「ご注文はお決まりでしょうか」

初日午後の部。
午前より客の入れ変わりが激しく、飲食店が賑わいを見せる昼ごろ。











〜」
「あー、杏ちゃ……」
聞き覚えのある友人の声に振り返ったは、そのままの形でものも見事に硬直した。
見開かれた眼が見つめていたのは友人の杏でも、その隣の神尾でも伊武でもない。
三人の後ろから、まるで保護者のようにゆったりとついてきた一人の少年に釘付けだ。
「ひさしぶりだな、
「たた、た、タちばなしゃん!?
驚きに声が裏返った。
目の前がぐるぐる回って、頭に熱が集中する。
よもや来てくれるとは思っていなかった相手の姿に、は軽いパニックを起こしていた。
、大丈夫?」
肩を叩く杏の手が、を辛うじて現実に引き戻す。
「あ、は、え、おぉっ
「おいおい、マジで大丈夫かよ、ちゃん」
「顔が面白い事になってるよ……」
「具合が悪いのか、
「んなことありゃしません!!」
は首を振り千切れそうなほど横に振った。
それから、よく回らない口で必死に、
「たち、た、橘さん!あの、今日はどういったご用件で!!」
「アタシが誘ったの。今日はちょうど練習もないし」
「そ、そうなんだ」
表面では冷静になろうと勤めながら内心では、っしゃあ!でかした!は友人に賞賛を送った。
(うわぁ、橘さんだ、橘さんだ。きてくれるなんて全然思ってなかったよ、でかしちゃったよ、杏ちゃん!うわー、でも私今えらい格好だよ、女中さんだよ。どうしよう、変じゃないかな。なんか橘さんの顔が困ってるように見える……)
「ぇ……ねぇ、!」
「えっ?」
杏の声にははっと我に返った。
「な、何、杏ちゃん」
「仕事、しなくていいの?」
「あっ……」
そこでは気づいた。
今まで橘の顔ばかりうっとり眺めて、固まっていた事に。
しかもの立っている位置は入り口なものだから、出ようとしている客と入ろうとしている客の両方から「早く退いてくれ」と怪訝な視線を送られている。
その中に橘の視線も含まれていた。
(し、しまった!マニュアル、マニュアル……)
慌てて頭の中のメモ帳をパラパラと捲り、一つ、せき。
「本日は和喫茶「のと」へようこそ。和が織り成す癒しの空間をどうぞご堪能くださいませ」


















中庭の一角に店はあった。
毛氈の敷かれた長いすが四つ、一定の間隔を持って並んでいる。
日よけのためか、時代劇に出てくるような大きな朱色の傘がそれぞれの席に影を落としている。
一部では初老の夫婦相手に部員が野点を始めていた。
「静かでいいな」
「ありがとうございます」
橘の言葉に、は落ち着いた表情で軽く頭を下げた。
「ご注文はお決まりでしょうか」
「じゃあ俺は薄茶と落雁を」
橘の横で杏が品書きを一通り眺めて、
「あたしは、んー……抹茶餡蜜!」
「俺はほうじ茶。あと練りきりな」
「抹茶と金平糖」
「かしこまりました。しばらくお時間をいただきます」
はゆったりとした動作で頭を下げると、調理室のある教室へと向った。
その後姿を眺めながら、杏はポツリと呟いた。
「……今日は落ち着いてるのね」
「何がだ?」
「ううん。なんでもない」
兄の問いに首を振って、杏はの消えていった出口を見つめた。
(お兄ちゃんの前なのに、ってば全然テンパってなかったわね。……やっと慣れてきたのかしら?)






















ちょうど同じ頃、調理室のなか。
「〜〜〜〜ッ!!」
そこでは異様な光景が繰り広げられていた。
不幸にも同じ場に居合わせた裏方及び接客係はそろって異様の主を恐々見つめたり、または無いものとして完全に無視を決め込んだり……。
いずれもこの状態に恐れを抱いているようである。
(っあ〜!話しちゃった、橘さんと普通に話せた!いや、普通だったか?何か妙な事は言ってなかったか?私、無意識に失礼な事言ってなかったか?うわぁ〜!どうしよう!!なんかコーフンしちゃって橘さん達と顔会わせにくいよ!!でも注文持っていかなきゃいけないし……。どうしようかなぁ、もぅ。――――あーッ!頭冷やすため禊でもすっかなぁ、ちきしょぉう!?
「あの、さん。注文……」
勇気ある一名の部員が蚊の泣くような声で話しかけたが、興奮のあまり壁に頭をぶつける事に夢中になっていたはまったく気づこうともしなかった。





















「お待たせしました」
が戻ってきたのは注文をとってから実に十五分後の事である。
それぞれの前に注文の品を置いていく際、気がついたらしい杏が声をかける。
「あれ、。おでこ真っ赤じゃない。どうしたの?」
「精神安定の副作用」
「?」
頭の上でクエスチョンマークを飛ばす杏にそれ以上は説明せず、は何事もないかのように冷静な顔で頭を下げた。
「それではごゆっ、くり……?」
去りかけたは、袖に何かが引っかかって振り返った。
傘にでも引っかかったと思っていた袖は、伊武が掴んでいただけだった。
「……深司君?」
「もーちょっとここ、居れない?」
「あい?」
伊武は目を丸くするの袖をなおも掴みながら、
「だいたいさぁ、さっきからって、橘さんばっか見て俺の事全然無視じゃん。そういうのってひいきって言わない?別に俺だけじーっと見てろって訳じゃないけど、話す時間くらい割いてくれたっていいと思うんだよね。それに今そんなに忙しく無さそうじゃん。それとも何。は俺と話すのがイヤなの?目ぇ合わすのもいや?同じ空気吸うのもいや?もしそうだとしたらすっごい傷つくんだけど。俺ってこう見えて結構繊細だしさぁ。ねぇ、。そんなに忙しい?」
「えっ、いやぁ……」
まったく息継ぎナシですらすらと話す伊武に関心しきりだったは、最後の言葉にはっと我に返り、戸惑ったように表情をゆがめると橘たちの方へ視線で救いを求めた。
すぐに感づいた神尾が伊武の肩を叩き、
「深司、止めとけよ。ちゃん困ってるだろ」
「アキラの言うとおりだ。止めておけ、深司」
「……すんまそん」
友人の言葉では反応しなかったものの、橘に言われ、伊武はしぶしぶと言った様子で手を放す。
「すまなかったな、。邪魔をして」
「い、いや!そんな事まったくこれっぽっちも!!
は振り千切れんばかりに首をぶんぶんと振った。
実際、本心ではもっと橘たちと一緒にいたいと思っている。
だが、自分は茶道部にスムーズな運営のため助っ人として呼ばれたのだ。
現場を離れるわけには……。
義理と人情に葛藤しながら、救いを求めるように茶道部長の方を見れば……。
(行って来い、行って来い)
朝から働き通しのご褒美か、それとも調理室での奇行に(なんか、ヤバイ)と感じたためか、或いは両方か。
部長はニコニコ笑いながら、まるで犬でも追い払うかのように手を振った。
(ちょっと……酷いんじゃないですか……?)
笑顔の裏に何が隠れているかを想像して、は密かに涙した。
そして素直に椅子の端――伊武の隣に腰掛ける。
「ん」
「あ、ありがと」
伊武から差し出された皿の金平糖を一つ、口に放り込んだ。
噛み砕かずにころころと口の中で転がせば、じわりとした甘さが舌に広がる。
朝から働き通しの体に、優しい甘みが染み込んでゆく。
ちゃん、これも食えよ」
「ねぇ、もなんか注文する?ちょっと、すいませーん!」
神尾から渡された練りきりを片手で拝んで手に取り、杏の呼んだ接客係りに注文を言って、何でもない話を始める。
生活時間が噛みあわない為そうそう頻繁に会えない分、ここぞとばかりに話は弾む。
はいつしか橘の前でもどもらず――僅かに赤面はしていたけれど――会話を楽しむようになっていた。












――――橘たちとの距離が又すこし近づいた気がした、そんな秋の日。
文化祭初日は滞りなく過ぎていった……。

あとがき

力技でほのぼの終了。
本当は「精神安定の副作用」地点で終えようかと思っていましたが、それじゃあ主人公が本物の変態さんなので強引にほのぼの路線に。
途中から大丈夫かよ、コイツと書いてる本人も心配になってしまいました(笑)
不動峰はギャグ路線よりのほほん雰囲気の方が書きやすいです。
いや、しかし。変だなぁ、この主人公(笑)

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