BoyFriend

「あっ」
スポーツ店でテニスシューズを選んでいた伊武は、ガラス越しの外へ目を向けたまま止まった。
「どーしたんだよ、深司」
二つのシューズを手にどっちがいいか迷っていた神尾が、伊武の様子に気づいて声をかける。
伊武は僅かに神尾を見つめてから、おもむろに伸ばした人差し指をウィンドウの向こう側へ向けた。
ウィンドウの向こう側は土曜のためか人が多い。
その道路を挟んで向こう側の歩道を、普段よく見かける姿が歩いていた。
だがそれは一人ではなくて、
「杏ちゃん!ってか、隣の男誰だよ!?
放り出したシューズが床に転がるのも構わず、神尾はガラスにへばりつく。
ちょうど店の前を通ろうとした男性がギョッとしたように引いた。
だが、神尾にそんな事を構っている余裕はない。
道路を挟んで歩く杏は少年と腕を組み、幸せそうな笑顔を見せている。
少年の顔は帽子を深く被っているため分からないが、見える口元から察するにこちらもだいぶ、楽しそうだ。
「あ、あんにゃろぉぉぉ〜ッ!!」
ガラスに爪を立てて低く唸ると、神尾はヒョウのようなすばやさで店を駆け出た。
「……まったくいやンなるよね。アキラってば杏ちゃん絡むと見境なくなってさ。ああ言うの、迷惑だってことわかんないのかな。つーかホント、誰だよあの男……」
ぶつぶつ言いながら緩慢な動きで伊武も後を追う。
その後姿を、店員たちは呆然と見送るしかなかった。




















「ねぇ、これからどこ行く?」
「ご飯食べたしね。どこにするか……」
「おい、お前!!」
「えっ?」
「アキラ君?」
鋭く叩きつけられた言葉に振り返れば、そこには肩で息をしている神尾がすごい形相でこちらを睨みつけていた。
神尾は呆気にとられた二人の間にすばやく割りこむと、杏を背にかばい、少年に射抜くような視線を向ける。
「お前、杏ちゃんになにしてんだよ!」
「ちょっと、アキラ君!?」
「いや、なにって別に……」
「腕まで組んでて別にって何だ!」
「ッわ!?」
戸惑う少年に業を煮やしたか、神尾は胸倉を勢いよく掴む。
「ぐっ……」
呻く少年が二三度頭を振ると、帽子が地面に落ちた。
「あっ……」
「なっ……」
あらわになった苦悶を浮かべる顔は驚いて手を離した神尾も、のっそりやってきた伊武も知った顔。
「大丈夫!?」
「なん……とかね」
咳き込む背中を心配そうに撫で擦る杏に向い、は眉をハの字にしながら答えた。





















「代理彼氏――――!?」
往来のど真ん中で、図らずも注目を集めすぎた四人は近くの喫茶店へ緊急避難した。
案内されたのは、奥まった四人がけのテーブル。
そこで杏から聞かされた衝撃の事実に、神尾は一声叫んで呆然とした。
「そ、それ、マジ?」
「うん。最近付き合ってくれって言ってくる子がいるんだけど、その子がしつこくてね。断っても、好きな人がいるって言っても全然お構い無しなの」
「杏ちゃん、好きな奴がいるの!?」
「いないわ」
慌てる神尾に、テーブルを挟んで向かい合った杏はあっさり首を横に振った。
「いないけど、そういえば諦めてくれるかなぁって思ったの。でも全然聞いてくれなくて……。で、そのうち彼氏がいるのかって訊かれて思わずうんっていっちゃって、仕方ないからに頼んで彼氏の振りしてもらってたわけ」
「そんな……」
疑わしいような目で見つめる神尾に、一瞬目のあったはぱっと顔を背けた。
「さっきその相手と話してきたの。それから、もう付き纏わない約束して帰った」
「でも……わざわざ女の子に代役させなくったって、俺が言われればいつだって」
「アキラ君はダメよ。顔が知れてる」
手を振る杏に、がっくり肩を落とす神尾。
「それにもし万が一相手が逆恨みして、彼氏役の子を襲ったら大変じゃない」
「まぁその点、私なら元々男装を解いちゃえば"いない人間"だから、心配はナシ」
ねぇ、と杏に笑いかけられ、が静かにこくんと頷く。
その時、突然電子音のメロディーが響いた。
杏がポケットからケータイを取り出す。
「あ、お兄ちゃん……」
杏がごめんと唇だけで伝えて、席を立つ。
場には神尾と、と、ずっと傍観者を決め込んでいる伊武が取り残された。




















さて、杏がいなくなると、途端に全員は図った様に押し黙った。
伊武にいたっては最初からその口は貝のまま。
何を話せばよいものか分からないが、この妙な空気のまま押しつぶされるのはごめん。
でも何をしゃべればいいのやら分からない……。
とどのつまり、神尾と、二人の考えは一歩の前進もないままそこで堂々巡り。
そんな二人の心中を想像して、伊武は心の内で呆れた。
前進無ければ、この重い空気に変化はない。
自分から仲介を買って出るほどボランティア精神は旺盛ではないが、かといってこのまま妙な空気のままというのも……。
伊武はため息をつきながら髪をかき上げた。
そしておもむろに、
「あのさあ、二人ともなに押し黙ってんの。止めて欲しいんだよね、こういうの。杏ちゃんがいなけりゃなんも出来ないわけ。あーやだな、幼稚園児じゃないんだから。アキラなんて普段うっとしいくらい喋るのに何でこんな時ばっか黙るの。使えないなぁ、おかげで俺が喋る羽目になるじゃん。すっごいめんどい。所で君さぁ、さんだっけ?」
「あ、は、へい?」
今の今まで口を開かなかった伊武のマシンガントークに呆然としていたのか、の返事は限りなく間抜けだった。
それに構わず伊武は続ける。
「あのさぁ、いやじゃなかった?友達の頼みとはいえ男装してデートなんて」
「いや、別に……。男装って言ったってぶかぶかのパーカーにジーンズなんて、普段してる格好だし。それに私、杏ちゃんの事、好きだから……」
「……さんってさぁ」
やつぎばやのマシンガントークに渇いた喉を潤していた伊武は、カップから口を離しておもむろに、
「君、レズ?













ブボォッ!?














――――神尾が口から珈琲の霧を噴き出し、の持っていたカップから紅茶が全て流れ出た。
全員の上に圧し掛かかった、永遠とも思える、けれども実際はわずかな沈黙の後。
「あ、の、伊武……さん?」
がのろのろと机に零れた紅茶をハンカチで拭く。
その手は僅かに震えていた。
「なぜに、何ゆえ、そんな発想に至ったんで?」
「だってアンタ今、“杏ちゃんが好き”って」
「てめ、いきなりなに言い出すんだ!」
「違う!それじゃない!!そっちの“好き”ぢゃ、ないんだああぁぁ〜!!」

周囲の眼が集まるのも構わず二人は激昂して立ち上がった。
神尾の顔色は怒りのためか真っ赤だし、のほうは信号機のように赤と青を行ったりきたり。
「そうじゃないんですよ、そっちじゃないんだよ。あーもー、あのね、えっと……あ〜……」
何のジェスチャーか、さっきから人差し指をぐるぐる回しながらは唸った。
しばらく伊武たちがトンボの気分を味わった後、は明るい顔をしてぱんッと両手を打ち鳴らした。
「そうだ、神尾さん!私の杏ちゃんへの“好き”は、伊武さんから、神尾さんへの“好き”と同じなんですよ!!
「俺、別にアキラの事好きとかって思った事ないけど
「ダ〜……」
相手が悪かったと感じたか。
は頭を抱えて机に沈み込んだ。
その必死な様子はいちいち面白い。
伊武は苦悩するを見ながら、唇の端を僅かに吊り上げた。
「なんって説明したらいいんだろぅ。あのー、えっと……」
「要するに友達の好き、だろ」
「そう、それ!!」
神尾の助け舟に、は我が意得たりと顔を上げた。
「私の“好き”は友達の“好き”なんです。困っているんなら助けになりたい。ちょっとでもいい。それでまた杏ちゃんが元気になるんなら、私なんだってやりたい。杏ちゃんも私が困っている時助けてくれた。でも今回助けたから今度は杏ちゃんが助けてって奴じゃなくって、頼ってくれたらいつだって力になりたい。ギブアンドテイクじゃなくって、自分で与えられるものがあるなら与えたい。ありがとうは別にいらない。ただ、それで杏ちゃんが元気になってくれたら……。笑ってくれたら、それで、私満足なんです」
真っ直ぐに見つめる視線は揺らぎもせず、透明。
聞いているこちらがくすぐったい様な、真剣な告白だった。
「つまり私のはそういう好きで……」
「もういい」
伊武はの前に手のひらでストップをかけた。
軽く息を弾ませ、は喋るのをやめた。
それからぺこりと頭を下げ、
「ごめんなさい。分かりづらくて」
「いや、そんな事ないよ」
神尾が苦笑して手を振る。
「滅茶苦茶だけど、言いたい事は伝わったし」
伊武の言葉に、はほっとした様にカップを手に取った。
だがその中身が空なのに気づいて、情けなく顔をくしゃっとゆがめる。
「――――ところで
「んっ。――――えっ?
は驚いたような顔を上げた。
神尾も驚いたように隣を見る。
そこには、二人分の視線を受けてなお平然とした顔の伊武が、残りのコーヒーをすすっていた。
戸惑うを、伊武はしっかり視線で捕らえる。
「何。杏ちゃんだって君の事呼び捨てじゃん。かわりに俺の事も“深司”って呼んでいいいよ。同級生にさん付けされるのってあんまヤだし。それとも何?杏ちゃんはよくって、俺はダメなわけ。理由は?そういうのえこひいきって言わない?」
「だ、誰もだめとは言ってない!
は千切れそうなほど首を横に振る。
「あ、じゃあ、俺もアキラって呼んでくれよ。ついでに敬語もなしな」
「あ、えと」
「アンタ面白そうだしさ。友達になろーぜ。な」
「あっ……」
戸惑うようなの表情がわずかにほぐれる。
「俺たちじゃ不服?」
あるかなしかの微笑を浮かべた伊武と、人懐っこい笑顔の神尾に、は首を横に振った。
「あ、ありがと。深司君、アキラ君」
ははにかんだ笑みを二人に向けた。














「――――ほのぼのしている所悪いんだけど、みんな?」
声に振り向くとそこにはケータイを手にした杏が、
「このテーブル、何があったの?」
『あっ……』

――――杏の視線の先には、いまだ零れたコーヒーなどでぐちゃぐちゃのテーブルと、手を出しかねておろおろしているウェイトレスがいた。

あとがき

某日、主人公不動峰中の二名と友情関係を結ぶの巻き。
案外自分、杏ちゃん出すの好きだなぁと感じました。
こういう気性のさっぱりした子っていいなぁ。

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