気づいてよ!
「おひさしぶりです」 学校の帰り、夕飯の買い物も一通り終えたは、CDショップで新譜を視聴していると、突然誰かにぽんと肩を叩かれた。 いったい誰だと振り返ってみれば、そこには珍しい顔がいてぎょっとする。 「観月さん……」 「こんにちは、さん。こんな所で会えるなんて奇遇ですね。いったい何を聴いているんです?」 「アッ……」 貴族めいた顔に微笑をのせると、観月は今までがもっていたヘッドホンをすばやく耳に当てた。 数秒のうちに、観月の顔が意外そうなものへと変わってゆく。 は思わずバツが悪くなって視線を泳がせる。 「……月光」 観月は当てていたヘッドホンを離すと、確認するようにの方を見た。 CDプレイヤーから流れていたのはベートーベンの名曲『月光ソナタ』 『月光』という優しげなイメージからは想像もつかないほど激しい調べが、ヘッドホンから零れる。 「……意外ですか」 ごまかし笑い付きで問えば、素直に頷かれる。 自分で言っておいてなんだが、ちょっとショックだ。 は観月の視線から顔を背けると、ぽつりぽつりと口を開いた。 「あのー、ですね。親戚にクラシックが好きな人がいるのですよ。その人の影響で最近聴き始めたんですけど、えー、クラシックって種類が膨大にあって何を聴けばいいのやら皆目見当がつきませんで、で、こうやって視聴なんてしてみてるのですが……」 「余計混乱しましたか」 「……」 今度はが頷く番だ。 「一応、有名どころばかり聴いてるんですけどね。聴けば聴くほど訳が分からなくなっていって……」 そして言えば言うほど混乱していく。 言いながらいったい何の弁明だと自分自身にツッコんだ。 「……」 観月は黙ったまま、またヘッドホンを耳に当てている。 目を瞑ったまま曲に集中していた観月は数分後、ヘッドホンを置いた。 「これは、最近流行の高校生ピアニストの演奏ですか」 「はい。そこで平積みにされてました」 が聴いていたのは、どこかの有名ピアニストの弟子だという触れ込みで現在売り出し中の少年のもので、ジャニーズ系の甘いマスクがおば様達はおろかクラシックをよく知らない若い女性にまで大人気だ。 曲の良し悪しを聞き分ける事の出来ないは、とりあえず「売れています」と言う店側の触れ込みを信用して、手に取ったと言う次第だ。 ジャケットを確認した観月は、ジャケットの中で優しく微笑む少年を鼻で笑った後、柔らかそうな髪をかき上げた。 その仕草に、思いもかけずどきりとする。 ――――ジャケットの写真の中で微笑む少年よりも、数倍艶のあるように感じてしまって……。 「さん」 「は、はいッ!?」 思わず見惚れていたは裏返った声で返事をした。 それにちょっと怪訝な顔をした観月だったが、すぐになんでもない顔をすると、 「よろしかったら僕が選ぶのをお手伝いしましょうか?」 思いがけない人の思いがけない申し出に、は目をむく。 「いいんですか!?」 「ええ。これでもクラシックに関してはちょっとした造詣があるんです。きっと気に入るものを見つける事ができますよ」 「ぜ、ぜひお願いします!!」 喜色を顔中に表して頭を下げたに、観月はいつもの笑みを向けた。 「ついでに買い物の後はお茶でもご一緒しませんか?最近このあたりで紅茶の美味しいお店を見つけたんですよ……」 「よぉ、ちゃん」 図書館の本棚の隙間。 向こう側からこっちを覗き込む、笑んだ切れ長の目と呼びかける独特なイントネーションの声。 互いににらみ合う事約五秒。 「お、忍足さ〜ん!?」 絶叫と共に持っていた五冊の分厚い本が手から離れ、ばさばさと音を立て床に落ちる。 近くに人がいなかったのは幸いか、はたまた不幸か。 「奇遇やなー、大丈夫か?」 「うっ……」 心配した様子でこっちに回ってきた忍足に対し、は落ちた本を拾おうともせず後退る。 あからさまな警戒に、忍足は苦笑しつつ落ちた本を拾ってくれた。 「ほら、汚したら図書館の人に怒られんで」 「ど、どうも」 礼は言うものの、はそれを受け取る気にはなれなかった。 落ち着き無くあたりに意識を張り巡らせる。 達のいる場所は、受付からも一般的な書物の揃う棚からも離れた大型本コーナーで、"それ"らしい人の姿や声は無い。 「跡部やったらおらんで」 その言葉にぎくりとして、とっさに忍足の方へ目を向ける。 顎に手を添え、忍足は相変わらず癖のある笑みでこちらを見ていた。 見透かすようなその微笑に、の頬がさっと熱くなる。 「ちゃん、ホンマに跡部の事苦手やねんなぁ」 「苦手じゃなくって、嫌いです」 は赤らんだ頬をごまかそうと、殊更ツンとした態度で差し出された本に手を伸ばした。 だが掴みかけた手は空を切る。 何が起こったのか信じられずに本を探すと、遥か頭上で高々と掲げられていた。 「か、返してください!」 「ふ〜ん、ちゃんこんなん読むん」 背伸びして取り返そうとするが、相手も心得たもので、右へ行けば左、左へ行けば右と言ったようにひょいひょいと逃げる。 いかにも人を小ばかにしたその態度に、は怒りを噛み締め、 「忍足さん!いい加減にぃっ」 「……せんな、うるそうて司書の人くんで?」 しぃっと立てた人差し指を口元に当てられ、ハッとする。 ――――すっかりここが図書館だと失念していた。 真っ赤な顔で口元を覆い、相手を睨みつけるも、忍足はただしたたかな視線で見下ろしているだけだ。 (……この人の事は嫌いじゃあない) はマジマジと忍足を見つめた。 肩まである触り心地の良さそうな髪に、薄い引き締まった唇。 アスリート特有の均整の取れた肢体。 理知的な眼鏡の奥で意地悪そうに歪む目。 (嫌いじゃあないんだ) 改めて思う。 (ただくーちゃんに"形"が似ていて、それで苦手なだけなんだ) 「えらい古い本やなぁ」 忍足が取った本をぱらぱらと捲る。 は黙って残りの本を拾い集めた。 「映画が好きなん?」 忍足が見ていたのは、古い名作映画のノベライズだった。 が手に持っているのも全てそれ関連だが、忍足の問いには首を横に振った。 「いいえ。ただ父の持っていた映画のパンフレットを見て、最近興味をもったんです。ここは絶版本が多いから毎週通ってます」 「レンタルとかで見た事ないん」 「無い。ビデオ苦手なんです」 簡潔に答えたに、忍足はしばらく何か考えるそぶりを見せた。 本を奪い返すならいまだと感じたが、考えているのを邪魔するのも気が引けたのでもしばらく付き合うことにした。 やがてにやりと笑って忍足が顔を上げる。 「ちゃん、これからヒマか?」 「――――」 は意味を図りかねてきょとんと首を捻った。 わざわざ体を屈ませ、目の前で忍足が笑う。 「暇やったら映画でも見にいかへん?確か近くで古い映画のリバイバルやってんねん」 「え、でも……」 躊躇いがちに後ずされば、忍足は急に眉を下げて、 「――――それとも、俺とじゃ不満?」 「そ、そんな事無いです!全然、滅相も!!」 始めて見た忍足の悲しそうな目に、大きな声で否定する。 次の瞬間、はっとしたが遅かった。 気がついたら、肩を押されて忍足共々入り口へ向っている。 「おお、忍足さん!?」 の慌てて裏返った声に、忍足はにこりと曲者な笑みを浮かべて、 「映画見終わったら飯でも食いにいこか。俺、ええとこ知っとんねん」 「さぁ〜ん!」 遠目から見てもはっきり分かるオレンジ色の頭に、白い学ラン。 なおいっそう目立たそうとするように、少年は手を思いっきり振っていた。 「千石さん!?」 は慌てて駆け出すと、振っていた千石の腕をしっかりと止めた。 「久しぶり、さん」 「は、恥ずかしいから止めてください!」 にやつく千石を、は耳朶を赤らめて睨む。 が恥ずかしがるのも道理で、ここは天下の青春学園校門前。 部活帰りの生徒たちで賑わうこんな所で、大声上げてご指名されれば誰だって恥ずかしい。 だが、千石はそんな事まったく気に留めた様子も無く、 「さん、今日ヒマ?ヒマならさぁ、俺とどっか遊びに行こうよ」 「千石さん……その前に質問に答えてもらえます?」 「何々?俺、彼女ならいないよ?」 「いや、誰もそんな事訊いてませんってば。……ここ、青学の校門前ですよね?」 呆れた口調で言えば、千石はあっけらかんと、 「うん。見たまんまね」 「ならどうして他校の千石さんがこんな所にいるんです?」 本来なら山吹と青学では地理的に離れているため、千石が偶然こんな所にきたと言う事は考えられない。 があからさまに疑問を顔に出していると、千石はへらへらと後頭部をかきながら、 「いやー、実は友達の家に行こうとしてバスに乗ったのはいいけど降りなきゃいけないバス乗り過ごしちゃってさ。気がついたらここにいた訳。あはは、参ったね」 言葉ほど参った様子もなく、千石は明るく言い放つ。 あまりに悲壮感の無いその言葉に、は「はぁ……」と言いながら頷いた。 「不運ですね」 「うーん。そうでもないよ?」 の同情に千石は指を振ると、 「実は雑誌でサ、今日のラッキーポイントは"バス"って出たんだ」 「その雑誌、外れましたね。まるっきり"アンラッキー"じゃないですか」 「だから、そうでもないんだってば」 訳が分からないといった表情のに対し、千石は茶目っ気たっぷりに人差し指を立てると、 「なんせこうやってさんに会えたじゃない。これって超!ラッキー以外の何ものでもないね!!」 自信たっぷりに言い放つ千石に、一瞬ぽかんとした顔を見せる。 かなり落差の激しい両者の表情に、通りかかる生徒たちも訝しげな視線を送る。 「と、言うわけでこれから遊びに行こう!」 「へっ?」 何がいったいどういうわけか。 我に返ったは、またしても目を丸くする羽目になった。 「千石さん……友達の所に行く途中なんでしょ?」 「うん。でも急ぎの用じゃないから今度でもいいや」 は思わず顔も知らない千石の友達を不憫に思った。 「ねぇ、行こうよ。俺、こんな馴染みの無い場所に一人取り残されたら寂しくって泣いちゃうよ……?」 まるで雨の中、打ち捨てられた子犬のような目でじっと見つめられしばし熟案。 「――――私、そんなにお金持ってませんけど、それでもいい?」 小首を傾げて伺えば、千石は表情を一変させ何度も子供みたいに頷いた。 そのままぎゅっとの手を握る。 「別にお金なんか無くたってさ、さんとなら公園歩いてるだけで楽しいよ」 「って言う事が三日連続で起こってね?」 お昼休みの中庭。 広げたシーツの上に車座に向かい合うテニス部面々と。 すこし不思議そうな顔で弁当をつつくに対し、他のものはみな、一様に複雑そうな顔をしていた。 (ふふふ……、寮生活の癖に平日の放課後に現れ、その後ちゃっかり喫茶店へ同伴しただって……?) (……が毎週通っている図書館に現れ、その後きっかり映画館にも誘った……だと?) (いいのかよ!アンタ"友人"とやらをほったらかしてその後しっかり公園で散歩を満喫なんかしていいのかよ!?) 「やー、偶然って重なるもんだねぇ」 の不思議そうな、だが感心するような声音に、テニス部の一同は声をそろえた。 「しばらく一人で外出するな!」 |
あとがき
さて、今回のチョイスは他校。 なるべく曲者っぽい人ばかりを集めてみました。 はたしてこの中の何人が『本当に偶然』なのでしょう?(笑) ちなみに忍足氏の文が長いように感じるのは気のせいです(爆) |