大・迷・惑
=彼らの一番長い一日=

噂というのは進化する生き物だ。
人の口を伝うにつれ、尾ひれ背びれというオプションをつけて進化する生き物だ。
しかも、なぜか悪い方へ悪い方へと進化する生き物だ。
そこまで自身に納得させておいて、はおもむろに頭を抱えた。
"――――するほうは楽しかろうが、進化しきって初期のゴジラ並みに凶悪になったそいつを、止める方の身にもなってくれ……。"














ある朝、教室に入ったの目に飛び込んできたのは、実に異様な光景だった。
本来存在するはずのない人間が、二人も教室に紛れ込んでいたからだ。
しかもそれが、気取られぬようにこっそりひっそりまぎれているのなら、まだ可愛げがある。
しかし、その二人はまるで己の存在を見せしめるかのように、いっそ教室の誰よりも堂々としていた。
「えぇ……と……」
数秒たって、氷結の解けたは、おもむろに教室のプレートを確認した。
その行動を、笑うものは誰もいない。実際、教室内の誰にも笑う余裕なんてないのだ。
それほどまでに彼ら三人―うち一人はクラスメイト―の醸し出す雰囲気は恐ろしいの一言に尽きた。
「何してんすか、先輩……」
いっそ、"寒々"と言った単語に温かみすら覚えてしまうほど、その声は冷え切っていた。
「――――遅れたが、おはよう。三人とも、HRが始まろうってぇ時間にいったい何をしてるの?よもや、私の机の下に怪物が埋まっててそれを見張ってるなんてばかげた事言わないだろうね?
ちょうど、の席を囲うかのように、一年の越前と、別クラスの海堂、それに同クラスの桃城が立っていた。
いずれも、顔中が緊張感で引きつっている。
は、恐る恐る重い足取りで三人の元へと向った。
「いいから、座れよ」
珍しく静かで低い声の桃城が、の肩を掴み、椅子に座らせようとする。
思いのほか、勢いがあった。は、掴まれた肩と尻に当たった木の痛みに、軽く呻く。
「わりぃけど、ちょっと質問に答えてくんねぇ?」
声が、必死に平常に戻ろうとして戻りきれていない事がよく分かる。
は、早々に諦めたように肩の力を抜いた。
「――――その質問に答えたら、速やかに君達は私にHRを受けさせてくれるのかな?」
「……返答次第じゃあな」
海堂が眇めた視線を送る。
越前が、まるで犯人に尋問するかのように、机を一発殴りつけると、喉の奥から絞り出すような声で言った。
「手塚部長とアンタが付き合ってるってマジ――――?」











同時刻。
青春学園中等部三年一組でもまた、手塚が現れたテニス部レギュラー三年陣に同じ事を言われ、絶句していた。
……と、言うか。
「不二、ちょ、いい加減にしろって!手塚が死ぬ!
反論しようにも、不二に首を絞められ空気ごと声を奪われた状態にあった。
「ねぇ、手塚。僕もね、別に怒ってるわけじゃないんだよ?ただ、本当の所を聞かせて欲しいなぁって言うか、ものすごく不愉快に、噂が発展する前にどうして止めなかったのかなぁってそこんところを聞かせてほしいんだよね。まさか、よもや、噂を流した張本人が手塚なんて事、ないよねえェ?
最後は手の力も5%くらい強くして、不二は笑顔で締めくくった。
このままいったら、たぶん五分と持たず、手塚の人生も締めくくられる。
だが、こんな、火曜サス○ンス劇場で流れていそうな殺人に発展しかねない状況でも、周りはただ傍観を決め込んでいた。
心なしか、周囲の机なんかも遠方に移動させられている。
その行動は、そのまま不二の出すオーラの恐ろしさを物語っているようであった。
手塚の机だけ、クラスから完全に孤立した。
それでも、警察を呼ぶ羽目にならなかったのは、青学の母と謳われる大石が、それこそ不二の暗黒オーラにも負けず命がけで不二を引き剥がしてくれたお陰で。
後にあの時の大石は、まるで救いの神、ジャンヌ=ダルクにも見えたと某クラスメートは語った。
手塚は、空気を欲して喘ぐ呼吸の隙間から、絶え絶えに問う。
「い…ったい……噂とはなん……の……事だ」
「だから、君とちゃんが付き合ってるって噂だよ。はじめに言ったじゃないか」
河村に取り押さえられた状態で、不二は眉を顰める。
しかし、すでにチョークスリーパーを決められていて、酸欠状態であった手塚に、その記憶はない。
大石に背中を擦られながら、手塚は不二の言葉を脳内で反芻する。
そして、出した結論は――――。
「確かにには部の買出しに付き合ってもらった事があるが――――」
「ボケてかわすにゃー!!」
やっと落ち着いたところに、今度は菊丸から脳天チョップをかまされ、手塚の意識は再び混濁しかけた。
いったいどんな足のバネをしているのだろう。
天井にキッパリハッキリついた靴跡が、その凄さを物語る。
「エージ落ち着けって!」
今、まさに掴みかからんとする菊丸を、大石はとっさに羽交い絞めにする。
「ちゃんと手塚の事情も聞いてから……」
しかし、諭そうとする声は菊丸にはまったく届いていなかった。
「放せぇ、大石ィ!だいたい手塚はずるいんだよ!幼馴染だからってちゃん独り占めしてー!帰るのも一緒。昼休みも一緒。おまけにこの間は日曜までぇっ!俺ももっと構いたいのに〜!!
「しかしな、菊丸。お前は部内の誰より、とのスキンシップ率が高いぞ。手塚を除くと、今のところ部内第一位だ
パラパラとノートを捲る乾。
「乾も、のん気にデータ採ってないで不二と英二を止めてくれよぉ〜」
「無理だな、河村。残念ながら今の俺の力で二人をどうこうするなんて100%出来ない。それに」
ずり上げた眼鏡を、乾は怪しく光らせ、
「俺も少し怒っている」
「乾〜」
とうとう河村に泣きが入ってしまうが、誰もこの状況を打破できる力のあるものはいない。
教室内のそこかしこでは、早く担任が来てくれるよう祈り出す者さえ出始めた。
「なぁ、不二、エージ。とにかく、手塚の話を聞こう。それからだって、遅くないだろう?」
何が遅くないんだ、と思わないところがないでもない大石の言葉であったが、根気よく言い続けられるうち、不二と菊丸の体からゆっくり力が抜けていった。
「……分ったヨ、大石」
「タカさん」
「あ、うん」
不二、菊丸両名の拘束が解かれる。
レギュラー陣は、それぞれ近くの空いた席に腰掛けると、円陣を組むように手塚を取り囲んだ。
もう、教室の誰も言葉を発するものはいない。
ただ、手塚の煩悶するような唸り声だけが、低く流れていた。
「――――話を整理しようか」
いつまでも無表情で頭を抱えたままの手塚を見かねたように、乾がノートを取り出す。
百円均一で売られている様な薄いメモ帳には、『関連噂ファイル』と題がつけられていた。
「はじめに、噂が流れ始めたのは先月の十四日頃、確かな出所は分らないが、主に三年女子の間で"休日に手塚国光と二年のがデートしていた"という話が出回り始めた。それから、2.5日に一回のペースで、"手塚の弁当はが毎日作っている"だの、"放課後の図書室で二人がキスをしていた"だの、"実は、もう同棲している"だのの噂が流れている。二つ目以降からは、出所がまったく分らない。これについて、手塚」
「――――事実無根だ」
手塚は苦りきった顔で否定を口にした。
この数分で、いつもよりもっと老けた様に見えるのは気のせいだろうか。
それでも平常心を取り戻しつつあるらしい手塚の様子に、クラスの中からは早くも安堵の溜息が聞こえ始めていた。
「休みの日に、ちゃんとデートしてたって話は?」
「休日はの祖父が、よくウチに遊びに来る。その付き合いでもやってきて、昼食を一緒にする事が多い。おおかた、その時の買出しの様子を誤解したのだろう」
「ふぅん」
いまだ疑いの色は濃そうなものの、一応は納得したのか、不二は普段の笑みを取り戻した。
ついで、菊丸が身を乗り出し、
「お弁当は?ちゃんのお弁当、毎日食べてるって、本当〜?」
「アイツに料理を教えたのはうちの母だ。似たような味付け、品目があったところで不思議はあるまい」
危うくぶつかりそうなほど近づきすぎた菊丸の顔を押しのけながら、手塚は答える。
「えっと……同棲、とかは……」
「大石、本気で訊いているのか?」
「……ごめん」
氷点下の視線で睨まれ、大石は首をすくめた。
「まったくお前たちは、くだらない流言に振り回されて……」
やっと威厳を回復した手塚がついた、呆れたような溜息に、乾は書き付け終わったノートを閉じながら、
「まぁ、普段が普段だからな。みんな誤解したってしょうがないだろう」
「普段とは、いったいなんだ」
「あれ、手塚。自覚無いの?」
「だから、何のだ」
地獄の底を這うような手塚の低い声に、絶対零度の不二の笑み。
再度訪れる暗雲に、祈りだす者、諦めて教科書を開く者、無視を決めこむ者、懲りずに諌めようとする者、観察する者と、皆多様にこの状況に順応しつつある。
――――チャイムが鳴って一時間目が始まっても、三年一組を覆った暗雲は晴れる気配を見せなかった。















「厄日だ。三隣亡だ。天中殺だ
人の疎らな放課後の昇降口。
沈みきった様子で呪詛を吐き続けるの横で、手塚もまた、わずかに疲れたような顔をしていた。
朝の出来事から現在に至るまで、事態の収拾には、多大なる時間と疲労がかかった。
まず、騒ぎを聞き付けた学年主任によって、校長の前まで引きずり出され、状況の説明。
それが終わったら、今度は十枚もの反省文の提出。
おかげで今日一日、まともに授業を受けた記憶が無い。
「私、何か悪い事したか?いわば被害者じゃないか。何でこんな扱い受けるんだよ。校長室に入るなんて、転入の挨拶に行った時以来だよ。無駄に暖房かかっててびっくりだったよ。壁にかかってた歴代校長の四割がハゲでさらにびっくりだったよ
「話がずれてるぞ」
手塚の疲れた声につられて、もおおきく溜息を吐く。
「……桃ちゃんたち、まだ反省文書き終わらないのかな?」
五十枚ではな。ちょっとやそっとでは出て来れないだろう」
いまだ明かりのついた教室の一室を見上げて、は小さく手を合わせた。
「……ま、なんにせよ」
は強張った背をぐっと伸ばす。
終わった。長い一日が、噂という名のバケモノに振り回された一日が終わった。
こんなに、家が恋しいだなんて思わなかった。
まるで、二十年くらい洞窟に閉じ込められていた人の気分だ。
「やっと帰れるんだぁ〜……あ?」
隣を歩いているはずの幼馴染の気配が消えて、後ろを振り向けば手塚は立ち止まったままただ一点を凝視していた。
「くーちゃ……」
!」
声を上げたのは手塚ではなかった。
声の方に視線を向ければ、校門にいるはずの無い人間がいた。――――それも多数。
いるわいるわ、不動峰から山吹、なぜかルドルフや氷帝まで。
接点なんてあまりなさそうな彼らの表情は、なぜか一様に強張ったものであった。
「なんの……祭りだ……」
が気の抜けた驚きの声を口にする。
「噂は他校にまで広がっていたようだな」
確認するような手塚の呟きに、はその場で膝をついた。
「……だから何さ。くーちゃんと私が付き合ってるなんて、ちょっと考えたら分る、デマじゃないか。――――こうなりゃ神様だろうが仏様だろうがお釈迦様だろうがアッラーだろうがニャルラトホテプだろうがつれて来い。そいつら全員にあの噂はデマだって誓ってやる……っ!!
唸り声を上げながら拳を地面に叩きつけると、それから急に脱力して、
「……正月にお払いしときゃよかった」
「もう遅いぞ」

やってくる鬼神の集団に、二人は今日、何度目かわからない溜息を吐いた。

あとがき

103333番Get、おありがとうございます!
お題は「手塚ギャグ夢」だったのですか、何故だか「手塚&主人公受難夢」になってしまいました(汗)
七里さんは他校好きとおっしゃっていたので、氷帝くらい出そうかな〜と思っていたら、
最後にちょろっと名前くらいしか登場しません。
あと、不二が黒すぎました。
この不二、黒魔術とか心得ていそうで怖いです(自分で書いといて)
思ったよりトンデモ話になってしまいましたが、七里さん、呆れずに受け取ってくれただろうか……?

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