エンジェルスマイル

「まさしく天使の笑みですよねぇ」
いつものように練習を見に来ていたが、ほぅッとため息をつきながら呟いた。
突然呟かれた言葉に、すぐそばにいた乾が反応する。
「何がなんだ、
「あれですよ、あれ」
が視線と言葉で指したのは、コート内で順番待ちのため菊丸と談笑している不二の姿。
何の話をしてるのか、不二が笑うたびにフェンスの向こうでは黄色い声とフラッシュが光る。
「すごいですよねぇ、あれ」
は、はなはだ感心したようにため息と声を出した。
ちなみに現在がいるのはギャラリーのいるフェンスでなく、そこからちょっと離れた場所。
以前いつものように来ていたがレギュラーと談話していると、そばにいたギャラリー達の反感を買い哀れ嫉妬の標的となりかけた事があった。
それ以来、はギャラリーの集まる場所より離れた位置で待つ事が多くなった。
「綺麗ですもんね、不二先輩。まさに万人を魅了するエンジェルスマイル」
「笑っているときはいいんだがな」
「ええ、笑っていればね……」
乾の言葉に、は苦笑した。
笑っていれば――――天使。
怒れば――――魔王。
よくもまぁ、こんな両極端な人が世の中にいたものだ。
「あれは真似できません」
「何が?」







「うわっ!?」








突然横から話しかけられ、は飛び上がった。
「りょ、リョーマ君!?」
こっちはバクバクと早足で鼓動を刻む心臓を持て余していると言うのに、相手はいたって涼しい顔だ。
「越前、練習試合は終わったか?」
「とーぜん」
乾の言葉に、越前は笑う。
唇の端を吊り上げ、皮肉めいたそれは不二とはまた違った小悪魔的な魅力がある。
「ところで先輩たちは何話してたんすか?」
「レギュラー内に存在する天使=魔王についての検証」
「はぁ?」
「不二の事だよ」
の言葉に訳がわからないと眉をひそめた越前だったが、乾の説明に納得したように片方の眉を上げる。
「不二先輩って、綺麗だから笑っているときは天使もかくやって感じなんだよね。でも、怒れば……」
「言うとおり、魔王っすよね」
「その点から言うと、リョーマ君だって普通に笑えば天使だよねぇ」
真っ直ぐ見つめて言ったセリフに、越前はまた困惑気な顔でを見上げた。
「なにそれ、どういう意味?」
「私、君が不敵そうに笑うところは見ても、満開の笑みなんて見たことない」
は至極残念がりながら、
「もったいないなぁ。こんな美人なのに……」
と嘆いた。
話の途中から、越前の顔が段々と険しくなってゆく。
「先輩、それって貶してる?」
可憐な唇から出た声は、極卒もかくやといわんばかりに低い。
は慌てて、
「褒めてるの!――――そういや、くーちゃんも最近笑わないな」
その発言に、二人はギョッとしたようにの顔を見た。
「……笑う?」
「手塚がか?」
揃って眼を見開く乾と越前に、は憮然とした。
「笑いましたよぉ、ちっちゃい頃は。写真だって残ってるし」
いったい彼らは幼馴染をどういう目で見ているのだろうか。
――――簡単に想像できる所が悲しい。
「おーい、何やってんだー」
とことこと練習を終えてやってきたのは桃城。
さりげなく越前を除けると、
「よっ、何話してたんだよ」
「ちょっと天使の微笑についての比較、検証をね……」
言いながら、はある事に気がついて視線を逸らした。
視線の先には、河村と打ち合いをやっている海堂の姿がある。
「……桃ちゃん」
「なんだよ」
海堂から視線を外さぬまま、は一言。








「薫ちゃんも笑えば可愛いと思わない?」




――――。





一瞬水を打ったような静寂が辺りに漂う。
そして次の瞬間に訪れたのは――――。




「だはははは――――!!」
桃城の大爆笑だった。








「え、え、な、何!桃ちゃん!?」
腹筋が捩切れんばかりに笑う桃城に、は慌てて、乾に視線で助けを求めた。
だが、乾の方も、
「……くッ……」
背を向け肩を震わせている。
越前の方は言わずもがな。
フェンスに阻まれ手を出すに出せないは、三人とは反対に泣きそうな声で、
「何、なんなの!?桃ちゃん、乾先輩、少年!ちょ、誰か助けてー!!
「どうした!!」
助けを呼ぶ声に、真っ先にやってきたのはやはりというか何と言うか、青学の母と異名をとる大石だった。
「先輩、先輩、桃ちゃんたちがーっ!!
今にも号泣しそうにおろおろするに、腹を抱えながらひぃひぃ笑っている桃城。
いかにも異常な状態に、さすがの大石もどうすればいいのか分からない様子だった。
「いったい何があったんだ!」
「なにー!何が起こってるにゃ!?」
「大石、これってどういうこと?」
「モモモ、桃!大丈夫!?」
河村に背中を擦られながら桃城はやっと復活した。
だが、息遣いは今にも事切れそうなのに、顔が笑顔に歪んでいるのが不気味だ。
「大石、これはどういうことだ」
「俺にもさっぱり……。乾、何があったんだ」
笑いすぎたのか、息を整えている最中の乾に大石が問う。
「それは……にきいた方がいい」
さん、いったい何が……」
「あの、私は何も……」
突然振られ、うろたえていると桃城がまだ苦しそうな息の下から、
「お前ッ、が……変なこと……ッいうからじゃねぇか」
「変なことってなんだよ!私はただちょっと……」
「ちょっと?」
河村が先を促す。






「薫ちゃんも笑えば可愛いだろうなぁって言っただけで……」






「……」
先ほどよりもなお重い沈黙。
そして。






「あはははははは――――!!」
大爆笑の波、再び。






新たに菊丸たちを巻き込んで、レギュラー陣は撃沈した。
遠目に見えるギャラリーたちも、何事かとギョッとしているようだ。
その中でさすがというか何と言うか、手塚と海堂だけは笑っていなかった。
いや、海堂のほうには殺気すら感じる。
……テメェ起きたまんま寝言言ってんのかっ!」
「えぇー、自分で思わない?きっと笑えば可愛いよ!」
確信を持って断言すれば、海堂は何も言わずただこめかみをひくつかせた。
「あははははー!かか、海堂が、可愛いー!?」
菊丸先輩、笑いすぎっ
「いったい……くッ……何が発端で、そんな話に?」
大石先輩、お棺に片足突っ込んでるくらい顔色悪いのに笑わないでくださいっ
「たしか発端は……」
「不二先輩のエンジェルスマイルについて検証していたのですよ」
乾の言葉をが引き継ぎ、やっと笑いの引き始めた一同をきょとんとさせた。
「ほら、不二先輩って笑ってるとまるで天使みたいじゃないですか」
怒れば魔王だけど……という声はそれぞれの胸の中に沈んだ。
ちゃんにそんな事言ってもらえるなんて光栄だね」
不二がにこりと笑う。
どこか穏やかな春の日を思わせる笑みだった。
それを見てもなんだか嬉しくなって笑う。
こういう所が天使の様だと再確認した。
「でもね」
と、目の前で天使様はいたずらそうに唇に人差し指を当てると、
ちゃんの笑顔も天使みたいだよ」
「ええ――――!?」
は今まで言われた事も無い事を言われて仰天した。
こんな平々凡々の標本とも言うべき自分のどこが天使のようだと、問う視線に非難も織り交ぜる。
「なんですか、それぇ」
「言葉のままだけど?」
「不二先輩からそんな事言われると、からかわれてるようにしか思えません……」
むぅっと眉を顰めるに、不二は楽しそうに唇を笑み作った。













信頼した人間にだけ見せる心の底からの笑み。
赤ん坊のように警戒心も邪気も抱かせないそれは、まるで天使みたいで。
けれどそんな事知ってるのは自分たちだけでいい。
だって――――何だかもったいないしね?

あとがき

書き始める直前までネタが出なかったのに、書き始めたら面白いくらいすらすらと書けてしまいました。
うーん、不思議、不思議(笑)

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