誰彼狐
(たそがれぎつね)
夕方、宵闇、茜色。 鳥居、玉砂利、お稲荷さん。 埋もれてしまった幼い記憶。 出会ったのは、黄昏時……。 それはまさしく少年にとって大冒険だった。 いつも、誘拐防止だか何だかのために終始くっついてきているSPの目をすりぬけての屋敷脱走。 初めて自ら手に入れた自由に、少年の心は浮き足立った。 だが、自由には必ず代償というものがついてくる。 一度とて一人で外を出歩いた事のない少年にとって、家の外の世界は迷宮も同じだった。 最初は物珍しさのため思うままに足を運んでいたが、やがて見覚えのない景色に囲まれている事に気づくと、不安のため、元来た道を戻ろうとした。 だが、なぜかちっとも見覚えのある場所につかない。 逆にだんだんと、知らぬ場所に迷い込んでいくようだった。 仕方なく疲れた足を休めるために、近くの古い神社の賽銭箱にもたれかかって休みを取った。 だがこれが大誤算。 そのままうとうと眠ってしまい、気づいた時にはすっかり夕方。 ざわざわと風も出てきて、少年は肌寒さにブルリと震えた。 もしかしたらこのまま帰れないかもしれない……。 少年の心中に、忍び寄る夜と同じ色がじわじわと広がってゆく。 昼も食べずに飛び出してきたせいか腹がちくちくと痛み、余計に不安が増す。 自らの行為が招いた事とはいえ、一人ぼっちで取り残された少年は、動く事もできず座り込んだまま立てた膝に顔を埋めた。 そこへ近づいてくる玉砂利の音。 「ねぇ、どうしたの?」 声をかけられ顔を向ける。 と、そこにいたのは白い着物に赤い袴をはいた同い年くらいの少女だった。 じゃりじゃりと下駄で玉砂利を踏み鳴らしながら近づく。 「どうしたの?おなかいたいの?」 「お前、だれだ?」 見たこともない服装の少女に、少年は警戒心を剥き出しに睨みつけた。 少女はくるりと目を大きくして、 「わたしはだよ。ねぇ、きみはだぁれ?」 「おれさまは景吾だ」 「けぇご?」 少女は、舌足らずな口調で名を呼ぶ。 少年はムッとして、 「けいごだ、けいご」 訂正しようとするが、少女は構わず 「けーごはこんなところでなにしてるの?」 こっちの言う事もきかずは首をかしげた。 景吾はむすっとしたまま、 「お前にはかんけいない!」 と、そっぽを向いた。 「そーいうおへんじはいけないんだよ」 もムッとしたように言い返した。 「きかれたら、ちゃんとすなおに、おへんじしなきゃいけないんだよ。そんなわるいおへんじしたら、くーちゃんもせんせいもおこるんだよ」 「しるか」 「ねぇ、けーごのおとうさんとおかあさんは?」 きょろきょろとあたりを見回すは、一番痛いところをついた。 一瞬ぐっと言葉に詰まって、ついで寂しさと一緒に怒りがこみ上げてくる。 景吾はきょとんとした顔のをぎっと睨むと、 「ウルサイ!お前なんかにはかんけいなッ……」 その時、境内に情けない音が響いた 紫に燃え上がる空に轟く、怒鳴り声と腹の虫。 一通り盛大に鳴き終わった所で、も景吾もきょとんとしてしまった。 数秒たって、景吾の顔に見る間に朱が昇り、ぎゅうっと腹を両手でかばうように抱き締めた。 そうでもしなければ、また鳴りだしそうな気がして……。 (な、なんなんだ、今のは!!) 景吾はぎゅっと目を瞑って、ひたすら羞恥に耐えた。 しばらく二人は声を交わさなかったが、やがてはパタパタとその場から走り去ってしまった。 後には、夕暮れ時の寂しさひとつ。 (はら、へったなぁ……) 遠い空の上で、カラスの鳴き声がする。 それ以外、一切の音は忍び寄る夕闇に呑み込まれてしまったかのようだった。 (これから、どうしよう……) 景吾が途方にくれた、その時である。 「けーご!!」 ひときわ元気な呼び声に、景吾は顔を上げた。 すると、そこには手に何か抱えた先ほどのが走りよってくるところだった。 「お前、何しにっ!?」 「けーご、これあげる!!」 は両手で大事そうに持っていた包みを差し出した。 「なんだよ、これ……」 「おいなりさんだよ。くーちゃんのおじいちゃんからもらったんだよ」 竹の包みを開くと、握りこぶし大の見たこともない食べ物が三つ、入っていた。 「おいしいんだよー。けーごにあげる!」 「い、いい。おれは、べつに……」 「だめ!おなかすいてるとかなしくなるから、たべなきゃだめ!!」 きっぱり言ったの剣幕に押され、景吾は恐る恐るひとつ手にとって齧ってみた。 五目飯に、揚げから出た出汁が合わさって、どこと無く素朴な味がする。 「……うまいな」 呆けたように呟くと、はにっこり笑って、 「それ、くーちゃんのおばさんがつくったんだよ。だからおいしいんだよ」 「ふぅん」 たちまち三つともぺろりと平らげ、一息ついていると今度は魔法瓶の水筒に入った茶を差し出された。 「あったかいおちゃ。おいしいよ。ぬくぬくだよ」 「サンキュ」 景吾は受け取った茶を、息を吹きかけ冷ましながら口をつけた。 がちょこんと横に座る。 「ねぇ、けーご。けーごはどうやってきたの?」 「……一人できた」 「ひとり!けーご、すごい!!」 は足をパタパタ鳴らして感心した。 その様子に、景吾はちょっと得意気になる。 「まぁな、すごいだろ」 「うん!わたしなんて、ひとりでおかいものもいかせてもらえないんだよ!!けーご、すごいんだねー」 きらきらと輝く目で見つめられ、景吾はますます得意になり、どうやってSPを撒く事ができたか、ここまでどうやってきたか、好きなテニスの事など詳しく話して見せた。 はその一つ一つに驚いたり、感心したり、先を催促したりして、景吾の優越感を満たした。 「ねぇ、けーご。それからどうしたの」 「それから――――」 乞われ、先を話そうとした時、境内の向こう、階段下から聞きなれた声がした。 「あいつら……」 「どしたの、けーご?」 話が中断されたせいか、がきょとんとした顔で景吾の袖を引く。 景吾は、すこし眉を下げながら、 「わるいな。そろそろかえる時間だ」 「かえるの?けーご、もうかえっちゃうの?」 服の袖を掴み、泣き出しそうに潤む目を見て、景吾はの頭を何度か撫でた。 「しんぱいすんな。どうせまた会える」 「ほんと?また、あえるよね?」 「ああ。だから泣くな」 その言葉に、は着物の袖でぐいっと涙を拭うと、 「うん!わかった!!」 にっこり、満開の笑みを向けた。 それから、景吾はSPたちと共に帰路に着いた。 帰る時、一度境内を振り返ったが、その時にはもうの姿など微塵もなく、濃紺の空に星がいくつか瞬いているだけだった。 家に帰り、疲れきって寝る前にその事を母親に話せば、母はくすくすと笑いながら、 「それは狐に化かされたんじゃない?」 そう言って頭を撫でた。 事実、その後神社がどこにあるかはすっかり忘れてしまい、の事も疲れた頭が見せた幻として深く記憶の底に沈められる事となる。 ――――互いに"初対面"として再会するのは、それから何年も経った後のこと。 |
あとがき
跡部のキャラが違います(言われる前に自主ツッコミ) こういう出会いが会ったらいいなぁなんて言う妄想が招いた一種の幻覚です(笑) でも書いてて楽しかったぁっ! 何気にヒロインの言葉がひらがな満載でアホっぽいですな(再笑) |