運命の鐘
鳴り響いたのは見知らぬ姿を知った時。 の転校初日。 日もとっぷり暮れてから、俺とは帰路に着いた。 帰るまでの道のり。 なんでもない会話の中に浮かび上がった疑問。 「どうして、俺の事を質問されて答えなかった」 「だってくーちゃん嫌でしょう?」 当然のように聞き返される。 「何が嫌なんだ」 「勝手に人に自分の事説明されるのって、嫌じゃない?六年は結構長いから、人が変わるには十分すぎる。私、ずっとここ離れてたから、"変わった"くーちゃんの事全然知らない」 そういって、まるで別人のように寂しげに視線をそらす。 の横顔に一緒に居れなかった六年間の歳月を見たような気がして。 ――――っ。 とくり、と。 こみ上げる音を聴いた気がした。 鳴り響いたのは空が茜に染まる時。 オレンジ色のアスファルトの上を、軽快にチャリで突っ走る。 後ろには途中で拾った荷物が一人。 「ごめんね、桃城君。スーパーまで送ってもらっちゃって」 「いーって、いーって。どうせチャリで三分くらいだしな」 学校から帰る途中、道でうろうろしていたを拾ったのは気まぐれだ。 最初は断ってたも、歩いていたのがスーパーと逆方面と知って大人しく後ろに乗った。 本人曰く、六年ぶりに返ってきて、土地勘が狂ったんだそうだ。 その時の必死な顔を思い出して、思わず笑いがこみ上げる。 「桃城君?」 気配を察したか、は不思議そうな声を出す。 躊躇いがちに肩に触れる両手は、なんだか暖かい。 「ちゃんとつかまってねぇと落とすぞー」 「しがみついたら、桃城君の首が絞まっちゃうよ」 くすくすと背中で笑う気配。 学校じゃあ、なぜか殆ど存在感のないの楽しそうに笑う声に、何だろう、何となく。 ――――……。 顔の見れないもどかしさを感じた。 鳴り響いたのはその手のぬくもりに気づいた時。 静かな空気の中、時々笛の音と生徒の騒ぐ声が聞こえる。 体育の授業で足に怪我をしたオレは、保健室にやってきていたちゃんに会った。 理科の実験で、指に火傷したらしい。 保健室には、ちゃん以外誰もいない。先生はというとコーヒー買いにいってるんだって。 職務タイマ〜ン。 先生がいないんじゃしょうがないやって思って、帰ろうとしたオレのシャツの裾を、ちゃんが無言で引っ張って、そのまま椅子に座らせられる。 「ちゃん?」 戸棚の前に立つちゃんに、声をかけてみると、 「怪我。放っておいちゃ、大変ですよ」 そう言って、戸棚から出した消毒液諸々を手に戻ってくる。 あー。こういうところ、女の子だよねー、なんて。 いまさらながらに思った。 「ちゃんってば器用〜」 「そんな事ないですよ」 ガーゼを当てる、キレイにつめの切りそろえられた指が、足に触れる。 ガーゼ越しに、じんわりと熱が伝わる。 「ちゃんの指、あったかいね」 「子供体温なんです。菊丸先輩もあったかいですよ?」 はにかむ様な微笑。 触れてくる、あたたかい指。 静かな空気が流れる中で、 ……あれ? 心臓の音がやけに大きく聞こえた。 鳴り響いたのは優しい目で見上げられた時。 最後の一匹をようやく引っ張りはがして、俺はため息をついた。 「ありがとう、海堂君。助かったよ」 心底ホッとしたみてぇに、は座ったまま笑った。 それから、睨む俺に気がついたか、笑顔を引きつらせ、 「いやぁ、ちょっと木陰でボーっとしてただけなのにねぇ」 と、頭をかいた。 いつものランニングコースで助けを呼ぶ声がすると思ったら、その声の主は木陰ででかい犬や猫の親子に膝の上を占領されただった。 ったく。事情を聴いてみりゃ、なんか間抜けだし……なんなんだ、こいつ。 よろよろと体を預けていた木を伝い、は立ち上がろうとする。 もう用はないと最後の一匹を逃がして、その場を立ち去ろうとした俺だったが、 「ッと、わっと!?」 「っ!?」 足が痺れていたのか、よろけたを俺は倒れる寸前で支えた。 「何やってんだ、馬鹿やろうっ」 耳元で怒鳴られ、ぽかんと俺の顔を見上げていただったが、そのうちなぜか、 「ありがとう。海堂君って凄く優しい人だね」 嬉しそうに顔を綻ばせるを見て俺は、 ……っ! 慌てて触れていた体を離した。 鳴り響いたのは意外な強さを知った時。 相手は増え始めたギャラリーに戸惑い、に陳腐な捨て台詞を投げるとこそこそと逃げていった。 「……」 俺の存在に気づくと、は情け無さそうに、笑う。 左の腕は、重力に従うまま、力なく垂れ下がっていた。 きっかけは何だったか。確か人が滅多に通らない廊下を歩いていたら、柄の悪そうな生徒に女生徒が絡まれていたところ、反対側からやってきたがその女生徒をかばって睨みあい(相手の罵倒にもはずっと黙っていた)になり、業を煮やした相手が拳を振りかざし――――。 「肩、大丈夫ですか?」 かばった女生徒が、心配そうな声で、拳の掠めた方の肩に触れる。 掠めたとはいえ、相手は一目見て鍛えられていると分かる体格をしていた。 吹っ飛ばなかったのが、不思議なほどだ。 痛みを思い出したか、触れられた瞬間は眉を顰めたが、すぐにその顔は女生徒を気遣うものへと変わった。 保健室へついて行く、構わないと何度か押し問答のあった末、女生徒は去って行く野次馬たちに混じり、何度も何度も後ろを振り返りながらその場を後にした。 は、まだ力の抜けた腕を反対の腕で支えながら、俺のほうを振り向いた。 「格好悪いですねー、私。粋がってたらこのざまだ」 笑い声が、どこと無く虚しく聞こえる。 俺は、さっきから疑問に思っていたことをぶつけてみた。 「どうしてあの子をかばった。あの相手に、が勝てる確率は5%も無かったのに」 「お言葉ですが先輩。先輩も、テニスで相手が自分より強いからって逃げますか?」 質問したのはこちらなのに、質問を返されてしまった。 だがその答えはすぐに出る。 「そんな訳無いだろう」 答えると、は心なしか満足そうに頷いた。 「たぶん、私も同じです。相手がいくら強かろうが関係ない。目の前で人が困ってるんだ。理性云々より先に、体が反応した。理由なんて、それだけですよ」 痛みなど感じていないようなその不敵な言葉に、 ――――なるほど。 かつて無いほどの興味を覚えた。 鳴り響いたのはきらきらと嬉しそうな顔を向けられた時。 腰を擦りながら起き上がったさんは、俺の姿を見るとばつが悪そうに、引きつった笑みを浮かべた。 「こ、こんにちわー。大石先輩」 「こんにちわ、じゃないだろう。いったいどうしたんだい?」 すこし強めに問うと、さんはちょっと視線をそらせた。 沈黙の間、俺は飛び出しそうなほど驚いていた心臓を落ち着かせる。 なんせ、目の前の木から女の子が降ってきたんだ。 さらにその女の子は、手塚がらみで知っている顔だった。そりゃ、驚きも二倍だ。 「あの……」 じっと彼女の答えを待っていた俺に、さんおもむろに何か抱き締めていたものを見せた。 彼女の腕の中で、小さな命がきょとんを眼を丸くして小さく鳴く。 「これって……仔猫?」 確認すると、さんは叱られた子供のような顔で頷いて、 「木の上でこの仔が鳴いているの見て、あの、なんか降りれなさそうだったから助けに行ったら、足……踏み外して……」 「ケガはないかい?」 心配になって問えば、泣きそうな顔が一転。誇らしげなものに変わり、 「はい!大丈夫です。しっかり抱き締めてたからどこも――――」 「仔猫じゃなくって、君の方だよ」 「あっ……」 自信たっぷりの顔からぽかんとした顔になって、それから赤い顔をすこし俯けると小声で、 「大丈夫、です」 その言葉に俺はホッとする。 まったく、ずいぶんと無茶をやる子だな。 「とりあえず念のため保健室に行こう。その仔猫も怪我をしていないとは限らないしね」 「あ、はい!」 喜色にさんの顔がぱぁっと輝くのを見て ――――あっ……。 何となく、頬が熱くなるのを感じた。 鳴り響いたのは心の奥底に触れられた時。 休憩中、いつものように手塚を待っているさんと談笑していて、ふと彼女が言った事を聞き返した。 「それってどういう意味?」 「そのまんまの意味です。周囲の期待とか、負けるんじゃないかって言う事への恐怖とか、プレッシャーって言うんですか?そういうの、みんなは重くないのかなーって」 見つめてくる視線はどこまでも透明で、何だか心の中を見透かされるような気がする。 重い……か。 そんな事初めて訊かれた。 今まで自分でも見たことのない深いところを浚われた気分だ。 「そういうさんならどうする?君なら、その"重いもの"を前にしたらどうする?」 突然の意地悪な質問にすこし不安げに揺らぐ瞳。 答えは最初から期待はしていない。 ただちょっと……困らせてみたかっただけ。 ずっと黙ったまま考え込んでいる様子のさんに、こんなものかといつもの笑みを浮かべて、 「あぁ、別に無理に答えなくてもいい……」 「逃げませんね」 さんはきっぱり言った。 「逃げません。どれだけ重かろうが、つらかろうが、逃げません。敵前逃亡は業腹です。不二先輩も――――たぶんそうですよね?」 覗き込む、澄んだ視線に、 ……そう、だね。 浮かぶ笑みを押さえられなかった。 鳴り響いたのは純粋な思いを知った時。 圧力鍋の蒸気が軽快に鳴る台所で、俺とさんはさっきから黙々と昼食の準備をしていた。 包丁を握りながらも、俺はさっきさんから聞いた言葉を頭の中で反芻していた。 『はい、大好き!』 花が咲くような嬉しそうな笑みで告げられた、手塚への思い。 それは本当に真っ直ぐで、純粋で、聴いているとこっちが照れてしまうくらいだ。 でも……こんな風に自分の想いを口に出せる人がいるなんて思わなかった。 すごく、手塚が羨ましいや。 「あ、そうだ」 「えっ、な、なに?」 いきなりさんが俺の方を向いた。 さっき手塚のことを語った時と同じように優しい雰囲気を纏って、 「言い忘れてました」 「何を?」 「私、河村先輩も優しいから好きです!」 にっこり笑って言われたそのセリフに、 えっ、えええっ――――!? 包丁を取り落としそうなほど慌てた。 鳴り響いたのは穏やかな午後の陽気に満たされた時。 俺は隣を歩く先輩を横目で盗み見ながら思った。 変なヤツ、なんだよ。 容姿云々じゃなくって、中身が。 『小さい』とか貶したと思ったらなんでもない事みたいに『見返してやれ』なんて言ったりして……。 フォローのつもり?とか思うけど、あの顔見てたらフォローとかって感じより、心底そう思ってるように見えてしょうがないんだよね。 よくわかんない性格してると思う。だって、どっかつかみ所がなくて、どっか間が抜けてて、どっかほっとけなくて……。 部長の事、ちゃん付けで言う辺りから変。 おまけに部長の前だったらやけに嬉しそうで……。 (あっ、なんか腹立ってきた) なんだかよく分からないけど、胸がむかむかする。 親父に負けた時とはどこか違う。感じた事のないもやもや感が、胸の中で渦を巻く。 先輩の言動に逆なでされるコンプレックスと、与えられる羨望に対する優越感。 良くも悪くも満たされる感じがする。 こんな人、見たことないや。 「――――少年?」 黙っていたら、先輩が声をかけた。 「早く行かないとくーちゃん達帰っちゃうってば」 その口から部長の事が出て、 ――――負けないよ。 今は目の前にいない部長に、密かに宣戦布告をした。 それぞれの瞬間に、それぞれ響く鐘の音。 祝福するように、哂うように。 ――――かくて運命の鐘は鳴り響かん。 |
あとがき
お題のはじめは意識し始めた時。 一番難産だったのは何を隠そう副部長です。 シチュエーションが浮かばない、浮かばない(苦笑) 結局何日もたってやっと出来ました。 でも何日も悩んだくせに、残りは一日で出来たなんて解せない…… |