに細めて、 「謝って欲しいわけではないのですが・・・・・・」 その言葉に、チサトも同意のため息をついた。
(おお、おお。よく寝るなぁ・・・・・・) 部屋に入った途端襲われた熱気に顰めていた顔は、クロードの寝顔を見た途端微笑に変わる。 起こすのも可愛そうかと思ったが、そういうわけにもいかないと思い、ボーマンは思い切ってクロードの肩に手をかけた。 「おぅい、クロード。ちょっと起きろ」 起こしたいけれど起こしたくない。
小声な所が今の心境を反映している。 だがそれにもかかわらずクロードは目を覚ました。 案外眠りは浅かったらしい。 「・・・・・・?」 「よぉ、おはよう。お薬の時間だぜ」 わざと明るい声を出し、コップの水と数個のカプセル、そして粉薬を差し出す。 それらを、訝しげな視線で見つめるクロード。 「安心しろ、俺が調合した奴だから」 ――クロードの顔がさらに訝しげになったのは見間違いではあるまい。 「信用ならねぇってか」 「・・・・・・」 「いいから飲め!」 業を煮やしたボーマンが強く言うと、クロードもやっと――それでもまだ訝しげに薬を飲み込んだ。
苦さに顔が顰められる。 「よぉし、飲んだな」
ベッドの縁に腰掛けたボーマンは、子供にするようにクロードの頭を撫でた。 クロードの顔が熱のせいだけでなく赤くなる。 「飲んだらしっかり寝ろよ。そのぶん体力だって回復するんだから・・・・・・」 クロードは首を縦に振り、しつこいボーマンの手を振りよけようと必死になった。
「ったく・・・・・・」 部屋の中では吸えないので我慢していたタバコを、廊下に出た所でやっと咥える。 ついさっきのクロードの顔が頭の中を過ぎった。 ――柔らかく、少し悲しそうに笑いながら、声もなく紡いだ『スミマセン』 あまり自分のことを話したがらないので推測するしかないが、きっとクロードは基本的に『甘える』という事に慣れていないのだろう。 慣れていない、というよりどうすればいいのかわからないのかも知れない。 レオンに似ている。 けれど決定的に違うのは誰かに自分を認めさせようとするのを諦めている点だ。 『自分』という存在に自信がないのかもしれない。 「別に“スミマセン”なんていらねぇんだよ・・・・・・」 ボーマンは誰に言うでもなく煙と一緒にその言葉を吐き出した。
――レナはそっと入った部屋のベッドで、クロードが変わりなく眠っているのを見てほっとした。 ゆっくり近づいてみると、顔色は倒れた当初よりだいぶいい。 ベッドサイドには誰かが来たのか、水の半分入ったコップ、そして薬の袋が置いてあった。 (大丈夫かしら・・・・・・) 顔色がだいぶよくなったとはいえ息はまだ苦しそうだ。 額に置いた手は、汗ばんだ感覚と共に焼けるような熱さを伝える。 レナは持ってきた冷たいタオルをクロードの額に置いた。 「・・・っ・・・」 「あ、起きた?」 さすがに冷たかったのか、クロードが薄く目を開く。 焦点の会わない朧な目が自分を捉えた。 何か言おうと開いた唇は、すぐさま血を吐くような咳に変わる。 「っ!クロード!!」 悲鳴のような声を上げ、レナはクロードの背中を必死にさすった。 彼女のもつ治癒能力はあくまで怪我にのみ有効なのだ。 病魔にはさすがに利かない。 咳が徐々に止み始める。 軽くなった所でクロードは摩る手を止めるよう、レナに目線で合図した。 安堵させるような笑顔がかえって痛々しい。 (ゴメンネ・・・・・・) 「っ!いいの!別にそんなこと・・・・・・!」 声の代わりに息だけで伝えられた言葉は、かえってレナの顔を歪ませる。 別に謝罪が欲しいわけではない。 「謝って欲しいわけじゃないの・・・・・・」 聞きたい言葉はそれじゃない。 だがその思いは当のクロードには伝わらないようだ。 困惑気味な表情のクロードに、レナは慈愛に満ちた微笑を浮かべた。 「・・・今は体を直すことだけ考えて。お休み、クロード」 ゆっくりと眠りに落ちるクロードに、レナはもう一度微笑みかけた。 ――その笑顔は、さっきよりだいぶ苦しそうだったけれど。
――クロードは夢と現との間で漂っていた。 (風邪が治ったら・・・・・・皆にちゃんと言わなきゃなぁ・・・・・・) “スミマセン”と“ごめんなさい” けれどそれは仲間たちの望む言葉ではない。 彼らが本当に望む言葉。
――それはクロード自身、気がつかないほど錆び付いてしまった言葉だった。
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