「ちょっとイッテキマス」

縁は異なもの味なものとはよく言うが、正直こんなご縁なら遠慮したいものである。

















――――テニス部のジューススタンドから約十メートル手前。
は思わず足を止めていた。スタンドが目に入った瞬間から、なぜか足が動かない。
(……なんだろう、この空気)
表面上は結構客が入っているように見えるのに、屋台内から冷気――――いや、もはや妖気と言ってもいいくらいの、おどろおどろしい空気が隙間から漏れ出しているのである。
出し物をお化け屋敷に変更すればいっそう客が入るだろうに、なんて余計な事を考えてしまうほどに。
「どうした、ですか?」
下のほうから伺うような声が耳に入り、ずっと固まっていたは自らの呪縛を解いた。
「いや。なんでもないよ」
何度か頭を振って、アレは気のせいなのだと自分に暗示をかける。
「――――行こうか」
それでもため息が零れるのはどうしようもなかった。












「どうも〜、パン屋Blumeの者ですがこちらに山吹の……」
「あー!さん!!」
ひょこッと覗いた先に探していた相手が満面の笑顔でいて、思わずは目を見開く。
「千石さん」
「うわぁ〜!テニス部の所にいれば絶対会えると思って待ってたんだよね!やっぱ俺ってラッキー!!
「いや、あのぅ」
ぎゅうッと両手を握られどうしてよいものか、眉を下げて困った顔になる。
けれども相手はお構いナシに、まだ手を握ってニコニコ笑っている。
どうしよう、と思っていた時、すこし下から自分と同じくらい困ったような声がおずおずと、
「せ、千石先輩」
の陰に隠れるようにしていた太一に、やっと気づいたらしい千石はきょとんとした顔で、
「あれ?太一君、何してんの」
「千石さんを探していたんですよォ」
は手を握られたままため息をついた。
が太一を見つけたのは生徒会室の帰り。
千石とはぐれ、道に迷っているところを見つけたのだ。
さすがにそのまま放って置くのは殺生な気がして、一緒に千石が行きそうな所を校内中探し回っていた。
――――そのすべてが女性の多い所と言うのが、と太一の千石観を物語っている。
とにかくあらかた探し回って、ここで最後と決めたのがテニス部。
そこでやっと巡りあったという次第だ。
「よかったね、太一君」
「は、はい」
頷いた太一の顔は嬉しそうだがどこか残念そうにも見える。
たぶん、見間違いだろうけど。
「さて、それはそうと……」
こっちの一件はこれでめでたく一件落着。
そこで次に問題となるのが屋台を取り囲むこの空気。
「なんなんです?これ」
「あー、アレじゃない?」
と、千石が指差したのは店の奥。
そこはさらに暗く、澱んでいるように見える。
暗い空気の中、紗にすかしたように見えるのは……。
「――――」
はそっと足音を忍ばせ、奥へ向った。
そこで立ちすくんでいる少年たちの腕を引く。
「えっ?」
「っ、
さん」
驚いた顔の河村と裕太と大石、ついでにノートを広げて観察していたらしい乾をその場から連れ出した。
千石たちのいる所までやってくると、は眉根を寄せて、
「何やってんの、あの二人は。……って訊きたいけど、答えは分かってる」
「じゃあ、訊くなよ」
裕太が負けず劣らずじっとりと眉を寄せてため息と共に吐く。
普段から顔色が伺えない乾以外、ちょっと見ない内に老けが進行したように見えるのはこの空気のせいか。
は視線だけ、店の奥に向けると、
「いつからいるんですか」
「三十分くらい前から」
答えたのは千石だった。
「凄いよねー、あの二人。彼――――三月くんだっけ?」
「三月じゃねぇ。観月さんだ」
睨みつけて訂正する裕太。しかし、千石のほうはそんなものどこ吹く風と涼しげに、
「あ、そう。で、そのミヅキくんが店に来てから不二君と話始まってさ。二人とも顔は笑ってるのに、この空気が、ねぇ」
怖い、怖い、と千石は亀のように首を縮めた。
「いやぁー、大石君と河村君が必死に奥へ引っ張っていったんだけどさ。あのまんま店先でやりあってたんじゃ商売上がったりだよね」
テニス部の良心とも言える両先輩の勇気ある行動に、は内心で惜しみない賞賛を送った。
「乾先輩は相変わらずデータ収集ですか」
「うん。触らぬ神にたたりなしってね。俺が止めようとした所で止まる二人じゃないだろう」
眼鏡をズリ上げると、口の端を吊り上げ乾は笑う。
非常に賢い選択だ。いや、『彼らしい』選択と言うべきか。
「裕太君は、逃げなかったんだね」
「ったり前だろ。先輩ほっといて逃げれるかっつーの」
これまた後輩の鑑のような発言。
心底頭が下がる。
「あの、それでどうするですか?」
太一の言葉に全員の目は店の奥に注がれた。
奥から迸るような、にじみ出るような冷気(霊気でも可)に客足は次第次第に遠のいていっているようだ。
が店にやってきて三分ほど立つが、もはや店の中に客はいない。
もう、完璧に営業妨害である。
大石の胃にクレーターが空くのが先か、空気に屋台が潰されるのが先か。
すでに時間の問題と言えよう。
「あの、さん?」
盛大なため息を吐いて後ろ頭をバリバリかけば、太一に訝しげな声をかけられる。
「ちょっとイッテキマス」
「あ、さん!」

河村の止める声に、はにっこり笑って手を後ろ手にひらひらと振った。
奥へ進むにつれ、の足は重くなっていった。
心なしか、視界に靄がかかっているような気がする。
本音を言うなら今すぐこのまま、回れ右してしまいたい。
それは生きるための本能だった。ここから先進めば(大げさだが)命の保証が無いと、本能が警告を発しているのだ。
しかし立ち止まるにしろ帰るにしろ――――はあまりにお人よし過ぎた。
















「こんにちは!そこの不穏絶頂オーラ出血大サービス中のお二人さん!!」
背中に荒波の幻覚を背負って、は開戦の狼煙を上げた。
はたして激戦真っ只中の二人に自分の声が届くかはなはだ疑問だったが、何とか気がついてもらえたようだ。
ちゃん」
さん」
二人はまったく同じタイミングで振り向いた。そして、まったく同じ様に目を瞬かせている。
その様子を見て、いまさらながら、なぜこの二人がこんなにもいがみ合うか(殆ど観月の一人相撲な処もあるが)不思議でならない。
これが、同属嫌悪と言う奴か。勉強になる。
「どうしてここに。手伝いは……」
「それはいまどうでもイイ事です、不二先輩!」
は気丈に声を張り上げた。
正直な所、内心はビクビクのドッキドキモノだ。
はたして、魔王と堕天使の戦争なんて大それたもの、一般女子中学生のに止められるものか。
勝機があるとしたら今、突然現れた第三者に度肝を抜かれているこの瞬間しかない。
何とか自分のペースに持ってゆけば、ひょっとしたらどうにかなる……かも。と言うか、なって欲しいのが心情。
失敗すれば、それこそ地獄が待っている。
(進んで貧乏くじ引くなんて、私もたいがい馬鹿だよな……)
自嘲は心中で押し留めて、はまた二人を睨み据えた。
「お二人とも、その視力がよろしかろう眼を見開いて、周りをよぅっくご覧ください!……見た?見ましたね。さぁ、何が見えた!
に促されるまま、二人はぐるりと店の中に眼をやった。
「……椅子?」
「……カウンターで不気味な泡を吐くジョッキ?」

「そうです!それくらいしか見えないでしょう。客の姿など見えないでしょう!
は力任せに手近な壁に拳を叩きつけた。
二人は、これ以上ないほどに眼を見開く。
は――――。
(痛い……)
加減もせずに叩きつけたおかげで、腕から脳天まで電気ショックのように痺れが貫く。
棘も刺さったかもしれない。
零れそうな生理的涙をぐっと堪え、は再び口を開く。
「お二人がケンカなさるのは勝手です。やりたいなら怪我をしない範疇でやってくださいな。止めません。ええ、止めません。お二人の出される瘴気を浴びた草やら木やら犬やらが妖怪変化しようが止めませんとも!でもそれは"場所を選ぶなら"です」
一旦言葉を切って、は深呼吸した。
潰えそうな勇気の炎に、再び新鮮な酸素を送り込んでやる。
「ここはドコです。ここはテニス部の出し物!ここは店!然るに、お二人がこの場所でにらみ合うと言う事は、営業妨害になるということです!裁判沙汰になったら敗訴は必至!執行猶予もつかないほど敗け確実!私が言いたい事、分かっていただけます?分かってください。と、言うか分かってくれ!何も英語だかハングル語だかインフェリア語だか使ってるんじゃないんだ!お二人が日本で生まれ、日本で育ち、日本の国籍を持ってるんだったら、頼むから私の言いたい事を解し、然るのち誰もいない野ッ原のド真ん中ででもケンカしてください!店にとって迷惑なんだ!
腹の底から、肺の空気全てを言葉に代えたような一喝の後、その場は水をうったかのように静まり返った。
は上がる息を出来うる限り静かに押し留める。本当だったら今すぐ深呼吸したい。
しかしそうしたが最後、腰が抜けて動けなくなるであろう事は目に見えていた。
いまさらながら、誰に喧嘩を売ったのか。その事実が重く圧し掛かる。
(生意気だとか思われたかな)
しかし、これできっと、たぶん店から出て行ってくれる。営業が再開できる。大石たちの憂いが無くなる。
後悔は――――少し、している。
(いやさ、何を脅えるか、私。相手はどんなに瘴気まき散らかそうが一応タダの学生だ。何も極の字がつく自由業サンでもなければ、人外でもない。命の危険を感じる必要など何一つない。――――むしろ精神面での危機には好んで飛び込んでしまったようだがな!!
ちゃん――――」
「ハイな!」
不二が名を呼ぶ。は勢いよく返した。
(後は野となれ山となれ。死して屍拾う者無し……)
「ごめんね」
ハイッ!……はい?」
不二の口から、思いもかけない謝罪が飛び出した。
罵倒やら毒舌やらが振るわれるかと思っていたは、一瞬頭が真っ白になる。
実の所まともに見れていなかった二人の顔を、は始めて真っ直ぐ見た。
さんの言うとおりですね」
観月が心底申し訳なさそうに眉を下げた。
「店の迷惑も顧みず、しかもそれを店員じゃないちゃんに言われた始めて気付くだなんて……」
不二もまた沈む声で、もう一度ゴメンと詫びを入れる。
「気付かせていただいて、ありがとうございます、さん」
「あ、は……いえ!どう、どういたしまして!」
観月の柔らかい笑みに、も釣られて頭を下げる。
なんだか信じられない光景だった。不二ならばまだともかくとして、あのプライドの高い観月の謝罪――――。
(い、一生分の奇跡を使い果たしたようだ……)
とにもかくにも、青学テニス部のジューススタンドを襲った未曾有の悲劇は、最悪の結果を見ずして幕を下ろすことになりそうだ。
の大喝に気圧されたか、さっきまであれほどおどろおどろしく店内を覆っていた空気はゆっくり晴れはじめている。
よもや文化祭でこれほど精神力を消耗する羽目になるとは思っても見なかったは、初めておおきく息を吐き出した。
胸のつかえが取れ、なんだか清々しい気持ちだ。
(お役――――御免だな)
「でもちゃん、ごめんね」
不二がもう一度、申し訳なさそうに言う。
はホッと表情を緩めた。
「いいえ。その言葉は私より、大石先輩たちに言った方がいいですよ。一番心配してたの、先輩たちですから。あと裕太君」
「後輩に心配を掛けるなんて、僕もまだまだですね」
観月の苦笑には首を振り、微笑んだ。
(何を不必要に脅えていたか……。話せば分かってくれるんだよ、うん)
が一人で納得していたその時。
「ところでちゃん」
と、不二。すかさず、
「はい、不二先輩」
さっきのも手伝っては朗らかに答える。
「まだ、お手伝い中?」
「はい。一応、三十分ほど休憩時間を貰ってますが」
「お手伝い、大変そうですね」
とは、観月。
「いえ、平気です。接客って、結構楽しいから」
「朝からやってるんだよね」
「はい。ずっと」
「その格好――――パン屋さんですか」
「はい。ご明察です」
「いま、休憩中?」
「いえ。休憩はこれからです」
「お手伝い、抜け出してきたんですか」
「はい。家政部の部長さんには断りいれてきたんですが」
「わざわざ抜け出して?」
「はい!」








「僕の為に?」
「はい!――――はイ?









一瞬言葉が詰まった。
さっきから順番に質問を繰り返していた二人の声が、最後だけ重なったのだ。
(あれ――――何で……)
不思議に思う間もなく、優しく両手を握られた。
優しい手の主は、不二だった。
「不二せん……」
「嬉しいよ、ちゃん。僕のために、手伝いを抜け出して会いに来てくれたなんて」
「はっ。えっ。えぇ!?
は眼を丸くした。何をどう曲解したか知れないが、不二の頭の中では"わざわざ手伝いを抜け出してまで自分に会いたがっていた"と言うようになってしまっているらしい。
誤解だ。そう叫びかけた。しかし。
さん」
不二の手の中にあったはずの己が両手は、今度は観月の手の中に納まっていた。
「僕がいると知って、会いにきてくださったんですね。嬉しいです」
誤解Part2。
どうも観月も観月で、不二と同じ理論に到達してしまったようだ。
不二と観月。互いに反発しあっているワリには、似すぎた思考回路をお持ちらしい。
歩み寄れれば、意外に馬の合う親友同士になったりして……。
なんて、わずかの間にが意識を飛ばしていたら、再びエライ事になってしまった。
ちゃんに触らないでくれるかな。汚れる」
不二が観月の手を振り払った。対する観月も払われた手を再びの手に伸ばし、
「人を病原菌扱いしないでくれますか。君に触れられるほうがよっぽど毒です」
ちゃん、あとで消毒しておこうね。化膿したら大変だから」
「僕を無視するな!」
あれほどまでに朗らかに変わり始めていた空気は、またしても目に見えるほどに澱み始めた。
再び渦巻く瘴気の只中。発生源に挟まれたは、
(あぁ――――やっぱり一般中学生に、魔物の仲介なんて無理だったのか……?)
意識を飛ばしかけながらも、最後の抵抗とばかりに二人に捕まれたままの手を抜こうともがいた。














それから十分ほど後。
校内のあちこちでは、学園屈指の美人と、それにタメを張るほど美人の他校生にあたかも捕らえられた宇宙人のごとく挟まれた一人の少女の姿が見受けられたそうな――――。

あとがき

文化祭二日目後半。
千石たちどこ行った(爆)
不二VS観月の図と言うのはもはやお約束ですね。
もうちょいおどろおどろしい対決風景にしてみたかったです。
しかし、なぜかこの話ギャグ不調。おまけに無駄に長いなぁ(汗)

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