金木犀

夏の暑さ。秋の天気の崩れやすさ。そして冬の寒さ。
尋常ならぬ事に三つの天気が迷惑に同居をしている、そんな砌。
















厳しい練習を終えて帰宅した手塚は、帰宅の挨拶をしようと台所へと向っていた。
中庭に面した廊下は、日ごろの手入れの成果か埃一つなく秋の陽光を穏やかに照り返している。
中庭に据わる木々に夏ほどの鮮やかさはなく、みな訪れようとする冬を前に眠りにつこうとしているように見える。
その中で、眼が覚めるほど生き生きと咲き誇る花があった。
金木犀だ。
黄金色の小さな花をつけた金木犀は、他の静かな木々とは一線を引き今が盛と独特の甘い香りを立たせている。
一息吸い込めば、肺から体に流れる血液まで香りに浸されるようだ。
その金木犀の下に、人間がいる。





――――泥棒だった。





どこからどう見ても泥棒である。
日本人のDNAに刷り込まれた『泥棒』そのものが、なぜか庭先に出現していた。
手にした花ばさみはまあいい。切り取ったのか、数本の金木犀を手にしているのも見逃そう。青学の制服を着ているのはこのさいどうでもいい。
問題は何故ほっかむりなのかだ。ご丁寧に、漫画に描いてあるような唐草模様の風呂敷で、ほっかむりをしているのはなぜか。
これではいかにも泥棒でございと宣伝しているようなものではないか。
いったい誰が定めたかは知らないが、実に伝統的なスタイルの泥棒が気配に気付いたのか、くるりと振り返る。
「やぁ。おかえり、くーちゃん」
「……何をしているんだ、お前は」
泥棒の正体は幼馴染だった。
呆れを前面に押し出して返答すれば、は風呂敷に包まれた頭をかきながら、
「花泥棒。いや、大丈夫だよ。おばさんには許可とってあるから」
それは泥棒とは言わないだろう。
ずれた答えにそう返答しかけたが、ぐっと堪える。
手塚は、沓掛にあったサンダルをつっかけると、無言でのそばまで寄った。
「きれーだよねぇ。この花ーっとお!?」
うっとりした口調で橙の花を見上げるのほっかむりを、手塚は少々乱暴に剥ぐ。
眼を丸くして見上げるの頭は、ほっかむりをはがれたせいかぐしゃぐしゃだ。
「何するんだ。くーちゃん」
「ふざけた格好でいるからだ。よくこんなものが家にあったな」
眉根を寄せて呆れた声を出せば、幼馴染は明るく笑って、
「やっぱりさ、≪花“泥棒”≫って言うくらいだから、こしきゆかしきこのスタイルで来た方がいいと思ってね。いや、苦労したよ。その風呂敷探し出すのに、家中の押入れを引っ掻き回した」
「まさか、この格好で家に入ったわけではないだろうな」
「ん、ダメだった?だって、せっかくこの格好になったのに中途半端なことするわけにはいかないじゃないか。大丈夫。人目にはつかないように、裏の塀を乗り越えてきたから
朗らかに笑うような事ではない。
「当たり前だ。もしもその姿で堂々と玄関から入られてみろ。近所の人間に要らぬ風評が立つ」
いや、そもそもこんな格好昨今の映画でも見た事がない。
むしろ、思いつくほうがおかしい。
変なところでこだわりを見せる幼馴染に、手塚は頭痛を覚えてこめかみを押さえた。
そんな手塚の気疲れを知ってかしらずか、は再び金木犀を見上げると、嬉しそうに口元をほころばせた。
どこか夢を見るようなの瞳につられ、手塚も橙の花を見上げる。
秋の夕暮れの中、絶えることなく小さな花々は芳香し、風に煽られ花を落とす。
地面には、匂い立つ華の絨毯が出来上がっていた。
「綺麗……」
が吐息と共に呟く。瞳は相変わらず、金木犀を見つめている。
手塚は、そんな幼馴染の姿を見ながら、思い出していた。
幼い頃、は同じ様な眼をして金木犀を見上げていた。
手塚がどれほど呼んでも飽きることなく、まるで呼吸すら忘れたかのように何時間でも魅入られていた。
それが原因で風邪を引いた事も少なくない。
そして、散々花を見つめた後香りに染まったかのような溜息を吐いて、言うのだ。
『くーちゃんすごいね。ユキだよ。オレンジのユキだ』
「……花の雪か」
ぽつりと昔を懐かしんで呟けば、がビックリしたように振り向く。
「すごいや」
大きく丸まっていた眼が、やんわりと笑みの形に崩れてゆく。
「私も、くーちゃんと同じ事考えてた」
嬉しそうに笑った顔に、昔のが重なる。
ふと見れば、の頭にはいくつもの金木犀の花が絡まっていた。
肩にも、橙色が本物の雪のように降り積もっている。
ゆっくり掃ってやればはされるがまま、また視線を金木犀に戻す。
その姿に、再び過去が重なった。
「お前は変わらないな。昔とちっとも」
万感を込めてそう呟けば、もまた小さく、
「くーちゃんも変わらないさ。今も昔も、すごく優しい」
一生言っていろ、と照れ隠しに少し乱暴に頭の花を払えば、そうする、と見上げる目が笑う。
風に煽られた花が、二人の間に降り積もる。
――――母親が呼びにくるまで、二人は香りの中でずっと思い出と一緒に佇んでいた。

あとがき

ギャグになりきれぬホノボノ話。
期せずして、金木犀の香りのように甘いものが仕上がってしまいました。
対手塚になると、なぜかこういう話が増えてしまいます。
幼馴染=思い出という何故だか分からない方程式が自分の中で出来上がっているせいでしょうか。

戻る